第一話「金魚屋」(3)

 (3)


 そういえば、とわたしは思い出す。


 番犬達の手際が悪いからこんなことになっているのだ。


 何だって魔物をあんなところに繋ぎ止めてしまったのだ。


 無駄に大きな魔物がカウンターの前、それはつまり店の唯一の出入口の真ん前にあたるのだけど、そんなところに生かしたまんまで居座らせているせいで、わたし達は酒場から出る事が出来ず、やむなく一晩明かすはめになったのだ。


 せめて息の根を止めて欲しかった。


 魔物を殺す方法を、彼らだって、あの手この手と試したのだ。


 まず、手っ取り早く心臓を貫いてしまおうと考えた。


 でも、肝心の心臓が見付からなかった。


 引きずり出した内臓をかき分けながら腹の中へと潜って行って、あっちこっち探したみたいだったけれど、結局心臓はどこにも見当たらず、番犬がひとり魔物の胃液や体液まみれになっただけだった。


「こりゃあ、頭の中に心臓があるタイプかもな」


 そう言って、頭をかち割ろうと試みたが、ハンマーはぼいんと弾かれただけだった。魔物の頭はゴムみたいに弾力があって、何度やってもぼいんぼいんと下手くそな太鼓のような音を響かせるだけだった。


 最後の手段で爆弾で吹き飛ばそうとしたけれど、それはわたし達が必死で止めた。この店ごとみじんになってしまう。


 魔物を殺せないのなら、せめて通行の邪魔にならない店のど真ん中にでも繋ぎ止めて欲しかった。


 いや、もっと気を利かせるならば、だ。


 魔物が入って来た壁の穴から外側に向かって、えいやっ、と突き落としてくれたなら一件落着だったのだ。


 そうしたら、今頃わたしは自分の家のふかふかの座布団の上で、二度寝か三度寝を決め込んでいたことだろう。


 魔物なんて突き落としたら、下の方に建ってる家やら店やらに大変な迷惑がかかることになるのだけど、なに、どうせ謝りに行くのは番犬達なのだから構う事はない。


 そういえば番犬達はどこに行ったんだ?


 彼らだって店の外に出られやしないのに。


 きょろきょろやって、あれ?


