第7話 失くして得た!




 もふもふを感じる。

 なんだろう。このもふもふ。

 精霊樹の根元に、野宿したことを覚えている。

 流石に冷え込んできたから、レザージャケットを被るようにして、ショルダーバッグを枕にした。包丁は危ないので、横に置いている。普通なら最悪に寝心地悪いはず。ニーソとブーツだけの足元には、フェンリルの子どもであるコウ。あたたかい。

 でも、足にコウの存在を感じる。右足を抱き枕にされていると思う。

 じゃあ私の胸の上に被さっているもふもふは、なんだろうか。毛布なんてなかった。いや待てよ。

 そういえば、昨日何か役立つかもしれないとブラックドッグを収納していた。ゼイが毛布がわりにかけてくれた可能性が浮上。いくらなんでも顔見知りの同級生達を殺した仇なんかを被って眠れない! そもそも死体!

 カッと開眼すれば、黒いもふもふ。

 しかし、ブラックドッグではなかった。

 私の胸に、顔を埋めた大きな黒猫だ。


「……」


 なんだ。仇じゃなかった。ただの幻獣だ。

 眠気に負けて私は瞼を下ろした。

 この幻獣かなり軽いわ。ただの毛布みたい。

 もふもふで温かいわ。

 そのまま被って、二度寝。

 やはり幻獣だけあって、極上のもふもふ。ふわっとしている長い毛並み。最高である。

 大きな黒猫はゴロゴロッと喉を鳴らすと、私の胸に頬擦りした。

 胸をダイナミックに触れられている事態に、私は再び開眼する。

 これは……許容範囲なのか、範囲外なのか。わからない。

 そもそも、なんでこの黒猫は、私の上で寝ているんだ!?

 種族は違うとはいえ、知能が高そうな幻獣で異性!

 ちょっと胸の上で気持ち良さそうに寝るのはやめて!

 アウト! アウトだから!!

 幻獣シーヤを持ち上げて、横の根っこに置いた。

 こんなにも大きな猫なのに、重くないってすごい。ヴァンパイア化のせいかしら。

 過ごしやすいと思う気温と、精霊樹の清らかな空気を吸い込んだ。

 そして立ち上がって、レザージャケットを着て校舎の中に入る。

 まだ水道が使えたから、冷たい水で顔を洗った。

 ハンカチで拭き取ったあと、また屋上に出る。

 下から風が吹き、白銀になった髪を撫でるように舞い上がらせた。


「おはよう、ミズナ!」

「おはよう、ゼイ」


 ヘリに乗っていたスライムのゼイが振り返り、朝の挨拶をする。

 根っこを見てみれば、幻獣シーヤは前足を舐めては顔を擦っていた。


「おはよう、ミズナ」

「おはよう……シーヤ」


 にんやりと笑っているような顔で、シーヤは挨拶をしてきたので、それを返す。

 コウは、まだ丸まって眠っている。


「もう一回、ヴァンパイア・アイで確認してくれないか? ミズナ」

「うん」


 私はゼイと同じヘリに登った。手をついて、ひょいっと身体を上げれば、簡単に乗れて、立てたのだ。ヴァンパイア化した身体は、軽い軽い。


「えーと……」


 特技(スキル)として獲得したから、念じれば発動するのだろうか。

 ヴァンパイア・アイ!

 そう念じて、周りを見回した。

 拡大した視界に脈を打つ影が、ちらほら。どれも人型だ。

 目的であるコウの親らしき影は、見付からない。


「いないみたい」


 ふと、表示したままのポイントを確認する。

 昨日のレベルアップでポイントが増えたステータス。


[【HP】3299/3300 【MP】1330/1430]


