第十話「魔物ゼリー幼女添え」(2)

 (2)


 変化していた、というのは実際にその通りで、正解で、それが全てなのだろうけど、正直、信じたくない思いだった。


 ともすれば。魔物は、朝もやってきたことだから、これ以上ここで迷惑をかけ続けるのも申し訳ないし、わたしはこの辺で失礼しますよ。なんて具合に、住処の地獄に帰ってしまった後で、でも、挨拶も無しに居なくなっては残された者が心配するかもしれないし、見た目に反して律儀で、それから、何よりも寂しがり屋だったから、わざわざと、自分そっくりのゼリーをこしらえて「わたしのことを忘れないでおくれよ」と念を込め、置き手紙然と残していったのさ。


 そんな突拍子もない物語の方が「魔物が突然ゼリーに変化してしまった」なんていうのよりも、いまのわたしの混乱した頭にはすんなりと浸透する理由だった。


 だって、あんなグロテスクな魔物が、こんな美味しそうな見た目のゼリーに変わってしまうだなんて、そんなことがあるのかい?


 見てごらん。


 苺味か、葡萄味か。


 奇をてらってスイカ味というセンもありそうだ。


 半透明の巨大な魔物型ゼリーは、鮮やかな赤紫色をしていて、スプーンで叩けばプルルンと弾んで押し返してきそうな、ひと匙すくって口の中に放り込めば、ちゅるるんと、喉越しよく胃袋の中に吸い込まれていきそうな、そして、胃袋への道中、特に口に入れた時なんかは、甘く、酸っぱく、そうそう、いつだったか話をやった時にもらった木苺のゼリーに色合いもそっくりだから、ああいう、上品な味と喉越しを楽しめそうじゃないかい。わたしは、口の中ににじみ出た唾をごっくりと音を立てて飲み込んだ。


 わかってる。


 信じられないこの状況は、でも、どう考えてみたって、魔物がゼリーに姿を変えたものだって。でなければ、赤い煙と共に現れた天才奇術師のマジックによって、グロテスクな魔物は、こんなにも美味しそうな巨大ゼリーと入れ替えられてしまったのさ。細工のよくできたゼリーだよ。目玉は十個ついてるし、腕も八本。関節がはずれた腕だって再現出来ているし、ちゃあんと、腹からは、はらわたゼリーが飛び出している。はらわたゼリーは、他のよりも色が濃くて、ゼリーというよりも、紫芋のプリンのような、これまた美味しそうな見た目だ。


 そんな驚くべき秘術を披露した奇術師ときたら、自分が披露したマジックの種明かしもせずに、そもそも、わたしの前にその姿すら見せずにいなくなってしまったのだから、なんとも奥ゆかしくもシャイな野郎だよ。


「こりゃあ、いったい、どういう訳だい?」


 話し屋の想像を超えた出来事について、魔物がゼリーに変わってしまった真相について、少しでも近づく為に、無駄とは重々分かっていながらも、金魚屋に質問をぶつけずにはいられなかった。


 しかし、わたしが耳元で甘くささやくように問いかけてやったっていうのに、金魚屋はそれを無視して、立ち上がり、わたしを抱きかかえたまま、煙の中からすっかりと姿を現した魔物ゼリーに近寄って行く。


「異様に、美味しそうな姿だ」


 金魚屋もごくりと唾を飲み込んだ。それから、元魔物に顔を近づける。うんと近づける。すんすんと鼻を鳴らす。


「におい、は無いな」わたしの背中をさすりながら「なあ、ヨタ。これはどう見たって、ゼリーだよな。味見してみるか?」


 金魚屋は魔物に手のひらを近づける。一瞬だけためらって見せてから、人差し指を立て、そいつで魔物ゼリーにちょんと触れる。弾力がありそうに見えたけど、かなり柔らかかったらしくて、「わっ」と言っている間に、人差し指はそのままずぶりと第二関節まで飲み込まれてしまう。金魚屋は「うえっ。気持ち悪い触感だ。生ぬるいし」と、感想を述べてから指を引き抜いた。指の形に開いた穴から、まるで膿が絞り出されるように、ぴゅるっと赤いジュースが噴き出した。赤い液体もゼリー状で、しばらくの間、指で開けた穴からぴゅるぴゅると滴り落ち、店の床に赤い水たまりを作った。金魚屋は、数歩下がって、指についた液体のにおいを嗅ぐ。


