第五話

第五話「メガラテ」(1)

 第五話


 (1)


 即席のテラス席の、そのすぐ向こう側。


 そこはすなわち足場も何もない空中になるのだけど、そこにひと影が浮かんでいた。


 文字通り浮かんでいた。


 彼女にははねがあった。


 四枚の翅を高速で動かして、ブーンという低音を響かせながら、体を空中にぴたりと固定している。


 その翅は、とても薄いのか、見えないくらい高速で動いているのか、空の色まで透けて見えた。


 うっすらと青色を帯びた翅はとても綺麗だ。


 お日様の光も吸収して、翅自体が光り輝いているようにも見える。その姿は、本当に後光を背負っているかのようで、まるで地上に舞い降りた神の使いといった様相だった。わたしに信仰心ってものがあったのなら、両膝をついて祈りをささげていたかもしれない。猫なので両膝を地面につけるなんて仕草、体の構造的に無理なのだけど。


 ふざけたことを言っているけど、わたしが多少物事を大袈裟に表現しちまう性分だってことを差し引いても、それくらい彼女の姿は神々しく見えたんだ。


 華麗なファンファーレが似合いそうな登場の仕方だった。


 けれど、彼女が両手に提げている、ぱんぱんに膨れ上がった二つの買い物袋のせいで、ファンファーレにはいささか不協和音が混じって聞こえた。


 彼女は壁の穴から室内に入ってくる。


 ブーンと、店の中のほこりが舞い、コツン、と甲高い音を立てて着陸した。手近なテーブルの上に買い物袋を置く。


 彼女の翅は、葉脈のように細かい筋と、ほとんど向こう側が透けて見える程、とても薄い膜とで出来ていた。


 根元の方は赤く、先端に行くにつれて黄色味を帯びている。


 半透明な翅は、室内に差し込む光を七色に反射しておりステンドグラスのようだった。


 静かに、そして、ゆっくりとした動きで翅が畳まれ収納される。


「おはようございます。どうしたんです? そんな顔して」


 彼女は柔らかい声音で挨拶をしてきた。そして軽く頭をかしげる。二本の触覚が揺れた。


「お、おはよう」


 上ずった声が出た。


 彼女は案外と、縦にも横にも大きくて、金魚屋の頭みっつ分より背が高かった。わたしの体と比較したらいったい何倍になるのだろうか。とりあえず腹の中に二、三匹は猫をしまうスペースはあるだろう。


 体格がとてもよく、でも、猫背という立ち姿は、わたしの上に大きくのしかかってくるようで、そのまま覆いかぶさろうとしているようで、もっと言えば、わたしのことを毛が生えた肉としか思っていなくていつでも襲いかかって頭から丸かじりにしてきそうな、そういう立ち姿に、わたしは圧迫感や威圧感を感じてとにかく逃げ出したかった。でも、しっぽを死体に掴まれていてはそれも出来ないので、いっそ丸飲みにしてくれと、体を小さく縮める。


 彼女の立派な体格のせいもあるけれど、それよりも、その出で立ちの面妖さと怖さがわたしをひるませ縮ませたのだ。


 頭を、触覚を残して、すっぽりと覆ったフード状の頭巾は何の獣のものか分からないけど、全体的に茶色く、ところどころ斑点はんてん模様が入った毛足の長い毛皮製で、頭から肩の方まで広がっている。


 毛皮ってだけで、背筋がぞくりとしてしまう。それだけ大きな毛皮なら、材料になったのは相当大きい獣か、下手をしたら魔物のものかもしれない。


 顔にあたる部分にはお面がはまっていた。


 うっすらと木目が浮かび上がっており、うるし塗りだろうか。均一に塗られた朱色が光沢を放っている。


 お面であるのだから、当然、前を見たり息継ぎをしたりする穴が必要で、実際にそれは穿たれているのだけど、ひとつやふたつではなく、小さい穴が何十個と規則正しく並んでいて、その小さい穴はすべて金箔で縁取られていて綺麗だったけれど、全体的に、蓮の実のような見た目は正直気持ちが悪い。


 見た目は気持ち悪いけれど、お面だけ見れば見事な工芸品に見えなくもなかった。その部分だけテーブルの上に置かれていたなら、洒落た皿かな? 汁を注いだら全部こぼれてしまうけど、くらいには思えたかもしれない。


 けれど、それが顔の位置にはまっていれば、もはや不気味以外の感想は思い浮かばない。


 さらに、お面は毛皮と一体となっているので、まるでそういう顔面の魔物をかたどったような、体の芯から恐ろしいと感じてしまうデザインだ。どことなく、この店に居座っている魚の魔物に相通じる、悪魔が思い付きでこしらえたような、趣味の悪さを感じる。


 彼女の服装は頭巾に輪をかけて面妖だった。


 それは一見着物のようだった。


 襟が胸の前で左前に交差していて、腰のあたりで数本の帯で結っている。着物といったら、大体、そういう着方になる。わたしの羽織も、どてらみたいだけど、着物の造りとなっている。でも、彼女が着ているものは、やたらとオーバーサイズで、袖のところなんてゆったり開き過ぎだ。そこだけほとんど反物の状態に近かった。ポンチョと言うのだろうか。傘みたいにも見える。


 彼女の立派な体格を覆い隠すのと、背中の翅を収納するのには適したデザインなのだろうと思う。


 それだけならば、着物っぽい変わった服装だな、で片付くのだけど、問題は色味と柄だった。


 毒蛇か、毒蛙か、はたまた毒きのこか。


 毒を持った生き物や植物の体に現れるような、奇抜で独特な色合いで、お面と同じ朱色がベースになってはいるのだけど、そこに黒と緑の墨を流し込んだ出来た渦が巻いているような模様は、見ように寄っては鳥類の目玉にも見えて、ギョロリと周囲の生き物を威嚇しているようにも映る。


