前略塀の中より

トチシュン

第1話   留置場 その1

 


 前略、塀の中より。


刑務所という所は、実にくだらない辛く苦しい所であります。なのにそうゆう所へ行くことになった私は、やっぱり馬鹿と言うしかないのでしょう。しかしこうとなってしまったからには、人間開き直ることも人生を生きる上では必要なことではないでしょうか。

 私は、この塀の中でどうやってこの辛く苦しい長い時間を、心を折らずに生き抜いていくかを書き続けたいと思います。出来うれば、出所の日までお付き合い下しい。



 私が警察のご厄介になったのは、ほんの些細なことであります。とはいっても、世間ではそれを些細とは決して言わないでしょう。覚せい剤。悪魔の薬というやつです。

 覚せい剤という物は実に厄介なもので、”人に被害を与える訳でもない”とそんなことを心の何処かに思っているところがあったりするので、魔が差すといいますか、ひょんなところに現れると無し崩しに手を出してしまうというか、ハッと我に返るとやってしまっていることもあるのです。


 檻の中に居ます。今、私は。しかしここはまだ留置場。鉄格子の檻に、ご丁寧に目の細かい金網までびっしりと張ってあります。これを見て思うに、この金網は単に被疑者の精神を苦しめるために付けられているのだろうと思われます。何故なら、逃げ出せようはずもない太い鉄格子の牢屋にあえて張ってある金網は、それを見ているだけで息が詰まりそうになるからです。

 良く外国の映画などで牢屋を目にすることがありますが、こんなことをしているのは日本ぐらいではないでしょうか。

 考えてもみてください、窓もない小さな部屋に数十日も閉じ込められれば、誰でも気が変になるというものです。

 ”言いたくないことは言わなくていいです” などと取り調べの初めに刑事が形だけはいいますが、それはあくまでも形だけであって日本の司法の本性はそんな所に見えています。やってもないことでも、やったやったと言ってしまうのも頷けるというものです。日本に冤罪がなくならないのは、これのせいだな、と私は確信した次第です。


 そんなことを考えながら一夜を過ごし、やがて朝が来ました。すると隣の牢屋から、

「起床点検朝が来た、これで満期も早くなるー!」と大きな声が聞こえて来ました。そして、おはよう!とこちらの方にも声を掛けて来ました。

 この人は一体何なんだ⁈ 

 私は少し驚いた。何故、この隣のおっさんはこんなに元気なのか。理解に苦しむ。

 しかし私はそうは思いながら、

「あ、おはようございまーす!」と軽やかに挨拶を返していた。そしてハッと気がついた。

 これが郷に入れば郷に従え、というやつか!

 これまでずっと同じ町で、小さい頃からの友に囲まれてきた世間知らずの私は、世渡りの様なことは全く知らなかった。だがこれで私も一つ賢くなったというものだ。この調子であらゆる苦難を乗り越えよう。何処に行ってもそこにいる者達とうまくやる。それが今の私にとって一番重要なことなのだ。その時私はそう思いました。


 その後、布団を片付けそして洗面。暫くして朝食が出た。よく外国の劣悪な牢屋などで、食事を貰うのにお金を要求されるのを見ていた私は、看守に、

「あのー、お金は幾らぐらい払うんですか?」といったら、

「お前、映画の見過ぎやろ」といわれてホッとした。

 ちなみに、看守というのは刑務所での言葉で、留置場では担当というが、私には看守にしか見えはしない。こんな狭い所に私を押し込め苦しめてるからだ。


 メニューはご飯とみそ汁だった。切れっぱしの様な沢庵もちょこっとあった。食べてみたら割と旨かった。臭い飯という割にはそんな臭いはなく私はまたホッとした。なにしろ私は好き嫌いの激しいたちだから。


 朝飯が済むとやることがない。だがただぼうーっと座って居られない。立ってみた。鉄格子から外を覗いて見ると看守が何やら楽し気に談笑ている。この金網はホント邪魔だな、と私は思いながら、仕事中に何をへらへらと喋って遊んで居やがるのかこいつらは!ちゃんと仕事をしろ、この給料泥棒が!と言ったら怒られそうなので黙って思ってたら、

