二、不穏な影と亡霊伝説

 それからまもなく、一同は本格的な練習のため、会場となる古城の麓にあるヴァルトベルクの町にやってきた。

 小さな城下町は、開催十日ほど前にも拘わらず参加者らの馬車で溢れかえっていた。

 一同は練習場である聖ルダー教会の宿舎に入った。参加者の多くは開催に先立つこの期間、こぞってこの町に集まり、宣伝と前哨戦も兼ねて公開特訓をするのだ。

 演目は、『聖女ブリギッドのサガ』

 炎の女神にして女勇者である聖女ブリギッドの神話が題材だ。

  大賢者ポードリク:ドルジ

  荒野の妖精ホビット/飛び芸:カテナ

  泉の天使/ソロ・フルート:クルト

  福音史家エヴァンゲリスティン(語り部):アイシャ

  そして主役の聖女ブリギッド:パンドラ

 アンスバッハ楽団の名は次第に噂となり、見物や差し入れ、さらには他グループの楽人も集まってきた。

子供「ドルジのおじいちゃんカッコイイ~」

女1「あのちっちゃい坊や……可愛いわぁ」

女2「カテナ君も可愛いけど、やっぱりクルトちゃんよ。お人形さんみたい」

男1「アイシャさん……惚れました……」

男2「パンドラ姐さん美しすぎます! 一生ついて行きますよ!」

ドルジ「ふぉっふぉっふぉ。どうじゃ、似合うかね? あー、サインは後での」

 得意に決めポーズなど取って見せ、すっかり役者然としているドルジ。

クルト「っと……」にこり

 観客に構わず黙々と練習に打ち込みながら、時折ちらりと嬉し恥ずかしといった表情を覗かせるクルト。

パン屋「いや~、今日の練習も素晴らしい。この調子なら優勝間違いなしですな」

 いつものパン屋が稽古場に差し入れを持ってきた。

パン屋「しかし、こう有名になられては、いささか心配ですな。例の噂が……」

ドルジ「ほう、何のことじゃね?」

 と、声を潜めて答えるパン屋の男。

パン屋「いえね……“出る”んですよ。優勝候補と噂される楽団の者が、次々と……」

 ――夜襲われたり、行方不明になったり、突如精神錯乱に陥ったりという事件が、ここ数日の間に起こっているとの噂がある。

ドルジ「ほう、聞いたことがあるぞ……ここヴァルトベルク城では昔から吟遊詩人の歌合戦が行われておったが、かつては皇帝の御前での詩人魂を懸けた決闘。敗者が自殺したり、舞台で失敗した者が処刑されたり、はたまたライバル同士の謀略、死闘という血塗られた歴史があるというが」

ゼバス「ええ、そうして無念のうちに果てた詩人達の亡霊が、化けて出るという伝説です」

 練習を終えた一行は近くの椅子で休みながら、差し入れのパンを食べている。

パンドラ「なんだいこの人だかりは。いつの間にかすごい賑わいになってるねぇ」

ゼバス「知名度が上がるのは良いことです。しかし、ヴァルトベルクの亡霊の話。確かにいささか不安ですね」

パンドラ「今、知名度が上がるのは良いことだって言ったばかりじゃないか。亡霊にもあたしたちの名前が届くってことだろ?」

ゼバス「ほっほっほっ! これは一本とられましたな」


 壮麗かつ緻密な音楽に乗って披露される、アイシャの清楚なメゾによる語り歌レチタティーヴォ、カテナの身軽で躍動的な飛び芸、クルトの愛らしい仕草と幻想的な笛、ドルジのふくよかなバリトンと風格ある立ち回り、そしてパンドラの情熱に満ちたコントラルトと舞劇。

