第九話
第九話「ワンワンパニック」(1)
第九話
(1)
乳白色の石は、大きさは同じくらいだったけれど、形は不揃いだった。自然から採れたそのままの姿で、宝石みたいに綺麗に切りそろえられてはいない。ただの石か、と言われると違った。石の表面、比較的平らな部分に緻密な模様が刻まれていて、そこに墨が流し込まれている。模様は、ふたつともに入っていた。
これは、かなり緻密だね。
よくよく観察すると、墨は、表面だけではなくて、まるで、木が土の中に根を張るような具合に、石の表面から内部に向かって、にょきにょきと、模様が生えていっているように見えた。いったいどうやったらこんな風になるのか見当もつかないけれど、石の内部で、墨の根の先端が、表の模様とはまた別の模様を形作っていたのだ。
その模様だけど、マルセロの体に彫られていた入れ墨に似ているな、と直感的に思った。どちらとも、模様と模様との間を木の根のような墨が繋いでいた。
そして綺麗だ。ずっと見ていられる。
わたしには、相当珍しいもののようだし、値打ちもありそうに思えた。本当にこんなものを貰っても良かったのだろうか。
しかし、猫が石を貰ったところで、どうしたらいいんだ。持ってなんか歩けない。いま着ている羽織の袖の内側にでも入れて持ち帰ろうか。
メガラテが返ってくるまでやることもないし、テーブルの上のふたつの石をコロコロ、コロコロ、とやって時間をつぶす。おっと。ふう。落っこちそうになったけどセーフ。テーブルから落ちるぎりぎりの所でキャッチするのが面白い。
マルセロがお礼にくれた品物を粗末に扱うだなんて罰当たりなことだよ、なんて思ってもみたけれど、この遊びは、一旦始まってしまうと、なかなか、どうして、やめられない。あらがえない力がわたしに作用してのことだから致し方ないのだ。
「ヨタ。お前って、やっぱり猫なんだな」
ちまちまと、みかんの白い筋を全部取り除いていた金魚屋に笑われる。金魚屋は、いまから酸っぱい物を食べるぞ、唾液をいっぱい出して準備万端だぞ、と覚悟した顔をしてから一房頬張り、身震いした。まだみかんの房はたっぷり残っているから、全部食べ終わるまでに、あと何回身震いすることになるのやら。
「犬にでも見えてたのかい?」
「初めからちゃんと猫扱いしていただろう? やっぱり、そういう遊びが好きなんだなと思ってね。そうだ、この店から出たら真っ先に猫じゃらしを買いにいくとしよう」
「馬鹿なことを言って」
猫じゃらしは、正直、平静を保っていられるか自信がないから、話の方向を変えなくてはいけない。別の話題を考えるいとまもなく「あっ」と金魚屋に石をひとつ取られてしまった。二個あったから難易度が高くて面白かったものを。わたしは金魚屋を睨みつける。
「怖い顔するなよ。一個は俺のものだろう?」
「ひとが気分よく遊んでるって言うのに」
「ちょっと見たら返すって」
金魚屋は指で石を摘まむと、光に透かせて、片目で覗き込む。石を眼鏡のレンズに密着するくらい近づけたり、遠ざけたりしながら、しばらく観察すると「やっぱりな。こいつは魔法の品だな。魔法が封じ込められてる」と知ったような口を聞いた。何様だい。
「あらら? ヨタ。お前は、おかしな顔をしてるぜ。俺は、あれだよ? 魔法道具屋だからね。魔法道具の専門家なんだだぜ?」
「猫の表情がわかるなんて大したやつだよ」
「その目だよ、その目。目は雄弁に物を言うんだよ。俺は、もう、ヨタとは以心伝心の仲になってるような気がするぜ」
「あいにくとわたしの方はお前さんとそんな仲になんてなった覚えは無いよ」
「ふふっ。言ってろ。そんなの時間の問題さ」
金魚屋は角度を変えながらしばらく石を観察すると、ことり、とわたしの前に置いた。わたしはもうそれらをもてあそぶ気は失せていた。改めて石を覗き込む。石の表面と内部に施された模様が魔法の呪文ってやつなのだろうか? さっぱり分からないけど、魔法道具だと聞くとそれっぽく見えてくる。
