第七話「マルセロ」(2)
(2)
メガラテ、言葉を選んでくれたようだね。実際には「生きているかも」なんて教えてはいないし、散々、フレッシュゾンビだとか寝ぼけゾンビだとか言って騒ぎ立てただけさ。
メガラテに紹介されたわたしは、気まずさを隠すため、「どうも。話し屋のヨタさ」と、いつもより背筋を伸ばして堂々とした雰囲気を出しながら名乗った。そして、とことこ、とマルセロに近づいて行く。マルセロが上体を上げたので、言うか言うまいか一瞬だけ迷ったけど、その顔を見たらやっぱり言っておかなくちゃあ腹の虫ってやつがなんとやらだよ、と思ったので「お前さんがわたしのしっぽを掴んだりさえしなければ、死体袋のまま火葬場に運ばれていたことだろうよ」と、幾ばくか抗議の意も示す意味でしっぽを振って説明した。無意識でやったことなのだから今更こんな場面で「レディのしっぽを鷲掴みにするなんてどういう了見なんだい!」と怒鳴りつけたって仕方が無いし、でも、文句のひとつも言わないで黙ったままというのも癪じゃないか。
ただ、いや、案の定と言うべきか、マルセロにはポカンという顔をされた。
「どういうことですか? 俺が、掴んだ、だって?」
「ああ、そうさ。覚えてないだろうけど、気にすることは無いよ。なにせ、お前さんはあの時までは確かに死んでいたんだから。仕方ないさ」
「すみません。まったく覚えてません」
「逆に覚えていて、わざとやったってんなら引っぱたいているところだよ。あの時は本当に心臓が止まる思いだったんだからね。なにせ死体のお前さんが、いきなり動いて、わたしのしっぽを掴んできたんだから。わたしでなくとも、そうさ、あんなことをされたなら、誰だって、皆、お前さんが、てっきり、ゾンビになってしまったと思って大騒ぎしたことだろうよ」
いま思い出したら、相当に恥ずかしい早とちりをしてしまった。
ゾンビだ、フレッシュゾンビだ、寝ぼけゾンビだ、最後のフレッシュ寝ぼけゾンビなんてのは、まったく馬鹿げている。でも、仕方がないじゃないか。いくら、わたしがゾンビスペシャリストだからといっても、しっぽを掴まれちゃあ、冷静な判断なんて出来なかっただろうよ。でも、ああ、あの取り乱し方と言ったら無いよ。恥ずかしい。恥ずかしさのあまり顔から火が出て、その火で髭が焦げてしまいそうなほど顔が熱くなる。
それにしても恥ずかしい姿をメガラテと金魚屋に見られてしまった。メガラテは何も言わないと思うけど、金魚屋の方は、後で、絶対に、茶化してきそうだ。弱みを握られたようで、ああ、嫌だ嫌だ。
「そう、だったのか。ヨタ、さん。驚かせてすみませんでした」
わたしが毛深い顔を赤らめていると、マルセロは頭を下げた。今度は、額は床につかなかった。別に構いやしない。そう、いつまでも土下座をやられちゃあ一周まわって嫌味に思えちまう。
しかし、えらく素直な青年だね。わたしを見つめるマルセロの表情は、わたしの発言をまるっきり信じ切っているようにしか見えなかった。
このタイミングならば「お前さんが驚かせたせいで口に咥えていた幻の高級焼き魚を落としてしまったじゃないさ」なんて始めて「どうしてくれるんだい? ああ、残念だ。あんな幻の高級魚なんて二度と口に入れることは叶わないだろうね。さあ、代わりの物を食べさせてくれるんだろうね? ソーセージなんかじゃ納得いかないからね」ってな具合にご馳走を無心しても、ひょっとすると応じてくれるかもしれない。
まったく馬鹿なことを考えるものさ。さすがにそんな間抜けな話はないよ。恥ずかしさを誤魔化すためとは言え、思い付きでも突拍子もありゃしない。
でも、あれやこれやとこねくり回して頑張れば、案外と上手くいくかもしれないぞ。
そうさ。あれだけ肝を冷やしたんだ。
