第八話「かしまし娘半魚人スープ」(3)
(3)
「さて、メガラテ。病院だけどね」
「おいおい。さっきまで何を喋ってたんだよ」
「うるさいよ。女同士の会話に男が立ち入ってくるんじゃないよ」
「はいはい。とにかく、さっさとカナヘビ野郎を連れてってやれよ。あいつ、震え始めてんだから」
マルセロは椅子に座らされていて、上半身裸のままでガタガタと震えていた。メガラテに切り裂かれた着物は、マルセロの腰の所でまくられて、いい加減に結ばれていた。ずれ落ちて下半身まで丸出しにならないように、金魚屋が気を遣ってやったものだろう。でも、そこまでしてやったのなら、ついでにお前さんが羽織ってる着物を貸してやれば良いものを。そうなれば、金魚屋の方が震える羽目になるけれど、元気そうな方が震えるべきじゃなかろうか。
「そういえばトカゲっぽいひと達は寒さに弱かったね」
「そうですね。それに出血したせいで、体温も奪われたでしょうし。ねえ、ヨタ。積もる話は後にしましょう」
「そうだね。ちょいと地図をぴんと張ってくれるかい? さっきから風に煽られて見にくいったら無いよ」
「はい、これで良いですか?」
「幾分かマシになったよ。いいかい、メガラテ。この店、跳ね馬やんちゃ亭は大体この辺りだよ。デス滝の左側に十二番ってあるだろう? ああ、十二番は近くのレストランでここから三軒か四件隣の店さ。この店は店主のおやじが広告料をケチったせいでパンフレットに載って無いんだ」
「じゅうにばん、十二番。ありました」
「そこから地獄の蓋の方向はこっちさ」
わたしは鼻先を向ける。メガラテも、わたしの顔を見てから一緒に方向を確認する。そちらには、まるでそこだけ大雨が降っているのだと勘違いするくらい、ザーザーと大量の水が降り注いでいた。デス滝は、そんなに近くに無いのだけど存在感がある。滝の岩肌と、そこにへばりつく建物群とそれらを繋ぐ通路が見えた。デス滝の水しぶき飛び散って、霧の様になっているせいで視界は遮られていた。
「ここからだと滝が邪魔で地獄の蓋の方は見えないんだ。そこは地図を見ながら飛んでおくれ。ここいらと違って蓋のあたりは平地になっていて開けた所だから、空から見ればすぐに分かるだろうよ」
「分かりました。滝を迂回して地獄の蓋って場所まで飛んだら、バツ印とトゲトゲが目印の建物ですね?」
「飲み込みが早いね。デス滝にはあまり近づくんじゃないよ。もしも巻き込まれたら蓋の下、地獄の中まで真っ逆さまに流されてしまうからね。それに、滝にも魔物がいるからね。お前さんを餌だと思って飛び掛かってくるかもしれない」
「ええっ。それは怖い。気を付けないと」
「用心するんだよ。それから、病院に着いて受付の女や医者がなんのかんの言って頼んでもいないサービスをしてきたり、それで診察料を釣り上げてきたなら、話し屋ヨタの連れだと言うんだよ。それでも食い下がってきたら、ヨタが病院の悪い噂を尾ひれに背びれに羽まで付けて方々で喋っちまうからね、って言っておやり。態度を変えるはずさ」
「えっと、オッケーです」
「メガラテ。お前さんはひとが良いからね。何でもかんでも間に受けるんじゃないよ。とにかく困ったことがあったり理不尽なことを言われたら、わたしの名前を出しな。マルセロにも同じように伝えておいておくれよ。あの怪我だ、どうせ入院することになるだろうしね。わたしの連れだと分かれば他の患者と同じ金額で、それよりも随分とマシな待遇が望めるだろうからね」
「不安になってきましたけど、とにかく頑張ります」
メガラテは踵を返して室内に戻る。わたしは、ぴょんと肩から飛び降りた。
「金魚屋。マルセロの準備は出来てるかい? メガラテが手当てをした時にマルセロの持ち物も取り出しておいたはずだけど、ちゃんと持たせてやるんだよ」
正確に言えばマルセロの着物を引き裂いた時に懐から落ちて死体袋の中に転がったはずだ。
「おう。ほらよ、カナヘビ野郎。巾着袋の中に財布も入れておいてやったからな」
「あ、あり、がとう、金魚屋」
マルセロは口を震わせながら片手で巾着袋を受け取った。先ほどよりも顔色が悪い、気がする。口から血が滴っているし肩も震えている。その肩には、死体袋に使わていた麻袋が掛けられていた。金魚屋も多少は気が利いた様子だ。
「じゃあ、マルセロ。行きましょう」
メガラテはマルセロをひょいと抱きかかえた。王子様がお姫様相手にするように。実際のところは悪魔の使いが生贄をさらって行くかの様相だけど。
