第四話

第四話「続ゾゾっとゾンビ」(1)

 第四話


 (1)


 それから数度、ゾンビだ、ゾンビじゃない、と不毛なやりとりを続けてしまった。


 一口にゾンビって言ったって、色んなやつがいる。


 それこそ腐りかけのやつから、フレッシュなやつまでね。


 この町のいびつなルールでもってゾンビになってしまう死体は、日中に死んだきの良いのがほとんどだ。


 だから、外傷さえなければ、多少顔色が悪いのを除いたって、そこら辺を歩いているまともに生きている連中と見た目はほとんど変わらない。


 うーうー唸っていたって「顔色悪いけど、あいつは酔っ払いだろうね」と見間違えるほどさ。


 わたしを除いてね。


 素人には酔っ払いとゾンビの区別をつけるのは難しいかもしれない。


 でも、このわたしときたら違うのさ。


 よくよく見れば、目がにごってたり、鼻水の色がおかしかったり、関節がありえない曲がり方をしていたり、歩き方がゾンビ歩きだったりするのだ。


 サインを見逃してはいけない。


 どんな些細なゾンビサインすらもね。


 でも、これは難しい話さ。


 ふいに街角で出会った酔っ払いを見ても「違う! こいつはゾンビだ! 逃げろ!」と出来るのは、ゾンビナイトを経験し、ゾンビセンサーを備えた、ゾンビが大の大の大嫌いでならない、このわたしならではの能力と言えるだろう。


 そうなのだ。ゾンビスペシャリストなわたしが言うのだから間違いないのだ。


 それだというのに!


 金魚屋ときたら、なぜ譲らないんだ。


 ゾンビの事なんて、なにひとつ知らないくせに。生意気なやつだ。こいつはわたしの気を引きたくて、単純に意地悪をしているだけなのさ。そうに決まっている。


「ヨタ。俺が思うに、これは死体の腕で、死後硬直ってやつだよ」


「なにを分かったような事を!」


「だってそうだろう? お前のしっぽを掴んだっきり、これっぽっちも動かないじゃねえか」


「はんっ! 分かるもんか! ゾンビってのは、ゆっくりゆっくり動き始めるものなのさ! 血の巡りが悪いんだからね! でも、ひとたび動き出したら、そこからはあっという間だよ! ぶわわっと暴れ始めるんだ! そうなっちゃおしまいだよ!」


「まあ、待て待て。興奮するなって」


「これが興奮せずにいられるかい!」


「ヨタ。お前の意識が行ったり来たりしている間、ずっとこの状態なんだぜ?」


 この状態。


 わたしのしっぽを鷲掴みにされた状態!


「これ以上動きもしないんだし、襲ってもこないんだったら、正真正銘、こいつはゾンビじゃないかもしれないだろう? な、だから冷静になってくれよ。いっぺん、冷静になれよ、ヨタ。それに、お前は猫なんだろう? それとも水揚げされた魚なのか? ぴちぴちと跳ね回るせいで、見てみろよ。俺の柔肌はもう血まみれで大変な事になってるぜ」


 わたしを抱っこする金魚屋の胸にはひっかき傷がいくつも出来ていた。


 そっから、血がだらだらと流れている。


 わたしが逃げ出そうと必死にもがいたせいで出来上がった傷であることは明白で、たいした怪我に見えた。


 これは、ううむ、さすがに悪い気がするね。


 金魚屋の体から流れる血を見て、逆に、私の頭に上った血は下がっていった。


「よし、よし。良い感じだぜ。そら、深呼吸しよう。深呼吸はいいぜ、最高だ。はい、すー、はー」


 そうだ、一旦、落ち着こう。


 わたしとしたことが、ゾンビ対処法の心得、その一の事を忘れていた。


 慌てず騒がず逃げ出せ、だ。


 しっぽを鷲掴みにされているから、一番肝心な、逃げ出せってところが出来ないのだけれど、慌てず騒がず、まずは頭をクリアにしなければいけない。


 パニックになったらゾンビの思うつぼさ。


 あいつらの常套じょうとう手段だからね。

 突然に「わっ!」と驚かせてきて、びっくりした相手が足を止めた隙をついて、がぶっとかじり付いてくるのさ。


「分かったよ。ふー、すー、はー」


 濁った頭の空気を入れ替えようと、金魚屋に促されるままに深呼吸をする。


 すー。


 はー。


 すうー。


 はあー、はああっ!


「無理無理! 冷静になんてなれっこないよ!」


 わたしは再度金魚屋の体をよじ登ろうともがく。


「金魚屋! わたしには無理だよ! もう、本当に、気がどうにかなっちまいそうだ! とにかくこいつの指をこじ開けとくれよ!」


 だって、わたしのしっぽときたら!


 わたしのしっぽは、ゾンビにがっちりと掴まれているんだよお!


 すぐ目の前にゾンビがいるんだよお!


 こうなったら、しっぽを捨てるしかない!


 わたしがトカゲだったなら、また生えてくるけれど、あいにくと猫なのさ!


「さようなら! わたしのしっぽ!」


 わたしは、わたしの愛するしっぽに今生こんじょうの別れを告げた。


 しっぽの付け根に走る激痛を、無理矢理に無視をして、四本足に搭載された全ての爪をむき出しにして、そのすべてを金魚屋の体に食い込ませると、力の限りよじ登った。


「ぎゃああ! いくらなんでも! ヨタ! それは痛すぎるってば!」


 金魚屋はその細い目を何十倍にも見開いて、口だってあごが外れるくらい広げて、大きな大きな悲鳴を上げた。


 すまない!


