第四話「続ゾゾっとゾンビ」(2)
(2)
わたしが示した方向を向いた金魚屋は、
お日様はまだ低空飛行の最中だ。
七時ごろと言ったのは当たらずしも遠からずってところだろうよ。
当たっていようがいまいが、時間が正確に何時であるのかは、とくに重要じゃあないのさ。
重要なのは時刻じゃない。
「金魚屋。こいつは、まだ死体だよ」
「はあ?」
「ゾンビじゃない」
「だから、さっきから何度も言ってるだろう」
「ああ、お前さんの言う通りだったのさ。まだ、ゾンビにはなっちゃいなかったんだよ。まだね。なんてったって、まだ、朝っぱらなのだからね」
「どういうこと?」
「あれ? お前さん、知らないのかい?」
「何がだよ」
「ゾンビだよ」
「どういうことだよ! もおお! なんだか、嫌だぜ! ヨタ! もったいぶってないで教えろよ!」
怒った金魚屋の口を、前足で押さえてやった。
「なんだよ、ふふふ」
なんでそんなに嬉しそうな顔をするんだ。
足を口に含まれそうだったから、さっと引っ込めた。
「お前さんね。この町にやってくるのなら、いくつか知っておかなくちゃいけない常識ってもんがあるのさ」
「はあ、そうかいそうかい」
「生返事しやがって。お優しいわたしはね、お前さんが不届きにもわたしの顔の上で汚らしい鼻水を拭いた事には目をつぶって、大切な話を教えてやろうってのに」
「鼻水は拭いてないよ。純粋にふかふか夢見心地を楽しんだだけさ」
そう言った金魚屋の顔は幾分か綺麗になっていた。
赤パンダだったのが、薄汚いまだら模様に変わっていた。
すなわち、金魚屋の顔がまだら模様になった分、わたしの顔面に汚れが移ったということになる。
後で覚えていろよ。
「良い抱き心地だね。今のうちに堪能しておかなくちゃ」
「今だけさ。もう二度と、わたしの体には、指一本だって触れさせてやらないからね」
わたしは前足で、再度近付いてきた金魚屋の顔を押し返した。
「いいかい、金魚屋。この町では死んだやつはみんなゾンビになるんだ」
「なんじゃそりゃ」
「そういう事になってんだよ」
「どういう事になってんだよ」
「いいから、お聞きよ。死んだやつは、みんな、ゾンビになるのさ。わたしも、お前さんも、このトカゲのひとも、この町で死んだらゾンビになる」
「分からん、けど、分かったよ。それで?」
「はあ。まあ、いい。とにかく、それは夜になった時に起こるのさ。お日様が沈んだと同時に、死体はゾンビに生まれ変わるんだ。死に変わるっていうのかね? だから、朝から夕方までの間なら、死体は死体のままなのさ。今は朝だし、ゾンビに噛まれたわけでも無いのだから、魔物にやられて死んじまっただけのこいつは、このまんま、死体のまんまなのさ」
金魚屋は「うーん」と唸ってから「夜になるまでは死体のままって事か?」と正解を述べた。
「その通りさ。物分かりが良くて助かるよ」
「夜になったら、ゾンビに変わるのか。なんでだよ?」
「この町ではそういうことになっているんだよ」
「そういうことに、なっている、だって? どういうことになってんだよ」
「どうもこうもないんだよ。理屈じゃないんだ。この町で死んだやつは夜になったらみんなゾンビになる。お日様は東から昇って、西に沈んで、夜になる。朝飯を食べたら、昼飯も食べて、夕飯も食べる。それが道理ってもんさ」
「はあ。じゃあ、まあ、そういうこと、なんだな?」
「そういうこと、なんだよ。とりあえず、そういうことで分かったふりをしておくれ」
「ふむ。でも、じゃあよ。夜に死んだやつはどうなるんだ?」
「夜に死んだやつはその場でゾンビになる」
「うん? そうしたらここの死体はみんなゾンビになってなくっちゃおかしい事にならねえか?」
「そうさね」
わたしは死体袋を見渡す。
どれひとつ、動き出してはいない。
わたしがうっかり腰を掛けちまった、一袋以外には。
「きっと死んだのが朝に近かったのさ。日の出前、か、そこら辺だったのさ。その辺の線引きは実にいい加減なんだ」
金魚屋の問いは鋭いと思う。
夜は明けるが、いったいいつ、夜は明けた事になるのか?
