8.「よく”君は周りを見ていない“って言われるでしょ」

「シュー先生、若手なのに強気ですね。甘平の暴走機関車ですよ」


 顔こそいつも通り穏やかだが、言葉の中身が荒れているぶん僕の提案に対する珠莉じゅり先生の評価は芳しくないようだ。それもそうだろう。口八丁な手前、いくらなんでもすべてを子どもたちに託すというのは無謀すぎる。


「でも、いくらお楽しみ会の発表まで時間があるとはいえ、さっきも言いましたけど途中で夏休みもありますし、集まりが安定しない時期に話し合いをするのは酷じゃないですか?」


「くわがた組全員で話し合うのはそこまで重要じゃないんだ。何人かのグループに分けて、それぞれの班で劇のアイデアを考える。グループを結成して一か月くらい経ったら、みんなの前でその案をプレゼンしてもらう。そのあとは多数決でもするなりして、評価のいい班の劇を全員でやる、って感じかな。うまくいけばの話だけどね」


 僕が簡単に説明している最中も、珠莉先生の細い眉は眉間に寄ったままで微動だにしなかった。きっと物事を楽観的に考えすぎていると思われているのだろう。確かにこの説明に、なんらかのイレギュラーがあった時のリカバリーの言及がないのは認める。


 でも、それは僕のくわがた組のみんなに対する信頼と宣戦布告の証明にほかならない。彼らならできる。安直だけどそれが本心だ。


 すると珠莉先生はふうと小さく息をついて僕の目を見た。


「……わかりました。私も担任らしくみんなを信じます。でもシュー先生、なにか失敗があったらみんなの意識が、年長としてのプライドが崩れると思ったほうがいいですよ。一年目の新参者が言える立場じゃないかもしれないですけど」


「それは僕も重々承知しているよ。まだまだ二年目のひよっこだけどね」


 にやっと笑って見せた僕と対照的に、表情に翳りが見えた彼女はそのまま担任の物置きと化した押し入れからトートバッグとノートパソコンを取り出しくわがた組を出た。きっと事務室で作業をするのだろう。


 子どもたちがお昼寝から起きたらこの計画を発表しよう。


 寝起きでリアクションは悪いだろうけど、記憶に刷り込むには雑音もなく好都合だ。それまでは、僕も自分の仕事を進めなければ。子どもを信頼する以前に、保育士として仕事ができなければ意味がない。事務作業はいつになっても苦手だけど、二十代後半に突入するのにそんなことは言ってられないな。


         *


「その子が新しく入ってくる子?」


 珠莉先生が休憩に行った後くわがた組の部屋でひとり、中途入園の申請書を眺めていると背後からカコ先生に声をかけられた。僕の肩に手をかけ肩口から紙をのぞき込む。スキンシップが過ぎると思う時もあるけど、嫌な気はしない。


「そうです。僕の同級生の知り合いのお子さんらしくって」


「へえー。シュー先生の知り合いの子どもなら手厚く歓迎しないと」


「僕の知り合いじゃなくって、友達の知り合いですから。僕には直接関係ないですからね」


「それにしても、いま二歳ってことは……来年は私の教え子になるってことだね」


「もう来年の配置って決まってるんですか?しかもカコ先生が三歳児クラス担任って、血の気の多い子に育ちそうですね」


 冗談めかしく言ってはいるものの、多少は本気で言っている。彼女は子どもに対してあまりに甘すぎるゆえに、教え子はやんちゃな子になりやすい。その被害を被ったのが、直前までカコ先生が担任だった代の子どもの担任になった採用一年目の僕だ。


「新しいクラスはこのあいだ人事の先生と飲みに行って聞いたんだ。私が見てるとみんな血気盛んになっちゃうからね。本能を呼び覚ましちゃうんだよ、本能」


 がおー、と小声で呟き肩にかけた手で獣ポーズをとるカコ先生。


「それはそうと、僕の来年の担任クラスももう決まってるんですか?二年連続で年長のくわがた組だったから、そろそろ下のクラスも見たいなあ、というか……」


「シュー先生?シュー先生はねえ……確か、異動だったかな」


「ええ!?」


 あまりに衝撃的な答えに思わず書類を手にしたまま小さく飛び上がってしまった。三年目にして異動?いや、そんなまさか……。


「冗談だって。来年も甘平ここで馬車馬のごとく働いてもらうってさ。担当クラスまでは覚えてないけどね」


「冗談がリアルすぎるんですよ!せっかく水が合ってきたと思ってたのに異動だなんて」


「そう?私なんて甘平に来るまで二回も飛ばされてるんだから。人事部の横暴だよ」


「ちなみに、カコ先生って初年度もここの自治体だったんですか?」


「私?私はずっとここ一帯で働いてるよ。半径五キロ圏内の異動しかしてないからね」


 カコ先生にそれを聞いたところで、話を膨らませようだなんて考えていなかった僕は思い出したかのようにあることを訪ねた。


「そういえばウチのクラスのユリちゃんについてなんですけど、昨日のお迎えのときにお母さんから何か言われませんでした?」


 すると間髪入れずに即座に答えが返ってきた。なにやら食い気味だ。


「そうそう!私立の小学校の説明会に行くために一週間休むって。どこ行くと思う?」


 鼻息を荒くして僕に逆質問をするカコ先生には悪いが、その答えはすでに知っている。


「北海道ですってね」


「なんだ、知ってたの?」


 珠莉先生から聞きました、とだけ返すと彼女はわかりやすく肩を落とした。テンションの落差が大きいのも特徴的だ。


「でもね、私たちベテラン職員のあいだでもユリちゃんのお母さん、というより五百木いおぎ家の教育熱心っぷりはよく話題になってるんだよ」


 ベテランだなんて、カコ先生はまだぎりぎり二十代なのに。年齢より若く見えますよ、とでも言ったら逆効果なんだろうか。


「ユリちゃんのパパがいわゆる教育パパらしくてね、土日のお休みの日なんか家族でお出かけもしないで、幼児クラスがある英会話教室に通わせてるらしくてさ。ユリちゃんなんかまだ五歳だよ?早すぎるっつうの」


 だんだんと語気が荒くなってくるセリフに、すこしだけ背筋を冷やされたものの正直どう反応すればよいのかわからないのが現実だ。

 確かに各家庭で子供の将来にかける期待はどこも大きく、その手段は多岐にわたる。自由奔放にのびのびと育てる主義の家もあれば、幼いうちから能力を叩き込む家もある。どちらがよいかなんて断言できるはずもなく、僕はただ保育園にいるときの様子で物事を判断するしかない。


「まあでも、ユリちゃんも見た感じクラスでも人間不信になってるわけじゃないですし。今日なんか自分から進んで鉄棒やりたい、って言ってきたので今のところ大丈夫じゃないですかねえ」


「シュー先生も子どもができたらスパルタになりそうだよね、そんなこと言ってるようじゃ」


「さあて、何年後の話になりますかね」


 冗談っぽくニヤッと笑うとカコ先生は「あと数年したら笑えなくなるぞ」と置き土産を残してくわがた組を後にした。自分の子どもはおろか、結婚にも縁がないのは重々承知の上だ。






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