プロローグ「金魚が見えたなら」(3)
(3)
「しかし驚いた。喋る猫ちゃんだなんて初めてお目にかかったよ。
頭の中も頼りないようで、およそこの場にふさわしくない質問をしてきた。
でも、これが魔物の腹の外であれば、
「何者って言われても困っちまうよ。何せ生まれた時からこうなんだから。猫と言われれば猫なんだろうし、猫じゃないって言われればそうなんだろうよ。ただ、わたしは、ニャーニャーミャーミャーと甘ったるく鳴いたりしないし、街のそこかしこで子どもを作って増えたりもしない。美しく丁寧な言葉遣いで会話をして、デートの誘いに乗っかる時は羽振りの良い老紳士って決めてるだけさ」
役に立ちそうにない人間になんか構うことは無いのだけれど、他に話し相手も居ないことだから仕方なく、そして、さっき見えた灯りがどこに行ったのか探すついでに答えてやった。
男がマッチでも持っていれば、この場で火を起こしてやるのに。そうしたら、さすがの魔物もびっくりしてわたしを吐き出してくれるかもしれない。
「よくもそんなに舌が回るもんだ」
男は感心した様子だ。
わたしの舌なんかよりも、お前さんの頭の方がもっと回転してくれれば良いのになと思っているよ。
「今度お前の面白話ってやつを聞かせてくれよ。俺は聞きそびれちまったんだ。なあ、いいだろう?」
「そんな機会があればいくらでも披露してやるよ」
「言ったな。約束だからな。絶対だぞ」
男は上機嫌だったが、わたしは呆れていた。
この男は自分がいま居る場所は魔物の腹の中ではなくて、旅館の暖かい布団の中とでも勘違いしているんじゃないだろうか?
「ねえ、お前さん」と話を変える。
「何か灯りになりそうな物を持っているんだろう?」
さっきの灯りはどこに行ってしまったんだろう。
どこかに光があるはずなのに、だから男の身体がぼおっと光って見えるはずなのに、光源になりそうな物はどこにも見当たらなかった。
「灯り? ああ、うん。持ってるぜ」
「何を持っているんだい? マッチかい? ロウソクかい?」
「どっちもあるよ。あとランタンもね。魔法のランタンなんだ。綺麗なんだぜ。見てみたいだろう?」
ポンポンと音が聞こえた。
指の腹でカバンを叩いた音だった。大事に抱えているカバンの中に入っていると言いたいのだろう。
魔法の、とかいうところは無視することにして「違うよ。いま、手に持っているんだろう?」とカバンを叩いた指の方に顔を近づける。さっきこの辺りで光った気がしたのだ。
「いや、手には持っちゃいないよ。残念ながら全部カバンの中だ」
男はさらに体勢を変えて、わたしの方に向き直った。芋虫みたいに体をよじっている間に、途中まではだけていた着物が完全に脱げてしまい、上半身裸になってしまった。
やせっぽちで、力なんてこれっぽっちも備わっていなさそうな貧相な体つきにため息が出る。男は構うことなく喋り続ける。
「猫ちゃん。見てくれよな、魔法のランタン。俺は
男は少しだけ開いたカバンの中に手を突っ込んでかき回していたけれど、自慢したい魔法のランタンとやらは探し出せない様子だった。
「あ! しまった! さっきのトカゲっぽい奴に売りつけようと思ってテーブルに置きっぱなしだった。あれは一番面白くて自信があるやつだったのに。あいつ、持ち逃げしてないだろうな。ちきしょう!」
「でも、仕方ない。猫ちゃん、喋る本に興味はない? 猫ちゃんと一緒で本当によく喋る本なんだ。本だけに。でも不平不満を怒鳴り散らしているばっかりで、肝心の中身については一切喋ってくれないんだけどな。どうだい、面白そうだろう?」
「のんきな男だね。付き合っちゃいられないよ」
頭が痛くなってきたのは、すっとんきょうな男の相手をしているのが半分の理由で、もう半分は、いつの間にか足元が浸かるくらいに分泌している魔物の胃液の強烈なにおいのせいだ。
刺激臭で頭がくらくらする。
ひょっとしたらこの臭いにおいのせいで、さっきから男の言動がおかしいのかもしれない。
「とにかく」
何だか視界もぼやっとしてきた気がするから急がないと。
「火を起こすんだよ。マッチとロウソクで焚き火をしてやるんだ。他に燃やせそうなものがあったら出し惜しみするんじゃないよ」
