五、死の舞踏-Totentanz-

 音楽祭第一日当日の朝。一団は準備を万端に整え、馬車で勇んで会場へ向かった。

 町を見下ろす山の頂上に、古城は朝霧に包まれて神秘的な偉容を見せそびえ立っていた。城門付近の砦には大勢の馬車がひしめき、入場待ちの観客が列をなしている。

 城壁や塔には巨大な旗や垂れ幕が掲げられ、城館に囲まれた大中庭には、既に大勢の観客がひしめいている。中庭正面に建つ大礼拝堂の祭壇前が舞台だ。

 内郭城壁に沿って一列に並んだ各参加者の幟旗は、選考と抽選で割り当てられた演目の順序発表を示す。その最も奥にアンスバッハ楽団の紋章旗もあった。すなわち順番は、ラストだ。

 一同は楽屋として与えられた一室に荷物を下ろすと、城館テラスに設けられた参加者用の観席に通された。中夜祭を挟んで明日の晩に出番が来るまで、当分は自由に祭りを楽しめるようだ。

ゼバス「城内酒場ホーフケラーで、出演者にはビールやターフェルワインがサービスのようです。上の階には展望レストランもありますし、表の出店に行かれてもよろしいでしょう。皆さん、しばしリラックスしてお楽しみ下さい」