そのくらい吹っ掛けたって文句は言わせないよ。試しに言ってみようかな、そんなことを思ったところで「とにかく。ありがとう。助かりました」と、素直な青年から感謝を告げられてしまったのだから、喉元まで出かかった馬鹿な考えを飲み込まない訳にはいかなかった。
「なに。礼を言われることはないさ。お前さんが生き返って良かったよ」
わたしはすました顔で言った。
「いえいえ、礼を言わせて下さい。それに、失礼なことをしてしまって。意識が無かったとは言え、本当に、すみません」
「構いやしないさ。幸い、わたしのしっぽは折れ曲がったりしながった」
「すみません」
「もう十分さ。それ以上ペコペコするのはやめとくれ。わたしはね、そういう動きをするものを見てると、無性に飛び掛かりたくなったりするのさ」
「ははっ。わかりました」
マルセロは渇いた笑い声をあげて、はたと気付いた様子で続ける。
「ところで、ヨタさん。あなただって魔物に食べられたはずでは?」
「ああ、丸飲みにされたよ。でもお前さんと違って、幸運にもどこも欠けずに丸のまま出て来れたよ」
「そうでしたか。無事に助け出されたんですね。お互い命があって良かった」
「まったくだ。えらい目にあったよ。ほら。また頭が下がってきてるよ。もしかして、首も怪我をしていて、ぽろっと落ちそうっていうのなら大変だ。メガラテ、手を添えてやってくれないか」
頭をいくら下げたってわたしの頭の方が遥かに低い位置にあるのだけど、それでも「面白いこと言いますね。でも、本当に、何とお礼を言っていいのか」と十分すぎるくらい礼を尽くす態度は、正直、しつこいやつだな、とも思うけれども、単純に好感が持てるものだった。
「ありがとうよ。お前さんは見かけはおっかないけど、なかなか良いやつそうだな」
わたしが言うと、マルセロは口の端を歪めた。たぶん笑ったのだと思うし、それが笑顔ならば、好青年らしい、爽やかなものなのだろうなと思った。
「ちぇっ。お前達、見つめ合っちゃってよ。顔を近づけ合っちゃってよ。面白くねえなあ」
それに比べて鬱陶しい顔で口を尖らせているのがこの男だ。
金魚屋ときたら、まるでそうすることが自分の使命でもあるかのように、わたしがマルセロと会話をしている最中ずっと、右へ左へ体を揺らしてみたり、わざとらしい咳ばらいをしてみたり、視界の隅に出たり入ったりしながら、早く自分も会話に参加させてくれとアピールをしていた。面倒くさいので無視していたのだけど、いい加減鬱陶しくなってきたので、反応してやるとしよう。
「なんだい、金魚屋。せっかく良い男と機嫌よく喋っているっていうのに、出しゃばるんじゃないよ」
「俺の方が良い男だし。それに出しゃばるってどいういうことだよ。だいたい、さ。怪我人を捕まえといていつまでも話し込んでるってのもいただけないぜ」
「金魚屋」
「なんだよ?」
「正論なんて言うんじゃないよ」
「俺の方が良い男ってところな」
「そっちじゃないよ。馬鹿な男だよ」
命に別状は無いようだけど、腕をちょん切られた重症人といつまでも長話を続けているってのは、金魚屋の言う通りだ。しかし、金魚屋からまともなことを言われると、いったいなぜ、こうも、腹が立つのだろう。
「さあ、マルセロ。こいつの言う通りさ。お喋りはこのくらいにしておいて、お前さんの体の心配をしようじゃないか」
「そうですね。他に痛いところはありませんか? あれ? 私、さっきも聞きましたか、マルセロ?」
「いやいや。二人とも、俺の紹介は?」
せっかく金魚屋が言う通りに、正しい態度で怪我人に向き合おうとしているというのに、慌てて会話を遮ってくるだなんて。もうっ、面倒だな。
§
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます