第六話「寝ぼけこぼけ」(2)

 (2)


 わたしは駆け上がろうともがく。びーんとしっぽが引っ張られ、わたしはそれ以上には登っていけなかった。ただ痛い思いをしただけだった。


「あらあら。しっぽの長さに限界がありますよ。ふふふ」


 なぜか嬉しそうな声が聞こえる。


 わたしは金魚屋ではなくメガラテの方に飛び移ったのだ。


 咄嗟の判断だったけれど、理性が働いたようだ。メガラテは、抱き付いたわたしのしっぽがそれ以上伸びないように、死体にうんと近づいてくれていた。


「メガラテ! そんなに近付いたら、噛まれるよ! 危ないよ!」


「でも、こうしないとヨタのしっぽが伸びちゃうでしょう?」


「そりゃそうかもしれないけど!」


「それにわたし、硬いですから。噛み付かれてもゾンビの歯の方が折れます」


「とにかく、近いよ! わたしが近い!」


 お前さんはそうかもしれないけれど、わたしの柔肌はそうはいかないよ。メガラテに飛びついて正解だったのだろうか。正解も不正解もない。わたしのしっぽがゴムでない以上、死体から遠ざかろうとしたって限界があるんだから選び用が無かった。金魚屋は指をくわえて見ている。


 わたし、メガラテ、金魚屋、そして死体袋のゾンビと、えらく狭苦しいスペースに密集して頭を突き合わせる形になっていた。


「ふたりとも大変だ! ゾンビだったんだよ! 時間差でゾンビになっていたんだよ!」


 夜死んだやつはすぐにゾンビになる。こいつは、実際には、うんと早くからゾンビになっていたんだ。それが、どんくさいのか、鈍いのか、今の今まで自分がゾンビになったと気が付いていなかっただけなのだ。そうなのだ。時間差でゾンビになるやつもいるのだった。


「寝ぼけゾンビだ!」


 夜中に死んで、その場でゾンビになれば良いものを、明け方近くにゾンビになって活動を始めるやつが、ごくごくたまにいるんだ。わたしは見たことなかったけれど。


 そうさ。ゾンビなんか見たくも、気配も感じたくないわたしは、ゾンビのゾの部分でも視界に入った瞬間には一目散に逃げ去って来たのだから見たこと無いのは当然さ。


 話に聞いたゾンビがそういうやつだった。


 寝ぼけゾンビ。


 起きる時間を間違えたゾンビのことさ。そのまま寝てればいいものを。そいつに違いない。違いないね! しっぽを掴まれたわたしは、とにかく安心したい一心で、こいつはゾンビじゃない、大丈夫だ、死後硬直だ、なんて、よくよく考えを巡らせないで思っちまったんだ。馬鹿猫め!


「なんだよ、寝ぼけゾンビって?」


「寝ぼけたゾンビだよ!」


「あははっ。なんだよ、そのとぼけたゾンビは」


「たまに居るんだよ! お前さんみたいにとぼけたやつがゾンビになると、寝ぼけゾンビになるんだよ!」


「ヨタはいちいち悪口を言うよな」


 金魚屋は笑いながらメガラテの胸に逃げ込んだわたしに手を伸ばしてきたけれど、メガラテが払いのけた。金魚屋は口を変な形に尖らせた。痛かったのと、悔しかったのだろう。そんな顔芸してる場合じゃないよ!


「メガラテ! 早くなんとかしておくれよ! わたしはね、ゾンビが大の大の大嫌いなんだ! これ以上ゾンビにしっぽを掴まれていたら、心臓が止まってしまうよ! そのまえに、ゾンビが起き上がって来てかじられちゃうよ!」


 あまりの怖さに心臓はバクバクするし、息だってしづらいし、しまいには、お腹まで痛くなってきた。おしっこなど漏れやしなかっただろうか。わたしは少しでもゾンビから遠ざかろうと、メガラテの着物の中に潜り込もうするが、どういう構造になっているのか上手くいかない。


「ヨタ、ふふふっ、くすぐったいです。そんなに怖がらなくて大丈夫だと思います。このひとはゾンビじゃありませんよ」


 メガラテはわたしの背中をさすりながらやさしい声で諭す。硬い殻で覆われてるのに、くすぐったいとかあるのだろうか。


 それよりも、気持ちが良いな。指の腹に硬い毛が生えているせいだろうか。こんな状況でなければ三十分くらいたっぷりと時間をかけて撫でつけておいて欲しいくらいだ。それくらい素晴らしいブラッシングだった。顔は緩んでしまったけれど、わたしの心中まで癒されることはない。