 もっとも、ゴーシュら途中参加組は楽屋で最終特訓に余念がないようだったが。

 そして、今やある種肝が据わったように、普段の柔らかい微笑みも、動揺すらも見せずに、表情を硬く張りつめさせたアンナ。

パンドラ「う~ん、いよいよ本番かぁ。久しぶりのこの緊張感。気持ちいいねぇ♪」

 展望レストランに行き、椅子に座りワインに手をつけるパンドラ。

パンドラ「リート、ドリス、レオ、そしてフランシー。みんなどこにいるか解らないけど、応援しておくれ。必ず優勝するからね」

 外の街を一望できるレストラン。パンドラはその風景を眺めながら、悲しみの表情ともとれる笑みを浮かべた。彼女もまた、自分自身に誓いを立てた。

アイシャ「え…と……ここと、ここ……」

 幾つもの付箋の貼られた台本を手に、科白の確認に余念の無いアイシャ。

 緊張で呂律が回らなくなるのではと、水の入ったグラスを片手に台本の反芻にいそしむ。

 舞台で始まったオープンセレモニーや二流チームの発表に目もくれず、観席に座って台本にかじりつくアイシャ。その背後から、不意にやや気取った声がした。

「ことに暗記にかけては誰よりも熱心だね、アイシャ君──あ、ドルジさん達もご苦労様、これは差し入れです」

アイシャ「グリム先輩!」

 りんごジュースの瓶を両手に持った、学院生グリムの姿があった。

ドルジ「この前の密告劇は実に愉快じゃったぞ。して──どうじゃ、城の方は幾らか調べはついたかね?」

グリム「ええ、まぁ──証言をまとめると、どうやら亡霊は夜中にしか出現しないと見えます。問題の地下室への入り口は幾つかあるようですが、後ほどご案内しましょう」

 声を潜めて告げるグリム。

パンドラ「亡霊ねぇ。あんまり気にすることなんてないと思うけど」

 アイシャとグリム達のところに下りてきたパンドラ。

グリム「もう練習はしないのですか?」

パンドラ「少しはやるけど基本は休むだけさ。やることはやったからね。後は何千、何万の踊りを覚えさせてきたこの身体を信じるよ」


 夜が更け、辺りを闇が支配する荒野をパンドラは走っていた。

パンドラ「まっとくれよみんな! どこに行くんだい!?」

 パンドラの数十メートル先を四人の男女が歩いている。走っても走っても追いつけない。それどころか、距離はどんどん離れていった。

パンドラ「そっちは行っちゃいけないんだ! なぜか解らないけど、そっちは駄目なんだ! お願いだから行かないでおくれ! フランシー! レオ! ドリス! リート!」

 なおも追いかける。腰から剣が落ち、髪留めが外れ、赤い髪が風になびく。

パンドラ「いたっ!」

 走っていたパンドラの足に槍が刺さった。草の中から飛び出た槍である。パンドラはそれを引き抜くと、足から流れる血が草木を赤く染めていった。

パンドラ「フランシー!」

 顔をあげると、いつの間にか四人の男女は目の前に立っていた。座り込むパンドラを見つめて。

フランシス「姐さん。どうしてまだ生きてるの?」

リート「なぜ貴女だけ生を感じている」

ドリス「私たちはこんなに苦しいのに」

レオ「魔性の赤い髪を持つ女、パンドラ。君のその呪われた運命が我々を死へといざなった」

パンドラ「違う、生きてるよ。みんな……」

フランシス「だから姐さん。一緒に死のうよ」

リート「死こそが安らぎ」

ドリス「これで貴女の罪も消えるわ」

レオ「死ね!」

 剣がパンドラの胸を貫いた。赤い鮮血が辺りに飛び散り、仲間達をも赤く染めた。

パンドラ「いや、いやぁぁぁぁぁ!!…………………」


パンドラ「はっ!」

 部屋で仮眠をとっていたパンドラは勢いよくベットから飛び起きた。

パンドラ「夢魔インキュバス。やれやれ、これも亡霊の仕業かねぇ」

 パンドラはシャワー室に向かい、大量にかいた汗を流した。

パンドラ「みんな生きてる。必ずまた会えるわ。まずは優勝して自慢話でもしてあげようかしらね。ふふふ」

 パンドラは夜風に当たろうと城の裏庭に出た。テラス酒場の上の葡萄棚には宵かがりが点っているが、もう夜も更けたため店は閉まり、酔いしれていた人々も部屋に戻ったようだ。

 彼女もここで中夜祭の宴を楽しんでいたが、子供達を寝かせに部屋へ戻り、そのまま眠りに就いてしまったのだった。

 人気ひとけの無くなったテラス席に腰を下ろし、パンドラは城下を眺めた。城の外郭に面した砦状になっている庭からは、闇に包まれた小山の林と、その向こうに麓の町の夜灯りがまばらに見下ろせる。

