第五話「メガラテ」(3)

 (3)


 金魚屋がバナナを食べて黙っているうちに、メガラテに話かけるとしよう。


 話に加わりたくてうずうずしているのもあるけれど、わたしの問題を解決してくれそうだからだ。虫っぽいひと達は反射神経も良ければ、運動神経も良いし、単純に力持ちだ。彼女なら、死後硬直した指も簡単にこじ開けてくれるに違いない。


「えっと、メガラテと言ったかい?」


 わたしは声をかけた。すると、金魚屋の時と打って変わってメガラテはわたしの方に顔と体を向けると「ええ。挨拶がまだでしたね。初めまして。メガラテと申します」と丁寧にお辞儀までして挨拶してくれた。


 自分に向けた態度とは明らかに違うことに面白くなさそうな表情を浮かべながらも、もっしもっしと口を動かすのを止めない金魚屋。不貞腐ふてくされてはいるけれど、美味しそうに物を食べる男だね。わたしも後からバナナをもらうとしよう。


「わたしはヨタさ。話し屋ヨタ、お見知りおきを」


「ヨタさんですね。昨晩は大変でしたね。体はなんともありませんか?」


「ヨタで結構だよ。おかげさまで、この通り薄汚くてもどうにか生きてるよ」


「はは。それは良かったです、ヨタ。そうだ。あとでおしぼりを作って体を拭いてあげますね」


 メガラテは両手をコツンと合わせた。


「お前さんは親切だね。メガラテ、でも、実はちょっと困っているんだ」


「あらあら。どうされましたか?」


 メガラテはコッツ、コッツ、と素足のくせにハイヒールでも履いているような音を立てながら、わたしの方に大股で歩み寄るとひざまずいた。間近で見ると本当に大きくて怖い。


「まあまあ。なんでこんなことになってるんです?」


 メガラテはどこに焦点が合っているのか分からない顔でわたしに尋ねた。


 その綺麗な複眼は、あれにもこれにも、全てのものを注視しているのだろう。真っ赤な複眼の中にはしっぽを掴まれて困った顔をした薄汚い猫がいくつも映っている。どれも皆わたしさ。


「急に動いて掴まれちまったのさ。見とくれよ。死体にしっぽを掴まれるだなんて、縁起でもないよ」


「死体が動いたんですか?」


「そうなんだ。死後硬直だかなんだか知らないけど、金魚屋の力じゃびくともしないんだ」


「なるほど。確かにがっしりと掴んでいますね」


 死体の腕に手をやって、ちょっとやそっとの力ではびくともしないことを確かめてから、思い出したように首をかしげる。


「うん? えっと、金魚屋さんが来たんですか? いつの間に?」


 メガラテに質問されてしまった。


 しまった。


 金魚屋、この男ときたら、ついさっきまで名前が無かったのだった。


 いや、あっても思い出せないんだっけ。


 金魚屋は名乗りもしないでメガラテと話し込んでいたということか。自己紹介なんて必ずしなければならない訳ではないし、金魚屋のことだから「なあなあ、お前ははえの親戚か?」なんて具合に馴れ馴れしく話しかけていって、そこから先は、先ほどの金魚屋とメガラテのやり取りを見ていれば想像がつく展開だったろう。無礼をたしなめられたに違いない。


 メガラテは、眉毛があれば眉間に寄せただろうし、瞼があれば目を細めたことだろう。そのどれも出来ないから首を右に左に傾けている。


「ああ、俺のことさ。俺は金魚屋、お見知りおきを」


 金魚屋はわたしの真似をして名乗った。口をもごもごとやりながら親指を自分の方に立てている。反対側の手には、いつの間に取って来たのか二本目のバナナが握られていた。


「あれ? あなた、魔法道具屋さん、でしたよね? 金魚も売ってるんですか?」


 メガラテの首は更に傾いていく。


「俺は魔法道具屋だよ。役に立つし面白い魔法の商品を取り扱ってる。金魚を売る予定は、今の所無いね。まあ、売る程在庫は抱えているんだけどさ」


 金魚屋はくるくると指を回して見せた。指の周りを半透明な金魚が泳いでいる、と見せかけて、実際には、金魚は彼の頭のあたりにふわふわと浮かんでいた。


「はあ? ちょっと何言ってるのか分からないです。店の名前が金魚屋なんですか?」


「そっか。見えないか」


「はあ?」


 複眼の中に金魚の姿は映っていなかった。


 わたしの目、わたしの肉眼には確かに金魚が見えているのだけど、ひょっとしたら何かに反射した姿、例えば鏡のようなものには、金魚は像を結ばないのかもしれない。


 メガラテの目には本当に何も映っちゃいないのだろう。


 金魚の代わりに、幾分か残念そうな顔をした男の姿を見つめているのだ。


 金魚屋は、メガラテが金魚が見える性質なのかどうなのか確かめたのだろう。


 突然、気が付いてしまう。


 この男は、行く先々で出会うひとに向かって、毎回、こういう方法でもって、金魚が見えやしないか確かめ続けてきたのだ。


 気が付いてしまうと、ぶしつけな金魚屋のことだって、髭の先くらいには不憫ふびんに思えてくるもので不思議だ。


「メガラテ。一旦こいつのことは放っておいてくれ。どうせ大した話はしやしない」


「酷いや、ヨタ」


「黙っておくんだよ。話が先に進まないんだから。メガラテ、こいつは記憶喪失なんだ」


「ええっ! 本当ですか?」


「本当だよ、本当。記憶喪失って大変なんだぜ」


「金魚屋」


「はいはい。黙りますって」


「メガラテ、この男はね、名前も何も覚えちゃいないようなんだ。でも、呼び名が無いってのは不便だからね。とりあえず付けたのが金魚屋なんだよ」


「確かに名前が無いと呼ぶのに不便ですものね。でも、どうして金魚屋なんて名前なんですか?」


「そいつは」なんて説明しようか一瞬悩む。


 メガラテの目に、そもそも見えない不可思議な金魚の説明をするのはそれだけで骨が折れるだろうし、説明するったって「こいつには半透明の金魚が憑りついているんだよ」くらいのことしか出来ないのだし。ちらりと横目で見た金魚屋の顔には、説明して欲しいという表情は見て取れない。きっと、今までだって、最初はどうか分からないけれど、見えない相手と分かると落胆して、それ以上深くは、金魚が見えるかどうか確かめようとはしてこなかったのだろう。そして、そのまま世間話でも続けたことだろう。