 と、不意に戸が開け放たれ、白い巻き毛のウィッグで貴族風の男二人が練習場に踏み込んできた。

男1「ふん、舞台は相変わらず場末のぼろ教会か」

アンナ「あの……すみませんが、練習中なのでお静かに……」

男2「黙らっしゃい。三文ミサ弾き屋がいい気になりおって」

 男達はアンナの制止やざわめく観客を押し退け、ずかずかと舞台に侵入してくる。

ゼバス「何者ですか、貴方達は!?」

男2「何者だと? ふん、礼儀知らずの田舎者が!」

男1「キミも音楽家の端くれなら、高尚なる大芸術家アマデウス・マースハルト先生の執事に聞く口を選びたまえ」

ドルジ「ほう、帝都ヴィエンナで今を時めく若手音楽家か……」

男1「如何にも、その老体の申すとおりだ」

男2「ひひ、やっと分かったか? 下賤が。こっちは格が違うんだよ!」

男1「分かったら、そろそろ身の程をわきまえよ」

 教会の中は緊迫した空気に包まれた。

パンドラ「アマデウス・マースハルト。“神童”ヴァンダーキントと呼ばれていた天才芸術家」

アンナ「知っていらっしゃるのですか?」

パンドラ「ああ、わずか六歳でヴィエンナの宮廷や皇帝の前で演奏した天才ぶりなど、旅芸人をしていた最中でも、嫌というほど耳にしたよ」

男「ならば、我々の偉大さがわかるはずだ! 諸君らは頭が高いのですよ!」

 パンドラは近くにいた貴族風の男の顎をわしづかみにして、十㎝ほど持ち上げた。

男「なっ、なにをしゅる!」

パンドラ「いちいちでしゃばるんじゃないよ! マースハルトの活躍は何度も聞いたことはあるけどね、あたしはあんたのことなど知らないよ! ここで大きな顔をするんじゃない!」

男「はっ、はなしぇ! ひぃ、たしゅけて!」

ゼバス「パンドラさん!」

 止めに入ったゼバスの顔を見て、パンドラは手を離し、男はその場に倒れ込んだ。

男「ひぃぃ……何と、何たる野蛮な!」

 パンドラの掌から解放されて、床に尻餅をついたまま戦々恐々としている男達。

カテナ「なんか……よくわかんないよ。いろんなひとたちが、いろんなおんがくを、いろんなひとたちにきいてもらって、だれがいちばんよかったかをきめるものなんだよね? その『いろんなひとたち』にオイラたちはいないっていうの? どーして? ねぇ、どーして??」

 ずいずいと男達に寄りながら言う。

男「ま、まだ思い知らんか、小僧が……んがっ!?」

 カテナに詰め寄られて見苦しく威張ろうとする男の口に、湿気た黒パンをめりめりと詰め込むクルト(真顔)。

クルト「もっと食べる?」

男「むごごーーッッ!!」

 そこにすかさず観客達が群がり、二人を引きずって聖堂の戸から放り出す。

ドルジ「当日会場でお会いしましょうぞ」

クルト「ごはんは良く噛んで食べるんだよ」

 ずれたカールウィッグ頭に食卓塩をぱらぱらと振りかけるクルト。

男「むぐ、ぶはっ……ち畜生、ただで済むと思うなよ……!」

 男達はパンを吐き捨てると、一目散に去っていった。


「まったく、宮廷楽士はろくなヤツがいねぇ。音楽祭のたびにあーいうヤツラがいて、この町ではみんな毛嫌いしてますよ!」

「しかも連中、音楽祭の審判に裏で賄賂を払ってやがるって噂ですぜ!」

 見物に来ていた町の人は、忌々しそうに戸口を見て口々にそんなことを言う。

ドルジ「聞き捨てならん話じゃの……どれ、夕の買い物ついでに少々調べてみるかの。彼等の噂と、ついでに亡霊伝説とやらを」

クルト「市場の横に交番があるよ。図書館は公園のとこ」

 カテナ達の方に目をやり、外出用の帽子を取るドルジ。買い物かごを持ってきてそれに続くクルト。

パンドラ「あたしも買い物に行こうかね。ちょうどワインが切れてたんだよ。あとこの街には火酒サラマンドラは売ってないのかしら」

ゼバス「火酒サラマンドラはヨークラントの街でしか造ってませんし、売ってませんからね。しかし、あのお酒を良く飲めますね。鉱山の屈強な男でさえ三杯は飲めないというお酒ですよ」

パンドラ「そうなのかい? あたしは昔、ヨークラントでボトル一本空けたけどね。ふふふ」

クルト「パンドラさん……!」裾をくいくいと引っ張る。

パンドラ「ああ、用意はできてるよ」

カテナ「あっ、オイラもいく! よーやくこのごわごわしたの(←オラトリオ用の衣装のこと)ぬげるんだな! えへへっ、こっちでもたくさんともだちできるといーなぁ!」

 カテナの支度は、外出用の服を着るのとは逆に、脱ぐだけ。

アンナ「わ、私もご一緒させてくださいっ!」

 今までの様子をおろおろと見守っていたアンナが、勇気を出すように申し出る。

 そんな彼女の声が耳に届いていないのか、次々に支度をして出て行ってしまう冒険者達。

アンナ「う、やっぱり私なんかお邪魔ですよね……ドルジさん達は立派な冒険者ですし……」

 暗唱に必死なアイシャ――語り部なので台詞が一番長い――を除いて次々と出て行く一同、その脇でしょんぼり顔で独り言を呟いているアンナ。と、不意に裾がくいっと引っ張られる。