 そして、彼女は先程の悪夢に思いを巡らせていた。それは、何か虫の知らせだったのだろうか──

ゼバス「パンドラさん……!」

 不意に背後から声がした。駆け寄ってきたゼバストゥス氏は、時ならず不安と動揺の表情を見せていた。

ゼバス「娘を……アンナを見かけませんでしたか? ふと起きてみたら、姿が見当たらないのです……」

パンドラ「んふぅ~。まったくこんな時間に何処へいったんだか。けっこうアクティブな子だねぇ」

 とその時、城の塔から時ならぬ鐘の音が低く鳴り響いた。

 不定時の鐘──それは、志願護衛隊に緊急事態を知らせる合図だ。

グリム「あっ、パンドラさんとゼバストゥス先生!」

 ブレザー姿の青年・グリムが、二人を見かけると駆け寄ってきた。

グリム「ちょうどよかった。封鎖していた地下への通路に、何者かが侵入した模様です!」

アイシャ「どうしたんです?」

 鐘の音を聞いて、アイシャは寝ぼけ眼でパンドラ達のもとへ現れた。

 事の次第を聞くと直ぐに支度を済ませる。

ゼバス「地下に行ってみますか!?」

パンドラ「だね。坊やたちも呼んでくるかい?」

 その頃、ドルジファミリーの寝室では──

カテナ「すー…すー……まってよぉ…どこいくんだよぉ…そっちいっちゃダメだよー……うさぎぃ…とりぃ…ひつじぃ…ヤクぅ……」

 鐘が鳴ってもぐーっすり熟睡しているカテナ。


クルト「おまたせ……!」

 アイシャに続いて、ドルジ達も起きてきた。カテナはまだ眠そうだ。そして何故か頭から水浸しだ。クルトの手には空の水筒がある。

ドルジ「地下への侵入者と聞くが?」

ゼバス「ええ。それと、アンナが見あたらないんです……」

ドルジ「ふむ、すぐに行ってみよう(まさか、悪い事態になっていなければよいが……)」

カテナ「きのうもよくねてないのにー! オイラをおこしたこと、こーかいさせてやるっ! はやくおわらせて、オイラアンナをさがすんだ!」

ゼバス「では、私はしばし娘を探してみましょう。皆さん、お気を付けて……!」

グリム「急ぎましょう、こちらです!」

 一同はグリムの案内で、問題の地下室への入り口へ向かった。

 途中、守衛達がおろおろとした様子で集まっていた。

守衛「こんなところに塀の崩れ穴があるとは……問題の場所はこの奥の建物です」

 奥まった茂みの裏に、煉瓦の塀が崩れて小柄な人が通れるほどの穴が開いていた。

ドルジ「地下入り口へは人を近づかせないよう厳重警備が敷かれてあったのではあるまいかね?」

守衛「は、申し訳ありません! しかし、いくつかある地下入り口のうち問題の箇所は、魔法の結界に守られていたためまず安全と思い、周囲に間接的にしか警備を置いていなかったのです。それと、ごく一部にしか知られていない場所なので、逆に悟られるのを避けようと……」

ドルジ「成程。侵入者は結界を解いて入った、すなわち何らかの能力者と見える……ともかくは問題の場所じゃ」


 守衛に案内された場所は、立ち入り禁止区域の隅に人知れず建つ、茨にまみれた旧礼拝堂だった。

 その奥にある半地下祭壇の全体が、隠し扉になっていたようだ。祭壇の脇が半開きにずれ、内側から結界の護符が貼られている。

守衛「物音に気づいて我々が駆けつけた時には、既にその状態でした……」

ドルジ「合言葉で開く魔法扉のようじゃ。護符は、並の神殿なら蓄えてある簡単なものじゃの」

クルト「中からちょっと“負の生命力”の気配がするよ……」

パンドラ「“負の生命力”ねぇ。命があるならゴーストではないよね。実体がある相手なら大歓迎だよ」

ドルジ「負の生命力、すなわち死霊アンデッドの気配ということじゃ。俗に言うゴーストも含まれる。実体があるとは限らんの」

アイシャ「ゴーストは勘弁して欲しいですね……」

 負の生命力があると聞いて、一層気を引き締めるアイシャ。おもむろに自分の小杖ワンドの先に照明魔法ライトで灯りを点す。

クルト「気をつけなきゃ……」

 一同は祭壇の隠し扉を潜り、念のため扉に内側から施錠の魔法を掛けると、深く地下へと続く階段を進み始めた。

 とその時、カテナはかすかながら、身近に覚えのある匂いを感知した。そう、いつもアンナの身に着けている、素朴でやさしい香りだ。

カテナ「……!! うそ…でしょ……こんなところに!?」

 急に走り出して、一気に階段を駆け降りて行くカテナ。

 匂いを辿って駆けるカテナ、そしてそれを追う一同。と、階段の下の方に転がった助祭帽が視界に入った。そう、まさにそれは匂いの元だった。

カテナ「これだよ! これからアンナのにおいがするっ!!」

 拾ってみんなに見せるカテナ。

クルト「アンナさんの帽子!? まさか……」

ドルジ「なんとしたことじゃ……」

 帽子が落ちていたのは、階段が広い地下空間へと下り立つそのたもとだった。

 そしてその時、辺りの空間に蒼く濁った霧が立ち込めはじめ、誰しもが直感的に、底知れず禍々しい気配を感じた。

クルト「来る……すごく強い死霊アンデッドの気配!!」

 霧の中から浮かび上がったのは、無数に蠢く骸骨や、宙を舞う人のような半透明の影。その数はおびただしく、瞬く間に地下の広間全体に満ち満ちていった。そして、手にした楽器を奏で、あたかも来客をいざなうように、あるいは挑発するように、大舞踏を繰り広げる。