「こら!うろうろするな、大人しく座っとけ!」と怒られた。私は看守は不真面目な方が良い、そう思った。


 私は仕方も無いので牢屋の畳に座っていた。ゴム製の緑色の畳は何とも違和感を感じ落ち着かない。ニ十分が経ち三十分が経った。このまま夜までこんなことをしているのかな?と思うともう気が滅入って来た。すると、ガチャン、ガチャン!と隣りの方の牢屋の扉が開き始めた。

 何が起こるのかと思い私は立ち上がって覗こうと思ったが、また怒られそうなのでサッと中腰になって覗くと、看守に見つかる前に慌てて座り何でもないふりをした。胸がどきどきした。しかしそこまでした割には全く何も見えなかった。やはりこの金網のせいだ。それで何度もそれを繰り返していると、看守に見つかった。

 やばい!と思って小さく座っていると、

「運動や。お前新入りやから最後や。もうちょっと待っとけ」といって看守はにこりとした。

 同じことをやっているのに、さっきは怒られて今度は笑顔を見せられた。こいつらは一体、どういう基準で仕事してるんだ!と私は思ったが内心怒られなくてホッとした。


 暫くすると私の運動の番が回って来た。ガチャリと扉が開き、

「おい立場、運動や出て来い!」と看守にいわれた。

 申し遅れたが、立場は私の姓だ。

 言われなくても出て行くわ!こんな所、居たくている分けないだろが!

 私は反抗的にいってやりたくなったが、やっぱりやめにした。少しビビっているからだ。


 運動と言うから、てっきり広場の様な所でもあるのかと思っていたが、留置場のドアを開けたところのちょっと広めのベランダの様な所に出され、ここが運動場だといわれた。それもご丁寧に上には金網まで張ってある。こんな所にまで被疑者を精神的に追い詰める工夫がしてあるとは、念の入ったことだ。

 運動と言うからにはラジオ体操でもするのかと思ったが、全く何もしなかった。私は最初看守が何の指導もしないので、自主的にするものなのかと思い学校で習った通りに体操をし始めると、

「お前体操するんか?そんなこと別にせんでもええんやど」と看守がいった。

 私は直ぐに意味が分からず、え?と顔で看守にいった。すると、

「いや、やりたかったらやってもええんやけどな」といって看守は、ハハハっと笑った。

 私は、こいつは何が可笑しくて笑っているのだ、と思いながら、

「あ、そうですか。あ、はい分かりました」といっていた。こんな奴に気を遣う自分を嫌に思った。

 私は運動時間が終わるまで、金網の空を見上げたり誰かが切り落した爪を見つけたりしていたが、明らかに運動時間の十五分より早く牢屋に戻された。後で聞いた話だが、文句を言わなそうな者には看守は良くそうゆうことをするのだそうだ。やっぱり言いたいことは言うべきだと思った。


 

 牢屋暮らしというものは、大変辛く苦しい無限地獄の様な気分になるものだ。初めの方こそ、拘留請求だの検事調べだの外の世界に出ることもあるが、幾日かの取り調べが終われば、後は一日中狭い牢屋の中だ。

 こうなると、朝の十五分の運動が大変貴重なものになって来た。そこに気が付くと、最初の運動の時間をケチった看守のことが、許し難い奴に見えた来た。被疑者に与えられた権利を、責任問題に発展しない程度に阻害して自分達の馬鹿話の時間にしたり、ぼけーと欠伸しながら忙しい忙しいとぼやいているのだ。

