第二話「乗れない自転車」(3)

 (3)


「つまり、お前さんが言いたいのは頭じゃなくて体が覚えていたって言いたいのかい?」


「そうそう。その通りだよ、ヨタ。俺はね、記憶が無くたって、いくつかの国の言葉を理解出来たし、喋ることだって出来た。それで、自転車の例えってのは俺の知り合いに言われた言葉なんだけどさ、そいつは俺の友達、いや、魔法道具屋のお得意様だったんだ。俺は自転車に乗るようにして、魔法道具なんて物は昔からの付き合ってる物で、体が覚え込むくらいに慣れ親しんだ物ですよって、お茶の子さいさいで使いこなして扱って、商売をすることが出来たんだ。あいつも呆れていたっけな。でも、生計を立てれるってのは良いよ。路頭ろとうに迷わずに、飯が食えて、といっても、最初は迷って迷って野良犬みたいな生活だったけどな。死ぬんじゃないかと思ったよ。でも、なんとか、かんとか生きて、暮らして、やってこれた」


 そこで金魚屋は「ふう。疲れてきちゃったよ。自分語りってのは体力使うね」と、調子を戻して言った。


 あいつ、そいつ、友達。


 それらの単語を吐き出す顔が、とても冴えなかった事は見て見ぬふりをすることにした。なんとなく、触れて欲しくなさそうな相手のような気がした。


「俺はこのカバンと、カバンの中身と、それから金魚を頼りに何年も自分探しを続けて来た。俺が元々持っていた魔法道具は飯のために早いうちに皆売っちまったから、そいつから俺の素性を割り出すなんてやり方は、そもそも最初に、記憶が始まった時には思いつかなかった事だし、その手があったと気が付いた時には出来なくなっていた。失敗したぜ。大失敗だ。じゃあ、この金魚を見えるやつを探そう。空飛ぶ金魚だぜ? それに透け透けで、光ってる。これだけ特徴があるんだったら、この不思議な金魚が見えるやつなら、絶対に俺の事を知ってるだろうと思ってね。あっちこっちを旅したよ。本当に色んな国を旅して周った。旅は苦労もあったけど、面白い事も多かったな。くくく。この話は、今度酒でも飲みながらヨタに教えてあげるよ。俺の旅話は面白いぜ。自分で言うのもなんだけどな」


「そりゃいいね。旅の話を聞くのは好きさ」


「そうかい。じゃあ、絶対だぞ。約束だ」


 金魚屋はひひひと笑った。魔物の中でわたしに笑いかけた時の笑顔だった。


「随分と旅はしてきたけど、結局、金魚を見えるやつはひとりとしていなかったよ。ヨタ。話し屋ヨタ。だからね、俺は、金魚が見えたお前なら、何か心当たりがあるんじゃないかって思ったんだ」


 金魚屋の顔から笑顔が消えた。


「ヨタ。俺はお前とこの街で初めて出会った訳だけど、お前の方は俺を、いつかどこかで見かけたなんてことはなかったか?」


 情けない顔だった。


 元々が冴えない顔なのに、そんな顔するもんじゃないよ。


 たいして良い男でもないお前さんなんだ。


 へらへら笑っていたって心証しんしょうは悪いのに、そんな情けない顔なんかされたら、目も当てられないじゃないか。


 特にわたしはね、嫌いなんだよ、そういう顔が。


「やれやれ」


 わたしは、わたしにため息をついた。


 改めて、自分の性を認識してしまう。


「無いね、金魚屋。わたしとお前さんとは初対面同士だよ。こんな小さな頭だけれど、記憶力は良いんだ。そんな不思議な金魚を飼っているようなやつを見かけたなら、それだけで話のひとつ、ふたつ、こしらえて、あっちこっちで言いふらしているだろうよ」