パンドラ「へぇ、綺麗なワルツね。いや、これはまるで……」

 それはまさに、「死の舞踏トーテンタンツ」そのものだった。

グリム「ちょ……パンドラさん! 感心してる場合ですか!」

パンドラ「はは、すまないねぇ。さて、あたしの剣が通じるか分からないけど……」

 赤い髪をなびかせ、勢いよく腰から剣を抜き、そして構えた。

パンドラ「やってやるかい!」

カテナ「はやくアンナをさがさなきゃ……わるいけど、じゃまするならほんきでいくからね!!」

 パンドラに続いて鋼の爪を構えるカテナ。

アイシャ「……来ます」

 行方不明の少女を心配するより、迫り来る敵意に対する注意に気の多くを割く自分にいくばかの自己嫌悪を覚えつつも、仲間に俊敏魔法クイックネスをかけるアイシャ。

パンドラ「先手必勝!」

 前方に飛び出し、大きく剣を下から上へと振り上げた。相手が並の人間なら悪くて即死。最低でも昏倒は免れないような強烈な一撃である。

 だが、剣は虚しく空を斬り裂いただけであった。

パンドラ「ちっ! やっぱり駄目か。さぁて、どうしようかねぇ」

 死霊たちが大舞台を繰り広げる中、落ち着いた雰囲気のパンドラは、近くのテーブルの上に座った

亡霊達『来たれ、甘き死よKomm, süßer Tod! 死こそ唯一の安息! さあ現れよ、喜ばしき死の日よ! さあ打て、最期の時を告げる鐘を!』

 不協和な合唱と狂気的な乱舞を繰り広げつつ、パンドラ達を取り囲むように群がってくる亡霊達。

ドルジ「いかん。パンドラ殿、しばし待たれよ!」

グリム「いえ、ここは僕が!」

 聖力付与ホーリー・ウェポンの呪文を唱えようとしたドルジを止め、高価な魔晶石を惜しげもなく使って、パンドラの剣とカテナの爪に炎力付与ファイア・ウェポンの魔法を飛ばすグリム。