クルト「支度まだ?」

 こういう時に一番よく気が回るのは、実は一見マイペースなクルトなのだ。

ドルジ「店はともかく、図書館が終わってしまいますぞ」

アンナ「えと……よ、よろしくお願いしますっ!」

 戸口で振り向くドルジに、慌ててお辞儀して駆け寄るアンナ。

アンナ「あの、私達この町の出身なので、案内ぐらいは出来ると思います……!」

クルト「わたしもうぜんぶ覚えたよ?」

アンナ「ええっ、もう!? し、失礼しました!」

 ともあれ、一同は夕暮れの路地に出た。


 列の先頭十歩ほど先を、時折先導するように振り向きながらも、マイペースにどんどんてこてこと進んでゆくクルト。

 パンドラは、ソーセージ屋などに目を奪われるカテナと、それを「駄目よ」といった感じで、カテナの手を引っ張るアンナの方を見た。

パンドラ「ふふ、まるで犬と散歩する少女ね。可愛いわ」

カテナ「いぬってゆーなぁ!!」

 威嚇するように牙を見せて怒るカテナ。

アンナ「カテナくんはいつでもお元気ですねぇ……」

 脇のソーセージ屋やケバブ屋などを興味津々で余所見しながら歩くカテナに、アンナはまだ少ししょんぼりしながら付き添う。大舞台を控えた緊張と相続くごたごたの気苦労とで疲れているようだ。

カテナ「がぅ! オイラげんきだ! アンナはげんきじゃないのか? あ! じゃあオイラとともだちになろーよ! ともだちだと、いっしょにいるだけでたのしーんだぞ!」

 にぱーっと笑いながら言うカテナ。

アンナ「えっ……!? はいっ、私なんかで良ければ、お友達になりましょう!」

 カテナの言葉に一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐにぱあっと嬉しそうに顔をほころばせるアンナ。

クルト「お友達、少ないの……?」

 いつの間にか列の後ろに戻ってきたクルトが、アンナの横から顔を覗き込む。

アンナ「えぇ……聖歌隊のみんなは姉のように慕ってくれるんですけど、助祭の規律は厳しいですし、本当に気を許せるお友達はいないんです……だから、カテナくん達とお会いできて本当にうれしいです♪」

ドルジ「先のマースハルト楽団執事の悪態と賄賂の噂、そして高名の楽人を呪うという亡霊伝説……パンドラ殿はどう思うかね?」

 ドルジはパンドラに大人トークを持ちかける。

パンドラ「マースハルト楽団のことは放っておいて良いんじゃないかい。音楽は魂の芸術だ。あんな奴らにあたしたちの音楽を超えることなんてできやしないさ。まぁ、マースハルト本人が出てきたら、どうなるか分からないけどね。亡霊の話も都市伝説か何かだと思うよ。亡霊のことを考えすぎると、演技に支障がでちまうよ。おそらく、それが狙いの噂か何かだろうよ」

ドルジ「それが狙いの噂か……成程。それも一理あるかの」

カテナ「えっと……ぼーれーはゆーしょーしそうなところがキライで……さっきのにんげんたちもゆーしょーしそうなところがキライで……? でも、ぼーれーとにんげんたちはちがうし……あれ? いっしょ? でも……うがーーっ! オイラわけわかんなくなっちゃったよーー!!」

 パンドラとドルジの話す後ろで必死に考え込むカテナに、ドルジは振り向いて頭を撫でる。

ドルジ「よい目の付け所じゃ、カテナ。そう、先の輩も亡霊とやらも、同じく名高き楽人を敵とするようじゃ。では、その高名なマースハルト楽団は亡霊に狙われんのかの?」

クルト「交番着いたよ」

 そうする間に、一行は広場の角にある交番の前にやってきた。

警官「これはこれはアンスバッハ楽団の皆さん、ご苦労様ですぞ!」

 パンドラ達を見て笑顔で敬礼する警官。

パンドラ「あたしは小難しい話は苦手なんだ。情報収集とかは皆に任せるよ。あたしはワインを買ってくるわ。坊やにはソーセージでも買ってきてあげるわ。この地方の焼きソーセージブラートヴルストは美味しくて有名だからね」