「何が忙しいのだ!私は暇で暇で仕方がないのに!そこまで忙しいのなら私が代わりにやってやるというものだ。お前がこっちに入って居ろ!この税金泥棒が!」

と言ってみたいものだとつくづく思った。


 それはそうと、留置場にも慣れてくると運動も複数で出れるようになった。ある日隣の牢のおっさんと一緒になったので、少し怖かったが、

「何時も朝起き抜けに何を言っているのですか?」と聞いてみた。

 するとそのおっさんは、”起床点検朝が来た”というのは、朝が来て点呼を済ます度に出所の日が一日に近くなることを言っているのだといった。

 成程、決められた刑期ならば朝が来る度に自由の身になれる日が近づいたことになる。喜ばしいことだ。私もそう思おうと思った。

 しかし良く考えてみると、判決も下る前からそんなことを考えるのも気が早いことだとも思い、いかがなものかと思った。


 結局そのおっさんとは随分ひたしくなった。そのおっさんが、私を同じ牢に一緒に入れるよう看守を動かしたからだ。おっさんは私と運動で一緒になった時、

「わしと一緒の房に入るか」と言ったので、私はへへへへっと笑っていたのだが、そんな自分で勝手に決めれる訳無いだろ!と内心思ってたら、運動が済んで暫くすると、

「おい、立場。お前転房や」と看守が扉を開けて言った。

 私は、へ?となった。私には部屋の中で立って居るだけで怒って来る看守が、同じ収容者の立場の者に、

「おい、彼奴わしのとこ入れちゃってくれや」と一言いっただけで直ぐにその通りになるとは・・・。

 私は何処に居ても、やっぱり人がやっていることとはこうゆうものなんだな、と思い何故だか安心し気が楽になった。

 ところが私が同部屋になったおっさんは、実はやくざの親分だった。入れ墨も入ってなかったし、おっさん自身も何も言わなかったので私はすっかり安心していたのだが、刑事の言う話では子分も大勢居るそうで、

「彼奴は悪い奴やから、お前気ぃつけいよ」と言われ、私は吃驚驚いた。

 何も知らない私は、そのおっさんと自弁購入の蕎麦を分け合い仲良く食べて、

「よし、この蕎麦は兄弟分の盃や。半分ずつ行くか」とおっさんが言うのを、私はニコニコして一緒に食べてしまったのだったが、その時、

「わしの方が年上やから、わしが兄貴やど」とおっさんが言ってたのを「うん、ええよ」と私は気軽くいっていた。

 そういえば留置場の他の者達がおっさんのことを「会長、会長」と呼んでいたが、私はてっきり何か会社でもやっているのだろうと思っていた。その時点で気付くべきだろう。

 私は、これは一体どうなるのだろうか、と刑事の話を聞きながら顔が青くなった。


 結局おっさんは一度も私にやくざになれとは言わなかった。そして覚せい剤は何時までもするものでは無いといい、

「やるんやったらコカインにしとけよ」などと言っていた。

 私にはおっさんの言うところは何だか良く分からなかったが、やっぱり覚せい剤は怖い物なのだと思った。そしておっさんとは外で会う約束をして別れた。

 私はこの先も一般人で居られるのだろうか、と少し心配になった。



 警察官というのは実に詰まらない馬鹿げた奴らの集まりだと、私は此処に来てから思うようになって来た。看守は私達のことを見張っていると思っているが、こっちだって看守のことを一日中見ているのだ。

 実際、警察がというより国というモノがそうゆう体質なのだろうが、上には媚びへつらい、下には踏ん反り返る。

 外からお偉いさんが来た日など来る前からドタバタし、下っ端を見張りに立てたり私達にまで、

「今日は頼むど、ちゃんとやってくれよ」と自分達の仕事振りを良く見せようとしていた。

 そして何事が起きたのかと吃驚するような大声でお偉いさんに敬礼していた。私は、

「何時も通りにやれ!馬鹿たれが!」と大声で言った積りになって、大人しく黙って口をつぐんでいた。後が怖いからだ。

 しかしそこまで気を使ってやっている看守に、お偉いさんは素知らぬ顔でよそ見して敬礼を受けていた。私はそれを見て馬鹿らしく見えたが、やっている看守もホントは馬鹿らしいと思っているだろうと思った。

 しかし私が警察の人間を詰まらない者達に感じたのは、その様な場面を目にしたからではなく、その様なことをしている自分を恥じることを知らないと感じたからだ。それが普通なのだろう。

 実際刑事なども、被疑者に有利なことは胡麻化したり嘘を付いて騙したり、そんなことを当り前の様にする。

 私の様なお人好しは、後で気が付けば騙されていたり胡麻化されていることだらけになっていた。

 刑事という奴らは事実などはどうでもよく、自分が手際よく被疑者を極悪人仕立て上げれればそれでよいと思っていると、取り調べを受けていてはっきりと分かった。

 そんなあからさまなことを平然とし、腹の内を相手に見透かされても恥ずかし気も無いのだから、犬や猫とでも被疑者のことを思っているのかと警察の奴らに問うてみたくなるというものだ。