 初めて、MPが消費された。

 獲得済みの特技(スキル)には、MPを消費するのね。


「ヴァンパイア・アイ……100Pも使うのか」


 ぼそっと口にした。


「特技(スキル)にも、ポイントを消費しないものがあるけどな」


 ゼイが教えてくれる。


「ゼイの特技(スキル)の中では、何?」

「聞いて驚けよ! オレの特技(スキル)にMPは消費されない!」


 えっへんと胸がないのに、胸を張るように背伸びするスライム。


「……私の十分の一だったもんね」

「同情の眼差しは要らないよ!?」


 見せてもらった時、MPは私の十分の一だった。

 ヴァンパイアとスライムの差だから、しょうがないだろう。

 そんなやり取りを見ていたのか、シーヤがくつくつと笑い出した。


「仲の良いことだな。昨日会ったとは思えないほど、気が合っているようだ」

「いや、まぁ、ミズナがいい奴だからだよ。元人間なのに、オレを守るっていう約束をしっかり守ってくれているんだ」


 シーヤに、ゼイはそう答える。

 また私をいい奴と言う。

 だから約束を守るくらい普通ではないのか。


「ゼイ達の世界では、約束は果たされないものみたいに言っている気がするんだけど……」


 私が尋ねようとしたら、シーヤが答えてくれた。


「そう言っているのだ。人間は、魔物との約束を簡単に破り捨てる」

「あー……それで、ゼイは意外そうだったの?」


 魔物と約束を簡単に破る。人間なら、やりそう。

 ラグアースという異世界の人間も、魔物だからと見下して約束を破っているとは悲しいことだ。


「まーそんなところだ。特に軟弱なスライムにする約束なんて、してないようなものだからな。ミズナが悪い奴ではないことくらいわかってたけどさ、咄嗟に身を呈して守ってくれただろう? 直感的に守ってくれたこと、嬉しかったんだ。だから、ミズナは約束を守るかっこいい女の子!」


 人型だったら、きっと満面の笑みだったに違いない。

 でもスライムなゼイは、明るい表情をした気がする。

 ヘリに座った私は、こう返す。


「私は単に約束したことは守りたいだけだよ。ゼイの知恵には助けてもらっているし、ポーションだって役に立ってくれた。お礼に守り抜くのは、当たり前のことだと思う」

「約束を果たすことを当たり前だと思っている。それがかっこいいのだ」


 シーヤも、私はかっこいいという意見らしい。


「かっこいい、か。うん、じゃあ、素直に褒め言葉として受け取っておくよ」

「女子(おなご)だから、かっこいいは褒め言葉としてはちと違うか?」


 クククッと、シーヤは喉を鳴らすように笑う。


「昨日、一日一緒にいたけど、かっこ可愛い女の子だと思うぞ!」

「かっこ可愛い?」

「おう! モテるだろ?」

「いや、全然」

「嘘だろ!? 見る目ないな、この世界の男ども!」


 ゼイは、驚きすぎ。

 かっこ可愛いか。これも褒め言葉として受け取っておこう。

 高校生活を振り返ると、女友だちとしか過ごしていない。


「さて……これからどうしようか?」

「先ずは食事をしてから、考えたらどうだ? ミズナ、喉が渇いていないか?」


 雑談はこれくらいにして、どうするかを話し合うつもりだったが、シーヤに言われて喉の渇きに気付く。


「そうね……」

「昨日のラビッド、まだ線路にいるんじゃないか?」

「ハマってそう」


 大きな兎がハマっている光景を思い出して、クスッとしてしまう。


「じゃあ線路に戻ろう。それから、行き先を考えようぜ」

「またここに来るがいい。次はフェンリルを見かけるかもしれない」


 にんやりしたような顔でシーヤは、また来るように告げる。

 ここの主みたいな黒猫にそう言われては断れない。

 ゼイも「おう! よろしく!」とフェンリル探しを頼んだ。

 ショルダーバックを肩から下げて、その上にゼイを乗せた。


「アウン!」


 ドンッと背中にタックルを受ける。

 振り返れば、いつの間にか目覚めたコウが、尻尾を振っていた。


「……この子は、何食べるの?」


 この子も、食事を取らなくてはいけない。

 だが、肝心の食事がわからないのだが。

 ドッグフードでいいのかしら?