 パンドラはドルジ達と別れて、下町の方へと歩いて行った。

警官「どうだね、練習頑張ってるかい?」

クルト「ん!」こくこく

警官「人気も好調のようでよろしいですな。ですが、気をつけて下さいよ、最近どうも物騒な事件が続いていますからな」

ドルジ「ふむ、高名な参加者が狙われるという例の噂のことかね?」

警官「ええ、昨夜も一組襲われましたよ。亡霊の呪いなどと噂されていますが、まったく何者の仕業でしょうな」

カテナ「ね、ねぇ……。そのまーすはるとってひとたちはおそわれたことあるの……?」

 かなり警戒しながら警官に話しかけるカテナ。警官との距離を少し開け、ちょっと睨むように。

警官「マースハルト楽団かね?──はぁ、そういえば彼らがやられたという報告は受けておらんね。高名というなら筆頭だろうに、どうしたものか……」

クルト「…………!」

ドルジ「成程。して、具体的にはどのような事件が起こっておるのじゃね?」

警官「夜道で突然植木鉢が降ってきたり、屋敷に夜な夜な奇声や怪しい影が現れたり、夜中にオルガンが独りでに鳴り出したりと、おおかたは悪質な悪戯としか思えませんな。もっとも、失踪して数日後発狂して戻ってきたりという、不可解な事件も若干あるのですが」

カテナ「がぅ? かえってきたひとがいるの? いまそのひと、どこにいるのかおしえて! あとでそこいってみようよ、じーちゃん!」

警官「あ? ゴーシュさんのところへなんぞ行って、坊やどうするつもりだい? ……ハッ!」

 ヨルズ神官の聖印とプラーガ中央魔法学院の紋章を見せるドルジとクルト。

ドルジ「ほっほ、ご安心あれ」

クルト「えへん!」

警官「何と、冒険者の方でしたか。しかし、彼は戻ってきてきてからチェロの弓も握れず、ずっと宿舎に引きこもりっぱなしと聞きます……出来るだけそっとしてやって下さいな」

 警官は躊躇しながらも、チェロ奏者ゴーシュ氏の居場所を教えてくれた。

アンナ「あのゴーシュさんが……立派なお仕事に就いて忙しくされてると思ったら……」

 カテナの後ろで、驚きと不安の混じった表情をしているアンナ。

カテナ「だいじょーぶだって! オイラたちがげんきだしてあげればいーんじゃん!」

 にこーっとしながら言うカテナ。

ドルジ「さて、チェロ弾きの方は後程として、買い物ののち図書館に向かうかの」

 ドルジ達は交番をあとにして、市場で買い物を済ませると、パンドラの待つであろう図書館に向かった。


 広場にはソーセージの屋台が香ばしい煙を上げている。太焼きソーセージブラートヴルストはこの地方の名物だ。

 場所だけ確認すると、パンドラはまず広場から少し入った路地にあるワインケラーに入った。

 奥には初老の店主が一人。古めかしい店内の棚には、このあたりの上質なビールや白ワインが並ぶ。

パンドラ「へぇ、美味しそうなのがあるじゃないか」

 パンドラが棚から白ワインを手に取った。

店主「なかなかお目が高い。それはトロッケン・ベーレン・アウスレーゼ・ワインです。最高級の極甘口ワインですが、お値段の方は安く提供させていただいてますよ」

パンドラ「これも美味しいけど、どちらかというと、あたしは白より赤が好きなんだ」

店主「ではこれなんかはいかがですか?」

 店主が奥の棚から一本の赤ワインと試飲用の同じワインを持ってきた。

パンドラ「この香り、味は……ドルンフェルダーね」

店主「そうです。非常に深みのある濃厚な味。この輝きと優雅をもった赤色は、貴女の髪のように美しいですよ」

パンドラ「気に入ったね。これを買っていくわ」

店主「ありがとうございます。このワインの美しさと貴女はとてもよく似ていらっしゃる。少し安くしておきましょう。ぜひ今度はプライベートで御一緒にお飲みしたいものです」

パンドラ「ふふ、いい歳してあたしを口説いているのかい? 悪くない気分だけどね。そうだ! 近々、この町で音楽祭があるだろ。それにあたしは出場するから見に来ておくれよ」