 人は誰しも自分を映す鏡を持っていると私は思っているが、刑事の顔を見てる内にブタに見えて来た。刑事の内面が顔に表れているのだろう。

 しかしそう考えてみると、ではそれは私の鏡に映ったものが刑事から自分に返って来ているだけだとも言えるような気がしてきた。。

 そんな自分を映す鏡なんてあるわけがない!私はそう思うことにした。何しろ私は犯罪者なのだから。


 

 留置場に居た人でもう一人印象に残った人が居た。その人もおっさんだったが、そのおっさんは色が黒く如何にもドカチンと言う感じの人だった。

 そのおっさんが何をして此処に入って来たかは話を聞いても良く分からなかったが、持ち物の中から注射器が出て来たといい、今それの検査をしているといっていた。そして覚せい剤の成分が出たら再逮捕になるだろうなどと。

 それを聞いて他の者たちは「陽性じゃなければ良いのにな」といったので、私もうんと頷いた。するとそのおっさんは、ブルルッと首を振り「とんでもない」といったので、私は大変驚いた。そのおっさんは、

「今外へ出たら借金取りに掴まって、どんな目に会うか分かれへん。出来ればほとぼりの冷めるまで一年ぐらい刑務所に入りたいんやけど」といい、看守に、

「何とかなりませんか?担当さん」といったので、私はこんな者が世の中に居るとは、と思い人間の多様性を考えずにはいられずやっぱり驚いた。



 それはそうと刑事の取り調べというものは実に傲慢で、許し難いものだ。私は取り調べを受けていて直ぐにそう感じた。 

 何時、何処で、誰から覚せい剤を手に入れたのか。それに係わっている者は他にいるのか。刑事が知りたいのはそれだけでしかなかった。それ以外をことには全く興味がなく、どのような理由で私が覚せい剤に手を出したかなどは全く聞こうとしなかった。ただ検事や裁判官に私の犯罪に至る動機や経緯が不自然に受け取られず、極悪人に見えればそれで良いようだ。

 だから被疑者に何か事情あったとしても、そんな事は面倒臭いだけで聞く気もなく、もっともな事情や理由があるとそれは却って刑事には迷惑なことだと思っているのだろう。

 仮に、わざわざ捕まえた犯人が本当は罪を犯していなかったとしても、犯していないという証拠がなければ幾ら被疑者が事情を説明してもそんな事は刑事は聞きたくないのだ。

 何故ならそんなことを聞いてしまえばその裏付けも取らなければならないし、真犯人を一から探さなければならなくなる。手っ取り早い所で事件を終わらせ、さっさと酒でも飲みに行きたいのだろう。

 被疑者が本当の罪人かよりも、手頃なところで点数が稼げればそれに越したことはない。前に建設現場で見たことがあるが、コンクリートの量を間違え足らない分をその辺の石や缶を放り込んで間に合わせているのを見たことがあるが、あんな様なものだろう。要はパッと見てバレなければそれでいいのだ。

 私は、刑事の取り調べを受ければ誰でもそう思うだろうと思った。


 私は取り調べ当初随分刑事に反発した。それは私が覚せい剤を使ったかどうかのことではなく、その使うに至った動機や理由のことである。

 刑事は私が何をいおうと全く聞き入れず、私が覚せい剤をやりたくてやりたくて仕方がなく、ああ、覚せい剤をやって楽しい、ああ気持ちが良い、覚せい剤のことを何時も考えている、覚せい剤があれば他のことはどうでも良い、と私が自分から言っていることにしようとするのをやめなかった。

 刑事は私が何も言っていないのに、勝手にべらべらとそうようなことを言いながら、

「そやな、そうゆうことやな立場」と一人で喋って調書にして行くのだ。私はその都度、

「そんなこと言うて無いやん、そんな分けないやろ」というと、

「お前そんなことないやろ。そんなんお前決まってるやないか」と刑事はいい、そのまま調書を進めようとする。それで、

「言うてもないのに何勝手に決めてんよ、人のこと・・・」と私が言うと、

「何が勝手じゃ、お前の言う通りに書いてるだけやないか!お前ええ加減なこと言うとったらあかんど!警察なめてんのか‼」と刑事は逆に怒ってくる。怒りたいのはこっちの方だ。

