第一話「金魚屋」(2)
(2)
魔物はとにかく大きかった。
ただでさえ狭い店を、よりいっそう手狭にしている。
一番に目につくのが、魚みたいな顔面だ。
顔面の巨大さが際立っている。
どういう体の構造をしているのか、体の半分以上は顔面で出来ている。
額が天井につきそうなほどのサイズだ。
これだけ顔が広かったなら、さぞ知り合いも多いことだろう。ただ、その知り合いってやつも、みんな同じような顔をしていそうだけど。
似ている魚をあげるとしたらアンコウだろうか。
ぐにゃっとしていて、表面がぬるぬるしていて、だらしない顔つきで、深海魚っぽい見た目が似ていると思う。
でも、アンコウに似ているからと言って鍋にしたら美味いかも、などと一瞬でも思ってはいけないよ。
だって、手足がついているんだから。
魚に手足がついている時点で相当に不気味なのだけど、水の中と陸と両方で生活している魚の魔物は何種類もいる。
わたしが話に聞いたやつは、魚の体に脚が四本生えていて、水辺に上がって来ては、口から水鉄砲を飛ばして得物を仕留めるそうだ。鹿とか猪とかを捕らえて水の中に引きずり込んで食べる。沼とか湖とかに群れで住んでいるそうだ。
わたしには沼や湖に出掛けて行く用事は無いのだから縁は無いな、と思って聞いていたけれど、まさか街中で同じような、でも、何倍も見た目が気持ち悪いやつに出くわすとは思ってもいなかった。
余談だけれど、沼や湖にいる魔物の中に、手足がついている以外には、見た目が鮎やらヤマメみたいな川魚に似ているやつがいるそうだ。
なかなか美味しそうな種類の魚じゃないか。似ているだけだけど。
でも、それならば、調理して食べてみようなんて思った変わり者が居たらしいけれど、そう、いつだったかな。わたしはそいつから話を聞いたのだけどね、結局、煮ても焼いても泥くさくて食えたものじゃなかったらしい。
それでも、執念なのか意地なのか、唯一まともに食べることが出来る調理法を見付けたと言って喜んで教えてくれたっけ。
確か、塩漬けにして何年も置いた後に、塩を抜いて蜂蜜に漬け直して食べたとか。そんなに手間暇がかかるんだったら、魚を釣って食べればいいのにと思ったよ。
ちなみに、食べられるやつは凶暴な動物。
食べられないやつを魔物、と分類している。
わたしの中ではそういう事にしている。
じゃあ、蜂蜜漬けにされた魚はどっちになるのか?
わたしは魔物と思いたいね。
そんな苦労をしてまで魔物を食べたいとは思わない。
そして目の前のこいつは、間違いなく食べられない方に分類されるだろう。
さて、こいつには手足が四本ずつ生えている。
四本ずつさ。
手が四本。
足が四本。
合計で八本だ。計算は得意だって言ったろう?
