第2話 留置場 その2
ある日突然取り調べだといって留置場から取調室に出された。面会人と看守、それに留置されて居る者以外と話をするのは2ヵ月ぶりぐらいだった。第一声刑事が言ったのは、
「応、久しぶりやの。元気か」というものだった。
久しぶりもあったものでは無い、お前が私を閉じ込めたまま出さなかったからだろうが!と私は思ったが、その時はもう心身共に疲労していて私はそんなことを言う元気もなくなっていた。
ところで取り調べとは一体何を聞こうとしているのだろう。刑事は言った。
「どうや、そろそろ何か言う気になったか」
私は言った。
「言う気て何がよ。もう言うたやん。知らんおっさんが何時もそこ行ったら居るんで、そいつから買ったんやって」
結局私は俗にいう干されていたということだった。そうやって独房に缶詰め状態にし、精神的に追い詰め何でも刑事の都合のいいように喋らせるということだ。
私はそのことを知り、刑事とは本当に下らない者達だという気がした。学校でも職場でも世間では自分の行いには責任を持てといい、周りを巻き込むなとか人を大切にしろと言って教えられて来たのに、それが法に触れると全く逆さまになれという。今までの人生でやって来た生き方や性格は、そう簡単に変わるものではない。
しかし私も自分のことは包み隠さず話し、我が身を庇わず責任を取っているのに、誰かを巻き込ませるために人を態と長く苦しめてそれで点数を稼げるとこの刑事は喜んで居る。こんなことなら自分のことも何も喋ってやらなければ良かったと後悔して来た。
今まで後悔などという言葉を使ったことがなかったのにと思うと何だか腹も立ってくる。
後悔先に立たずとは良く言ったものだ。今更どのように悔やんだところで、今直ぐ此処から出ることは出来ないのだから。やっぱりこうなったからには、開き直るしかないなと思うと、
「開き直るしかないな」と独り言を言っていた。
それはそうと私の家族というか、親族という輩は誰一人面会に来ない。私はこれをどうゆう意味に捉えるべきだろうか。着替えなども友人が家から取って来てくれた。
幸いお金は逮捕時に少し持っていたので今は困っていないが、そんな事より、
「誰か一人ぐらい面会に来いよ!」と私は思わずにはいられない。
まあその内来るだろう、と暢気にしていた私だが全く何の音沙汰もないとは。私は腹が立って来た。もう私が捕まって三月近くにもなるのに、忙しかろうが何だろうがこれだけの時間があれば来れない筈ないだろが⁉。
大体私の家では、母と妹が同居していたが仕事をしているのは私一人だったではないか!
「お前達が忙しい分け無いだろうが!」
私は家の者達にとって自分がどういう存在なのかを思い知る気がした。そして一体私は何なんだろうと深く考えざるを得なくなった。ああ、また夜が長くなる。
しかしそう思うと「よし、言いたいことは言うべきだ!」と私は思い看守に、「家に電話をしろ!」とごねてみた。だが看守はそんなことは出来ないと言い張るので私はもっとごねてやった。すると看守が、
「こら立場!ええ加減にせい!」と怒鳴りだしたので私も負けずに、
「喧しんじゃ、この禿!ちょっと電話掛けるぐらいええやないか!」と吠え返した。すると、
「黙って座ってろ!」と看守が本気で怒って来たので、私はちょっとビビった。
しかし一旦口に出し始めると、思う通りに行かないことに腹の虫が駄々を捏ね出し、私は壁を結構思い切りどついてやった。
するともう行ったとばかり思っていた看守が、直ぐ傍で私の様子を探っており、
「何やその態度は!」と怒鳴り込んで来て金網越しに吠え散らされた。
”ああ、この金網があってホントに良かった”と私は思った。それにしても手が痛い。拳が砕けてしまっていた。
退屈で仕方のない牢屋暮らしも、昼の内は本が読める。私は宮本武蔵なるものを読んでいた。
「何の吉岡伝七朗のごときー!」
気が付けば本の世界に入り込み、私は武蔵のセリフを喋っていた。すると看守が、
「誰や、変なこと言うてるのは!」と言ってきた。私は”また文句をいう積りだな”と思い、知らん顔でいるともう一人のおっさんの看守が、
「今の宮本武蔵のセリフやろ?」と言い出した。そして、
「誰や、武蔵読んでんのは?」と座っていればよいものを、わざわざ牢を見て回り出した。
いちいちそんなことまで犯人捜しをやり出すとは、警察根性丸出しの嫌な奴だ! 私はそう思い素知らぬ振りをしていた。すると初めに言い出した口うるさい若い看守が、
「あ、それ立場です。さっき私出してやりましたから」と告げ口をしやがった。
”このあほは、余計な事を言いやがって!何が私出してやりましたからだ!それがお前の仕事だろ!漫画ばっかりだと頻繁に本の交換に牢屋を出入りするので、その度に牢の扉の開け閉めが面倒だからもっと小説でも読めと言ったのはお前ではないか!あのボケ、それをチクりやがって!”