 (これだから学院魔術士は……)と、言葉に出さずに呟くアイシャだった。

カテナ「ありがと! いっくぞーッッ!!」

 宙返りムーンサルトしながら爪を振り下ろし、炎がその軌跡を朱く煌かせる。

パンドラ「いいぞグート!」

 炎の力を得たパンドラの剣が、敵を一瞬のうちに葬った。

ドルジ「では、わしも攻撃に打って出させてもらおうかの。諸君、しばし直視禁物!」

 ドルジは前線に対峙する二人の後ろへ出て、手にした杖からまばゆい光を放つ。

亡霊達『ギエェェェェ!!!』

 パンドラ達に群がりかかろうとしていた亡霊達は、うめき声を上げてひるみ、一瞬目を眩ませた。そこにすかさず、クルトの光精霊ウィスプが乱れ飛ぶ。

クルト「突破なら今だよ!」

 部屋中に立ちはだかる亡霊達には大きなひるみが生じていた。その広間の突き当たりには、堅牢な扉が見える。

カテナ「あのとびらでいいのかな……さそわれてたりして」

 一行は亡霊達を薙ぎ払いながら奥の扉を目指して走っていった。

グリム「しかし、こうも敵が多くてはキリがありませんね」

パンドラ「よそ見するんじゃないよ!」

 グリムを体当たりで吹き飛ばすと、亡霊の放った刃が、パンドラの腰を切り裂いた。

パンドラ「ちっ!」

 倒れ込みながらも剣を振るい、近くの亡霊を消し去った。

グリム「パンドラさん!」

 腰から血を流しながらも、ゆっくりと立ち上がるパンドラ。

パンドラ「みんな聞いとくれ。ここはあたしがくいとめる。その隙にみんなは扉を抜けて、奥へと進むんだ」

グリム「そんなっ!?」

パンドラ「ここに全員残っていても時間の無駄さ。アンナがもっと危険な状況になっちまうよ」

グリム「では僕も!」

パンドラ「いいから行きな。あんた、あたしがやられるとでも思ってるのかい?」

 グリムに顔を近づけ、パンドラは美しい笑みを浮かべて言った。

グリム「い、いえ」

 少し顔が赤らむグリム。

パンドラ「解ったなら急いで! さぁ、かかってきな悪霊ども! 何時間でもダンスに付き合ってあげるよ!」

 仲間達が走っていくのを見た後、パンドラは亡霊達に剣を構えた。

アイシャ「お気をつけて……」

 アイシャはパンドラに思いつく限りの支援魔術をかける。少しでも助けになればと願いつつも、自らの不慣れな魔術に唇を噛んだ。

 クルトは走り去り際にパンドラへ寄り添い、肩に軽く手をかざす。一瞬温かい光がパンドラを包み、その身に受けた深い傷はすっかり癒された。

クルト「気をつけて……っ!」

ドルジ「しばし時間を稼いだら、すぐに追いつくのじゃぞ!」

 一同はパンドラ一人を広間の中央に残し、それぞれ身につけた軽業や幻術などを駆使し、群がる亡霊達を撒いて扉の方へと急いだ。

 いち早く扉の元へ辿り着き、その戸を叩くカテナ。しかし扉はびくともしない。と、そこでカテナは、足元に一冊の古めかしい本が転がっていることに気付く。

ドルジ「それはしや──」

グリム「ええ……!」

 それは、グリムがこの城から拾ってきたというファウストの書だった。あの後、一同が宿営する教会の祭具庫に納められていた。立ち入れるのは聖職関係者のみ──アンスバッハ親子は准聖職者ディーコンだ。

ドルジ「アンナ嬢の第二の遺留品か……」

カテナ「アンナ…どーして……。ここまでしてオイラたちのゆーしょーをねがいたかったの……?」

ドルジ「カテナ達、しばし防いでおってくれ!」

 守備をカテナに任せ、ドルジは本を開いた。

カテナ「あったりまえ! オイラにはそれ、もようにしかみえないもんね! こっちのほうがらくだよっ!!」

 闇の中、ランタンの薄灯りに照らし出された古書。その写本された文の上に、ぼんやりと別の文字が浮かび上がる。

ドルジ「成程、闇中の薄明かりに浮かび上がる魔法文字があると聞く。暗号が仕組まれておったのじゃな──恐らく、ここへの道しるべを記した……」

グリム「なんという……僕はとんでもないものを持ってきてしまったのですか……!?」

 ドルジの言葉を聞いて、とたんに狼狽しだすグリム。計算外の事態には弱い質のようだ。

 その間にも、亡霊達は次々に襲いかかってくる。

ドルジ「いかん。アイシャ、解読できるかね? この扉を開く手掛かりもあるはずじゃ」

 ドルジは本をアイシャに渡すと、彼女を壁際に寄せて守る形で、杖を振りかざして前線に立った。

アイシャ「確かに本は好きですが、この状況では……」

 カテナ達に背中を預けながら、必死で古い本を探るアイシャ。集中力を必要とするため、命綱である、自らの姿を消す隠遁魔法コンシール・セルフも解けてしまっていた。

 本の紙面に浮かび上がった古代文字を読むアイシャ、それを庇うように取り囲み、亡霊達と対峙するカテナとドルジ。

 その時、広間の壁に刻まれた石碑やレリーフから、群がる亡霊達より一回り大きな黒い影が数体現れた。

「騒がしい! 我らが呪縛の眠りを乱すは何者か!?」

 黒いマントの下にぼろぼろの貴族服を見せたそれらは、ちょうど以前グリムが幻影で見せたファウスト像に酷似していた。

「見よ、人ではないか!?」「生ける者か!」「死者の聖域を侵す輩か!」

 連中はドルジ達の姿を、ミイラ状に落ちくぼんだ眼孔で奇妙そうに見つめ、口々に言っている。

 と、闇に包まれた細剣レイピアが一人の鞘から抜かれ、一閃、宙を斬ってカテナ達の前に突き立てられた。

亡霊詩人「ここは汝らの踏み込む場所ではない! 我らヴァルトベルク詩人団と亡者達の束縛の地なり!」

カテナ「え……ここって、このくにのしじんたちのおはか!?」

 群がる亡霊達を払い除け、カテナは一人の亡霊詩人に直接掴みかかった。クルトの光精霊ウィスプ援護射撃やグリムの防壁魔法が、それに続く。

 渡された本に目を凝らすアイシャ。と、脳裏に念話のようにして言葉が送られてきた。彼女は文字自体も読むことが出来たので、難解な韻文で書かれた文面と僅かに違って、伝わってくる言葉が繰り返し訴えかけるような口調であることにも気付いた。

