第六話「寝ぼけこぼけ」(3)
(3)
「フレッシュ寝ぼけ、って。おいおい、そのネーミングはいくらなんでも苦し紛れだろ」
新しいゾンビの種類を思い付いて言ってみたけれど、苦し紛れだった。金魚屋は頭を振った。
「ヨタ、おっかないかもしれないけど、とにかく開けてみよう。開けるからな」
言うが早いか、金魚屋は袋を破ろうと手を掛けて、うーん、と唸った。破れなかった。
「お前さんは、本当に力不足だね」
「俺もそんな気はしてたんだ。いくら麻袋ったって、そんな簡単に引き裂けるもんじゃねえよな。そうだよ。俺が特別非力みたいな言い方は傷付いちゃうぜ」
「金魚屋さん。そこからやったらどうですか? ほら、腕が突き出てる所からなら簡単に破けるんじゃないですか?」
頭使えないんですか? と言い足してもおかしくないような冷たい口ぶりだった。
金魚屋は何も言い返さないでメガラテに言われた通りの所から、ビリッ、ビリッと死体袋を切り裂いた。切り裂く、いや、死体の腕が開けた穴を大きく広げたと言った方が正確だろう。
不細工に開いた死体袋の穴の中から、トカゲっぽい男の頭が見えた。
半開きの口には細かい牙が生えていて、そこから静かに血へどを吐き出していた。顔面も血まみれだ。こぽっ、こぽっという音に交じって苦しそうなうめき声がかすかに聞こえていた。
ゾンビは苦しそうな声はあげない。理由は簡単。あいつらは死んでいるのだから苦しいも楽しいも無いのだ。素人には苦しそうなうめき声に聞こえるかもしれない。でも、あれは、体の中に溜まっていた空気が、歩く動作につられて吐き出されたときに、だらしなく開いた口からそういう音が鳴るだけなのだ。
生きていたのだ。
いや、生きていたのか、一旦は死んで、幸運にもゾンビになる前に蘇生したのか。定かでは無いけれど、死体袋の中の男は、不死者の列に加わることなく、いまだ生者の列に並んでいるということだ。
「これは良くないですね」
メガラテは一目見ると、「金魚屋さん、ヨタを預けます。変なことしないで下さいね」わたしを金魚屋の腕に抱かせる。すぐに金魚屋がわたしの背中を撫で始めた。
メガラテは、金魚屋が開けた死体袋の穴に指を掛けると、更に引き裂いた。金魚屋がやった時とはまるで違い、カッターで切り裂いたように、死体袋は足元まで一気に切り開かれる。初めからメガラテがやった方が早かったんじゃなかろうか。
ひょっとして、わたしを抱っこしていたいが為に金魚屋にあれこれ指示を出していたのではあるまいな。わたしを抱いた金魚屋は満面の笑みで背中に顔を押し当ててくる。くっそう。
「吐血してますね。このままだと窒息してしまいますから、まずは横を向かせて血を吐かせてしまいましょう。体が硬直していますから、腕も一緒に動きますからね。いいですか? ちょっと、聞いてるんですか? 金魚屋さんも一緒に動いて下さいね」
メガラテは説明しながら男の頭を支え、もう片方の手を背中に回した。
天井に向かって突き出された腕と、そいつにしっぽを掴まれたわたし、わたしを抱きかかえた金魚屋は、一連の運命共同体となってしまっているので、メガラテが男の背中に力を入れるのに合わせて動かなくちゃいけない。
「
「本当ですか? 耳も悪そうじゃないですか。ちゃんとやらないと、あなたの耳に指を突っ込んで耳掃除してあげますからね。じゃあ、ゆっくり動かしますよ。せーの」
掛け声は不要だったのでは、と思うくらい男の体はあっさりと動き、ゆっくりと横を向かされて、寝かされる。金魚屋も男の動きに合わせて床に寝転ぶ。わたしを抱いたまま。トカゲ頭、わたし、金魚屋の川の字が出来上がる。