「おいおい、やっぱりそうなのか?」びっくりして「こいつはどでかいゼリーなのか? ヨタ、嗅いでみろよ。なんか、ちょっと、甘いにおいがする」


 言って、わたしの鼻の前に指を持ってくる。そういうことをされると、わたしは本能的ににおってしまう性質なので、すんすんと鼻を動かす。本当だ。ほのかにだけど、シロップみたいな、花の蜜みたいな甘いにおいがするね。


「舐めてみなよ、金魚屋」


「さすがにそれはお断りする」


 金魚屋は汚れた着物で指についた液体を拭いた。


 甘いにおいがしたって味まで甘いとは限らないし、元々魔物なんて生き物は正体不明の存在なのに、それがプルルンと磨きがかかってしまったんだ。こんなに美味しそうな姿に変わってしまったとはいえ、元は魔物なんだ、そんなのを味見をしてみようなんて豪胆なやつは、少なくとも、いまこの場にはいない。


「いったい全体、何なんだろうな。これは」


 金魚屋は人差し指に残った残り香を嗅ぎながら首をかしげて「カナヘビ野郎の御守りのせいだってのは確かなんだろうけど」と続けた。


「マルセロの御守り。お前さん、確か魔法道具だって言ってたよね」


「ああ、そうさ」


「魔物をゼリーに変える魔法道具だったのかい?」


「魔物をゼリーに、ね。ははっ。そんな変な魔法道具、いや、魔法自体も、俺は聞いたこと無ないぜ。それに、魔物をゼリーに変える魔法だって? そんなもの、あるとも思えないけどな」


 わたしと金魚屋は魔物ゼリーの前に立ち尽くした。実際、立っているのは金魚屋だけで、わたしは彼の腕の中で、床に降りるタイミングを逃してしまったついでに、状況に思考が追い付いていかないから、ただひたすら、魔物ゼリーを見つめることしか出来ないでいた。でも、まあ、いつまでも金魚屋に尻を揉まれているのも気分が悪いので、わたしの頭よ、そろそろ働いておくれ。


 金魚屋が言う通り、魔物をゼリーにする、そんなへんてこな魔法道具だとか、魔法なんてものがこの世の中にあるのだろうか?


 あるのだろうから、こうなったのか。今は、そう考える他ないだろうよ。実際に目の前の魔物はゼリーにしか見えない状態に変わってしまっている。だから、マルセロがくれた御守りにはそういう魔法が込められていたという他に考えられない。


 じゃあ、マルセロは、そんな物騒な魔法道具を御守りだとか言って、わたし達に持たせたと言うのかい?


 カナヘビ青年の顔が目に浮かぶ。口から血を吐いた、今にも死にそうな、あの青年の顔が。


 違うね。


 マルセロは、好青年さ。金魚屋とは違う。命の恩人だと散々感謝していたじゃないか。あの態度は本心からくるものだよ。わたしにはわかる。マルセロは良いやつさ。だから、命の恩人をゼリーに変えるような真似なんて絶対にしないよ。


 それに、そうさ。現に、わたしも金魚屋もゼリーになんかなっちゃいない。ゼリーになったのは魔物だけさ。


 わたしは金魚屋の腕から床に飛び降りた。「ああっ。いっちゃうのかよ」と残念そうな声をしり目に、魔物を、もっとそばで観察しようと歩いていく。


 マルセロの御守りのことは、いま、この場にそいつを渡した張本人がいないのだから、あれこれ考えを巡らせてみたって真実になんか辿り着きっこないのさ。それに、いまのわたしに必要なのは真実なんかじゃあ、ないね。