 首からしゃれこうべが連なったネックレスをしていないだけ、まだ、ましなのだけど「趣味は薄暗い地下室に籠って悪魔を召喚することです」なんて、さらりと言われても「見た目通りじゃないか!」と信じてしまいそうだ。


 救世主だとか、神々しい姿とか、勘違いだったのではと疑ってしまう。


 でも、彼女は実際に救世主なのだ。


「話し屋さん、魔法道具屋さん、よく眠れましたか? と言っても、椅子にテーブルじゃあ寝心地が悪いですよね。クッションでもあれば良かったんですけど」


 その悪趣味なファッションセンスに相反して、優し気で明るい声がお面の中から届けられた。一瞬、冗談かな、と思えるくらい美しい声だ。


 この女は、わたしと金魚屋のことを知っている様子だけど、わたしはこんな面妖なやつには見覚えがない。しかし、見覚えが無いのはわたしだけだったようで「その声、お前、メガラテか?」と金魚屋の方は気軽な感じで声を掛けた。


 いつの間にかわたしから遠ざかっていた金魚屋。


 面妖な女、わたし、金魚屋。


 ちょっと金魚屋。


 お前さんはやっぱり男の風上に置けないやつだったよ。


 普通、こういう怪しげな人物が登場したなら、レディの前に立ちはだかって身をていして庇ってくれるのが男の役目ってやつだろう。わたしが死体にしっぽを掴まれて逃げるに逃げられない状態だというのに、お前さんときたら、本当に覚えておいでよ、どういう神経でもってそんなに遠くに逃げているんだ。わたしの中の通信簿に減点としてしっかり記録しておくからね。


 この男と出会ってからいくらか加点の要素があったかというと無かったし、いまがマイナス何点なのか数えてもいないことだから置いておくとして、金魚屋が声の主の名前を呼んだことの方を気にかけなきゃいけない。メガラテという言葉が「不気味なやつ」とか「怪しいやつ」とかいう意味の外国語でなければ、勿論そんなわけはのだろうけど、さっきから話しかけてきている面妖な女の名前を指していると考えるのが自然だろう。


 メガラテという名前には聞き覚えは無かったけれど、その柔らかく美しい声音は、そういえば、ごく最近聞いた覚えがある気がした。


「あら、分からなかったですか? 外出するときはこれを被ってないと眩しくて眩しくて」


 毛皮のフードの中に手を入れると、頭巾を取り外して、買い物袋の横に置いた。


 頭巾の下からは更に特徴的な頭が姿を現す。


 頭の大部分を占める、燃えるように赤い複眼。


 光の加減によっては赤紫色にも輝いて見える。


 まるで小さな宝石が敷き詰めらえているようで、宝石に何の興味を持たないわたしだって、乙女のようにうっとりする表情を浮かべるくらい綺麗だ。宝石と違って、そこに生命の輝きがあるからだろうか?


 皮膚に当る部分は硬そうなからに覆われている。


 殻はさびが浮いたみたいにザラザラしていて、実際に触ってみたとしても、見た目通りの感触なのだろうと思う。殻は茶色だったり緑色だったり、まだら色だ。


 そういう、お世辞にも綺麗とは言えない色味の肌(殻)の中にあって、いや、それだからこそ際立つせいで、うーん、やはり、彼女の複眼は十分に目立っていて魅力的に思えた。


 フードから突き出していた触覚には柔らかそうな白い毛が沢山生えている。ちょうどススキの花のようなので、もっと低い位置にあったのなら、そこに向かって飛び掛かりたい衝動を抑えられたかどうか定かではない。


 下あごは左右に割れていて、クルミでもココナッツでも、魔法道具屋や猫の頭蓋骨すらも、簡単に割ってしまいそうだ。


 蜂か蜻蛉とんぼか、そのどっちもを混ぜ合わせたような頭の持ち主だった。


「そう言えば金魚屋と一緒に虫っぽいひとが座っていたね」


 わたしは思い出した。


 魔物の腹から助け出されたあと、結局、生き残ったのは助けてくれた番犬達の他に、店主のおやじと金魚屋、わたし、それから、このメガラテと呼ばれる虫っぽいおひとの四人だけだった。


 なんでこんな強烈な見た目で、複眼がとても印象深い女の存在をいままで忘れていたのだろうか。


 わたしは金魚屋のテーブルについた途端に魔物に食べられてしまったし、助け出された後も魔物の体液のせいでしばらく目が痛痒くて涙が止まらなくて、おまけに鼻水も止まらなくて、まぶたなんて開いてはいられなかったから、メガラテの容姿をじっくりと観察するタイミングを逸していたせいだろう。それだけ余裕がなかったし、あれこれ起こりすぎたのだ。


 声に聞き覚えがあったのは、わたしが長いこと目を開けることが出来なかったせいで、だんだんと意識が遠のいてきて、気持ちもよろしくなってきて、有り体に言ってうつらつらしている状態の時に、金魚屋とふたり、なにがしか喋っていたのを聞くともなしに聞いていたからだろう。そういえば、世間話をしながら店主のおやじに店の片付けを手伝わされていたな。


 物腰の柔らかい、耳障りの良い声だなというのは、うっすらと覚えていたけれど、注意深く聞けば、わたしの次くらいには良い声の持ち主だ。


   §

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