「もおっ。何やってんですか、金魚屋さん」
「金魚屋、わたしは呆れ果てたよ。でも、少しだけ感心しちまったのも事実さ。お前さんってやつは、そうまでしてわたしと離れたくないんだね」
「うん。もう少し抱いていたかった」
「金魚屋さん、ヨタが嫌がってますよ。それに、あなたにそこで寝ていられたら介抱するのに邪魔で仕方ありません」
「わざわざ口に出して言うなよ、メガラテ。言われなくても分かってんだから。ああ、名残惜しい」
金魚屋はわたしを床に降ろすと、
「カナヘビっぽい顔だな」
自分の顎に手をやると、死にかけの男の顔を覗き込んで感想を述べた。それから、喉に小骨でもつっかえたような変な顔をして「イモリ? イグアナ? いや、やっぱりカナヘビがしっくりくるな」としばらく男の顔を眺めていた。艶のある茶色い鱗に覆われた小柄な頭は、確かにカナヘビっぽいなと思ったけれど、トカゲっぽい男が何トカゲなのかっていう話題は、一旦は無視して、わたしは歓喜を口にする。
「久しぶりの床だ!」
四本の脚が床に着いたのは随分と久しぶりのような気がした。床の感触を確かめるように数歩踏み出してみる。しと、しと、とひんやりとした木材の感触が肉球を通じてわたしの心を落ち着かせてくれる。
すると「え? ああっ! しっぽも抜けた! やったあ!」男の態勢が変わった拍子に指も緩んだのか、するりとしっぽが抜けた。
ついに、わたしのしっぽは解放されたのだった!
しっぽを振り振り、自由に歩き回れるということがこれほど嬉しく感じられるだなんて。伸びをしてこわばった体をほぐすと、ぐるぐると死体袋の周りを歩いて、最後にぴょんとそいつを飛び越えて元の場所に戻ってくる。
「おめでとうございます、ヨタ」
「やったな、ヨタ。しっぽ大丈夫か?」
「なんとか、ね。わたしのしっぽ、折れ曲がったりしてないだろうね? じんじんするよ」
「大丈夫ですよ。可愛いらしいしっぽのままです」
「ありがとうよ、メガラテ」
わたしは可愛いしっぽを左右に振って喜びを表現した。
「さあ、わたしのしっぽの心配がいらなくなったんだ、お次はこちらさん、ゾンビみたいに生き返ったカナヘビさんを助けてやらないと。でなきゃ文句も言えない」
カナヘビ青年は、目をきつく閉じ、半開きの口からは未だ血へどを吐いているし、鱗の肌と、血まみれになった顔からは、良く分からないけれど、なんとなく血の気が引いている様子で、具合が悪そうで、有り体に言って、死にかけているようにしか見えない。
「やっぱりカナヘビだよな。こいつのしっぽは青かったりするんだろうか?」
「何を馬鹿なこと言ってるんですか。金魚屋さん、そのひとの頭を膝枕してあげてください。そのまま寝かせておくより、呼吸が楽になると思います」
「ええ? 嫌だよ、トカゲ頭なんて気持ち悪い。それに俺の着物に血が付いちゃうだろう」
「はあ? 命が優先ですよ。それにあなたの着物、既に血まみれじゃないですか。何を今更。えっと、よく見ればかなりばっちいですね。魔物のゲロまで付いてるんじゃないですか?」
「俺はね、悪態をつきながらでもちゃあんとやることはやるタイプの男なんだよ。そして、メガラテの悪態にも慣れちまった。ほら、これでいいか?」
金魚屋はカナヘビ頭を持ち上げると乱暴に膝に乗せた。
胡坐をかいた状態なのでバランスが悪い。左右にぐらぐらと揺れて、その度に
「ぐえっ」とうめき声があがる。頭が固定されるまで、何度も ぐえっ、ぐえっ、とやられながら、ようやく、脛の上、またぐらの間で落ち着いた。
「もっと優しく扱ってあげてくださいよ」
「嫌だよ。野郎の頭なんて」
