第七話「マルセロ」(3)
(3)
「なんだかんだ言って、結局は話に加わりたかっただけなのだろう?」
「そうだよ、その通りだよ。なんで俺のことを紹介せずに話を進めようとするんだよ。ずっと無視しやがって」
マルセロはわたしと金魚屋のやりとりを目を白黒させながら見ている。と言っても、実際に白目と黒目が入れ替わったりするはずはなく、内瞼とでも言うのだろうか、瞼とは別の薄い膜が、目玉の上を左右に行ったり来たりしているのだけど。
「えっと、こちらさんは?」
「マルセロ。お前さんは律儀で良いやつだよ。だから忠告しといてやるよ。こんな男なんて紹介してもらったところで、お前さんの人生に、何の役にも立ちゃしない。早まった真似をするんじゃないよ」
「そうですよ、マルセロ。時間の無駄ですよ」
「お前達ね。どうして俺をそこまで陥れるような発言が出来るんだよ? 出会って間もないよね?」
「身に覚えが無いっていうのですか? おかしいですね。自分の胸に手をあてて考えてみたらどうですか?」
「分かったよ。本当に胸に手を当てて考えてやるからな。えっと、なになに? はあ、ふうん。そうかそうか。おい、俺の心臓は、やっぱり身に覚えなんて無いって言ってるぜ」
「馬鹿な真似はおよしよ。はあ、分かったよ。金魚屋。本当にマルセロが困ってしまわないうちに、簡単に紹介してやるよ」
そう言って、わたしは至極簡単に金魚屋の紹介をすることにした。自己紹介ってやつは、本人がやって然るべきなのだけど、金魚屋にやらせないのは、言わなくても分かるだろう?
「こいつは金魚屋というケチな男さ」
「金魚屋?」
「そうさ。でも、金魚売りって訳じゃない。魔法道具屋らしいけどね。それも本当か嘘か分かったもんじゃない。こいつは記憶喪失みたいなんだ。名前も覚えて無いし、品性も忘れてしまっているんだ。とにかく金魚屋ってのがこいつの当面の名前だってことだけ覚えておいてくれたらいい。ああ、勿論この店を出たらきれいさっぱり忘れてくれて構わないからね。お前さんにはもっと別に、覚えておかなくちゃならない大事なことがたくさんあるのだろうからね」
素晴らしく簡潔にまとまった自己紹介に、金魚屋は感動したのか顔を伏せて泣いている。
「わ、分かりました。金魚屋さんですね」
「金魚屋だよ。さんまで付けたら本当に金魚を売ってる金魚屋に失礼だろう」
「ははっ」
「何がおかしいんだよ、カナヘビ野郎」
「すいません、金魚屋」
「ちきしょう! こいつ、何だか気に入らない!」
金魚屋の扱い方についてもマルセロにレクチャーが出来たようなので、話を戻そう。
「さて、マルセロ。メガラテが言いかけていたけど、腕の他に痛いところは無いかい? 血を吐いていたからね。お腹が痛かったりしないかい?」
「あ、そういえば。お腹というか、この辺り。うっ」
胸から少し下を指で押さえて呻いた。止めて置けば良いものを、さらにもう一度、ぐっと押し込んで、血を吐いた。
「ふう、ぶっ。げほげほっ。ろ、肋骨が、折れてるみたいです。ひょっとすると内臓に刺さってるかもしれない。すみません、喋ってても痛い、痛く、なってきました」
「痛くなってきました、じゃないですよ。マルセロ。口から血が出てますよ。横になりますか?」
「そうだよ。確かめるつもりか知らないけどね、わざわざ痛い所を押さえてみたりするんじゃないよ」
「す、すみません。さっきまでは痛くなかったんですけど」
「いいから。無理して喋らなくていいよ」
わたしが制すると、マルセロも「分かりました」と口だけパクパクとやって、げほっと血を吐いた。
「マルセロが手で押さえたせいで、折れた骨が動いてしまったのかもしれませんね。困りましたね。椅子を壊して添え木にしてみましょうか?」
「良いアイディアに思えるけど、そいつは腕や脚が折れた時の処置なんじゃないのかい?」
「言われてみれば、確かに。逆に添え木のせいで折れた所を圧迫してしまいそうですね」
「とにもかくにも、さ。早く病院に連れて行ってやるのが吉ってもんだよ」
しかしながら、店の入口には魔物が居座っているので、出るに出ていけないのだった。
わたしとメガラテは「困ったね」とか「困りましたね」と言った顔で、うらめしそうに魔物を見つめる。
魔物の方は、相変わらず金魚屋の方ばかり気にしていた。
おや? いつの間にか魔物の前にあったリンゴがなくなってるけど、食べたのだろうか?