「ま、待ってくれ」
メガラテの腕の中でマルセロが制止の声を上げた。
「金魚屋。袋から石を、ふ、ふたつ、取り出して欲しい」
マルセロが金魚屋に頼む。あからさまに具合が悪そうなので、金魚屋も、今回ばかりは何も言わないで近づいていって一旦マルセロに持たせた巾着袋を受け取る。
「開けていいのか?」
「ああ」
「石って何なんだよ? これか?」
金魚屋が取り出したのは、金魚屋の親指大くらいの乳白色の石だった。表面に何やら模様が掘られているように見える。
「ヨタ、さん。金魚屋。お、世話になりまし、た。これは俺からの、あの、お、お礼です。はあ、はあ。俺の、故郷の、お、御守りなんだ。持っていて、欲しい」
マルセロ。お前さんってやつは死にかけているというのに、それにまだ若いっていうのに、礼が出来るだなんて、本当にひとが出来ているね。
「気を遣わなくて良いんだよ、マルセロ。困った時はお互い様なんだから」
「おっ、くれるのか? なんだか凝った模様も入ってるし、値打ちもんみたいじゃねえか」
わたしと金魚屋は同時に口を開き、お互いに顔を見合わせた。
「厚かましいね、金魚屋。お前さんってやつは自分の素性よりも何よりも、真っ先に礼儀ってもんを思い出した方がいいね。いや、そもそも礼儀が備わっていないのだったら、わたしがいちから教えてやるさ。いいかい、こんな値打ちがありそうな物をほいほいと受け取るもんじゃないのさ。それにマルセロは今から病院に行くんだよ。入院するかもしれない。その時の治療費の足しになるかもしれないだろうに。それなのに、すぐさま手を出すだなんて、意地汚いね」
「ヨタよ。くれるって言うものを素直に受け取らないのは失礼なんだぜ? それにどうせお前だって受け取る気満々なんだろう? これは、こいつからの感謝の品ってやつなんだからよ。受け取るつもりがあるのによ、一旦は要らないって言ってさ、そんなことは言わずに、遠慮せず、貰ってくださいよう、とか言わせたいんだろう? まあったく、そんなのは面倒くさいぜ」
再び同時に口を開いた。わたしはため息をつき、金魚屋は首をかしげる。この男とは色々と合わない。
「いや、良いん、だ。ふたりとも。俺のこと、忘れても、俺はふたりが、いや、ヨタさんに助けられたことは、覚えているから」
「カナヘビ野郎。いま何で言いなおした?」
「金魚屋、突っかかるんじゃないよ。マルセロは苦しいんだから。分かったよ、マルセロ。とにかく、この綺麗な御守りはお前さんの心配りとして大事に貰っておくよ。ありがとう」
わたしが礼を言うと、マルセロはしばらくわたしと目を合わせてから、何か言いかけて、口を閉ざした。それから、口の端を歪めると、目を閉じてメガラテの胸に頭を預けた。
「じゃあ、出発するとしましょうか。マルセロを病院に運んだらすぐに戻ってきますから。わたしの荷物は置いていきますね」
メガラテは四枚の翅を広げるとその場でもの凄い速さで羽ばたかせる。埃が舞い、床から足が離れる。ホバリングしたまま、壁の穴の方に向きを変える。
「もし、お腹が減っていたら袋の中の食べ物、どれでも勝手に食べて良いですからね。じゃあ、行ってきます」
言い残してブーンと飛び立つ。外吹く風なんか物ともせずに急降下していった。風に乗って、ひゃああああっ、と言う悲鳴が聞こえたような気がした。
「行ったな」
金魚屋はどっかりと椅子に腰かけるとテーブルにマルセロから貰った石のお守りを置き、メガラテの買い物袋の中身を物色し始めた。
「しかし、失敗したな」
ガサガサとやりながら、チッと舌打ちする。
「果物と、パンか。おにぎりとか無いのかよ」
「金魚屋。何が失敗したってんだい?」
「いや、大したことじゃないよ」
「マルセロの持ち物が他にもあったっていうのかい?」
「財布と巾着袋以外にあったってんなら、そんなの見かけてないから知らないけどな」
「じゃあ、なんだってんだい?」
「いや、ほら。メガラテがカナヘビ野郎を連れて行く前によ、俺とヨタを外まで運んでくれたら良かったのにな、って思ってさ」
冷静にみかんの皮をむき始めた金魚屋。
「俺はヨタと一緒なら、まあ、このままでも別に構やしねえんだけどな。す、すっぱい!」
金魚屋は口をすぼめ、わたしは再び前足で頭を抱え込んだ。わたしと金魚屋はふたり、引き続いて酒場に閉じ込められることになったのだった。
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