 ふいに気が付く。


「ちょっとお前さん! 金魚が増えていないかい?」


 男は、壁際に、もうそれ以上進めないところまで移動していた。


 わたしは椅子から床に降り立ち、すとすとっ、と男の方に歩いていく。


 ほんの数十回足を動かすと、再びテーブルの上に飛び乗った。


 狭い店なのだ。


 男はテーブル二つ分離れた席に移動しただけだった。


 相変わらず、魔物の十個の視線は男に向けられたままだ。動く毒きのことは珍しいな、とか思って観察しているのだろうか。


 さっきは気が付かなかったけど「ちきしょう。魔物の野郎、ずっと俺の事睨んできやがる」と言った男の顔の前に一匹、頭の後ろに一匹、金魚は二匹に増えていた。


 金魚は胃袋の中で見た時よりもさらに透明に近付いていた。


 まるで絵具の上から水を垂らしたように、輪郭もぼやけて色だってはっきりしない。存在自体が希薄になっているようにも感じられる。


 日陰であれば、ぼんやりとだけどかろうじて見える。


 日向に入ってしまえば、朝日の光に溶け込んでしまって、いくら目を凝らしたって見えやしない。


 男が、ちょうど日陰と日向の両方あるところに席を移動したから、見えたり、見えなかったりしている。


 でも、二匹だ。


 日陰の中に、確かに二匹の金魚が泳いで見える。


「ほら、やっぱりだ。お前さんの金魚、増えてるじゃないか」


「うん? ああ。びっくりしたから増えたのかもしれん」


「なんだい、そりゃあ」


「こいつら増えたり減ったりするんだよ。よいしょっと」


 そう言って男は、完全に日陰に隠れるように体勢を変えた。男がわたしの前で手を開く。


 すると、手のひらに金魚が集まって来た。


 なんとまあ、今度は三匹になっているよ。


「ふふん。面白いだろう?」


 男は自慢げだ。


 金魚達は、男の頬だったり、肩だったり、腹だったりと、体中あちこちから出たり入ったりをくり返していた。


 金魚屋がもっと日陰の深いところに移動する。


 数えるのが面倒だからはっきりとしたことは言えないけれど、どれも体の紅白部分の柄が微妙に違うように見えたから、五、六匹という数ではなくて、もっとたくさん、十匹以上いると思う。


「売る程増えているじゃないか。お前さん、金魚屋か何かなのかい?」


 十数匹、光る金魚がまとわりついているせいで、男の体がぼんやりしている。


 いや、違うちがう。


 正確には、ぼんやりと光っているように見える、と言いたかったのだった。顔の見た目がぼんやりとした男ではあるのだけども。


 その姿は、もはや、発光する胞子を撒き散らす毒きのこだった。


「いや、魔法道具屋だよ」


 男は金魚を払いのけながら言った。


「あ、待って。金魚屋、か」


 うーん、と小首をひねり「金魚屋、ねえ。ふむふむ。これはなかなか。言いえて妙だよな。うん、良いな、金魚屋」と何がしか自分の中で納得している。


「やあやあ、俺は金魚屋さ。お見知りおきを」


 男はわざとらしいウインクをよこして来た。


やぶから棒に、何言ってんだい」


「自己紹介だよ。まだ名乗っていなかったろう?」


「はあ?」


「話し屋のヨタと、俺、の方は金魚屋さ。猫と金魚。ベストマッチング。良い組み合わせじゃないか」


 男は晴れやかな顔で笑っている。


「でも俺が金魚だったら猫ちゃんに食べられちゃいそうだな。でも、猫ちゃんにだったら食べられても良いか。それに、そんな小さい口で噛み付かれたって痛くもなさそうだし。そういえば、よ。お前も甘噛みなんてのはしたりするのか? 猫ってやつは、撫でてやってんのに急に噛み付いてきたりするだろう? ありゃあどういう了見なんだ?」


「ちょ、ちょっとお待ちよ」


 この男ときたら、話し屋を差し置いて、べらべら、ぺらぺらと、放っておいたらいつまでも舌を回して好き勝手に喋り続けそうだ。


「お前さんね、自己紹介ってものをやったことがないのかい?」


「どういうこと?」


「いいかい。自己紹介ってえのは、わたしの名前はだれべえで、生業はあれこれをやっています。こういうやつを自己紹介っていうのさ」


「お前の名前はヨタで。話し屋をやっているんだろう?」


「そうさ。いや、わたしのことはどうだって良いんだよ。とにかく、誰もお前さんのことを金魚売りだなんて思っちゃいないよ。名前も名乗らず取ってつけたようなことを言うんじゃないよ」


 わたしは、ぺしゃり、と肉球でテーブルを叩いた。


「そこなんだよお。猫ちゃあん」


「しなだれかかってくるんじゃないよ!」


「なあ、この金魚達、何だと思う? 幽霊かな? 精霊かなあ?」


「知らないよ。お前さんの金魚だろう。わっ! 馬鹿! 抱き付くな!」


 わたしの体は男の腕の中にあった。なんて素早い動きなんだ!


「むむ。くさいね。それにふかふかじゃあない」


「なら顔を押し当てたりするんじゃないよ!」


「実際、俺にもこいつらが何者なのか分からないんだよなあ」


「だから! 顔を押し当てたまま喋るんじゃないよ! くすぐったいし、息が暑苦しい!」


「それに、困ったことに俺は、この俺自身のことを、名前はおろか、何ひとつ覚えちゃいないんだ」


 男は、たいして困っていない様子で、わたしの腹に顔を埋め続けた。


 なんだって?


   ◆

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