 すると刑事は少しだけ仕事のことや家族のことも書き入れる。

「私は覚せい剤をやろうと思ったが、仕事にも行かなければならないと思い・・・そうやな立場?」と刑事はそこで私に同意を求める。私は、

「そうやよ、迷惑かけられへんからな。やめよとしてたよ覚せい剤は・・・」というと、刑事は分かったという顔をし、

「迷惑を掛けられないと分かっていながら、私は覚せい剤がやりたくてやりたくて我慢できず仕事のことなどどうでもよくなり、覚せい剤さえ出来ればそれでいいと思い私は自ら進んで、誰に誘われることもなく自分の意志で覚せい剤をやったのです。その時仕事のことも家族のことも、私はもうどうでもいいと思っていたのです。・・・とそういうことやな、立場!」と刑事は言い、勝手に納得し、

「これで良し。ほな此処へ署名して指印押せ」と調書を締め括ろうとする。

 私はあほらしいやら馬鹿らしいやら、腹は立つわで呆れ返ってしまいました。そのくせ刑事は私が、

「そんなこと言うか!ええ加減にせいよ。そんなこと嘘でも言うたら仕事仲間に合わす顔ないやろが!そんなも押せるか!」

と本気で怒りだすと、

「お前子供のことも考えて、一日でも早よ帰れるようにしちゃらなあかんやろが。それにお母ちゃんも心配してるぞ。嫁さんも一人で心細いやろ。早よ刑務所行って一日でも早よ帰って来て、仕事仲間の所に戻ってやれよ」とか言ってくる。

 私は取り調べを受けていて、恥知らずの人でなしとはこういう奴のことをいうのだろうと思いました。しかし私の調書では、私が恥知らずの人でなしということになってます。そんな調書を見れば、私だってこの人でなしが!ずっと刑務所に入ってろ!と思うだろう。



 それにしても留置場の夜という奴はやたらと長く、我が身に起きた現実に戸惑い不安と焦燥感に苛まれ幾ら目を閉じていてもなかなか眠れない。その上馬鹿みたいに牢内の小灯が明るく余計に寝られない。

 こんなに明るくする必要が一体何処にあるのかと思うと、これも嫌がらせの積りでやっているのだなと思い、こんなところにまで被疑者を苦しめる工夫を凝らしているとは看守はきっと馬鹿に違いないと私は思った。

 しかしこれは結構堪える。するとこんな明りぐらい屁でも無いわ!とぶつぶつ言っていた。私は独り言をいい出したのに気が付き気を付けようと思うと、気を付けよう、とまた独り言をいっていた。これは要注意だ。

 

 しかし夜は長い、長すぎる。羊を数えてみた。羊が一匹、羊が二匹。気が付けば羊が五千六百五十・・・。羊だらけの中にいるような気がして来た。すると部屋の電灯が切り替わり、

「起床!起床!」と看守がいい出した。結局一睡も出来なかった。羊を数えると眠れるというのは、嘘だったということが分かった。これで一つ賢くなったのだろうかと私は首を傾げた。



 留置場では朝の運動と食事、それと週に一二度の風呂以外はひたすら地獄の様な時間を過ごすことになった。収容人員が減り一人部屋に戻されていたからだ。何が辛いといって、何もすることがないのがこれ程苦しいとは思ってもみなかった。新しい発見であったが、そんなことを納得している心の余裕など何処にもない。

 全く暇で暇で仕方がない。友人が面会に来てくれはするが、時間は短いし何度も出来ない。その上午前中に来られたりすると、もうその日は何も期待することが全くないのだから、自由に外で飛び回っていた者にはこれ程の苦痛は他にあるのだろうかと思ってしまう。そして色々考えてしまう。


 私が一体何をしたというのだろうか。人様に迷惑を掛けた訳でも無く、自分の働いたお金で買った覚せい剤を使ったのがこれ程の苦しみを受ける罪を犯したとは到底思えない。

 初めは社会からはみ出したことをしたと思い、反省しなければいけないと自分にも言い聞かせていたのが段々憎しみに変わって来た。

 こんな社会は糞喰らえだ!何を偉そうに覚せい剤をやった者は人間失格だとか何だとか、好き勝手なことを言いやがって!と私は腹が立って仕方なくなってきた。

 暴力団の資金源になっているだの、変な理由を根拠にテレビなどで反省していないなどと好き勝手なことを言いやがって!それならその根拠そのものをどうにかしろ!密輸する奴や造っている奴を適当に野放しにしてる者達は極悪人とは思わないのか!それなら私だって被害者ではないか!やろうと思えば出来るはずのことを、少しずつ取り締まりやがって!自分たちが気長にのんびりしていられるように仕事を作っているんだろう!!