「ヨタ」
いや、食べていなかった。リンゴは魔物の手に握られていた。
「ヨタ。おーい、ヨタ」
根っからの肉食なんだろうね。草食だったらわたしのことを食べずにすんだものを。魔物に果物の美味しさを普及してくれれるやつはいないんだろうか。
「ヨタよ。ヨタ、ヨタってばあ」
うるさいねえ。いま、何か妙案が出ないか考えているというのに。わたしは「なんだい」と見向きもせず金魚屋に応える。
「面倒くさそうに応えるなよお。なあ、なあ」
「そっちこそ面倒くさい声出すんじゃないよ。そういうのを猫なで声って言うんだよ。そしてわたしが大嫌いな声さ」
「おいおい。俺のはヨタなで声だぜ」
「変な言葉を作り出すんじゃないよ。それで、なんだって言うんだい? まさかわたしとお喋りしたくて声をかけた訳じゃないだろうね。そんな暇があるのだったら、とっとと店の奥に走って行って番犬達を連れて来たらどうなんだい」
「馬鹿言うなって。あいつ、ずっと、ずうっと俺のこと見つめてんだぜ? 何回も言うけどよ、俺は絶対にあいつにまた食べられる自信しかないんだぜ」
金魚屋は胸を張って主張した。それは分かってる。
「じゃあ、こうしよう。メガラテ、お前さんは力持ちだから魔物を縛り付けてる鎖を解くことも出来るんじゃないのかい?」
「え? 私がですか? あの鎖は鉄製ですよね? いくらなんでも引きちぎれないですって」
鎖を解けと言われて、まっさきに鎖を引きちぎるって発想をするかね、普通。
「分かってるよ、メガラテ。わたしが言いたいのは鎖を繋ぎ止めてる金具の方さ」
魔物の身動きを封じるため、鎖と一緒に釘が何本も打ち込まれていた。力持ちのメガラテが鎖を引っ張れば、芋堀りみたいな要領で、釘が、芋づる式に引っこ抜けるんじゃないだろうか?
「あれですか? 引っこ抜けば良いんですか? どうして?」
「そこさ、メガラテ。あれを何本か引っこ抜いてやれば、魔物は自由になるんじゃないかと思ってね」
「待って下さい、ヨタ。引っこ抜けるとは思いますけど、うん? 待って下さい。魔物が抜け出せていないのに、私なんかの力で引っこ抜けるんですかね? いえ、自信はありますけど。えっと、それに、せっかく番犬さん達が一生懸命捕まえた魔物を逃がしてしまうって言ってるんですか? いえ、逃げるかどうか分かったものじゃありませんよ。また暴れだすかもしれません」
メガラテはわたしの言いたいことがさっぱりと理解できないといった様子だ。すまないね。持って回った言い方をするのが話し屋ヨタという喋る猫の性分なのさ。
「ごもっともさ。そこで出番なのが、この男さ」
この男、と言われて金魚屋は自分の方を指さし、それからマルセロの方に視線をやった。
「お前さんだよ、金魚屋」
「ええっ! 俺? どういうこと?」
「あの魔物を解き放ったら、お前さん、壁の穴からジャンプして逃げておくれよ」
「はあ?」
「そうしたら、きっと魔物もお前さんを狙って出て行くだろうから」
名案ではないか!
「俺を餌にしようって言うのかよ!」
「マルセロが助かるにはそうするしかないんだ」
「いやいや! 俺が死んじゃうだろうが!」
「駄目かい?」
「駄目だわ!」
「じゃあ、アイディアを出しな。お前さんと無駄話をしてる暇は無いんだよ」
最初から、そんな馬鹿げたことをするつもりなんて無いさ。ただ、息詰まってしまったこの状況には、冗談のひとつでも必要だって思ったまでなのさ。
「怖い女だよ、ヨタは。それに無駄話してるのはお前も一緒だからな。大体、俺はアイディアってやつがあるから、お前に話しかけたんだぜ」
また、口から出まかせを言う。
「それだよ。その顔。ヨタ、お前はちょくちょくその顔するけど、いけないぜ。目が冷たい」
「冷たいのは目だけじゃ無いのだけどね」
「冷血動物だとは思わなかったよ。いいか? お前達はもっと冷静にならなくちゃいかんよ。そう、冷血さ。血を冷やして、頭も冷やすんだよ」
金魚屋は立ち上がり、講釈師の様な立ち居振る舞いで続ける。
「だって簡単だろ? メガラテに連れて行ってもらえば良いじゃねえかよ。この虫さんは飛べるんだぜ? カナヘビ野郎を抱えて、そこの壁の穴から、病院までブーンと飛んでいけば済む話じゃねえかよ」
わたしは前足を二本とも使って、頭を抱えた。なんで気が付かなかったんだろう。
◆
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます