エピソード 1
第一話
第一話「金魚屋」(1)
エピソード1
第一話
(1)
随分と風通しが良くなってしまった即席のテラス席に朝日が差し込み始めていた。
椅子の上で丸くなっていたわたしは、眠い目をこじ開けると、大きく口を開いて「んなーお」と、めいいっぱい伸びをする。
魔物の胃液にべちゃべちゃにされた毛もすっかりと乾燥してしまったから、ストレッチ体操にあわせて体中からパリパリッと嫌な音がした。
とほほ。
枝毛なんて一本もない美しい毛並みだったのに。
今日がいつもの朝ならば、ここで指の先からおしりの方まで、入念に
椅子からテーブルの上に移動する。ぴょんと飛び乗った拍子に体中から色々なカスが飛び散った。
「まったく、ひどい
腹に貯めたものは、少しでも吐き出してすっきりした方が健康に良いっていうのがわたしの持論さ。
たとえ聞かせる相手がいなくてもね。
だから、わたしは景気づけに割と大きな声でひとり言を
返事をしてくれそうな相手がいないこともなかったので幾分か期待をしたのだけれど、その相手ときたらテーブルに突っ伏したままいびきをかいて眠っている。
カバンを枕代わりにして「ぐるーすぷ、ぐぷー。げほっえほ」と個性的ないびきをかいている。
鼻が詰まって息苦しそうだ。
きっと魔物の胃袋の中で、元が何だったのか分からないものでも詰めて帰ってきたのだろう。
男は、胃袋の中で見た時もそう思ったけれど、外で見てもやっぱり冴えない顔をしていて、寝苦しそうな寝顔を浮かべていた。
まるで傘を広げた毒きのこだ。
男はわたしと同じで魔物の体液まみれとなっていたけど、不運にも魔物の胃袋の中から助け出された時に大量の返り血を被ったせいで、全身が真っ赤だった。
不運な男が返り血を全部浴びてくれたせいで、懐に隠れていたわたしは、血まみれにはならず、しかし、しっかりと、ぬるぬるになっただけで済んだのだ。
男は散々と
騒ぐだけ騒いで眠っちまうだなんて、小さな子どもと一緒だよ。わたしの方も悪態をつきながら眠ってしまったので、声に出してまで非難はしないけどね。
男の髪の毛。
まるでワカメみたいだ。
元々がちんちくりんな癖っ毛でまとまりが無いのだろう。ぐにゃぐにゃしていて、きのこの傘の様に広がっていて、その形のまますっかりと固まってしまっているので、だから、はは、つまり、なんとも、ふふふ、あはは、これは面白い顔じゃないか。
「おーい、誰かカメラをお持ちじゃないかい? わたしよりひどい成りをしたやつがここにおいでだよ。記念に一枚残しておいておくれよ」
男は眼鏡を掛けていたが、その眼鏡は赤いサングラスの様になって、髪の毛の中に埋没してしまっている。男の顔は、眼鏡をかけていたところだけ返り血を浴びなかったせいで、まるで真っ赤なパンダみたいになっていた。
毒きのこっていうだけでたいがい面白いというのに、赤いパンダだなんて。くふふ。あはは。
これは、是非とも他のお客さんにも見せてやりたいところだ。
でも、残念。
見渡したところで男の他に生きているやつはひとりもいなかった。
酒を飲んであれだけ楽しそうに騒いでいた客達も、男のほかは、みんな死体袋に入って大人しくして眠っているのだ。
せめてこの面白い顔を見てから袋の中に入ってほしかったなあ。
「はあ。本当にカメラが無いのが残念でならないね。じゃあ、しかたない。わたしがしっかりと目に焼き付けておいて、後で誰かに聞かせてやろうかね。ひひひ」
男の鼻の穴から、鼻ちょうちんと、例の不思議な金魚が交互に顔を出したところなんて、最高に笑えるのに。ひひひ。腹が痛いや。
これだけ笑うと最低な気分もいくらか持ち直してくる。やはり気持ちがぱっとしない時には笑うのが一番だ。
さて、気分も良くなってみると、話し相手もなく、ひとりぼっちで笑い転げているのが馬鹿みたいに思えてくる。
「おはよう。金魚のひと。すっかり朝だよ」
男の赤茶けたほっぺたに肉球を押し当ててみたけど「ぐーぶすー」と返ってくるだけで起きる気配はまったくなかった。
だから、バシッと爪を立てて叩いてやったらすぐに飛び起きた。
「んあ! なになに? また魔物か!」
「いひひ。腹が、よじれるよ」
飛び起きた反動で、毒きのこの傘がふわっふわっと上下した。そこから胞子を振り撒くようにして、何かのカスが飛び散ったもんだから、あははっ、芸が細かくて笑えるじゃないさ。わたしはテーブルの上で再び笑い転げた。
「なんだ、猫ちゃんか。最低な起こし方だ」
男は、自分の髪の毛の中から眼鏡を発掘すると、レンズの部分を袖口で拭いて掛けた。
しかし、あまりきれいに拭き取れてはおらず、二度、三度繰り返してから「爪立てただろう。最低だぜ」と抗議の眼差しを向ける。男の目は、それが拭き取った汚れの跡と言われても不思議じゃないくらい細い。
「すまないね。でも、お前さんがそんな面白い顔をしているのが悪いんだよ」
「え、どんな顔?」
「わっ、馬鹿。顔を近づけるんじゃないよ。ははっ、あはは。腹が、腹がひきつっちゃう」
「失礼な猫ちゃんめ。ひとの顔見て笑うなんてよ」
「くふふ。本当に面白いから自分で見ておいでよ」
「そんなに、面白いのか? そんなに?」
「ああ。少なくとも猫一匹笑わすには十分に面白い顔をしているよ。トイレはカウンターの横だよ。あそこには石鹸のカスや酔っ払いの口から出たものでピカピカになった鏡があったはずさ。ついでにその汚らしい顔も洗ってくるといい。ひょっとしたら汚れの下からもっと笑える顔が覗くかもしれないしね」
「くそう。言いやがったな。見てろよ。びっくりするくらい良い男が帰ってくるからな」
男は立ち上がってカウンターの方を向いた。
そして、すぐさま「うわっ!」と悲鳴をあげた。
「びっくりした! そうだよ、忘れてたよ。まだ、こいつが残っていたんだっけ」
滅茶苦茶になった室内、カウンターの前に、手足がついた巨大な魚がいた。
わたしと男を丸飲みにした魔物だ。
「ううっ、なんとも言えない気色悪さ!」
男はぶるぶると顔を左右に振って粉を
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