 わたしは話し屋ヨタ。話を考え、面白おかしく喋って周る猫なのさ。こんな珍しい物、隅々まで観察しておかないといけないよ。


「死んで、いるんだよね? 今回ばかりは」と分かり切ったことでも、実際に口に出して呟いてみると、真実味に欠ける気がした。けれど、魔物はゼリーに変わってしまった。試しに端の方に爪を立てて引っ掻いてみたけど、金魚屋の時と同じように、切り裂かれた部分から、赤いジュースがぴゅるぴゅると噴き出すだけだった。もはや、死んでいるのか生きているのかなんて疑問を持ちだしてくるまでもなさそうだ。わたしはすっかりと安全になったと信じ切って、魔物のプルンプルンの体をひと回りしてみることにした。


「しかし、不思議なもんだね。魔法でひとを蛙の姿に変える、なんておとぎ話では聞いたことがあったけれど、まさかゼリーにしちまう魔法があるなんてね。ゼリーだよ? 面白いじゃないさ」


 魔物ゼリーか。ふむふむ。そうだね。魔物が、いま見ている通りの、たいそう美味しそうなゼリーに姿を変えちまったとしよう。それで、魔物に食われたやつがいたのさ。猫と魔法道具屋じゃあなくて、その辺のやつさ。この町の住人にしよう。そいつの家族が、供養くようのためにとゼリーを食べるっていう話はどうだろうか。ゼリーなんか土の中に埋葬しちまっても面白くないからね。せっかくこんな美味しそうな姿をしているんだし、食べてみようって思うのが人情だろうよ。


 そうだ。亭主が食われて、その女房が供養にやってくるってのはどうだろう? いいね。あ、亭主は不貞の輩だったから、愛人が何人かやってくるのも面白い展開だよ。そいつらがゼリーの前に集まって、亭主の悪口だったり思い出話なんか話して聞かすのさ。そいつを話の筋道として、最後にゼリーを食べてこう言うんだ。


 あのひとは昔から甘っちょろかったってね。


 ははっ。即興にしては悪くないね。


 甘いゼリーに甘い亭主だなんてオチは、まあ、途中で読めちまいそうだけど、そこは間で楽しませる話にすればいい。女房や愛人と亭主のエピソードを面白おかしく繋げていけばお客さんも途中で席を立ったりしないだろう。そうだ、人情話に仕立てても良いあんばいになりそうだね。


 魔物ゼリー。こいつは良い肴に化けてくれそうだよ。


 わたしは、魔物ゼリーの周りを歩きながら、ほくほくと、この話はどんな肴に化けてくれるのだろうか、魚の煮凝りなんかに化けたら笑えるね、などと楽しい想像を膨らませるのに夢中だった。そこへ「面白い、か。俺には恐ろしい魔法に思えるけどな」と、魔物の反対側からつっけんどんな声が返ってきた。


「なんだい、金魚屋。えらく不満そうな声じゃないか」


「不満? うーん、まあ、不満かもな」


「へえ。お前さんの性格なら、もっと面白がって馬鹿みたいに喜ぶと思ったんだけどね」


「俺の性格ってどういうことだよ。まあ、確かに、魔物をゼリーにするって魔法は、面白い効果だと思うよ。笑える魔法だ」


 ふうっとわざとらしく息を吐く音が聞こえた。「でも、これは危ない魔法だぜ」それから、慎重に、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「だって、ゼリーになっちまったって、結局のところ、魔物を一発で仕留めた、息の根を止めたってことだろう? そいつは強力な魔法だぜ。なら、あいつらは? 番犬達はどうなっちまったんだよ? あいつらもあの赤い煙に巻き込まれたはずだぜ。俺達は、金魚があんなことになっちまったせいで、煙には巻き込まれずに済んだけど、あいつらは違う。じゃあ、ゼリーになっちまったんじゃないのか?」


 そうだ。番犬達のことを忘れていたね。番犬達のことを心配していたから、不満そうな声を出したんだね。案外と優しいところがあるじゃないか。


 でも、それよりも「金魚屋。お前さん、たまに鋭い指摘をするよ」そうさ。腹が立つけれど、わたしも言われて気が付いたよ。「わたしとお前さんを丸め込んだ、あの金魚団子は、今にして思えば、赤い煙からわたし達をまもってくれたということにならないかい?」