「それなら任せろ。昨日のブラックドッグの肉がある!」


 ぺっとゼイが吐き出したのは、昨日のブラックドッグだ。

 私が首を切り裂いたブラックドッグを一つ。

 血はゼイが吸収したらしく、血液は出ない。匂いもしなかった。私もこんな犬の血は吸いたくないのでいいのだけれど、コウには肉を与えるようだ。


「ミズナ、捌いてやってくれ」

「私……捌けないんだけれど」

「なんだと!?」

「いや、普通の女の子は捌けないからね? この国の女の子は」

「そうなのか!?」


 ギョッとされたけれど、普通だからね、本当に。

 ゼイの常識では、女の子も出来るのか。

 男の子は狩りをして、女の子が捌くような生活?


「そっかー。捌かないのかー」


 少しスライムボディーを傾けるゼイ。

 悩んでいるポーズかしら。


「捌かなくともコウは食えるだろう」


 シーヤはそのまま食べさせることを促す。

 そうされなくとも、コウはかぶり付いた。

 牙で毛皮を引きちぎり、血抜きを済ませた肉を咀嚼する。

 豪快に食べる食べる。食べ盛りなのだろう。


「じゃあコウはここで食事しててね。私とゼイはちょっと行ってくる」


 ぽむっとショルダーバッグに乗っているスライムを確認して、私はヘリを飛び越えて降りた。屋上からの飛び降りも、ひらりと舞うように軽やかに着地した。


「ァウン!」

「え?」


 コウの声が降ってきたと思いきや。


「うわっ!?」


 コウそのものが降ってきたものだから、咄嗟に受け止めた。

 受け止めなければどうなっていたことやら。ひしっと感じるもふもふの重みを抱き締めた。


「危ないでしょ!? コウ!」

「アン! アン!」


 私は怒っているのに、コウはもふもふの尻尾を振り回して、愛らしく吠える。


「心底懐かれているな。どうやら一緒にいたいようだ」

 

 上を見上げれば、垂れている精霊樹の根っこに寝そべるシーヤが、相変わらずのにんやり顔で見下ろしていた。


「しょうがない。連れていってやろうぜ、ミズナ」

「うん」


 嫌ではないから、このまま連れて行くことにする。


「またね、シーヤ」

「ああ、またな」


 私が手を振れば、手の代わりのように長くもふもふした尻尾を振ったシーヤ。

 てくてくと歩いてついてくるコウを連れて、私とゼイは小学校を出た。

 道を真っ直ぐ進めば、踏切に行き着く。

 そこまで、十分ほどだった。たった十分。

 振り返ると、煙が上がっていた。太く立ち昇る黒い煙。それは学校のある位置から上がっている。


「ねぇ、ゼイ……あれ……」

「ヴァンパイア・アイで確かめてくれ!」

「うん!」


 ゼイに言われた通り、特技(スキル)のヴァンパイア・アイを使った。

 建物は邪魔にならず、それを見ることとなる。

 燃え盛る学校と精霊樹。


「精霊樹が燃えてる!」


 私はコウを拾い、抱え上げてから、全力で駆けた。


[クロス ミズナは

 【特技】駿足を獲得した!]