しかし、魔法道具だって? 疑わしいね。
「ふうん。この石は、じゃあ、魔法の御守りなんだね」
このふたつの石が本当に魔法道具ってやつなら、そいつは興味を惹かれるよ。なにせ魔法道具なんて言ったら、魔法と同じくらい物珍しい品だからね。
わたしが金魚屋に興味を抱いたのは、一番には今もちょろちょろと視界の隅の方で泳いでいる不思議な金魚のせいなのだけど、二番目にはこの男が魔法道具屋という商売をしていると言ったせいだ。
「魔法の、って部分は当たってると思うぜ」
「御守りの部分はどうなのさ?」
「当りか外れか分からんよ。だって何の魔法が掛かっているのか分かんないんだからな」
「魔法道具屋なんだろう? 専門家の癖に、掛かってる魔法の特定くらい出来ないのかい?」
「勿論出来るとも。でも、今は無理だね。鑑定道具が無いんだもん」
「だもん、って気持ち悪い言い方するんじゃないよ」
「後でちゃんと鑑定するんだもん」
「およしってば」
「ははっ。まあ、鑑定なんかしなくても見当は付いてるぜ。御守りって言ったら魔除けとか厄除けとか、外敵から身を護るとか、そういうやつだろう? だったら、細かくは分かんないけどそういう防御系とか危険回避系の魔法が込められているはずさ。でも、御守りを持ってたあの野郎は、あの野郎の腕は、あいつに食われちまった訳だからなあ」
金魚屋が顎をしゃくった方向に目をやると、魔物がリンゴをもてあそんでいた。まるで猫が石を転がして遊ぶように。複数の手の間を行ったり来たりさせている。上手だね。そんだけ手足があれば、十個くらいは余裕でころころ出来るだろうよ。
金魚屋が言った通り、あいつの腹の中にはマルセロの片腕があるはずだ。あいにく、わたしも金魚屋も胃袋の中でそんなものなんか見掛けなかったけどね。消化された訳ではなさそうだから、お尻の方に向かって腸の中を移動したのかもしれない。
「そうなると、まあ、この石には大して強くない魔法が込められていた、ってことになるんだろうな。大体さ。こんなでかい魔物にも、ビシバシ効くような強力な魔法が込められてるやつは、そりゃあもう、めちゃくちゃ珍しいもんなんだ。この俺だって見たこと無いよ」
「お前さんがどれ程の魔法道具屋なのか知らないけどね」
「凄い魔法道具屋さ」
「はいはい」
「凄まじい魔法道具屋さ」
「分かったよ。しかし、それじゃあ。マルセロの御守りは魔法道具だけど、神社で巫女さんが売ってるような普通の御守りと大差無いってことになるのかい?」
「神社の御守りを魔法道具って言っちゃうと、そりゃあなんだか違う気がするけど、まあ、平たく言えば、ヨタが思ってるのと同じくらいの効力の物なんだろうぜ。あ、うん?」
金魚屋は首をかしげると、再び石を指でつまんで覗き込んだ。
「あれ? これ、起動してるぞ」
「はあ?」
わたしもテーブルに置かれたもうひとつの石を覗き込む。さっきと見た目が変わった風には見えない。
「いや、ヨタ。そっちはまだ起動してないよ。ほら、石の中の模様の色が変わってるだろう?」
金魚屋がわたしの前につまんでいた方の石を置く。ふたつを見比べてみると、片方だけ石の内部の模様(模様の根の先端にあった模様の部分)が黒から赤へと徐々に変色していくところだった。
あっ。黒一色だった方も赤く変色し始めた。
「おい、金魚屋。もうひとつの方もいろがっ」
色が変わってき始めたよ、と指摘しようとしたが、その声はかき消されてしまった。
「ぐわわああわわあ!」
ぎゃわわがわわ!
もしくは、びゃばばぁうばあ! だったかもしれない。
今まで大人しくしていた魔物が、突然とんでもない大声で叫び始めたのだ。
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