本は三冊までしか牢内では持てないからだ。
私がそんなことを思っていると、おっさんの看守がひょいと私を金網越しに見下ろしてきた。私が電話の件でやり合ったあの禿の看守だ。
私はまた文句でも言われるだろう思い、黙って看守を見上げていた。すると、
「それは中々ええやろ?わしも武蔵は何回も読んでんのや。セリフ訊いただけでどの辺か分かる。今三十三間堂のとこやな。ええとこや。そっからもっと面白なって来るんや!」と看守は嬉しそうに話しかけて来た。
私は、はぁーと曖昧に頷いた。するとその後ニ十分ぐらいおっさん看守の武蔵談議を聞く羽目になった。
おっさんの看守は身振り手振りを交え、下がり松の件を一番いい所だと言って熱弁を振るった。私は余計なことを言いやがってと思いながら黙って聴いていた。そこはまだこれからの所だ。
しかしそんなことがあると、どの看守もちょっとぐらいのことで私に細かいことをガタガタ言わなくなった。
私は住めば都とはこういうことを言うのかもしれないと思った。しかし三か月は長すぎる。ああ辛い。
三月が過ぎている。ここに入れられて。
私は兄の起こした事故で死にかけてから、妻に兄達には係るなと何度もいったが、妻は全く聞き入れなかった。それで私は、
「お前は一体誰と結婚したと思っているのか!」とよく妻に言っていた。
ここに来て、そんなことが何度振り払っても頭に浮かんでは消えて行く。
結局、身内はおろか親兄弟も誰一人私に面会に来るものは無く、家の者では妻が一度だけ面会に来ただけだった。それも離婚届に判を押せとそれだけを言いに。 私は牢屋に戻ると、
「なんだかなぁ」と独り言をいっていた。もうそれを注意するほどの元気も失せている。
私は心身共に疲れている。しかしそれはこの牢屋暮らしだけが原因ではないだろう。この牢屋の中に居ながら、外に居る者達のことで精神的に追い詰められているからだ。
だがそれは今私が何かされているからではなく、何もされていないからだ。
「あのクソババァが!何処までほっときやがる気や。彼奴はホンマに母親か!あのクソババァが母親らしいことしたのん見たことないわ!早よ死に腐れ!クソババァ!」
私はぶつぶつ言っていた。黙っていようにも気が付けばぶつぶつ言っているのだ。すると、
「誰や、ぶつぶつ言うてんのは。また立場か?」と若い看守が金網越しに私の様子を見に来た。
「はい、考えてたらクソババァ腹立ってきて。静かにしてるよ」
私はしおらしく言った。
「まぁそれはええけど・・、あんまり考えるな。幾ら考えてもどうにも成れへんぞ。ここでは気楽にしてるしかないんや・・」
「そら分かってるけど、どうにも出来へんよって考えてまうんやんか」
私は起き上がりもせず、寝転がったままで言った。しかし若い看守はそんなことは気にもせず、
「電話でも掛けてやりたいんやけど、規則で出来へんからな。まぁ一回刑事にでも聞いてみたるわ」と優し気なことを言った。私が最初此処に入って来た頃とは同一人物とは思えない程の変わりようだ。
「そやけど立場、あの向うの小母ちゃんもう半年居てるんやぞ。そのこと思たらお前まだ半分やないか。元気出せよ」