 特技(スキル)の獲得を一瞥したけれど、通った道を引き返していく。

 中山道の信号に差し掛かれば、火が見えた。

 轟々と燃えている。精霊樹も、学校もだ。

 とにかく、駆け付けた。

 火の粉を被ったのか、グラウンドに立つけやきの頭にも火がついてしまっている。

 熱風を感じた。校舎に近付けそうにない。


「なんで精霊樹がっ……シーヤは!? シーヤ!」

「わからないが! シーヤは無事なのか!? シーヤ!!」


 ゼイと一緒に、シーヤを呼んで探した。何があったのか、シーヤなら知っているはず。辺りにいないか、探す。


「ていうか、魔法使えない!? 水をぶっかけて、鎮火してくれない!?」

「オレの特技(スキル)蘭見ただろう!? 魔法なんて使えない!」

「なら!」


 私は校舎の前にあった水道に行く。昔、夏場に水遊びをしたその水道の蛇口を蹴り壊した。ドバッと溢れ出る水。


「これを大量に吸収して! それから」

「なるほど! これで水をぶっかけるんだな! わかった!」


 相変わらず理解が早くて助かる。

 ショルダーバックから降りたゼイは、すぐに溢れる水を丸呑みし始めた。

 すると、抱えたコウが吠える。危ないから抱えていたいが、もがいたので降ろした。

 水道の目の前にある茂みに、飛び込んだ。


「コウ! そこも燃えるかもしれないから……!!」


 火の粉が降らない場所に避難しろと言おうと茂みを覗けば、そこにシーヤの姿があった。


「シーヤ!」


 横たわるシーヤに手を伸ばす。触れてわかった。

 身体は、もう冷たくなっている。息をしていない。

 あのにんやりした顔をしていなかったのだ。


「シーヤ……」


 幻獣を手にかけるなんて。そして、精霊樹にも。

 一体、誰が……。

 そんなことよりも、私は失ってばかりいる気がする。

 こんな世界になってから、失ってばかり。


「ミズナ!! ファイアトロールだ!!」


 シーヤの頬を撫でていた私は、ビクンと肩を跳ねた。

 ゼイの声。私は茂みを飛び出す。

 燃え盛る校舎の前に、私の三倍は大きな巨体が立っていた。

 真っ赤な皮膚をしていて、耳や鼻が尖った醜い顔立ちをしている。お腹がどっぷりと膨れた体型。右手には、私ほどの身長のこん棒。


「火魔法を放つトロール! 知能はそんな高くないけど、強いぞ! 見境ないんだ!」

「お前が……シーヤを」


 私はギロリを睨み付けた。


「バカだからって、神聖な木や生き物を手にかけていいって免罪符にはならない!」


 そう貶した言葉は、通じてしまったらしい。

 ファイアトロールという魔物は、大口を開けた。

 腹をさらに膨らませたかと思えば、赤く光る。

 そして、吐き出した。火炎放射だ。

 後ろに飛び退いたけれど、火はそのまま私を真っ直ぐに追ってきた。

 火をもろに受けそうになった私を救ってくれたのは、ゼイ。

 水を噴射して、火炎放射を打ち消した。


「おおう! 特技(スキル)水鉄砲を獲得した!」


 ゼイは新しい特技(スキル)を得たようだ。


「そんな報告はいいから! ありがとう! 学校と精霊樹の火を消すために、巨大水鉄砲をお願い!」

「了解! でも魔法使う奴なんだぞ、戦うのか!?」


 助けてくれたお礼を言いつつも、鎮火を頼む。


「ファイアトロールのレベルはいつくかわかる?」

「確か、レベル13だ!」

「ぶっ倒す!」

「つえええ!!」


 また包丁を逆手に持って、私は対峙する。

 レベルが上でも、負ける気はしない。


「魔法なら、MPを確実に消費するんでしょ? 限りがあるなら、ただの巨体! 私の瞬殺で仕留める!」

「き、気を付けろよ!」


 またお腹を膨らませて、赤く光り始めた。

 火魔法を吐かれる前に、駿足で距離を詰める。

 腹に乗り、喉を切り裂こうとした。

 けれども、ガチン! と包丁の刃が弾かれる。

 硬い!


「っ!」


 また火炎放射が吐かれる。私は腹を蹴って、後ろに飛んだ。宙で一回転した私は着地をして、包丁を確かめつつ、火炎放射を避けた。折れてはいない。元々、何かの喉を裂くための包丁ではないのだから、当然か。それにしても、硬い。加速を増せば、行けるだろうか。

 私は駿足を使い、また間合いを詰めた。スピードを殺さずに、大きく振り上げた。

 ガッと食い込んだ包丁。しかし、数センチ食い込んだだけで、それ以上は無理そうだ。しかし、引き抜くことも出来ない。

 また火を吹かれる前に、離れなくていけないとまた腹を蹴って飛び退いた。


「レベルが上だから、瞬殺は無理だ!」

「そうみたいねっ!」


 武器が取られたのは、痛手だ。

 そう思っていたが、首から引き抜いた包丁を、ファイアトロールは放った。チャンスだと思い、拾って再び攻撃をしようと思ったのだが。

 拾った瞬間に、こん棒を振り下ろされた。


 知能低いくせに、罠を仕掛けただと!?