店主「おお、あの音楽祭に出場なさるのですか! では、少々お待ちを!」

 店主は部屋の奥に行き、一本の赤ワインを持ってきた。それを二つのグラスに注ぎ、片方をパンドラに渡した。

店主「これは『勝利』を意味するワインです。貴女の栄光と勝利を祈って、乾杯ツム・ヴォール!」

パンドラ「ありがとよ。乾杯ツム・ヴォール!」

 二人は近くの椅子に座り、乾杯した。そして数分ほど会話を楽しんだ。

店主「ほっほっほっ! 久しぶりに楽しいお酒を飲めました。感謝します。もう少しで貴女を口説き落とせたのですがね」

パンドラ「あたしも楽しかったわ。あんたがあと二十歳若ければデートの申し出を受けても良かったけどね。まぁ、また飲みましょう。じゃあね」

 パンドラは手を振り、店を後にした。そして再び賑わう街中を歩いていく。


 その頃、教会の修道館の一室に残って黙々と練習を続けるアイシャ。

 オルガンの伴奏を付けてくれていたゼバスが、ふと手を止めてため息をつく。

ゼバス「やれやれ、かのマースハルト楽団に目を付けられるとは、考えようでは喜ばしいことだろうか……“ファウスト卿”など城の亡霊詩人にまで名が聞こえるようになれば、いよいよ恐縮ですね」

 アイシャを振り向いて苦笑する。

アイシャ「リヒャルト・フォン・ファウスト──数々の名作を残し、帝国随一と讃えられたあの古の大詩人のことですか? そういえば、今私達が演じている『聖女ブリギッドのサガ』の原作者でも……」

ゼバス「流石よくご存知で。その彼も、悪魔に魂を売ったとされ、ここヴァルトベルク城で処刑されたのです。今や亡霊詩人達の筆頭となっているという伝説です」

アイシャ「亡霊詩人の筆頭、ファウスト卿……」

ゼバス「気になりますかな?」

アイシャ「ええ……少し、不吉な予感がします」

ゼバス「──今日の特訓はもうお終いにしましょう、この調子なら大丈夫です。お仲間は買い物ののち、図書館に行くと言っておられましたよ」

アイシャ「わかりました。伴奏の方も、有り難うございました」

 ゼバスと挨拶を済ませて、ドルジ一行と合流すべく図書館へ向かうアイシャ。

アイシャ(亡霊なんてにわかに信じがたいけど……ドルジさんには伝えておいた方がいいかもしれない)