 そんな邪推も湧いてくるというものだ。

 しかし警察も世間もたった一人の力のない者には、大変惨いことを平気でやるものだ。自分たちが体裁よく私は立派な社会人ですよ、と見せびらかすために世間の常識から足を踏み外した者を、徹底的に疎外するのはいかがなものかと私は考えた。

 何故なら政治家なんかは良く悪いことをしているが、捕まっても刑務所に入らない者も居たしまた当選することもある。一体どうなっているのか。私はそれを思うと世間の大多数の者の方が非常識に見えて来た。

 随分前のことになるが、ある元政治家が私の地元の近くの山を幾つも人を間に入れて買っていると噂になったことがあったが、その山々はその後、山が削られバイパスが出来、埋め立て用の土取りにも使われていた。

 その噂は地元の者なら知って居る者も多かったがその元政治家は安楽に天寿を全うしているようだ。

 他にも力のある者が不正を働き、生温い罰を受けのうのうと生きているのは毎日のようにテレビで見かけるが、暫くすると平気でまた現れるし世間もそれを受け入れ持て囃している。

 自ら名乗り出て大勢の人から信任を受けてその職に就きながら、私利私欲走った者が許され優遇されているのに、何故私は何も信用されてもいない者達に悪鬼下郎のごとき扱いを受けなければならないのかと思うと、ホトホト人間社会が嫌になって来た。これと言うのも、この金網が私の心と視界を塞ぐからなのだろう、と私は思った次第です。


 しかしそんな私も、他人や世間を朝から晩まで憎んで自分を慰めている訳ではありません。やはり自分の人生は自分で大事にしなければ罰が当たるというものです。そこで色々とこの苦しみを受けるに至った自分の何が悪かったのかを考えてみました。


 そもそも私が覚せい剤に手を出したのは、誘われて出た飲み会でのことでした。 そこでこっそり私の酒のグラスに入れられた覚せい剤・・・。

 その覚せい剤は私とそこへ一緒に行った知人が入れました。私はその現場を偶然目にしたのです。しかしそこに同席していた初対面の女がそれに気付き、

「お前、今何入れたんや!」と私がいいかけると、急に私をトイレの中に引っ張り込んだのです。そして、 

「私の気持ちを何故分かってくれないのか!」などといって、出会って数十分の女に振り回されてうやむやにされたのでした。

 私はその女とテーブルに居た時間よりトイレに居た時間の方が長く、その時は一体この女が何をしたいのかさっぱり分からなかったのですが、トイレを出てテーブルに戻ると、

「さぁ、飲みましょう」と言われその覚せい剤入りの酒を、私は一気に飲んでしまったのです。

 するとどうでしょう。それまでのことはすっかり忘れ私はガブガブと酒を飲みだし、後で我に返った時はその女の部屋で一緒に寝ていたのです。私は驚いて慌てて帰りました。

 しかしその数日後私が友人に会うと、その友人は私に何時間も一緒に覚せい剤をやろうと勧めて来たのです。しかもその前日、同じ友人同士である別の友人が家に訪ねて来て、私に覚せい剤があったら手に入れておいて欲しいといいに来ていたのでした。

 私はこの時まで覚せい剤なるものは実際には見たこともなく、飲み会の時も良く分かっていなかったので覚せい剤を縁遠いものとしか思わず、気軽に、

「ああ、あったらな」と言っていたのですが、そんな直ぐ目の前に現れるとはこんな偶然あるのでしょうか?とその時は全く考えもせず、

「ああ、あいつ言うてたな。持って行ってやろうか、どうしようか・・」などと思ってしまったのです。

 その考えが、何度誘われても覚せい剤はやらないと言いながら、私をその場に居続けさせたのでした。 

 そして私は覚せい剤をやってしまいました。今になって思えば、あれは全部一連の流れだったのではないでしょうか。私は今、奈落の底に落ちていくような気がしています。

 

