第八話

第八話「かしまし娘半魚人スープ」(1)

 第八話


 (1)


 メガラテは頭巾を被ると壁に開いた穴に近づく。わたしがぴょんとその肩に飛び乗ると、それを合図に穴から身を乗り出した。


「ヨタ。大丈夫ですか? 危なくないですか?」


 肩の上のわたしは、落っこちないようにしっかりと爪を立てている。と言っても、あいにくとメガラテの皮膚は硬すぎる殻に覆われているのだから爪は刺さらないので、肩まで広がった毛皮製のフードに爪を絡めている。


 わたしのと違って手触りのあまりよろしくない毛並みは、見かけ通りごわごわしていた。触った感じは熊っぽいひと達のものに似ている。同じ毛むくじゃら種族としては、何から剥ぎ取ったものなのか想像するのはよそう。安物の合成毛皮と違って天然なのだろう。毛がしっかりと生えているので掴んでいる部分が抜けてしまってメガラテから落っこちてしまう心配は無さそうだ。


 ここから落ちたら大変だからね。いくら猫のわたしでも、何十メートルも離れた地面に、くるりんぱと、万事が無事に着地出来るだなんて、まったく自信が無い。


 見下ろすと、何階建てにもなる建物の外壁が急な崖を形作っていた。


 壁からは、申し訳ない程度に突き出した瓦やトタンの屋根、それからいくつもの看板と、洗濯物を干した物干し竿やロープ、空調機の室外機や煙突、だったものが見える。運が良ければそのどれかに引っかかって下まで落っこちなくて済むかもしれないけれど、魔物がこの店まで這い上がってくる時に手や足を引っ掛けたせいで、どれもずたぼろに壊れてしまっているのであてにならない。


 どっちにしたって、試してみようなんて気が起きない程、わたし達が閉じ込められた店は、うんと高い場所に位置していた。


「ああ、平気さ。しっかり掴んでいるからね」


 わたしはびゅーっと吹いてきた冷たい風に目を細める。


 この店は、町の外周部に位置していて大分と高い場所にあるせいで、日中はそうでも無いのだけれど、朝と夕方は結構強い風が吹く。まるで、すり鉢状の町の「底」にまで、ちゃあんと空気を入れ替える為だと言わんばかりに。


 店の向かい側の「恐ろし山」から町に向かって吹き下ろしてきた風は、こちらの「くじら海」側から空に向かって吹き上がってくる。それとは別に、ざーざーという音が遠くから聞こえてくるのは、くじら海から流れ落ちる「デス滝」のせいだ。髭を揺らす風の中に、かすかに潮の香がした。夕方になると、風の向きが反対方向に変わる。


「メガラテ。結構風が強いけど、飛ばされちまったりしないかい?」


「このくらいなら。さっきも何とかなりましたし」


 さっきも、と聞いて思い出したけど、メガラテが店に入ってくる時に空中にぴたりと静止して浮かんで見せていたから、彼女にとってはこのくらいの風ならば、どうってこと無いのだろう。


「それで、ヨタ。病院はどっちの方ですか?」


 メガラテが折りたたまれた冊子を広げて問う。


 その冊子はこの町の入口で、多少の金銭と引き換えに貰える観光ガイドマップだった。


 冊子の中ほどにじられた折り畳み式の地図を更に広げると、バタバタと風に煽られて飛んでいきそうになった。メガラテは合計六本の指でしっかりと掴んでいる。指先がトゲの様に尖っているせいで、掴んだところに穴が開いたけど、そんなことは無視して、わたしは地図に視線を落とした。


 せっかくなので、この町の地理について、地図を見ながら勉強しておこう。


 まず飛び込んできたのが「ようこそカンジン町へ」の文字だ。


 カンジン町。


 それが我が愛すべき町の名前だ。


 変な名前だと思うだろうけど、まったくその通り。


 名前の由来については、冊子の最初のページに長々と書かれている。かいつまんで言うと、この町は元々は魔物が闊歩する迷宮だった。そこへ、カンナギとジンライというふたりの勇者がやってきて、迷宮を支配する悪魔を討ち倒し、魔物から解放したのが町の起こりだそうだ。ふたりの名前を取ってカンジン町になった、という内容だ。なんていい加減なネーミングセンスなのだろうね。


