第四話「続ゾゾっとゾンビ」(3)

 (3)


 やっぱりか、と予想通りの反応にわたしは口を歪めた。


 金魚屋の言いたい事には見当がついている。


「だって、ヨタ。店の奥って行ったら、どこの事だよ? あっちだろう? あそこの、あの奥のところなんだろう?」


 人差し指を突き出してみせた。


 その先で、魔物が口をだらしなく開けて、十個の目玉をぎょろぎょろさせている。


 何度も言うが、魔物はしっかりと生きているのだ。


 あれだけ、わたしと金魚屋とで、ぎゃあぎゃあと騒いでいる間中、ずっと大人しく待っていたのだ。


「分かっているのだったら、早くお行きよ」


 わたしは冷酷に言う。


「いやいや。ヨタ、お前ときたら酷い猫ちゃんだよ」


 金魚屋は素早く否定する。


「まったく酷い。さっきも言った気がするけどね、おっかないだろう? 俺はね、ずっとあいつの視線を感じてるんだぜ。あいつはね、あいつの、あの目。ほらほら、あの目だよ。あれはね、絶対に俺をまた胃袋に納めてやろうって狙ってる目だよ。見てろよ」


 金魚屋は立ち上がると、右にとことこ、左にとことこ、と歩いてみせる。


 すると、その動きを追って、魔物の十個の目玉がバラバラに動き出した。ぴくん、と体の方も動いた様に見える。


「な?」


 金魚屋はわたしのそばに戻って来た。


 しゃーっ、と唸ってやると「ちっ」と舌打ちをした。


 自然と近づいてわたしを抱っこする算段だったに違いない。


 こんな時だっていうのに、本当にどうしようもないやつだ。


「金魚屋。わたしも言っただろう? だあっと走り抜けたら大丈夫だって」


「無理だよ、無理。怖いもん」


「怖いもん、って。店主のおやじも番犬達も、魔物の前を横切って店の奥に引っ込んで行ったんだ。あいつらに出来てお前さんに出来ない訳ないよ」


 魔物は鎖でぐるぐる巻きにされているし、その鎖だって何十本もの釘、それもかなり太いやつで、床に磔にされているんだ。


 魔物は手足を動かしたり、目玉を動かしたりはしているけれど、その巨体自体は身震いするくらいで、それ以上に動こうとしても、鎖がギチギチと音を立ててその身を縛るから、暴れだしたりは出来ないように見える。


 確かに、魔物はずっと金魚屋の方を凝視している様子だ。


 金魚屋にしか、興味が無いようにも見える。


 でも、まあ。


「見られているだけだろう?」


「それが怖いんじゃねえか。あいつの目玉、全部が全部、俺の事をじいっと見つめてるんだぜ? 俺が近付いていったら、絶対にパクリとやる気だ。あれはやる気に満ちた目だよ」


「やる気? それは今のお前さんに必要なもんだよ。いいかい、金魚屋。わたしがここで死体に掴まれたまんまじゃあ、お前さんの記憶探しに付き合ってやれないんだよ?」


「ううっ。それを言われると弱い」


「なら急ぐことだね」


「で、でも。番犬、だっけ? 魔物と戦ってた鎧姿の兵隊達のことだろう? あいつらもいつまでも店の奥に引っ込んだままってわけじゃないさ。一人くらいひょっこり姿を現すかもしれない。そうだよ。そうしたら、そいつを呼びつければ良いんだ」


 妙案みょうあん得たり、といった顔つきだが、駄目だ。


「わたしにそれまで待てっていうのかい?」


 わたしはきっと睨みつける。


「はんっ。レディのしっぽをいつまでも死体なんかに掴ませたままに出来るだなんて、それで何とも思わないだなんて」


「ぬぬっ」


「それに待てが出来るのは犬だけさ。わたしは、猫なんだよ? 猫は待たない。それに猫は移り気なんだ。あと数分でもこのまま放っておかれたら、お前さんのことなんて、道端の石ころとか、枝切れとか、鼻をかんだ後のちり紙くらいにしか思わなくなってしまうかもね。わたしは興味の無い事には関わり合いになろうなんて思わないのだからね。ええ、良いですとも。いつかやって来る番犬が、こいつの指を切り飛ばしてくれたなら、そいつにめいいっぱいお礼をしなくちゃいけないね。わたしのれた鼻をすりつけてやるさ。そして、そいつの家までついていって、丸くなって寝てやるんだ。それで、すっきりと目覚めたならば、きれいさっぱりお前さんの事なんて忘れているんだろうね」