「魔物の胃袋の中でキャンプファイヤーをやろうっていうのか? こんな時に? いや、こんな時だからこそか。そいつは気分も盛り上がりそうだ。ついでに歌も歌おう。俺はこう見えて結構歌が上手いんだぜ」
「馬鹿言ってないで早く出すんだよ。胃袋の中で火なんか付けられたら、わたしだったら驚いてげえげえ吐いてしまうよ」
「あ、なるほど。お前、賢いね」
「早くしておくれ。わたしの鼻が顔から逃げ出さないうちにね」
「悪かったよ。ええと、マッチ、マッチ。おー、これはいかんな。ははは」
男はカバンの中からマッチ箱を取り出した。胃液でべちゃべちゃになったマッチ箱を。
「まったく使えない男だね!」
「俺のせいじゃないだろう!」
「他にも何か持っているんだろう?」
「無いよ。無いってば」
「じゃあ、さっきから、お前さんの背中の方でちらちらと光っているのは何なんだい? 魔法のなんとかってやつじゃないのかい?」
おかしなことに、そのか細い光は移動しているように思えた。まるで死にかけの蛍が夜空を舞うように。
男は「もしかして」と細い目をさらに細めた、ようにわたしには見えた。
「猫ちゃん。お前は見えるタチなのかい?」
まるで死人でも見たような顔だった。
背筋がぞーっとした。
胃液に濡らされていなければ背中の毛が全部逆立っていたことだろう。
見えるタチって、ひょっとしてわたしが相手をしていたこの男の正体は幽霊だったとでも言うのかい?
それとも男の背後で光っているのが幽霊で、実は憑りつかれていましたよってオチなのかい?
「やめとくれよ。わたしは幽霊が大の」苦手なんだよ、と続けたかったが。
「え?」
まったく考えもしなかったものが目に入った。
男の胸の内から、文字通り、男の体の「内側」から、胸板をすり抜けて、すーっと音もたてずに弱々しい光の正体が姿を現したのだった。
光る、一匹の「金魚」だった。
尾びれをゆらゆらと揺らし、紅白模様の半透明の体をくゆらせる度に、ほろほろと、発光する金色の鱗粉を零れ落としながら、一匹の光る金魚がわたしの鼻先までゆっくりと泳いできた。
「な、何だい、これは?」
金魚の目玉とわたしの目が合った。
目玉も半透明だから透けてその先が見える。
その先と言っても、金魚の脳みそや頭蓋骨が透けて見えるわけではなく、それこそ幽霊のように、皮膚が骨がという訳では無くて体全体が透けていて、その先で微笑んでいる男の顔が、金魚の目玉ごしに、まるで水晶玉を覗き込む占い師のように逆さまに像を結んでいた。
「猫ちゃんにはこれが何に見える?」
優しい声のトーンで尋ねられたが、わたしはすぐに返事が出来なかったし、男にとっても返事が必要な問いかけでは無かった。
「金魚の、幽霊なの?」
尋ねてみたけれど、幽霊であるはずがなかった。
光る半透明の金魚は、あまりにも綺麗で神秘的で、現実味がまったくなくて、嘘のようだった。
わたしの鼻先にとどまっていた金魚は、また、ゆらゆらと泳ぎ始める。
わたしの
ぎょっと驚いたが、すぐに背中の方に姿を現した。
どうやらわたしの腹の中をくぐり抜けたらしい。
金魚は何事も無かった様子で、いつの間にか左右に動いていたわたしの尻尾の先まで泳いでいく。
「おいおい、嘘だろう!」
嘘なものか。
いや、本当に何なのだ、この金魚は?
「俺は、ついさっきこの街に到着したばかりだっていうのに。いきなり魔物に食われるわ、こいつが見えるやつに出会うわ。それも喋る猫ちゃんだなんて! これが縁ってやつなのか? 運命ってやつなのか?」
男は心底驚いた様子だった。
やれば出来るじゃないかっていう程に目を見開いていた。
金魚は、わたしの尻尾の先でUターンしてから顔の前まで戻ってくると、振り返りもせずにそのまま真っすぐと男の額の方まで進んで行って、すーっと頭の内側に消えてしまった。
したがって、男と目が合う。
男は本当に嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「猫ちゃん。俺はお前に出会うためにこの街にやってきたんだよ!」
まるで結婚してくれ、と告白するような勢いで抱き付かれた。
これがわたしと、あとで「金魚屋」と呼ぶことになる男との出会いだった。
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