 買い物を済ませたパンドラは、次のチェックポイント・図書館に向かっていた。

 日は既に沈みかけた黄昏時。石畳の裏路地にガス灯が点り始める。

 と、不意に殺気を感じてはっと立ち止まるパンドラ。その一歩前で、けたたましい音をあげてウォッカの瓶が二、三本割れる。

パンドラ「──!!?」

 続いて、足元に飛び散ったウォッカが、どこからともなく発火する。

パンドラ「くっ!」

 一瞬、火に包まれるがそれを振り払い、後方に退いた。勢いよく飛び退いたせいでハイヒールのかかとが折れた。パンドラはあたりを見回した。

紳士「大丈夫ですか、お嬢さん!」

 燕尾服に立派な紋章の入ったマントを羽織った紳士風の男が近づいてきてマントで火を打ち払い、ハンカチを取り出す。

パンドラ「ありがとう、大丈夫よ」

 パンドラはハンカチを受け取り、顔を拭いた。

紳士「今、医者を呼びましょう!」

パンドラ「いや、本当に大丈夫よ。ありがとう」

 少し黒く汚れたハンカチを男に返した。

パンドラ「やれやれ、なんだってんだい。坊やにあげるソーセージが焦げちゃったわ。大切なヒールまで折れちゃったし。まぁ、ワインは無事だったけど」

 もう一度、辺りを見るパンドラ。

パンドラ「亡霊の呪い? ふふ、まさかね。どうせ街のチンピラか酔っ払いの仕業でしょう。まったく『炎の竜姫』と謳われたあたしが火の難に遭うなんて最低ね」

 少し歩きにくそうにパンドラは石畳の道を歩いていく。


 町のやや外れにある図書館の入り口には、パンドラの姿があった。しかしその洒落た服や手にしたソーセージの包み紙には、所々焼け焦げた跡がある。

クルト「パンドラさん大丈夫!?」

パンドラ「やれやれよ。裏通りのジャンクキッズどもが火炎瓶を投げてきてね(たぶん)。それでこのざまさ」

カテナ「パ、パンドラぁ!(ソーセージは)だいじょーぶなの!?」

アンナ「本当に大丈夫ですか!? 傷を見せてください! 手当をしますから!」

 アンナの強引な行動に少したじろいだパンドラは、アンナの言うとおり、その場で手当を受けることにした。

パンドラ「演技には支障はないから安心しな。この程度の傷は慣れっこだからね」

アンナ「演技とかの問題ではないですよ! パンドラさんのお怪我が心配なんです!」

 パンドラは少し涙目のアンナの頭を優しく撫でた。

パンドラ「優しいわね。その気持ちは音楽にも聖職にもとても重要だ。忘れずに大切にしなよ」

アンナ「……そうですね。いきなりごめんなさい、パンドラさん」

 パンドラの笑顔を見て、少し落ち着きを取り戻したアンナ。

ドルジ「ともあれ、中に入って落ち着こうぞ」

 図書館内の席で、パンドラは手当を受けながら事の子細を話した。カテナはその横で、少し焦げたソーセージにかじりついている。

ドルジ「ほう、どこからともなく発火か」

クルト「もしかして、火の精霊サラマンダー……」

アイシャ「──あるいは、発炎魔法ティンダーね」

 シックなブレザー姿が司書に紛れて気付かなかったが、机の横にはいつの間にかアイシャの姿があった。

クルト「ティンダーは接触魔法だよ?」

アイシャ「ティンダーを増幅させて離れたところに掛けられる指輪を、学院の先輩に見せてもらったことがあるわ。まぁ、これは珍答ね、テストならクルトの答えで正解よ」

クルト「えへへ」

 クルトにウィンクを送ると、ドルジ達に向き直るアイシャ。

アイシャ「ヴァルトベルク音楽祭の歴史と亡霊詩人にまつわる本を集めておきました。それと、ゼバス氏から少し気になる話を聞きまして……」

 本をどさりと机に積むと、アイシャは先程聞いた話を伝えた。

ドルジ「ファウスト卿──わしらの演目の作者が、亡霊詩人の頭か……」

パンドラ「……ん?」

 不意にまじまじとアイシャの胸元を睨むパンドラ。

アイシャ「……パンドラさんほどはありません」(赤面)

パンドラ「ああ、十五㎝は違うね──いや、その紋章どこかで……」

アイシャ「……プラーガ中央魔法学院の紋章ですが」

パンドラ「そうだ! さっき火炎瓶を喰らったとき助けに来たマントの男……!」

アイシャ(謎の発火、マントの紳士、学院の紋章──まさか……)

ドルジ「やはりか。いよいよ我々にも手が伸ばされ始めたようじゃな。カテナ、今夜はナイトパーティー常夜番じゃぞ」

パンドラ「面倒なことになってきたねぇ。今夜はパーティーか。仕方ないね。上等のワインを用意しておくれよ」

カテナ「たべものは!? たべものもでるんだよね!?」

 パーティーという言葉を、そのまま鵜呑みにしているカテナ。

 などと話すドルジ達の後ろで、黙々と本の山を漁るクルトと、息を飲んでそれを見守るアンナ。

 とするうちに、閉館を告げる鐘が鳴った。

カテナ「そっかぁ……よるねれないんじゃ、かえったらすぐねよっかな。ともだちさがそうとおもってたけど、もうきょうはいーや! もうこどもはいえにかえるじかんになりそうだし……なにより、もうアンナがともだちになってくれたもんね!」

 にこーっと笑ってアンナを見るカテナ。

アンナ「え? あ、はいっ。帰ったら一緒に遊びましょうね……♪」

 クルトとの調べ物のことだろう、真剣な面持ちで考え事をしていたアンナ。カテナの声にはっと我に返り、笑顔で手を繋いで出口へ向かう。が、出がけにふと気がかりそうな顔で館内を振り向く。

ドルジ「さて、もういささか遅いが、例のチェロ弾きのところも念のため寄ってみるかの」

 ドルジ達は図書館をあとにして、チェロ弾き・ゴーシュ氏の泊まっているという宿屋に行った。


 路地裏の小さな酒場兼宿屋。店主に断ると、二階の一室を教えられた。

ドルジ「もしもし、ゴーシュ殿ですかな?」

 戸を叩いてみるが、返事はない。外から見た窓には薄明かりが点っていたはずだが……。

 と、隣の部屋の住人が出てきた。

隣人「やめときな。ゴーシュならあの日からずっと引きこもりっぱなしさ。たまに出てきて俺達楽団仲間と出くわしたって、目も合わさねぇ。まったく、城の亡霊にどんだけ怖い夢を見せられたんだか……バカで哀れなヤツだぜ」

パンドラ「全く。亡霊だかなんだか知らないけど、だいの大人がそんなのにビビってるなんて、情けないったらありゃしないよ。あたしたち芸人は亡霊や悪魔よりも、もっと怖いものを相手にしてるってのにねぇ」