 わたしは足を止め、魔物ゼリーを見上げた。こんなでかいのをゼリーに変えたんだ、番犬達だってゼリーに変わってるに違いない。


「俺はいつだって鋭いよ。ヨタが言う通り、たぶん、きっと、金魚が俺達を護ってくれたんだよ」


「お前さんの金魚はすごいじゃないか」素直に口にする。金魚屋の金魚は、やっぱり精霊とかそういう類のものなんじゃないだろうか? しかし金魚屋は「うーん。でも、こんなこと初めてなんだよなあ。それに、俺は何度も死にかけたんだぜ? なんであの時は護ってくれなかったんだよお」とすっきりしない声を出した。


「驚いて増えるくらいだから、その時の気分で助けてくれたりくれなかったりするんじゃないのかい?」


「ええー。全部助けてくれよ」


「まあ、とにかく。今回はめでたく護ってくれたってことにして、あいつらを探そう。ゼリーになっちまってたら、せめて皿の上にでも乗せてやって、供養してやらないと」


 金魚屋の金魚はいったん置いておいて、魔物をゼリーに変えた魔法の方の心配をしないと。ふたりで番犬達を探す。狭い店なので、すぐに見つかった。


「あっ! なんだよ、居るじゃねえか。ははっ。ヨタ。犬の連中、居たぜ。寝てやがる」


 一転、明るい声が上がった。


「わたしもひとり見付けたところだよ」


 茶色い毛並みの番犬を発見した。


 班長、いや、副班長と呼ばれていた男だ。副班長は、金魚達に護られたわたし達と違って、赤い煙の大爆発で吹き飛ばされたようだった。店の入口のすぐそばで、壁際にもたれかかって伸びていた。壁が、副班長の形にへこんでいる。相当な衝撃だったに違いないけど、息はあった。


 そして、これが一番大事なことで、副班長はゼリーにはなっていなかった。


「なんだ、魔物にしか効かない魔法だったのかよ」


 金魚屋の声には安堵がこもっていた。金魚屋が見つけた方もゼリーになっていなかったのだろう。


「そうみたいだね。こっちのやつはゼリーになっちゃいないよ。わたしと一緒の毛むくじゃらのままさ」


 魔物越しに声を張り上げる。


「そうか、良かった。こっちのやつらもゼリーになっちゃいないぜ」金魚屋は笑って「おあつらえ向きの皿も見付けたんだけどな。オードブル用かな?」と冗談まで返してきた。


 わたしも何か冗談を返してやろうと頭の中の引き出しを開けたそばから「あっ。なんだここ? ははん。ここだな、番犬達が酒盛りをしてた場所は」と、別の話題に切り替わってしまった。


 金魚屋が秘密の小部屋を発見したらしい。


「あれ? なんだこの小さい男は?」


 いささか気分を害したわたしは元来た方向に引き返す。


 小さい男、と言って思い当たる相手はひとりしかいないし、秘密の小部屋っていうのは店の奥のことで、従業員はひとりしかいないっていうのに「スタッフオンリー」なんて洒落た看板も扉にぶら下がってるはずさ。


 わたしは、床に倒れている栗毛の番犬と鎧の番犬をぴょんっと飛び越える。ファッジってやつと新人ってやつだったね。ファッジの方は静かに寝息を立てていけど、新人の方は、兜の隙間から血を垂れ流していた。


 まさか死んでいるんじゃないだろうね。


 ゾンビの時間じゃないから、恐る恐るという素振りもみせず、さっと兜に顔を近づける。すると、中から、ぶしゅう、ぶしゅう、と不規則な息遣いが聞こえた。平気かどうか定かでは無いけれど、一応は息があって、マルセロの時と違って、急いでどうにかしないといけない息遣いでもないようだった。


 それから、酒瓶を抱えて気持ちよさそうな顔でいびきをかいているのも見付けた。さっさと、またぐ。こいつがザネッティで、こいつの体の方は心配はするだけ損だろう。酒臭い息で辺りを汚染している。


 カウンターの裏まで行くと金魚屋が立っていた。


「そいつは店主のおやじだよ」


 わたしは、小さい男とやらの姿を確認するまでもなく断言する。


   §

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