日が昇ってから?
それは確かだ。
なら、わたしが魔物の腹から出て、床に転がった死体を見た時は、どうだった?
確かに夜だった。
でも、夜明け前だったのかもしれない。
午前二時くらいに死んだやつは、経験上、ゾンビになる。
じゃあ、三時は?
これも、ゾンビになる。
四時、五時は?
この辺が、あいまいなところさ。
お日様が昇っていなければゾンビになるやつもいるし、まだ暗いっていうのにゾンビにならないやつもいる。
「金魚屋。そんな、すかぽんたんな顔をしたって、いい加減なものはいい加減なのさ。お前さんの
「はあ。訳が分かんないけど、ヨタが言うならそうなんだろうよ、あっ!」
わたしは、金魚屋の腕からすっかりと力が抜けたのを見計らって、するりと抜け出すと、死体の腕に掴まった。
ひんやりとして、汗や何かが実際に分泌されている訳では無さそうな、ぬるりとしたトカゲっぽいひと達特有の触感だった。
「ふう。やっと抜け出せた。金魚屋、もうお前さんの好きにはさせないからね」
腕を伸ばしてきた金魚屋に、ふーっと牙を剥く。
「くっそー。油断した」
「それ以上近付くんじゃないよ。今のわたしは、ただでさえ死体にしっぽを掴まれて機嫌が悪いんだからね。お前さんにこれ以上抱っこなんてされたら、お前さんの記憶探し、だったかい? あれ? なんだったかなあ。なにかを手伝ってやるって約束しちまったような気はするけれど、えっと、あれ? お前さんは誰だっけ? ううん、忘れてしまいそうだよ」
「ぐぬぬ」
ぴしゃりと言って金魚屋を黙らせた。
ゾンビじゃなければ怖くなんてないのさ。
ただの死体の腕なんて、木の枝と変わりゃしない。
こいつの場合、さしずめ、
「器用だな」
金魚屋がわざとらしく拍手をする。
拍手をする、とみせかけてわたしを捕まえる作戦かもしれないけど、わたしが言い放った言葉を、今度ばかりはちゃあんと理解してくれたようで、それを実行に移す気配は無かった。
「拍手してもらう程でもないさ。しかし、この腕ときたら」
わたしは自力でなんとかしようと試みる。
わたしのしっぽを掴んでいる指に、めいいっぱい爪を立て、力の限りふんばってみて、それからガリガリと引っ掻いてやったけれど、鱗が数枚はがれただけだった。
「駄目だね」
わたしは早々に切り上げる。
死体の鱗を剥いだって、なんの得にもなりやしない。
これは、金魚屋が言う通り本当に死後硬直かもしれない。
死んで、固まっちまった体ってやつは、不思議なことに、生前からは信じられないくらいにかちんこちんになってしまうのだ。
もしもそうなら、わたしのしっぽを開放するのは中々に骨が折れそうに思えた。
認めたくはないけれど、金魚屋も、一応は、最初だけだったけれど、あれは演技では無くて、本当にわたしを助け出そうと必死で努力してくれたようだ。
しかし、金魚屋みたいな非力な人間がいくら頑張ったとしても、こいつの指をこじ開けるのは不可能だろうな。
もっと筋肉がついた男手が必要だ。
「よし、こうしよう。金魚屋、ちょっとばかり店の奥に行って店主のおやじと番犬達を連れてきておくれよ」
冷静になったわたしの頭は、最善の策を提案してくれる。
この店の店主は、死体袋に納まっちゃいないはずだ。
店主のおやじは金魚屋よりも非力だけど知恵は回る方だし、三人寄らば何とやら、名案が浮かぶかもしれない。
それよりも何よりも、番犬達には大いに期待できる。
やつらの腕っぷしは確かだ。
なんて言ったってあの大きな魔物を
その腕っぷしがあれば、確実に死体の指をこじ開けてくれるだろう。
「ええっ! 俺が? 無理無理!」
金魚屋はぶるぶると頭を振った。
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