「いいや、メガラテ! ゾンビに決まってるよ! こいつの冷やっこい手が証拠さ!」


「トカゲっぽいひと達の手は大抵冷たいもんですよ。それに鱗があるんですから体温なんて触ったところで感じ取れないでしょう」


 普通のひとにはね、と最後に付け足した。


「金魚屋、さん。でしたっけ? ちょっと死体袋を開けてみましょう」


 メガラテの提案に「な、なに言ってんだい! 正気の沙汰じゃないよ!」わたしは前足でメガラテの顎を挟んで全力で抗議した。


「百聞は一見に如かずって言うじゃないですか」


 メガラテは涼しい声で言う。


「そうだぜ、ヨタ。見てみりゃあ分かるじゃねえか。こいつ、実は息があってもがいてるだけなのかもしれないぜ」


 それに金魚屋が続いた。


「ばっ、馬鹿じゃないのかい! ふたりともどうかしているよ!」


「落ち着いて下さい、ヨタ。信じられないと思いますけど、わたしの目にはこのひとが死体には見えていないんです」


「どういうことだい!」


「もおっ、怖い顔しないで」


 メガラテに食って掛かったわたしの顔は、トラの様な形相だったと思うよ。


「ああ、えっと。わたしの目は特別製なんですよ。体温が見える、と言ったら良いんでしょうか」


「体温が、見えるだって?」


「ええ。このひとは、話し屋さんや金魚屋さんは触ったって分からないでしょうけど、確かに体温はあります。ゾンビって体温が失われた後、心臓も停止して、魂も抜け出て、すっかり死んでしまったひとがなるものなんでしょう? トカゲっぽいひと達が活動するには随分と危険なところまで体温が低下しているようですけど、心臓は動いていますし生きていると思います。金魚屋さん、確かめてみてください」


 メガラテは死体袋の真ん中あたり、胸のところを指さす。耳を近づけて心臓の音を確かめろ、と指示を出したのだ。


 なんて危ないことを!


 わたしが止める前に「俺が? 嫌だよ、そんなの」と言い返した。


「懸命だよ、金魚屋!」


 今ばかりは金魚屋の態度が正しく思える。


「ゾンビってやつは知能が無いくせに自分の出番をわきまえているんだ! 生きているのか死んでいるのか、確かめようってんで耳を当てた頃合いを見計らって! ガブリッと噛み付いてくるんもんだよ!」


「確かにゾンビってタイミングよく襲ってくるイメージがありますよね。でも、そんなことは実際にはありえませんよ。タイミングなんて無関係で、ガブリッとやってきます」


「そうでしょうとも!」


「まあまあ、ヨタ。落ち着いて。さあ、金魚屋さん。私を信用してさっさとやっちゃってください」


「信用って、お前を?」


「信用、できないんですか?」


「顔が近いよ。凄むのはやめてくれ。お前達みたいな虫が怒ると怖いんだから」


「虫じゃありません」


「分かってるよ。つい口から出ちゃうんだから、気にするなよ。でも、そんなに自信があるならお前が耳を当ててみれば良いじゃねえか」


「馬鹿なこと言いますよ。私にはそのひとの体温が見えていますし、心臓の音だって聞こえているんです。私達はあなた達と違って体の器官がすこぶる発達してるんですから。そんな私がわざわざ耳をつけて心音を聴いたところで何の証明にもならないでしょう? 鈍感な人間のあなたが確かめることに意味があるのに」


「分かったよ。お前も本当に口が悪いよな」


「分かったら早くしてください」と促された金魚屋はしぶしぶ「俺の周りには口の悪い女しかいないんだろうか」と悪態をつきながらしゃがみ込んで、死体の胸のあたりに耳を寄せた。


「何も聞こえないよ」


「もうちょっと下です」


「こっちかよ?」


「ええ。でも、あと、ちょっと左です。馬鹿ですね。私から見て左ですよ」


「えー」


 金魚屋は死体袋の上で頭を動かし続けた。


「おっ! あん?」


 ある所で停止すると顔を上げ、もう一度確かめるように耳を押し当てた。


「本当だ! かなり聞き取りづらいけど、確かにドクドク言ってら。それに、なんだ? 呻いてるのか? ヨタ、こいつは生きているかもしれないぞ」


 信じられない。ゾンビと思っていたものが、実は死後硬直の死体で、でもやっぱり寝ぼけゾンビだと騒ぎ立てたのに、今度は生きているだって?


「ほ、本当なんだろうね?」


 わたしはメガラテの顔を見てから死体袋の方を覗き込む。


 耳を澄ませると「うっ、うう」という声がかすかに聞こえた。すっかり忘れていたけれど、わたしだって耳や鼻はひとに自慢できる程の物がついていたのだった。痛みを訴えているような、まだ、なんとか生きているとアピールしているような、そんな感じだ。


 じゃあ、においはどうだろう?


 犬には負けるけど、ひくひくと鼻を動かしてみる。魔物の腹に納まった時に鼻をやられてしまったから、自信が無いけど、ふむ、血のにおいはしているようだけど、ゾンビの、あの腐ったような、かび臭い、辛気臭い、思い出すだけで寒気がするような独特な嫌味のあるゾンビ臭はしなかった。


 苦しそうなうめき声に、血のにおい。これは、ひょっとすると。


「でも、フレッシュ寝ぼけゾンビかもしれないよ」


   §

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