恋愛スキャンダル


 『恋愛スキャンダル』はアイドルの不作法を語る上で外せない。

 アイドルにとって、これ以上不作法なことなど無いに等しい。そういう強さで語れる不作法が『恋愛スキャンダル』である。

 元来アイドルにとって恋愛はご法度だし、それに「スキャンダル」なんて単語が付いてしまったからさらに語感は悪くなる。

 スキャンダルはカタカナで書くと軽く感じるが、日本語に訳せば「醜聞、不祥事、恥辱」などとても不快感を煽る訳になっている。

 つまり『恋愛スキャンダル』は『恋愛醜聞』なわけだ。

 漢字で書くとここまで意味がスッキリするのは日本語の凄さだろう。

 それにしても『恋愛醜聞』。これは頂けない。

 醜聞につく醜いという字がまず嫌だ。スキャンダルと言っただけだと、大したことのない問題のように思えても『醜聞』と言われてしまえば無視は難しくなる。

 醜聞とは文字通り、聞くに堪えないものことだ。恋愛で聞くに堪えないことをする。アイドルとは正反対のものだろう。

 この『恋愛醜聞』について、少し考えてみたい



 まず、人間、恋をするのは自然なことだろう。

 人であれば誰だって恋をする。誰かを好きになったり、付き合いたいと思うのは自然なことだ。

 得手不得手があるのは置いておいて、恋をすることを止めるのは難しだろう。

 誰しも「恋をするのは自然なこと」だなんて分かっている。

 アイドルを管理する会社の人間も、アイドル自身も、そしてアイドルを応援するファンでさえ「恋をするな」と言える人間はいないはずだ。

 私もそれには賛成する。

 人は恋をする。

 自然な感情を抑制することは碌な結果を産まないのは、それこそ世に溢れる『恋愛スキャンダル』を見ればわかる。

 人は駄目と言われたことほどやりたくなるものなのだ。

 だからこそ、私は言いたい。

 人が恋をするのは自然ことだ。しかし、アイドルは恋を自由にすることは許されていない、と。



 そういうと必ず出てくるのが、「アイドルにも人権はある。アイドルだって自由に恋をして良いはずだ」というような反論だ。

 アイドルにも人権はある。それは当たり前のことだ。彼女たちに限らず、私達人間は生まれながらに自分の意思で物事を選択する権利を得ている。

 恋をするのも自由。アイドルを好きになるのも、嫌いになるのも自由。アイドルになろうとするのも、アイドルを作る側になるのも自由だ。

 社会でこの自由というものを使うときに、忘れてはならない大前提がある。それは「他の人の自由を侵害しない範囲で」という条件文だ。

 私達は、何をするにも自由だけれど、自分の自由のために他人の自由を侵害してはならない。

 分かりやすく言えば、自分が食べたいからといって、売り物であるリンゴを自由に食べてはいけない。

 そんなことをすれば窃盗罪だ。

 人間は、人間社会を回す上でルールを定めた。その範囲を守ってこそ自由は保証される。


 アイドルが自由に恋をする。

 これは某48グループの契約書に書いてあるという『恋愛禁止』というルールをこれ以上なく打ち破るものだ。

 彼女たちは、そういうルールがあるのを分かってアイドルになる。これは契約だ。

 そして、それを守らない。これは明確な契約違反である。

 恋をしていけないわけではない。彼女たちは契約違反をしているのである。

 

 その上、恋愛スキャンダルは大抵碌な結果を産まない。契約違反なのだから、それも当然なのだが。

 まずスキャンダルというものは、見つかっては駄目なものが見つかるのだ。

 隠し事というのは、その内容が何であれ良い気分はしない。

 その結果、恋愛スキャンダルが出たアイドルは、何かを隠していた、嘘を付くというイメージが付く。

 これはどう転んでも良いイメージにはし難い。元々清純さで売っていたアイドルほどダメージは深くなる。


 恋愛スキャンダルが大きくなるほど、ダメージは深くなる。

 契約していたはずの仕事が解除になったり、別のアイドルにすり替えられたりする。

 こうなってくると事は、アイドルが自由を叫べる話ではなくなる。

 なぜなら、アイドルは社員であり、社員が会社にダメージを与えたら基本的には首である。

 

 ことが芸能界だから、ピンとこないが、これを一般的な会社に当てはめてみよう。

 A社とB社が契約を結んだ。極秘で進めるプロジェクトであり、他言無用とされていた。それを一人の社員が外で話してしまい、契約は解消された。

 この場合、「人は言論の自由を持っている。何を話そうが自由だ」と言ったところで、鼻で笑われて終わりだろう。もちろん、会社は解雇される。


 ここまで言っても、「芸能人にとって恋は芸の肥やし。して悪いわけがない」という人間もいるだろう。

 恋をすることで芸事が上達する、深みが出るとは昔から言われている話である。

 私もそれは否定しない。そりゃ、燃えるような恋をしたことがある人間のほうが、そういう役は上手にこなすことができるだろう。

 しかし、これには、もっとわかりやすい反論がある。

 恋は自由だ。しかし、恋をすることで仕事に影響を出すことは禁止である。

 学生にもわかることだ。

――恋したので、宿題を提出できません。

 言い訳にしても最悪の部類のものだろう。この言い訳を先生に言える学生がいたら、ぜひ教えて欲しい。



 日本では昔から「恋にうつつを抜かす」といわれることがある。

 恋したことで、うつつ(現実)を忘れてしまうのだ。この状態はアイドルに置いては不作法にしかならないことを肝に命じたい。

 この不作法中の不作法をしておきながら、生き延びれるアイドルはもはやアイドルという枠には収まっていないだろう。

 アイドルではなくタレントとして生きれば問題ない。恋多き女という言葉もある。

 結局は、本人次第というのが、アイドル業のおもしろところだろう。

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