アイシャ(力ある者を誘いだそうとしている。これはある種、誘惑の呪句──でも、何のために……)

 本には、見聞きする者の精神に働きかける呪句が仕込まれていることに気付いた。

パンドラ「でやぁ!」

 振り下ろした炎の剣が目の前の亡霊の身体を一刀両断した。

亡霊「おお、我が楽団の戦士達をここまで倒してのけるとは!」

亡霊「すでに戦士達の三分の一がやられてしまった。恐るべき踊り子よ」

パンドラ「やれやれ、まだそんなにいたのかい。これじゃあ夜が明けちまうね」

 身体の至る所から血を流しているパンドラは笑みを浮かべて、頬から流れる血を舌でペロっとなめた。

亡霊詩人「ほう、舞うような足取りとしなやかな身のこなし──その女は踊り子か、面白い。だが、少し遅かったようだな」

 部屋の中央で奮闘するパンドラを見て、一人の亡霊詩人が感心したように言った。

アイシャ(ファウストは悪魔と契約しながら、志果たせずして没した……つまり、今も呪縛に取り憑かれ続けているはず)

亡霊詩人「腑抜けた楽人共の相手はもう飽き飽きだ。寧ろ、今はその命を捧げるがよい」

 あたかも指揮者に従うバレエ団のように、亡霊詩人の指揮に従って舞うようにパンドラらを攻撃する亡霊達。

アイシャ(呪縛から逃れる方法は、契約の成就、或いは、対価を支払った上での契約破棄──)