 それが話し屋ヨタっていうやつさ。


 それに、ただ黙って見ているはずがない。


 わたしだったら走って行って話を聞くだろうよ。


 なあなあ、お前さんときたら面白いもの連れてるじゃないか。その金魚はいったい何者なんだい? ってね。


「ははっ。確かに」


 金魚屋は冴えない顔のまま笑ったけれど、幾分も冴えない加減が良くなったように思えた。


「ヨタだったらそうしそうだ」


「そうさ。それにわたしは耳も良いんでね。お前さんみたいな男の話、遠くからでも聞こえてきたならちゃあんと覚えておいて、話に仕立てて、やっぱりどこかで喋っちまうだろうよ」


「あちゃあ。いちるの望みってやつだったのに」


「他を当たることだよ」


「そんなあ」


「だから! いきなり立つんじゃないよ。びっくりするだろう」


「なあ、ヨタあ。金魚が見えるのはお前だけだったんだぜ? 何年も探したけどね。あっちこっち行ったんだ。でも、誰ひとりとして、この金魚が見えたやつはいなかったよ! 俺の記憶は、ヨタ、お前頼みなんだ! 力になってくれよお!」


 酷い顔だよ!


 そういう表情をね、はあ、まったく!


 わたしの前でするんじゃないよ!


 ほんとうに! もう。もうっ!


「分かってるよ。他を当たるってのはそういう意味じゃないさ。なにもお前さんを捨て置こうって言ってるわけじゃない」


「ええっ!」


 金魚屋の顔がぱあっと明るくなった。その拍子に毒キノコの胞子がふわっと舞う。ぷふっと吹き出しそうになるのを堪えた。


 ああ、嫌だ。


 わたしは話し屋。


 話をしてやって、お客さんを喜ばすのが商売さ。


 だからいつだって、話のタネを探して歩いている。


 そんなわたしの目の前に、こんな不思議な金魚が現れたとなっちゃあ、みすみす逃がす手はないのさ。


 金魚屋はわたしの言葉を待っている。


 手助けしてやるよ、という言葉をだ。


 わたしだって同じ言葉を用意している。


 だけど、それをすんなりと男の前に投げ出してやるのは、正直しゃくに触る。


 この男を助ける、だって?


 お断りだね。


 なんだって、こんな、いい加減で、馴れ馴れしくて、馬鹿で間抜けで、すっとんきょうな、冴えない男を喜ばすような真似をしなきゃいけないんだ。


 この、わたしが!


 そんなもの、わたしも嫌だし、わたしの中のわたしだって、さらに深いところにいるわたしだって反対するだろうさ!


 それにね、これはわたしの勘さ。


 猫の勘、女の勘ってやつさ。


 わたしはこの、馴れ馴れしく、ひとの話を聞かず、嫌がれば嫌がるほど調子に乗る、いたずら小僧をそのまま大人にしたような金魚屋という男に関わったら最後、さようならをするまで苦労する羽目になるだろうってね。


 だけど、わたしは話し屋なのだ。


 嫌な未来が見えていようとも、面白くなりそうな方を選ぶのが本分ってものなのさ。


 よし、決めた。


 決心がついた。


 嫌だけど。


 苦労話も後で思い返せば、ひと様にとっては面白話になるものさ。


 この金魚屋という男と半透明な金魚が何者なのか、話し屋ヨタのヨタ話に仕上げてやろうじゃないか。


 わたしは羽織のえりを正した。


 魔物の体液でぐしょぐしょだからパリッとはしなかったけど、気分の問題さ。


「猫の前に金魚なんてぶら下げられたら、飛びつくのが本性ってもんだろうさ。いいよ、金魚屋。わたしはお前さんにもお前さんの金魚にも興味深々なんだ。そのどっちもが何者なのか一緒に探そうじゃないか」


 わたしは笑って見せたけど、金魚屋に猫の笑顔が判別ついただろうか?


 だけど、金魚屋は青ざめた顔をして悲鳴を上げた。


「ヨ、ヨタ! し、死体が動いてる!」


 しっぽを何者かに掴まれた。


  ◆

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