 それに、優先すべきは金魚屋の素性のことでは無くて、わたしは、わたしのしっぽのことが心配でそれどころじゃないのだった。


 なんてことだ。


 さっきよりもわたしのしっぽを締め付ける死体の腕の力が増している様な気がする。気が急いているから気のせいかもしれないけれど、やっぱり、さっきよりもしっぽが痛い気がしてきた。


「この男は金魚に縁があるようなんだよ」


 適当なことを言って早く話を切り上げよう。


「縁、ですか?」


「そうさ。不思議な縁があるようなんだ。だから、まあ、それにあやかってね。金魚屋なんて呼んでいたら、いつかどこかで、この男と金魚の縁を知っているってやつが聞きつけて現れるかもしれない。そうなったらこの男の正体も分かるんじゃないかと思ってね」


 思い付いたことを言うと「成程。そうい狙いがあったのか。賢いね、ヨタは」と聞こえるか聞こえないかの小声で金魚屋が感心した。適当についた言い訳に適当な返事をするんじゃないよ。


「そうなんですか。でも変な感じですね、魔法道具屋なのに金魚屋だなんて」


「そうかい? 俺は気に入ってるんだぜ、金魚屋」


「金魚屋」


「そんな怖い顔しなくたっていいじゃないか。だって俺の話だろう? 俺も話に参加したいんだよ」


 金魚屋は口を尖らせた。面倒なやつだよ。本当にこの男が関わると話が前を向いて進んでいかない。


「お前さんの話は後にしとくれよ。とにかくね、わたしはお前さんが何とも出来なかったこの状況を、メガラテに何とかしてもらいたいところなのさ。金魚屋。お前さんはまったくの役立たずなんだから、黙っておくくらいの仕事は勤め上げてもらわないと困るんだけどね。わたしが良いと言うまでは、口を開く時は息をする時だけにしておくれ。いや、息なんて鼻ですれば良いじゃないか。なら、もうお前さんの口は不要になったね。バナナも食べ終わったようだし、それじゃあ昼飯までの間、黙って口を閉じておいてもらおうか」


 わたしが強い口調で言うと「おおっ、怖い。ヨタはペラペラ、ペラペラと、よくもまあそんな悪口というか、威勢のいいセリフを思い付くもんだ」と返してきたから「フー!」と威嚇してやった。


「はいはい。分かったよ」


 へらへらと笑いながら、ひらひらと手を振った。


「メガラテ。俺の力じゃびくともしないんだ。とにかくヨタを助けてやってくれよ。そうしないと自由に発言も出来ない」


 黙る気なんて毛頭無い様子だ。


「助けてもらっても、お前さんがこの先も自由に発言できるかどうか分かったもんじゃないからね」


「ヨタ。お前の言葉にはやりかねないなって響きがあってゾッとするよ」


 わたしと金魚屋のやりとりを見ていたメガラテは「あはは」と笑って「本当にヨタはおしゃべりが上手ですね」と楽しそうに言った。


「ありがとうよ。わたしはこの口ひとつで商売しているからね」


「ヨタの話、昨夜は随分と盛り上がっていましたもんね。わたしもちゃんと聞きたかったなあ。実に残念です」


「おや? お前さんは金魚屋と同じテーブルに居たよね」


「ええ。でもわたしが席についたのは、もうヨタの話が終わったところでしたから。このお店に来たのも、随分と遅い時間だったし。そうだ! わたし、実はこの町には喋る猫ちゃんが居るって聞いてやって来たんですよ。それってヨタのことですよね?」


「ほかに喋る猫は見かけないから、このわたしのことで間違いないさ。ご足労をかけたね。じゃあ、助けてくれた暁にはメガラテのためにとっておきの話を聞かせてあげるよ」


「本当ですか! 嬉しい!」


「さあ、メガラテ。そういう訳で、おしゃべりはここまでさ。とにかくわたしのしっぽを救出するのに手を貸しておくれよ」


「分かりました。このひとの指をこじ開ければ良いんですね」


 死体の指に早速自分の指をかける。


 メガラテ、そうさ! 仕事が速そうだね。結構なことだよ。素晴らしい。頼もしいよ、メガラテ。


「やってくれるかい?」


 わたしは明るい声をあげた。


 まだら色をした固そうな甲殻に覆われた腕。その内側にある筋肉は人間の何倍も力があると聞いているよ。そして、機械のような関節。滑らかに、力強く動くんだろう? 指の数は三本しか無いけれど、指先はとげのように鋭く尖っていて、格好いいじゃないさ。わたしはね、お前さんの、その細腕に、滅茶苦茶期待しているのだからね。


「勿論。お安い御用ですよ。はりきってやっちゃいますね。でも、私の力だと、このひとの指が折れてしまうと思います」


「良いんだよ! メガラテ! 死体なんだから構いやしないって」


「わかりました。でも、えっと。それですけれど」


 メガラテは表情を変えず、首をかしげた。


「このひと、生きているみたいですけど」


 死体袋からカサカサという音がした。


   ◆

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