 そういえば私の妻なる人はトンと面会に来ません。妻の父親が来て離婚だと言って帰りました。私は何だか複雑です。

 私は刑事が聞こうともいないため、私も話さなかった部分を自分の頭の中で良く整理してみようと思いました。

 そもそも私が覚せい剤をやってしまった後、妻はその日の内に私に何気なくそのことを言って来ました。

「どうしたん、何かあったやろ?」

 お前はどうしてそんなことに気が付くのだ!と私は思いながら、嘘の付けない性格の私は正直に覚せい剤をやってしまったと言いました。

「何で、そういうことをやったの?」

 妻が私に訊きました。ですが私は、何故こんなことになって仕舞ったのか自分でも良く分からず、説明しようもなかったので何ともはっきりとは言えませんでした。すると数日後、突然家に刑事が来ました。

「おーい、!ちょっと出て来てくれー!」

 早朝、近所迷惑な大声で私を呼ぶ者にただならぬものを感じた私は、嫌な予感がしサッと家の中で身を潜め息を殺しました。何度も繰り返し大声で呼ばれる私の名前に、私の胸の鼓動は耳に聞こえる程に高鳴りました。

 

 やがて刑事が諦めて帰ったのを見計らい私は外に出ておこうと玄関を出ました。すると開けっ放しのドアの裏で小声で話す妻の声がしました。私は不審に思い足を止めました。すると何と妻の話し相手は、私に覚せい剤を手に入れてくれと頼んでいた友人ではないですか。そして妻と友人の会話は、

「あいつなんで居れへんのよ?何処に行ったんよ」と友人。

「わかれへん」と消え入りそうな声の妻。

 私はそこへ顔を出しました。すると妻も友人も何でもなかったように、何処へ行ったのか心配していたところだと言いました。だが私は、どうしてお前がこんな朝の早くに玄関の裏で人目を避けるようにして私の妻と小声で話して居るのか!今はまだ七時過ぎだ!と思いました。ですが私は人を疑うということをあまりしたことがなく、その時は刑事に追い詰められていた気持ちもあって何も言えなかったのです。

 しかし今になって良く考えてみると、私が覚せい剤をやめようとすると、必ずその友人が私に覚せい剤をやろうと誘いに来ていましたし、疲れて寝ようとしている時も必ずやって来て、私が朝仕事に行くまで覚せい剤を一緒に使い続けようとしていたのです。

 そして不思議なことに妻も私が疲れて眠ろうとしていると、冷たいタオルを急に顔に押し付けたり、はっきり嘘と解ることを一方的に言い出し、私がもっとへとへとに疲れるまで止めないのでした。

 そしてそれが終わるとまたその友人がやって来て、私と一緒に覚せい剤をやろうとするのでした。

 そんなことが毎日のように私が捕まるまで続いたのを、これを偶然の出来事だと思っていた私は、一体何だったのでしょうか。


 それに急にこのようなことが始まり出す少し前、そうあれは去年の秋のことでした。私は兄に態と事故を起こされ九死に一生を得ていたのですが、その私に何故か妻が隠れて保険を掛けていたのでした。

 そしてつい先日、その事実に気が付いた私は妻の妹に呼び出され、そこで何故か警察に取り押さえられ此処に入る破目になったのです。

 ああ、私はこれらのことをどのように理解すればいいのだろう。


こうして私は眠れぬ夜を、刑事が聞こうとしなかった私が覚せい剤を使うに至った経緯と逮捕されるまでを、自分の頭と胸の内で振り返りました。

 人にはそれぞれ事情というものがある。しかし警察ではそういうものは面倒なものでしかないようだ。警察の調書などいい加減な物でしかなく、ただ人を大手を振って苦しませる。私にはそんなものに思えました。

 そして今それらの疑惑と言葉にならない怒りが、私の心に静かに灰色の渦を巻き起こし始めています。

 止まない雨はないと何かで聞いたことがありますが、こんな私に明るい未来はやって来るのでしょうか。

「ないと思うなぁ。」と私は牢屋の中で一人呟きました。また朝が来た。




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