 ようこそ、の下に犬っぽい女の顔。


 これがカンナギ。


 カンジン町へ、の下に猫っぽい男の顔。


 ジンライだ。


 カンナギとジンライの顔は可愛いイラストで描かれているが、牙を剥きだしにして笑う顔はどこか狂気じみているので、描いたやつのもそうだし、こんなのでオッケーを出した町内会の連中の神経もよく分からない。


 ああ、でも。描いた方とは、とてもよく知っていて身近な間柄なのであまり悪く言うのはよそう。言葉を選ばないと泣いてしまう。


 町の地図へ視線を移す。建物やシンボルは、デフォルメされたイラスト調で描かれている。正確さには欠けるけど大まかに何がどの辺りにあるのか分かりやすい。盾も尾の絵はかなりの数が描いてあり、なかなか緻密だ。夜なべして頑張った成果が出ている。


 メガラテが右手で掴んでいる辺り、ようこそカンジン町へ、の文字の下に大きな山がある。これが恐ろし山だ。切り立った険しい山脈で、魔物も多く、登山するやつもいない名前通りの恐ろしい山だ。


 左手の所にはくじら海とそこから流れ落ちるデス滝が描かれている。何刷か前の版にはくじら海の向こうにペルペルという国がの地名表記があったようだけど、今のには無い。くじら海は穏やかな海で、商船が何隻も描かれている。あそこは潮風が気持ち良いのでお気に入りの場所でもある。ただし、そこから流れ落ちているデス滝には近づいちゃいけない。死ぬ。


 山が北東、海が南西に位置している。


 東側に町の入り口がある。正確に言えば陸の玄関だ。陸路でやってくるやつはほとんどおらず、海路がメインなので、南西の方がよほど玄関としての役割を果たしている。ただ、塀で囲われていて、門があるのは、東の入り口だけなので、なんとなくそっちが入り口っぽい外観をしているのでそう呼ばれていた。何者をも跳ね飛ばしてしまいそうな、見た目も相当に凶暴で頑丈そうな機関車の絵が描かれている。鉄道の駅があるのだ。


 恐ろし山の向こうにケーネ・スルク帝国、東側にムッツ国、海の向こうにチュミュン公国の文字が書いてある。その三つの国の間、ペーネロ半島の先端の方に、カンジン町は位置していて、旅行客は、それぞれ空路、陸路、海路でやってくる。


 さて、山と海の間にドーナツ状に建物がびっしりと描かれていて、デス滝の所で欠けている。山側の方に建物の絵が多いのは、そちら側の斜面は比較的なだらかなので建物が割と容易に建てられるためだ。それから、そちら側から絵を描き始めたせいもある。だんだんと手が疲れてくるってものだろう? そして、こちら側、海側に建物が少ないのは、切り立った崖地であっても怯むことなく無理矢理に建物を建てているせいで、何層にも増築を積み重ねビルみたいになっているためだ。戸数は結構多いけれど、空から見下ろす景色を描いているのでそういう表現になっている。


 デス滝はドーナツの穴の部分、町の中心へと流れ落ちていて、そこには額から二本の角を生やしてニコリと笑う、通称「可愛い悪魔の顔」のイラストが描かれている。


 そこが「地獄の蓋」だ。


 この町きっての観光名所にして最も有名で最も物騒な場所だ。


 町の歴史のページには地獄の蓋についても書かれている。


 これも簡単に説明すると、カンナギとジンライは迷宮を開放したけれど、実はそんなの入口の部分だけで、奥深くには悪魔の国、すなわち地獄が広がっていた。このままでは怒った悪魔達が地上に出て来てしまう、自分たちの力では到底どうすることもできない、というので、神様にお願いして蓋をしてもらいました。めでたしめでたし。


 まったくめでたく無いのだけどね。


 神様とやらが中途半端な蓋をしたせいで、特に大きな隙間となっているデス滝の流入口からは、しょっちゅう魔物が這い出て来る。それ以外にも何か所も隙間があるせいで、いや、そのおかげでと言った方が良いのだろうか、札付き達は地獄に行って仕事が出来る。


 §

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