「そういうの良くないと思いますよ」
「でも、こいつの頭、冷たくてなかなか気持ちが良いぜ」
「冷たい、ううん。体温が大分下がってますね。これは危険です。ふむ。もう血は吐き出さないようですけど。さっき吐いたので最後だったのでしょう。きっと口の中に溜まった血液のせいで呼吸が出来なかったのでしょうね」
メガラテがカナヘビ青年の顔を覗き込む。ぜえ、ぜえと渇いた息遣いが聞こえていた。
「でも、まだ息苦しそう。ちょっと、失礼」
メガラテは男の顎に手をやり角度を変える。飛び出していた舌が、さらに伸びてだらんとしなる。
「ちょっ、うおいっ。舌が、脛についちまったじゃねえか。気色悪いなあ」
「あなたが胡坐なんかかいてるのが悪いんですよ。正座で膝枕してあげてください」
「板の間で正座だって? そんなの痛いじゃないか」
「あなたの足の心配なんてしてませんから。よし、これで気道も確保出来ました。うん、息遣いも良い感じですね。さっきよりも息をするのが楽そうです。じゃあ、次は服を脱がせて外傷が無いか確認しましょう」
メガラテの決断は潔い。
ためらうこと無く男の着物を引き裂いた。
その拍子に懐から財布や巾着袋が飛び出して死体袋の中に散らばる。そいつは脱がすとは言わないと思うのだけど。メガラテはせっかちな性分なのかもしれない。男の着物はわたしの目から見ても生地や仕立ての良さから結構な値打ち品に見えた。それを
あらわになったカナヘビ青年の体は、頭の大きさに比例して華奢な作りだった。
線も細く、あまり筋肉がついている風でも無い。
トカゲっぽいひと達の年齢を言い当てるのは猫のわたしには難しいけど、未だ男に成り切っていない、成長途中の体に見えた。
若者、青年。少年とまでは言い過ぎか。
いずれにしても、こんな店に入り浸って酒を覚えるには未だ早いように思えた。でも、見た目に反して何百年と生きている種族も居るのだからあんまりあてにならない。
「なんだこいつ。子どもの癖に一丁前に入れ墨なんて入れてやがる。不良だな」
カナヘビ青年を子どもだという金魚屋の見立てが正しいのかどうかはさておいて、彼の体には胸と腹、背中に至るまで、黒墨で何やら緻密な模様が描かれていた。
体に傷をつけて墨を流し込むだなんて、そんな痛そうな真似、よくやるもんだね。
でも、待てよ。
鱗に入れ墨したところで、そこは実際の皮膚って訳じゃなくて、わたしの毛みたいな位置づけだから、そんなのに傷を付けたって痛くも痒くもないのかもしれない。
入れ墨は確かに目立つけれど、それよりも、もっと目立つ部分があった。
いや、無かったのだ。
「あらあら。腕がちょん切れてますね」
メガラテがカナヘビ青年の右腕を掴んでわたし達に見えるように持ち上げた。肘から手首の間で、右腕がぶっつりと無くなっている。
わたしは口に出さなかったけど「わざわざ見せるなよ、気色悪い」と金魚屋は顔をしかめた。
「うん? このひと、見覚えがありませんか」
「俺にカナヘビ野郎の知り合いは居ないけどな。その前に、腕を下ろしてやれよ」
「腕を高くしてないと、切れたところから血が流れ出ちゃうんですよ」
「もうほとんど血は止まってるだろ」
「本当ですか?」
「うえっ。お前ね、触って確かめてみなくても良いだろ。気持ち悪いな」
「こんなもの生肉と一緒じゃないですか」
メガラテがカナヘビ青年の腕の断面を、その尖った指で突っついていると、ぴゅぴゅっと出血し、そして「痛い痛い!」と悲鳴を上げて、ついに死体袋の中身が息を吹き返したのだった。
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