第十話「魔物ゼリー幼女添え」(3)
(3)
金魚屋は店の奥を覗き込んでいた。
店の奥には厨房の他に広めの物置スペースがあって、そこには、テーブルと脚の長い椅子が一脚だけ置かれていた。広め、と言ってもそこそこの広さでしかない。二本足で立ってる連中には狭い方じゃないだろうか。だから、こんなところで番犬達が四人も集まって宴会を開いていたところを想像すると、随分と狭かっただろうし、かなりむさ苦しいうえに、よくそんな暑苦しいところで辛抱強く酒が飲めることだ。
金魚屋の足元には、テーブルと椅子がひっくり返っていて、何本ものビール瓶が転がっているほか、おつまみの食べかすの中に、ひとりの男の姿があった。
そいつは人間の子どもくらいの背丈しかなく、耳が尖っていて、肌は深緑色だ。
「店主のおやじ? こいつが? 髭が生えた子どもじゃなかったのか」
金魚屋の反応は正しい。わたしも初めておやじを見た時は子どもが酒場なんかに出入りするもんじゃないよ、とたしなめた程さ。
「子どものうちに髭が生えるのは犬猫だけだよ」
「鼠もだけどな。これで大人なのか?」
「山羊も、山羊っぽいひと達も生えるけどね。亜人でそこまで生えてるのはそいつくらいなもんだよ」
店主のおやじは髪の毛をオールバックにし、口と顎に立派な髭をたくわえていた。どの毛もカールしているが、つやつやだ。毎日、専用のオイルとやらで丁寧に手入れしていとか言っていた。最初は付け髭だと疑ったのだけど、ちゃんと地肌から生えているやつだった。
店主のおやじは、「おやじ」と呼ばれているのだから、当然、おやじみたいにしわくちゃでしみだらけの小汚い顔をしていると想像するだろうけれど、肌は綺麗でしわもしみもありゃしない。活力に満ちた顔をしている。店主のおやじのご尊顔はまるっきり子どものそれなのだ。
そんなのが白シャツに蝶ネクタイを締め、その上から、猫のワンポイントが入った黒いエプロンを掛けている。紺色のスラックスに、水場仕事用の長靴を履いているけれど、片足は靴下だけになっていた。長靴は片方どこかにやってしまったようだ。店に来る前にシャツにもスラックスにもせっせとアイロンがけをしてきたのだろうけど、いまや、どちらもしわくちゃで薄汚れてしまっている。
いくら歳を取ったって皺など出来ず、死ぬまでずうっと子どもみたいにつるっとした顔のままで、身長もこれ以上伸びない種族らしい。種族名は忘れた。あと、店主の名前もやたら長くて覚えてない。店に来た客はみんな「おやじ」と呼んで、その都度「マスターと呼べ」と返されている。
「世の中、変わったやつもいたもんだなあ」
あごに手をやって無理矢理に納得した金魚屋だけど、その反応はまたしても正しい。まるっきり子どもの顔に、髭だけ生えている。そんな違和感を取り除くには、一体どうしたらいいのか? 簡単なことさ。早めに諦めるに限る。世の中変わった種族はごまんと居るのだから。店主のおやじは、大人、というかおっさん然として、ぐうっ、ぶぐうっ、と大きくて汚らしいいびきをかいて眠っていた。見た目は子どもでも、中身は中年おやじなのだ。ちなみにいびき同様に、普段の声も汚い。顔はつるんと綺麗なのに、声は雑巾を破いたようだ。
「お前さんが店に来た時に、注文を取りに来たやつがいただろう?」
「え? そうだったっけ?」
「そうさ。この店にはウエイターもコックもレジ係いるけれど、みんなこの男さ」
「この、子ども、おっさん、が注文を? 取りにきたかなあ。俺、椅子に座ってしばらくしたらヨタと一緒に魔物に食べられちまったからまるっきり覚えてないよ」
「まあ、どっちみちおやじは立ち上がったってテーブルの高さまでしか身長が無いから、注文を取りに来たって誰も気づくやつは居ないんだ」
「そんなんでよくやっていけるな」