 ヴァンパイアの素早さのおかげか、私はそれを躱せた。

 包丁も取り戻せたから、握り締めて、同じ箇所に食い込ませる。

 思ったより食い込まなかったから、ガッと足で踏み付けた。

 当然痛がるファイアトロールが、私を捕まえて地面に叩き付ける。こちらも、なかなか痛い。

 背中がピリッとするけれど、すぐに立て直す。

 また包丁を確認した。これ以上は無理したら、折れる。他に武器がないから、折れないようにしたい。でも、他に攻撃手段がないのだ。

 どうしたらいいだろうか。

 ああ、そうだ。ここは、ゲームに似た世界。

 HPを削って0にすれば、いい。

 チラッと右端のポイント表示を確認する。

 さっきの攻撃で、HPが50ほど削られていたが、きっと私の方がHPが上のはずだ。まだ余裕。

 瞬殺しこねたとは言え、結構ダメージは与えたはず。

 硬いから大したダメージは期待出来ないけれど、でも駿足で加速をして

ショルダーバックで叩くか。スライムのようには、いかないだろうけれど、直接殴るよりはマシに思う。多少は、攻撃力が上がる気がする。

 それに直接殴ることは、どうも無理そうだ。

 あ。蹴るなら、いけそう。

 ビュッと接近して、ショルダーバックを顔に叩き付ける。

 受けたまま、こん棒を振ってきた。

 宙で身体を捻り避けて、その勢いのまま蹴りを入れる。

 顎を蹴り上げた。

 やっぱり、硬い。コンクリートに躓いた程度の感触だけど、並の人間ならば頭が吹っ飛んでもおかしくない勢いだった。

 怒り顔のファイアトロールにまた掴まれたが、ガブリと噛み付く。私のヴァンパイアの牙は、硬めの肉を貫くように食い込んだ。

 じゅわりと溢れる血は、スイカのような薄い甘みがした。

 ファイアトロールは、噛みつかれた腕を振り払って、私を手放す。

 離れた私が目にしたのは、ファイアトロールのHPだった。


 [ファイアトロール

 【HP】560/2300]


 血を吸ったからだろうか。理由は、あとだ。

 残り560Pだ。


「オオオオッ!!」


 ファイアトロールは、こん棒を振り回してきた。やけくそか。

 後ろに飛びながら、それを避けていれば、ガゴン!

 こん棒が水道の蛇口に当たり、壊れた。

 水が勢いよく吹き出す。隣にはゼイがいたから、私は一刻も早く離すために巨体を退かそうと思った。

 でも、水を浴びたファイアトロールは、自分から離れる。それも怯えたように、だ。

 水に弱いのか。

 私はすぐにブーツで押さえて、噴き出す水をファイアトロールに向けた。

 また被ったそいつは、怯んで退く。こん棒も盾にした。

 HPが数回に分けて、5ずつ減っていく。

 水が届かないところまで離れたファイアトロールは息を乱している。

 ブーツを退ければ、身体に水を浴びることになった。少し冷たい水を感じて、思ったことは一つ。魔法が使えたらいいのに。

 この罰当たりなトロールに、弱点の水を浴びさせたい。

 有り余るMPを消費していいから、魔法よ、発動しろ!

 水圧を感じる掌を、思い切って振った。少しでも、水をぶっかけたい思いだったのだ。

 水飛沫ではなく、水の刃が飛ぶ。

 それはザシュッと、ファイアトロールの首を切断した。

 巨体は膝から崩れ落ちる。


[クロス ミズナは

 【特技】水刃を獲得した!]