しかし、八本の手足と言っても、一本ずつが長さも大きさも、形も、指の本数だって違うのだから、これは腕なのか? いや脚なのか? 正直分からない。ともすれば手でも足でもなく、よく似た形をした触手なのかもしれない。触手にしては手足に似すぎているのが気持ち悪い。
魔物は、それら八本の手足なのか触手なのか、なんだかよく分からないものを、ジタバタと動かしてこの店までやってきたのだ。
その様は、想像するだにさぞ気持ち悪い動きだったに違いない。
魔物は、手足の数もおかしければ、目玉の数だっておかしかった。
大小様々なのが一、二の三と数えていって、合計で十個も付いている。
いくら顔が広いからって、欲張りすぎじゃ無いだろうか。
魔物を蜂蜜漬けにして食べたって言ってたあいつでも、さすがにこんな見た目の化け物は食べてみたいだなんてこれっぽっちも思わないだろうよ。
魔物なんて生き物は大抵不気味な姿をしているものだけど、とりわけ「この町」に潜んでいる魔物たちは、とにかく見た目がグロテスクなやつらばかりだった。
「大丈夫かよ。こいつ、ちゃんと死んでくれているんだよなあ? うん? 死んでないのか? まだ生きているのか?」
トイレに行くためにはカウンターを横切らなければならず、必然的に、カウンターの前に居座っている魔物の前を通り抜けなければならない。
魔物は、はらわたを引きずり出された状態で、鎖で何重にもぐるぐる巻きにされていた。
さらにその鎖は、太い釘でもってして床に縫い付けてられている。
何本も、何十本も。
釘で打ち付けられて固定されているおかげで、魔物はまったく身動きがとれない状態に見える。
けれど、さっきから、と言うか、ひと眠りする前から、ずっと口はぱくぱくと開け閉めしているし、目玉はぎょろぎょろ動かしているし(おまけに十個が十個とも、別々の動きをしているのだ!)とても死んでいる様には見えない。
魔物は生きている、と断言しても良いだろう。
はらわたを引きずり出されていてなお、だ。
まったく。
この町の魔物ときたら見た目の悪さもそうだけど、
魔物はまだ生きているので、その前を通りすぎるにはずいぶんと勇気が必要に思える。
だから、男は一度席を立ってから、三回だけ足を動かした後、同じ数だけ足を動かして、すぐに戻って来て椅子に座り直した。
「ふう」
男はかいてもいない汗を額から拭った。
「何を着席してんだい。早く顔を洗っておいでよ」
「だっておっかねえだろう!」
「まったく男らしくないねえ。
「馬鹿なこと言う猫ちゃんだよ。ほら、見てみろよ、目玉が動いてんだぜ? 前なんか通り過ぎてみろよ、絶対になんかしてくるぜ」
「目の前を、お前さんみたいな派手な姿のやつが通って来たなら、餌だと勘違いしてぱくっと口を出すかもしれないね」
「ほら、お前もそう思うんだろう? だから俺は行かない」
「そうかい? でも、今のお前さんの顔は一見の価値があるのになあ。それに男前の顔も拝んでみたい」
「もう、いいから。俺は俺の顔がどんなのかよく知ってる」
「確かめておいた方が良いと思うよ。ハンサムじゃないって事はなるべく早いうちに気が付いておかないと。思い込みが激しい男はモテないよ」
「口が悪い猫ちゃんだ!」
「お前さんに言われなくても口の悪さは理解しているよ。ほら、きっと大丈夫だって。二度も食べられたりするもんか。それに、そうだ。あいつは生きているように見せかけて、本当は死んでいるかもしれないよ」
「そういうのを死んだふりって言うんだよ。嫌だね。嫌なこった。あれは絶対に生きてるぜ」
男は椅子にしがみついた。
強情な男だね。
釣りみたいで面白そうな見世物になると思ったんだけどね。
「しかし、魔物って言っても腹をかっさばいて胃袋まで取り出されたら、普通は死ぬぜ?」
男は当たり前の感想を口にした。
まったくその通りだと思う。「普通の魔物なら、ね」わたしは答える。
「でも、普通じゃないんだから仕方ないだろう。この町の魔物は、どれもこれも普通のやつとは違うんだよ」
「魔物に普通や普通じゃないってのがあるもんかね? まあ、俺もあんな見た目の魔物を見たのは初めてだけど、よ。あっ! ほらほら! 口が動いた! わあっ、腕も動いたぜ! いや、ありゃ足か? どっちにしたって近付いたらやばかったぜ。ひええ、気持ち悪いなあ」
男は騒ぎ立て、少しでも魔物から距離をとろうと移動する。
何をいまさら、と思う。
無神経な男は高いびきだったけれど、デリケートなわたしの方は、魔物が動く度にどきっとして目が覚めてしまったから、体もこわばっているし、まるで眠った気がしなかった。
わたしは、ふわあ、とあくびをして、何度目かの伸びをする。後ろ足で耳の付け根をかく。男は、魔物の気持ち悪いところや危険だってところを、思いつく限り列挙しながら、ずーりずりと壁の方に動いていく。
わたしも魔物にはさんざんと言いたいことはあったけれど、魔物に悪態をついたところで聞く耳は付いていないように見える。しっかりと観察すれば、耳も十個くらいついているかもしれないけれど、それはそれで気持ち悪いから観察するのはやめた。
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