「常連は注文は大声で叫ぶし、酒も肴も自分で取りに行くんだよ。セリフサービスの店なのさ」
金魚屋は納得した素振りを見せると「しかし」と話を変える。「魔物以外はゼリーになっていなかったな。俺もヨタも、番犬達も」
「そのようだね」
相槌が欲しそうな顔をされたのでついてやった。
「変じゃないか?」
「変?」
「俺達は、金魚が護ってくれたとして、だよ。なんだって番犬達はゼリーにならなかったんだろうな?」
「そんなことは知らないよ。お前さんだって、魔物にしか効かない魔法って言ってたじゃないか」
「あの状況からしたら、ね。でも、そんな魔法あるのかなあ?」
「あるのかなあ、って。そういうのはお前さんの専門分野なのだろう?」
この男は猫捕獲専門家、いや、魔法道具屋とやらな訳だし。
「違うね、ヨタ。俺は魔法道具屋であって、魔法使いじゃない」
「偉そうに。ふんぞり返って言うことかい」
「では、魔法道具屋の見解を述べよう」
金魚屋は先生然と人差し指を立てて見せた。そういう態度がまるで似合わないくせに、その辺がいちいち偉そうで
「石が二個あったことが原因さ」
マルセロからもらった御守りは、同じようなのが二個だった。「ふむ。それで?」さっと喋ればいいものを、間を設けやがって。
「二個のうち、一個がゼリーの魔法で、一個が睡眠の魔法だったのさ」
人差し指に加えて中指も立てた。
「睡眠の魔法だって?」
「そうさ。ほら、ごらんなさい。ぐーすか寝てるだろう?」
高いびきの店主の方を顎でしゃくる。
見りゃわかるよ。
この男。いちいちと腹が立つね。
魔法で眠らされたと言いたいんだったら、はっきりとそう言えばよいものを。変な間をもうけたり、指を立てたり曲げたりしてみたり。わたしだって勿体ぶった言い方はするけれど、それはわたしがするから気持ちが良いのであって、されるのは七面倒なだけさ。
「で、どういうことだい? それが、なんで番犬達がゼリーにならなかったことになるんだい?」
「イライラするなよ、ヨタ。顔が怖いよ」
「怖い顔なんて作っちゃいないさ。これは、とっとと講釈を続けなさいよ。ちゃんと最後まで聞いてやるからさ。でも、きっちりとしたオチが用意されてなかったら、分かってるだろうね? っていう顔さ。だから、さあ、安心して続きを喋ってくれたまえよ」
「おいおい。そんなに難しい表情だったのかよ。俺には難易度が高いよ。そして、俺は先に謝っておけばいいのか? すまない。ごめんなさい。オチなんてないよ。思い付きで喋ってんだから」
立てた人差し指と中指を折り曲げて、ごめんなさいをした。
「トカゲ野郎がよこした石には、それぞれ別の魔法が込められていたんだ、と仮定してみたまでだよ。片方は魔物をゼリーにする魔法。もう片方はひとを眠らす魔法さ」
魔物をゼリーにする魔法というのは、その通りだろうけど。睡眠の魔法。店主のおやじは、ごくごく普通に、気持ち良さそうにいびきをかいて眠っているようにしか見えない。金魚屋は、これを魔法のせいだと言っているけど、わたしには、几帳面なおやじのことだから、はちゃめちゃになってしまった店を見たショックのあまり現実逃避を企て、そのまま夢の世界に旅立ってしまったのか、はたまた、酒場をやっていながら大して酒が強くないところに番犬達の宴会に無理矢理付き合わされて
「ゼリーの方は、見た通りだろ? 睡眠の方は、このチビのおっさんと、ほら、考えてみろよ。番犬達だよ。あいつらはさっきまで魔物を取り押さえようと必死だったっていうのに、突然、いきなり、眠たくなったんでおやすみなさい、なんてことになったりすると思うか? どんだけ寝つきが良いんだよ」
「気絶の間違いじゃないのかい?」