 みずは? すいば? いや、すいじん、かもしれない。水攻撃だろう。

 こん棒を置き去りに、ファイアトロールの巨体が薄くなり、そして消えていく。


「ミズナ! 水をぶっかけるぞ! 上に向かって投げてくれ!」


 戦っている間、ずっと水を吸収していたゼイは、リスのように頬の部分を膨らませている。

 そんなゼイを持っても、大して重さは変わらなかった。少し不安に思ったが、上に向かって投げてみれば、大量の水が降り注いだ。

 バケツをひっくり返したような雨とは、これのことだろう。

 ドバッと降った水のおかげで、目に付く火は消えた。黒い煙が上がるだけ。


「ナイスキャッチ!」


 しっかりゼイを受け止めた私は、呆然と黒焦げになってしまった学校と精霊樹を見た。

 あんなに綺麗だった光景が、こんなことになってしまった喪失感。


「ミズナ……?」


 思い出まで、黒焦げにされてしまった気がする。

 幼い頃、遊び回っていた小学校が、精霊樹ごと燃やされた。

 昨日、見惚れた美しさは、もうない。今にも崩れそうだ。

 辺りは、焦げた匂いに満ちている。清らかさも、ない。

 私はゼイを落とした。

 ぽむっと着地したゼイは、怒ることなく呼びかける。


「ミズナ……大丈夫か?」

「失ってばかりだ……両親も、友だちも、亡くした。思い出まで……黒焦げにされた気がする……。失ってばかりいるのに、私は……この世界を堪能、出来る?」


 泣いてしまいそうなのに、泣けない。

 でもずぶ濡れな私は、もう泣いているようなものに思えた。


「……失ってばかりじゃないさ、ミズナ。ミズナには頼りないかもしれないが、オレがいる。コウだってシーヤだっているぞ。得れば何かを失うし、失えば何かを得れるもんだ。この世界になって、誰もが何かを失っているはずだが、きっと得るものもあるさ」


 ゼイが、そう励まそうとしてくれるが。


「シーヤも死んだ」

「シーヤが死んだだって?」


 繰り返すゼイに、茂みの奥のシーヤを見せた。


「よく見ろ」

「え?」


 ゼイが言うから、シーヤをよく見る。

 大きな黒猫はやがて、黒いもやに包まれた。

 叙々にもやが縮んでいくと思いきや、急に晴れる。

 そこに残されたのは、毛の長い子猫。


「みゃあん」


 愛くるしい声で鳴くそれは、小さな小さなシーヤにしか見えない。


「え? シーヤ……なの?」

「猫型の幻獣だ。猫には九つの命があってな、一度死んでもこうして蘇るんだよ」

「私の世界では言い伝え程度に聞いたことあるけど……実際にあるんだ」

「みやあ」


 シーヤは私のブーツまで歩み寄ると、すりすりと頬擦りをした。


「シーヤ?」

「オレも初めて蘇るところを見たが……やっぱり見ての通り、喋れそうにないな。コウと同じ、赤ん坊状態だからだろう」


 持ち上げてみても、子猫シーヤは鳴くだけ。でも、にんやり顔をしている。これがシーヤの真顔なのだろうか。赤ん坊に戻った状態だから、話すことは無理そうだ。


「しっかし、ファイアトロールが精霊樹を燃やすなんて……混乱でもしていたのか? 普通はしないんだが……」

「……」

「ミズナ、安心しろ。時間はかかるかもしれないが、原型を保っているんだ、再生する」

「本当?」


 しんみり、焦げた学校と精霊樹を見上げていた私に、ゼイは言った。

 多分、笑顔だ。明るい表情をしている気がする。


「言っただろう? 精霊樹は生命の源。元通りになるどころか、より緑豊かな学校に生まれ変わると思うぜ!」


 学校は元に戻らないくらいわかっていた。

 ただ、精霊樹が草を生やして緑豊かにしてくれる。

 窓ガラスがなく廃墟になった学校に、草木が生えると想像した。

 きっと望んでいたファンタジーな光景になるだろう。


「私の世界とゼイの世界が合わさった光景だね」

「ああ!」


 私は仕方ない風に笑った。

 ゼイが元気よく頷く。


「またここに戻って来ようぜ。より合わさった光景を見るためにさ!」

「……うん」


 まだ焦げた匂いに満ちていたけれど、少しだけ。ほんの少しだけ。

 精霊樹を初めて見上げた時のような清らかな空気を感じた気がした。



 

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もふぷにが溢れる異世界が来たので、自由気ままに堪能したい。 三月べに @benihane3

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