亡霊詩人「ファウスト閣下の御心に適う楽人を求めることは、残念ながらもう必要なくなったのだ。今や、くびきを打ち破る手段を得たのだからな!」

 対峙する亡霊詩人の放った強かな剣に、カテナは遂に弾き倒された。ドルジもかなり傷を負っている。

カテナ「うがぁっ!!」

 ごろごろと転がって、遠心力を利用して飛び起きるカテナ。

カテナ「いっててて……じーちゃん、だいじょーぶ?」

 苦笑いをしながらちらっとドルジを見る。

 その答えを聞く前に放たれた、アイシャの言葉。

アイシャ「(まさか……)アンナさんを──助祭の少女を生贄に捧げるつもりですか!?」

カテナ「がぅッ!?」

 驚いてアイシャを見、そして亡霊詩人を見る。

 亡霊詩人の落ちくぼんだ眼孔が、不敵な笑みを浮かべたように見えた。

カテナ「──────ッ」

 その笑んだような目を見た瞬間、カテナの中で何かが吹っ切れた。

カテナ「……るか…。…せるか…そんなこと……。させるかあぁあぁあぁッッ!!」

 パンドラ同様、バーサクモードだ。


 それから、どれほど時が流れただろうか。広場の真ん中で戦い続けるパンドラ。しかし、ついに腕がぐったりと下を向いた。

パンドラ「ぜぇ、ぜぇ……(そろそろ限界かもねぇ)」

 亡霊詩人の指揮する闇の楽士たちがパンドラを襲う。

 剣を地面に突き刺し、身体を支えているパンドラ。肺から漏れるような呼吸。体中から流れる血。吹き出る脂汗。かすんだ目。彼女にも限界が来ていた。

亡霊「貴様、本当に人間か!?」

亡霊「ただ一人でここまで戦えるとは。だが、所詮はここまでが人間の限界。我が楽士達はまだたくさんいる。時間の問題だな」

パンドラ「(ぜぇ、ぜぇ……)まだ結構いるね。でもあたしは負けないよ」

 かすれた目で楽士達に剣を向けるパンドラ。足がふらついていた。

少女亡霊「きゃはは♪ そんな格好で喋っても、ぜんぜん説得力ないよぉ♪」

 少女の亡霊が笑いながらパンドラに近づき、顔をのぞき込んだ。

パンドラ「野犬が放たれた……」

少女亡霊「ん?」

 前に垂れた赤い髪の間から、狂気に満ちた目が現れた。

少女亡霊「ひっ、ひぃ!!」

 恐怖に震える敵の顔の前を一瞬、赤い線が横切った。

少女亡霊「ぎゃあ!」

 血で染まった赤い剣が亡霊を斬り裂いたのだ。

パンドラ「野犬が放たれた! 狂気という獣が心を支配する! 今のあたしの精神テンションは貧民時代に戻ったわ! 呪われた赤い髪を持つ忌み子! 冷酷! 残忍! そのあたしがあんたらを倒す! さぁ、かかっておいで!」

 狂気に満ちた美しい笑み。力を取り戻したようなダンスが広場で繰り広げられた。

亡霊「ヒャハ! 死ぬときぐらいは大きな声で泣いておくれよ! 美しいお嬢さん!」

パンドラ「つれないねぇ、こんな美女とのダンスを終わらせる気かい?」

亡霊「ヒャハァ! 死ねぇ!」

 亡霊は高く飛び上がり、剣をパンドラに向かって振り下ろした。

パンドラ(ちっ、身体が言うことをきかない……ここまでか……)

『呪われた赤い髪の忌み子……』

 死を覚悟したパンドラの脳裏に、ふと過去の光景が蘇った。

パンドラ「違う、あたしは……」

『この子は悪魔の子よ!』

 母親に悪魔の子と呼ばれ、捨てられた幼き少女。

パンドラ「あたしは……」


 渾身の力を振り絞って亡霊詩人に掴みかかるカテナ。だが力の差は五分五分といったところ。数の差では到底敵わない。

ドルジ「いかん、このままでは間が持たん……してアイシャよ、扉を開く術は如何に!?」

アイシャ「はい……」

 アイシャは、大きく息を吸って震える手元を落ち着かせた。

アイシャ(側近達はもはや私達に聞く耳を持たないけれど、ファウストはどこかで様子を伺っているはず。それならば――)