わたしは否定する。ぐーぐーといびきをかいているやつもいれば、血を吐いて倒れているやつもいた。血を吐いていた新人は、確か、魔物にぶっ飛ばされた時には既に伸びて気絶してしまっていた気がするから、自分で言っておいてあれだけど、気絶の魔法というのもおかしな話だ。
「気絶?」金魚屋は顎に手をやり、考える仕草をする。「確かに気絶の魔法、ってのもあるよな。いや、そこをいくと、こいつは昏睡の魔法、かな? あれは睡眠よりも強力で即効性もあるしな」自信なげにぶつぶつと呟いた。
「まあ、種類はなんだっていいや」
終いに、さっさと諦めてしまった。
「お前さんね。魔法のなにがしを商売にしているのだったら、プロ意識を持って原因を究明しておくれよ」
「仮定の話、だよ。仮定の。俺が言いたいのはね、二個の魔法がいっぺんに発動したら、普通はお互い喧嘩し合ったり、強い方がもう片方を打ち消したりするもんなんだってことさ」
「へえ、そうなのかい」
「ヨタ。その声よ。おざなりだぜ。お前ときたら、もう、どうでもよくなってるよな?」
「ああ、疲れちまった」
「そりゃそうだ」
金魚屋は腰に手をあてて一息ついた。こちらも話を終えるつもりらしい。
「とにかく、だ。ゼリーの魔法の方が絶対強い。あれは相当はもんだ。でも、実際には睡眠だか昏睡だかの魔法の方が強力だったのかもしれない。もしくは、お互いがぶつかりあって変質しちまうパターンとかさ」
「石はもう無くなってしまったんだ。マルセロに聞いてみるしかないんじゃないのかい?」
「その通りなんだよな」金魚屋は両手を腰に当てると「結局のところ、なんで番犬達がゼリーにならなかったのかわからない。やっぱり、魔物にのみ効果のある特別強力な魔法だったってセンが濃厚だろうよ。それに、番犬やチビのおっさんが眠っているのも、そもそも、魔法のせいかどうかも疑わしい」と結論付けた。
わたしと金魚屋はマルセロの御守りの話については一旦手打ちにすることにした。
御守りに込められていた魔法が何だったのか、どうして魔物はゼリーになって、番犬達は毛むくじゃらのままで、ぐーすかぴーと眠りこけてしまったのか、そんなことは、喋る猫と信用ならない魔法道具屋のふたりで、いくら推察し合ったって、考えたって、分かりゃしないのだ。
くれた本人に聞くのが一番てっとり早いのさ。後で病院を訪ねて「マルセロ。あれから大変だったよ。お前さんがくれた御守りが大爆発したのさ」と初めて「あれはいったいどういう御守りだったんだい?」と聞けば済む話なのさ。
いつまでも、正体不明の魔法道具についてあれやこれやと無駄話を続けているのも、ここで店主のおやじのいびきを聞いているのも、どっちも仕方が無いことさ。
わたし達は示し合わせることもなく、また、店の方へと引き返してきた。
「さて、これからどうしよう?」
魔物ゼリーの正面に立った金魚屋が髪の毛を掻きながら言った。ぼさぼさと汚らしい粉が舞う。
「そうさね。帰ろうか」
ゼリーの方も気になるけれど、わたしは家に帰ってひと眠りしたいよ。
いや、その前に、気は乗らないけど銭湯に行って体を洗ってもらわないと。かゆいし、くさいし。いくらわたしでも自分の舌で綺麗にしようとは思えない。
風呂は嫌いさ。
冷たい雨に濡れるのだって嫌なのに、銭湯なんて場所は、頭から熱い湯のシャワーを引っ掛けられるし、足も付かない無駄にでかくて深い湯船だってある。わたしは犬かきなんて出来ない。それから、一番怖いのはサウナだよ。あの灼熱地獄に入り込んでしまったが最後、猫にはどうやったって開けない扉に阻まれて、蒸し焼きになって死ぬんだ。二本足で立ってる連中のために作られた施設は、隅から隅までわたしに都合悪く出来ている。
とにかく、銭湯なんて嫌いだけれど、今は一刻も早くさっぱりして気分を変えたい。
そして、それ以上に、家に残して来た同居人が気になって気になって仕方が無かった。