アンナ「亡霊よりも悪魔よりも怖い? それはなんですか?」

パンドラ「人間さ。嬢ちゃんも年を重ねていけば気付くよ。生きている人間以上に恐ろしい生き物なんていないことにね」

カテナ「オイラだってわかるよ、パンドラ! オイラ、にんげんだけはしんよーできないもん。こどもならまだいーんだけど、おとなってのはだいっきらいだ!!」

 隣人がいても平気で言う。

隣人「あー、逞しい坊やだな……まぁ立ち話も何だ。オレはこれから下の酒場にメシ食いに行くとこなんだが、どうだい?」

 カテナの威勢に圧倒されつつ、男は階下を指さして招く。

カテナ「めし!? ……ねぇ、オイラおなかへったゾ?」

 先程の威勢はどこへやら、涎を流してドルジ達におねだり顔のカテナ。

パンドラ「いいわ。酒場と云うからにはワインぐらいあるんだろうね?」

 一同は酒場の卓を囲み、隣人──ハーメルと名乗るヴァイオリン弾きの男から話を聞くことにした。

ハーメル「しかし、ヴァルトベルクの亡霊はホンモノですぜ、姐さん。オレ達が探しに行ったときには、ゴーシュのヤツ古い牢獄の中で恐慌状態だった……なんでも──」

クルト「悪魔の力を得たファウスト卿、真に才ある者には芸の加護を授けるが、己に不安を抱える者には最も恐ろしい夢を見せ心意気を試す……だよね?」

ハーメル「そうそう、嬢ちゃん良く知ってるなー。アイツはその伝説を信じて悪魔頼みしに城へ行って、あのザマさ。生真面目で努力家なヤツだったのに、一世一代の大舞台でよっぽどプレッシャーが重かったんだろうな」

アンナ「ゴーシュさん…………!」

 胸元を強く握りしめ、他人事ならざるように固唾を呑んで聞いているアンナ。

カテナ「すごいヤツにはいいことしてくれるの? なら……パンドラにならいいことしてくれるかもね!」

パンドラ「ふふ、ありがとう。でも、あたしは亡霊だの悪魔だのの力なんざ頼らないよ」

 カテナの台詞に、苦笑に似た微笑みで応えるパンドラ。

 一方、アンナは表情を一層深刻そうにしてうつむく。屈託のない二人から目を反らすように……。

ドルジ「それで、ゴーシュ殿が外れたのちの代役は大丈夫なのかね?」

ハーメル「それが、悪いことに今回の演目はチェロ協奏曲なんだ……ヤツがソロで。代理が務まるヤツはいないし、今さら別の曲を始めたって恥さらしは目に見えてる。だいいち、仲間があの調子じゃ、無視して悠々と練習なんかできやしねぇ。結局オレ達ヴェヌス楽団は参加辞退したよ」

 男は灰皿にタバコを潰して、両手を宙に泳がせた。

パンドラ「あ~やだやだ、辛気臭いのは苦手だよ」

 飲んでいたワインを置くと、その場で軽くステップをするパンドラ。足だけでリズムを奏でているが、それですら一流の踊り子にしかできない美しさと品性がある。

ハーメル「おっ! これはなかなか」

 パンドラのリズムに合わせて思わず手拍子を打ち始める男。

 周りの客達も、一人また一人とつられるように手拍子を打ち出す。恐らく多くは目標を失ったヴェヌス楽団の団員なのだろう。

クルト「パンドラさん……!」

 フルートを取り出し微笑みかけるクルト。

パンドラ「いっちょ見せてやるかい?」

 酒場一杯の手拍子とフルートの旋律に乗って、パンドラの舞が始まった。

ハーメル「どれ、オレも助太刀させてくれるかい?」

 店の脇に積まれたヴァイオリンを取り、奏で出すハーメル。

アイシャ(ファウスト卿の話で浮足立っているけど、私達が確認している事件だけなら悪魔や亡霊の力を借りなくても可能なはず……。これが人的な事件なら早く解決策を打たないと)

 未だ会ったことの無いゴーシュに申し訳なさを感じたが、先の“学院の紋章”の件が気になって仕方のないアイシャは、意を決してドルジに話しかけた。

アイシャ「……ドルジさん。ヴェヌス楽団の方は、ああは仰いましたが、やはりゴーシュ氏とは会っておくべきではないでしょうか。本当に亡霊の仕業なら、氏には余計な刺激でしょうけど……」