アイシャ「ファウスト卿の、耳に留まる楽芸を演じる他は……」

 その時、広間の中央で奮闘するパンドラの異変に、クルトは素早く感づいた。闇の精霊にして恐怖の精神を司るシェイドの力が、異様な勢いでパンドラを包んでゆく。

クルト「パンドラさん……っ!!」

 クルトの呟きに続いて、仲間達もそれに気付いた。精神が共鳴したといってもよい。

アイシャ「パンドラさん……パンドラさんの悲しみが伝わってくるわ」

カテナ「うう、アイシャ。オイラにもつたわってきたよ」

ドルジ「い、いかん! パンドラ殿!!」

 恐怖に取り憑かれて激しい動揺を見せるパンドラ。その様子を最も動揺して見守るのは、相変わらず窮地の判断に弱いのか──若き魔術士だった。

グリム「な、何か打つ手はないのですか!? ドルジ先生、アイシャ君……!」

ドルジ「先程アイシャの言った通り──楽芸、じゃ」

グリム「な……そんな!? まさか、この状況で楽芸だなんて!」

ドルジ「おぬし、ゼバス師の音楽を幻影魔法イリュージョンにて収集しておるのじゃったの?」

グリム「そうか……なるほど、やってみます!」

 青年はドルジ達の後ろで、詠唱の集中姿勢に入った。

 パンドラの頭上に半透明のシャンデリアが点り、それを中心にしてきらびやかな灯りに彩られた空間が広がってゆく。戦いに疲弊した一同の装いも、華やかな舞台衣装と変わる。

 広間中に浮かぶ、ガラス細工やカボチャの形などをした灯明。驚嘆すべき巨大空間魔法だ。

 彼のかばんで大きな魔晶石が次々に砕けたのを、アイシャは口惜しそうに眺めた。

カテナ「…すっげぇ………」

 周りの変化に思わず動きを止めて感心の息を漏らすカテナ。

 そして、演奏されるは躍動的な円舞曲ワルツ

アイシャ「今まで私達は、彼らの舞台仕掛けに踊らされていた……」

 そのリズムは、混乱のさなかにあるパンドラの耳にも届き、掻き乱された心を奮い醒ました。

ドルジ「諸君、舞台での高鳴る心を思い出すのじゃ。いざ、第二幕は我々の舞台じゃ!」

 その声にクルトらは覇気を取り戻し、亡霊詩人に向かって踊るように攻撃を再開する。

カテナ「へへっ、よーーし! オイラやるぞー! アンナをたすけるんだッ!! ……うがあぁあぁぁッッ!!」

 父に叩き込まれた格闘術に加え、持ち前の野生能力、そして今回身に付けた飛芸師の技術を合わせ持つことによって作られる独特の戦いを繰り広げる。

パンドラ「うわああああ!!」

亡霊「なっ! なにぃ! 馬鹿なぁぁぁぁぁ!!」

 大きな叫び声とともに渾身の一撃が地面に放たれた。

 そのあまりの轟音はまるで火竜ドラゴンの咆哮のように広場に響き渡る。

 すさまじい衝撃の波が広間中に轟いた。そしてその破壊力によって、広場を埋め尽くすほどいた亡霊が全て吹き飛んでいった。

パンドラ「闇は闇の中へ。混乱は喧噪の中へと消えていけ」

 パンドラはその場に座り込んだ。

パンドラ「雑魚は全て片付けたわ……後のことは……みんなに任せたよ……」

 全ての力を使い果たしたパンドラは、精神の回復のために眠り込んだのだった。

アイシャ「最も恐ろしい夢を見せ楽人の度量を試す……ですか」

ドルジ「じゃが幸い、パンドラ殿には、芸に対しては一抹の不安も無かったようじゃの」

 カテナを先頭にして扉の前に陣を組むアイシャ達と、倒れたパンドラの側に寄って傷を癒すドルジが、微笑みを交わす。

亡霊詩人「何としたことか……恐るべきかな、火竜の舞姫!」

 取り巻きの大部分を失った亡霊詩人達には、動揺と隙が見て取れた。

 暖かく優しい思いがパンドラの心に伝わってくる。

パンドラ「ドルジ翁……」

 しばしの眠りから目を覚ましたパンドラ。その横には癒しの術を施すドルジの姿があった。

ドルジ「おお、気付いたかね? 良かった! さぁ、無理をなさらずに、今しばらく休んでおるのじゃ」

パンドラ「大丈夫、みんなが戦っている。私だけ休んでいるヒマはないわ」

 ドルジによってある程度の力を取り戻したパンドラは、ゆっくりと立ち上がった。

パンドラ「みんな……今こそ力を見せる時よ!」

カテナ「パンドラ……がぅっ、そうだね! パンドラだってがんばってるんだ、オイラもがんばるゾ!!」

アイシャ「そうですよね……負けません」

 再度、頼もしい仲間達に支援魔術をかけるアイシャ。

ドルジ「彷徨える亡者に安らかな眠りを!」

アイシャ「大いなるマナよ、皆を守る力を与えたまえ!」

クルト「みんな一緒! 絶対に負けない!」

グリム「もう逃げない、今こそ勇気という力を示す時!」

カテナ「ぐるるる、がぅっ!」

パンドラ「赤き炎は力の解放、皆の思い! これが最後の舞よ! ファウスト卿、とくと御覧あれ!」

 仲間達の思いが一つとなって、広場を包み込んだ。

 その姿はまるで『皇帝円舞曲』カイザーヴァルツァーのような優雅で力強いものだ。

 聖なる閃光とともに、幾体もの精霊の光球と、二本の絡み合ったマナの雷撃が相次いで飛ぶ。その爆煙を縫って瞬速で繰り出されるカテナの爪、そして真紅の炎をまとったパンドラの剣が、中央に立ちはだかる亡霊詩人の胸を貫いた。

 底知れぬ闇を切り裂くように、まばゆい光がほとばしった。グリムの幻術でも、ドルジの神聖魔法でもない。それは、人為を超えた絶対の光のように見えた。

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