「名案だ。俺は風呂に入りたいよ」
金魚屋が同意を示した。お前さんだって相当に汚いからね。毒きのこも随分としなびてしまっているよ。
ああ、そういえば。
家で待っているあの子も、もう何日も風呂に入ってないはずだよ。におうもの。あの子は放っておいたらずっと入らない。自分で毛繕いができない種族なのだから、風呂に入って体を綺麗にしてやらないと、虫に噛まれたり変な病気になったりするのにさ。
そうだ。あの子も誘って銭湯に行こう。
わたしと一緒なら、風呂嫌いのあの子も喜んでついてくるはずだよ。ついでに、湯船に浸かって温まったなら、あの子の機嫌もよくなるに違いない。あの子は、いつまで経っても家に帰らないわたしのことで、絶対に、へそを曲げているだろうからね。
ふむ。名案だね。
気乗りしない気持ちも幾分か晴れたので「とにかく帰ろう」わたしはそそくさと店の入口の方に歩いて行く。
マルセロを病院まで送りに行ったメガラテの顔が脳裏をかすめたけれど、病院なんてのは待ち時間だけで映画一本観れるくらいに待たされることだし、わたしのお尻はそわそわとしていたから、彼女を待つという案は却下した。でも、律儀なメガラテはマルセロをどうにかしたらこの店に帰ってくるだろう。買い物袋も置いていったことだし。じゃあ、そうさね。置き手紙でも書いていこう。そうすれば、メモを見たメガラテはわたし達がいなくなっていても安心するだろうから。
よし、そうしよう。
わたしは二歩歩くうちに決めた。
さて、壁にもたれかかっていた副班長だけど、すっかり態勢を崩していて床の上で本格的にいびきをかいて眠っていた。そのすぐそばに、魔物ゼリーの塊がある。そこで歩みを止めざるを得なかった。
店の入口は、魔物ゼリーのお尻によって塞がれたままなのだ。これをどうにかしないことには、店から出ていけない。わたしは既に手立てを思い付いていた。
「金魚屋。店の奥にスコップが無いか探してきておくれよ。馬鹿でかいスプーンでも良い。この辺を掘ったら扉が開くと思うんだ」
魔物は、少し前までは、どかそうったってそうはいかなかったけれど、今となっては、すっかりと、柔らかく美味しそうな物に姿を変えてしまっているので、多少手を加えてやったら脱出は容易いように思えた。
「なるほどね」金魚屋はすぐにわたしの意図をくみ取る。「じゃあ、この物騒なナイフを借りてやってみるか」床に転がっていた副班長のナイフに手をかけた。
大きなナイフのところまで行って、それを片手で拾い上げようとしたが、思いのほか重たかったらしく、両手で持ち上げると、頼りなさげな足取りでふらふら帰って来た。まったく非力だね。でも、金魚屋の非力に任せるのなら、ゼリーをほじくらずにナイフでもって切り分けた方が早いかもしれないね。
さあ、とにかく急いで取り掛かっておくれ。
「ええっと。この辺からやってみるか。ヨタ、下がってろよ。中身があふれ出してくるかもしれないからな」
金魚屋が人差し指を突き立てた時にもぴゅるりと中身が噴き出してきたものね。わたしはもうこれ以上汚れたくないから、離れて見物することにした。
金魚屋は両手でナイフを構えると、ゆっくりと突き刺す動作に移って、途中でやめた。
ゼリーに顔を近づけると、はっと遠ざかった。
「ヨ、ヨタ! ちょっ、ちょっと来てくれ!」
金魚屋は再び顔を魔物ゼリーに近づけると、わたしを手招きして呼ぶ。
「なんだってんだい? ひと思いにやっておくれよ。わたしは早いところ家に帰りたいんだから」
「いいから来てくれよ。今度こそ子どもだ!」
「はあ?」
「子どもがゼリーの中に閉じ込められてる!」
わたしは金魚屋の足元まで行ってゼリーの中を覗き込んだ。
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