若い看守はそう言って私を励ました。だが私は幾ら看守に励まされてもその声は心には届かず、気苦労で頭の方が禿げそうだ。
しかしそれにしても、女性用の牢に入っている人物とは相当辛抱強いふてぶてしい女だろうと私は思った。若い看守の話では見た目は普通の五十代の小母さんで、詐欺の容疑で此処に入って来たということだ。しかも完全否認をしているという。
それで私は興味が出て来て、根掘り葉掘りその看守にもっと詳しく教えろといってみた。すると若い看守は、
「他の収容者のことはあれこれ言うたらあかんのや」と急に態度を変えるようなことを言う。私は、
「何やそれ」とつまらない顔になったが、若い看守は金網に顔を寄せて手招きで私を呼んだ。私も金網に顔を寄せた。すると若い看守は小声でその女のことを色々話し出した。
その女は、霊感商法を働いたということだった。その辺のガラクタ屋で売っている壺を百万円程で幾つも売ったそうだ。
私はその話を聞き、霊感商法とは大変ありがたいものだと思った。ニ三千円の壺でそんなに儲けられるとは驚きだ。しかも警察に捕まっても自分さえその壺が霊験あらたかなありがたいものだと言い張り続ければ、無罪になる公算が高いと言うではないか。そういえばその女は何度も検事調べに行って、しょっちゅう外の空気を吸っているし、夜まで帰って来なかったりする。退屈で仕方ない私には羨ましい限りだ。
その上、知らん知らんと言い続けていれば何百万ものお金が取り得になると言うのだから、馬鹿らしくて真面目に仕事などやっていられないというものだ。私だってそういうことなら半年ぐらいこんな所に居ても屁でもないわ!
そう思うと、家の近所の軒下に誰かがメダカを飼っている壺があったのを思い出した。
「あ、あれは使えるかも分かれへんど」
私は一人呟いた。しかしよく考えてみると、私の様な者の話を聞く人間が居るのかが問題だ。そこで霊感商法の女の話をもう一度よく考えてみた。すると、普段妻が私にやっていることにそっくりだという気がしてきた。
私は一体今まで何をして来たのだろう。私は霊感商法は止めることにした。
それはそうと此処にきて私の体が変になって来た。牢屋暮らしが三月にかかった辺りから私の大事な一人息子が云うことを聞かなくなり、何故か急に目がぼやけだした。頭はぼーっと重く鉄兜でも乗せられているようだ。それに体が矢鱈と重い。
一体どうしたというのだろう。本を読んでいても行が変わると読んでいたところが頭から消え意味が続かず読めなくなった。
元々馬鹿の部類に入る私だが本ぐらいは読めていた。それが少しも頭に入らない。私は急速に元気がなくなり、頭で何か物を考えたりしなくなり出した。そしてぼんやりと心で思うようになった。
私は虚ろな目で牢屋の白い壁を眺めて居た。すると此処に至るまでのことが浮かんでは消え、我が身に起きた現実が心に映り、そして自分の未来に死が見えた。
私の妻は自分が何をしようと都合の悪いことは知らぬ存ぬで相手が諦めるまで無視するタイプ。総てそれでしかない妻は今被害者面をして離婚しろと言ってきている。
私に掛けていた保険は一体何なんだ!それを先に説明しろ!