 アイシャが話している間も、やがて他の客達も各々持ち楽器を奏で始め、まるで「賢者の館」でパンドラと出会ったあの日のような──

「やめてくれ!!」

 宴席を背に、深刻な面持ちでアイシャが話し掛けたその時、乱暴にドアを開く音と叫び声が、愉快な饗宴を打ち破った。

青年「やめろ、もうやめてくれ……!!」

 二階への戸口には、顔面蒼白な青年が佇んで──扉の枠にもたれて、崩れるように膝を折った。

ハーメル「ゴーシュ……」

 舞は止まり、辺りは静まり返った。

パンドラ「あんたがゴーシュかい。想像してた以上に若いんだね」

 パンドラは青年に近づいた。

カテナ「なんだよー! そーゆーこというからアンナもみんなもげんきなくしちゃうんだよー! アンナ、すっごくにーちゃんのことしんぱいしてるんだ。どーしてそんなんなっちゃったんだよー! なにがあったのさ?」

 ゴーシュに向かってぶーぶー文句を言っている。

アイシャ「………」

 静かに事を見守りつつ、ゴーシュに不自然な魔力が働いていないか、注意深く観察するアイシャ。

ゴーシュ「もう、終わったんだ……関わらないでくれ……」

 うつむいたまま、震えた声で呟くゴーシュ。

アンナ「ゴーシュさん……!!」

 すかさずゴーシュに駆け寄り、心底心配そうに寄り添うアンナ。その胸に掛けた聖印がゴーシュの肩に触れた途端、

ゴーシュ「触るな……!! 帰れ、帰ってくれ!!」

 びくりとのけぞり、血相を変えて階段を駆け上がっていってしまった。

ハーメル「すまないね……いつも、この調子なんだ」

 男はヴァイオリンをしまいながら気まずそうに言う。周りの客達も、重い空気のまま食卓や部屋に戻っていった。

クルト「…………アイシャ姉」

 先程から神妙な面持ちで見守っていたクルトが、アイシャの裾をくいっと引っ張り、小声で告げる。

クルト「さっきの人、すごくへんな感じがした……魂の気配の中に、少しだけ“負の生命力”が混ざってるみたいな……」

 そして、沈痛な面持ちのまま、呆然と階段を見つめるアンナ。

 もやもやしたものを残したまま、パンドラ達は根城の教会に戻った。


ドルジ「さて、今夜は長くなりそうじゃ。コーヒーでも淹れようかの」

 上着を脱ぎ、アイシャらに声を掛けるドルジ。

カテナ「ちぇっ……けっきょくあんまりはなしできなかったね。あ、オイラはいまからねるね!」

アイシャ「……そうね」

 ドルジの淹れてくれたコーヒーを飲みながら、ゴーシュが聖印に触れた途端、彼の様子が(更に?)異変したことに考えを巡らせるアイシャ。そして、

アイシャ「トンベリさん、お願いします」

 寝ずの番ということで、使い魔である黒猫のMr.トンベリにそこいらの見回りを頼んだ。

クルト「カテナ!」

 ソファで寝ようとしているカテナの毛布を引っぺがして、顔を起こさせるクルト。

カテナ「うーん、なんだよぉ~!?」

 その視界には、コーヒーカップを抱いて窓際に座り、窓の外をじっと見つめているアンナの姿があった。

クルト「気付かなかった? 出かけてるときから、アンナさんすごく不安そう……しばらく一緒にいてあげて」

カテナ「が、がぅ? そーなの? ともだちになったとき、わらってたのになぁ……うん、だったらねてるばあいじゃないよね!」

 と、アンナをソファの方へ招くクルト。

クルト「アンナさん、こっちで一緒にジグソーパズルしよ!」

アンナ「あ、はいっ……わぁ、難しそうですね」

カテナ「アンナ、あのさ。アンナがちかづいたらゴーシュ、なんかよけーへんになっちゃって、げんきにさせることできなかったけど……どんなめにあったのかしらないけど、こんどあったときはげんきにさせようね! オイラ、にんげんのおとなはキライだけど、アンナがあんなにしんぱいするよーなにんげんなんだから、いいヤツなんだっておもってる!」

アンナ「……はいっ! カテナくん、ありがとう!」

 やがて、子供達はいつの間にかソファで仮眠に就いた。

パンドラ「ふぅ、ワインも良いけど、ドルジ翁が淹れたコーヒーも美味しいわね」

 コーヒーカップをテーブルの上に置き、足を組み直すパンドラ。暗い部屋の中で蝋燭に照らし出されるパンドラの姿は美しかった。

ドルジ「灯りが漏れておると客人も来づらいじゃろう」

 ドルジは子供達の毛布をかけ直すと、雨戸を閉め、灯りを蝋燭一本に落とした。

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