 多少はすまなく思ってる!


 でも、わたしはしっぽを捨てたんだ!


 お前さんの薄っぺらい胸板をズタボロにするくらい許しておくれ!


 だが、しかし。


 わたしのしっぽはちょん切れはしなかった。


 金魚屋が、わたしの体を羽交はがい絞めにしたからだ。


「落ち着けって! 大丈夫だから!」


 金魚屋の腕は、タコかイカか、はたまた蛇か、わたしの体に絡みついたが最後、足の一本すら動かす事が出来なかった。


 どうなっているのか見えないけれど、金魚屋はとても器用に腕をからませていて、わたしの四本の足を全部掴んでいるようだった。この男の関節ときたらどれだけ柔らかいんだ。


「よし! よしよし! やったぜ! がっちりとつかんでやったぜ!」


「苦しい! 離してよ、金魚屋!」


「嫌なこった、だぜ! ヨタ。お前ね、いくらなんでもやりすぎだ。ふう、ふう。痛い。ああ、痛い。胸がめちゃくちゃずきずき痛むぜ」


 見上げれば、金魚屋の両の目から滝の様に涙が流れ落ちていたし、あまりに痛かったのか、鼻水やよだれも出ている。汚らしい。


「でも、ふふふ。ヨタ、これなら暴れられないだろう? ヨタあ」


 金魚屋の汚らしい顔が近付いてくる。


 なんだって?


 どんどん、どんどんとわたしの顔に近づいてくる!


「わああ! 何するつもりさ!」


「ふかふか、とはいかないけど、ヨタの毛並みはなかなかのもんだなあ」


「やめろ!」


 ついに金魚屋の顔がわたしの額に接触した。


 金魚屋の汚らしい顔面が、わたしの狭いおでこの上で、ぐりぐりと動かされている。それは涙をぬぐうような、鼻水をぬぐうような、そんな動作に思えた。


 鼻をずるずるとすする音がすぐ間近で聞こえた。


「はっ! 鼻水拭いたの! 汚い!」


「違うって。さすがに鼻水なんか拭かないよ」


「嘘だ! なんか、冷たいぞ!」


「はああ。顔を埋めるなら、やっぱり猫だなあ」


「やめろ! 破廉恥はれんちなやつめ!」


 必死の抵抗を試みるも一切合切無駄だった。


 どうあがいたって、金魚屋の腕からは逃れられない。


 ぎゃあぎゃあとやっていたけれど「ほら。ヨタ。そろそろ落ち着いてきたんじゃねえか?」金魚屋に優しくさとされた。


 はっ。


「なんとなくだけどよ、昔、こうやって誰かを抱きしめていたような気が、しないこともないぜ」


 訳の分からない事を言う金魚屋の声は小さく、金魚屋の胸の内から響いてくる心臓の音にかき消された。


 わたしの体を駆けまわっていたものも、すうっと消えてなくなった。


 金魚屋の腕の力が緩み、多少、身動きがとれるようになった。


 でも、わたしはもう、この男の腕から逃げ出そうとは思わなかった。


 落ち着いて、しまった。


「落ち着いてしまったよ、金魚屋」


 素直に口にした。


「良かったぜ、ヨタ」


「暴れて、悪かったよ」


「分かればいいさ。傷をなめてくれてもいいんだぜ」


「馬鹿」


 そして、冷静になったおかげで、気が付いた。


「おい、金魚屋。いま何時なんどきだい?」


 見上げた先で、幸せそうな顔をした金魚屋がなんでそんなこと聞くんだろうという顔をしている。


「なんでそんなこと聞くんだよ?」


「分かり切ったことを口に出すなんて、馬鹿のすることさ」


「はあ? 何言ってんだよ」


「分かってるよ。わたしは馬鹿さ。お前さんが時計なんて持っちゃいない貧乏人だって事は、分かって聞いているのさ」


 金魚屋の顔がちんぷんかんぷんに歪んだ。


 そう。


 分かっているのさ。


 わたしが、わたしの頭の整理のために、わざと訳の分からない事を言ってみただけさ。


 特にね、金魚屋。


 いまのお前さんを、わたしは、すぐにでも困らせてやらないといけない気がしたのさ。


「なっ。なんだよ、その顔」


「別に。普通に美人な猫の顔さ」


「なんか、気になるなあ」


「とにかく、時間が肝心なんだよ」


「時間? そうだ、俺は時計くらい持ってるんだぜ。馬鹿にするなよ。カバンの中だけどよ」


「良いんだよ、時計なんて」


「はあ? おい、ヨタ。さっぱり訳が分からないぜ」


「ふふ。わたしはね、確かめたかっただけなのさ」


「何をだよ?」


「だから時間さ。今は、そうさね、まだお日様が顔を出して間もないけれど、ほら、向こうの山からはすっかり顔を出しているんだから、六時、いいや、七時は回ったところだろうよ」


 わたしは壁に開いた穴から外を見て、と言っても金魚屋の胸の中からではほとんど何も見えやしないのだけど、まあ、適当なことを言いたかっただけなのだ。


   §

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