私はそう思と段々腹が立って来た。しかし怒りに任せてしまうことも私には出ない。私達には子供もいれば妻も家族である。それを思うと、私はどんなに怒り狂っても身動きが出来なくなってしまう。そして私は自分の死が見えたのだ。
すると目の前の金網が単に嫌がらせのためではなく、自殺防止のための物だということに気がついた。そして私は此処は何と惨いことをしている所なのだろうと思った。
自殺は人間だけがするというが、その人生最後の選択まで奪っているのだ。
人は自分でどう生きるかを決めることが出来るが、それは自分の命を自ら絶てることの裏返しではないだろうか。
一体どういう気でこんなことをしているのかと思うが、警察の体質を思うと、これは単に収容者が死んだ時その責任を自分達が問われないためと、犯罪者をどうでも刑罰から逃れさせないという考えが見える。しかしそれを相手のためを思ってやっているという警察の人間は、成程大変な恥知らずな奴らだ。
よく外国の映画で大変な重犯罪人が、多くの人命が掛かっていることでどんなに苦しくとも自殺も出来ない牢獄に入れられたりしているが、それを人間の尊厳を踏みにじった最悪の獄だといっている。
それが私の目の前に当り前の様にある。私は、
「何でこんな金網を張ってんのよ、息詰まってしまうわ。嫌がらせえけ?」と言ったことがあったが、その時看守は、
「その金網はお前等のために張ってるんやないか。何が嫌がらせや!お前等の命守ってるんや!」と怒鳴られた。
私はその時はあまり深く考えず、何となくはぁ-と引き下がったが、今思うと、
「何がお前達のためだ!自分達が面倒臭いことになりたくないだけだろうが?正直にいってみろ!」と言いたくなってくる。
私はこの牢屋を見ていて”これが日本の社会の本質だろうな”と感じた。そう思うと、
”成程、人は法に触れずとも罪を犯す筈である”という気になった。自分自身も気付かぬ内に息が詰まっているのだろう。
そういう私は今息が詰まっている。何故自分を苦しめる警察の者達に気を使い、お世話になっているとお礼まで口にさせられねばならぬのだろう。そういう社会といえばそれまでだが、これまで会社組織の様なものに係ったことのなかった私は、此処でそういう社会の縮図を感じ気が重くなった。
私は小灯の下でぼんやりと牢屋を眺め、何か自殺の出来る方法はないものかと思っていた。実際には死ぬ気はないが、余りの苦しさにもしものことを思うと、その方法があるのは安心でもある。
するとトイレの扉を大きく開けると金具の所に少し隙間が出来ているのに気が付いた。これなら何とか服を通すことが出来そうだ。
私は着ていたトレーナーを脱いで袖を通して括くると、頭の入りそうな輪が出来た。頭を輪の中に入れてみた。すると何とか首吊りの格好になった。
「よし、これやったらいざとなったら死ねそうやど」
私はそう思うと、ちょっと試しに膝を下げてみた。
するとどうしたことか、もやっとした土砂降りの雨上がりの様な霧の中で誰かが私を手招きして呼んでる。私は何だろうと思い良く見ると、人影が三人ぐらいいる様だ。なんだかとても良い気持ちだ。よし、私もそっちへ行こう。そう思いするすると歩み寄ってみた。すると、急にゴツン!と強い衝撃を受け、私はギューンと後ろに引き戻されるように感じた。そして気が付けばトイレの中で頭を思い切りぶつけて倒れていた。私は思いもよらず自殺未遂をしてしまったようだ。
「あー吃驚したー」と私はトイレから出ると布団の上に座った。すると若い看守がそっと金網に顔を寄せ私の様子を覗いてきた。そして小声で、
「立場、どうしたんや?寝られへんのか?大きい音したやろ?どっかぶつけたんか?」と言ってきた。
私は何でもない振りをしてその場をやり過した。すると若い看守は、
「そうか、もう寝ろよ」と言ってそこを離れたが、困った様な難しい顔をしていた。明らかに私に何か不審を持っているような感じだった。恐らく、私の最近の心情を気に掛けていたからだろう。
しかし私の方は単なる偶然の産物だが、このことを境に頭はすっきりし、体も軽く元気が戻った。すると、これまでのことは此処までのこと、私はもう一度初めから自分の人生を始めようと気持ちが新たになった。
体の内から力も湧いて来る。勇気凛々とはこのことだろう。そして私は、はっと思った。
「これが災い転じて福となすというやつか!」
私は元に戻っている様だ。そして私はつくづく思った。
「あー、この金網あってホントよかった」
そして私はこの三日後、拘置所に慌ただしく移送されることになった。多分看守たちは面倒臭いことに巻き込まれることを避けたかったのだろう。
私は胸に不安を抱え移送車に揺られて行った。拘置所とはどんなところか?それを思うと久しぶりの街の景色も目に映らなかった。
そして、高い塀に囲まれた大きな鉄の扉を通り私は拘置所の門を潜った。今からどんなことが私を待っているのか。
その時の私には想像すら出来なかった。
前略塀の中より トチシュン @s4126t
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