 機関銃のようにまくし立ててやった。


「わわっ、分かったよ!」


 金魚屋が頭をかきむしると、バサバサッと汚らしい粉が舞う。


「ヨタの口はどうなってんだよ。なんでそういう悪態が次から次に飛び出してくるんだ」


 ぶつぶつとうなった後、勢いよく立ち上がる。


「呼んでくるよ! 呼んでくるからあ! だから、そんな酷いこと言うなよな!」


 ぷりぷりした表情のまま、でも決心は固まったようで、壁を背にして、魔物の方を凝視したまま、そろりそろり、大回りでカウンターの方に、魔物の方に近づいていく。


 ふむ。


 やっぱり魔物の十個の目玉は、バラバラの動きだけど、まっすぐに、金魚屋の動きを追いかけているね。


 これは、その。


 追い立てた手前、非常に言いづらいのだけれど。


 魔物は、どう見たって、金魚屋に興味深々だ。


 金魚屋に狙いを澄ませている。


 このまま金魚屋が近づいていったなら、魔物の射程に納まったなら、その瞬間、パクリと頭から食べられてしまう。


 そんな気がしてならない。


 このまま行かせて大丈夫だろうか?


 いや、駄目な気がする。不安になってきた。


 しかし、金魚屋にも頭がついていた。


 金魚屋は、何事か気が付き、わたしの方を振り返ってにやりと笑顔を浮かべた。


 両手を口に添え、店の奥に向かって大声を出す。


「おーい! 誰か来てくれ! ヨタが大変なんだ! 誰かいないのか!」


 成程ね。


 お前さん、確かにそれは良い案だよ。


 それならば、自分からは魔物に近づかずとも奥の連中を呼べるだろうさ。


 多少は知恵があったようだ。


 でも、駄目だ!


 わたし達が、あれほど騒いでいたのに、誰も出てきやしなかっただろう?


 大声を出したくらいじゃあ、無駄なんだ。


「おーい、誰か! 聞こえないのか? おおーい! おおーうい! あれ? 笑い声が聞こえるぞ」


 金魚屋の呼ぶ声に店の奥から大きな笑い声と「こりゃあ最高だ!」とか「もっと酒持って来いよ!」とかいう楽しそうな声が返って来た。


 グラスをぶつけて乾杯する音と、ビール瓶が割れる音も聞こえる。


 そして店主のおやじの「もう勘弁してくれ!」の悲鳴も。


「おいおい。あの楽しそうな声ってなんだ? あいつら、まさか! 酒盛りを初めてんじゃないだろうな!」


「その通りだろうね」


「その通りって。こんな状況で、一杯やってるっていうのか?」


「あいつらはね、腕っぷし以外はまったくもって駄目な奴らなんだよ」


「まあったくもって駄目な奴らだな!」


 番犬達の勤務態度はすこぶる悪い。


 彼らは一仕事終えた後は必ず一服いっぷくするのだ。


 煙草を吸うくらいなら、まあ普通の事さ。一服とは本来そういう意味だからね。


 でも連中の仕事場がここだったのが、酒場だったのが運の尽きさ。


 一度酒盛りを始めちまったら、二度と仕事に戻ってきやしない。


「困ったね。ああ、困った」


 心の中で腕組みをする。


「どうしよう、ヨタ」


 助けを求めてくる金魚屋。


 助けを求めているのはわたしの方なのだけど。


「どうしようもこうしようも、お前さんがしなきゃいけないのはただひとつきりさ」


「やっぱり?」


「そうさ。番犬達が完全に酔っ払わないうちに、お前さんは走って行って呼んでくる他に無いんだよ」


「ええっ! で、でも、ヨタ!」


 金魚屋は一心不乱に魔物を指さし、抗議する。


「分かってる。分かってるって。確かにあれは危なそうだね。お前さんは魔物にロックオンされているようだ」


「そ、そうなんだよ! 俺はね、ロックオン状態さ。だから店の奥なんかに向かったら最後、それが生前最後の俺の姿でしたってやつになっちまうんだよ」


 金魚屋は訳の分からないこと言いながら、明らかにほっとした態度だ。腹が立つね。


 わたしが解放されるには、番犬達に頼るしかない。


 でも番犬達はふざけた宴会を始めちまってる。


 だから、直接金魚屋に迎えに行かせて、引っ張ってでも連れてこさせなければいけないのだけど、金魚屋を向かわせれば、高確率で、ほとんど確実に、魔物に食べられてしまう、そんな悪い予感しかしない。


 この予感は、当たるやつだ。


 こういう嫌な気分が乗った予感ってやつは、大抵が当たってしまうもんなのさ。


 そうなったら、金魚屋が食べられてしまったなら、その時ばかりはおかしくて笑っちゃうと思うけど、そんな結末、つまらない話にしかならない。


 金魚屋の記憶と、金魚屋が飼っている不思議な金魚の正体を明かしてやろうっていう、わたしの探求心、と言えば聞こえはいいけれど単純な話、せっかく出したやる気と、むくむくと育ち始めた好奇心が萎えちまうのは勿体ない。


 なんてこった。


 これは八方ふさがりだ。


 わたしと金魚屋と、困り果てた顔をお互いに向い合せたところで、ふいに声をかけられる。


「お二人とも、起きたんですね。おはようございます」


 救世主というものは突然現れるものであるな!


   ◆

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