第1話 荒れる新天地

今日、オリュンポス学園はやや騒然としている。


壮麗な校舎を見上げて、真新しい制服に身を包み、新たな新天地に胸を躍らせる新入生達が大規模な雑踏を生み出していた。


その光景は、やや阿鼻叫喚と言えた。


彼等はこれから6年間、この学園内で過ごす事になる訳だが。


学園の正門前にて……。


とある者は信仰心逞しく、号泣しながら合掌する者。

知り合い同士なのか、2人から5人。中には数十人の新入生と思われる生徒が肩を並べ合い、学園の正門を一斉に潜り抜け、抱き合う者。

一体何の精神崩壊魔法を喰らったのか、口からソウルを吐き出して放心状態に陥る者まで散見される。


それ程までに、世界最高峰の学び舎オリュンポスに入学したという事実は、まさしく圧倒的なステータスを誇るのだ。


なのだが……。

そんな喧騒渦巻く正門前にて、明らかに他とは異なる面持ちを見せる少年がいた。


「ふ〜ん。ここがあの噂に名高いオリュンポス学園ねぇ。まぁまぁ良いじゃん」


まるで品定めでもするかの様に、学園の正門及び、その裏に映る、学園と思しき壮大な校舎を見渡す少年。

夜を彷彿とさせる滑らかな髪、その同色を讃える、剛毅な双眸。整った容姿。

何とも女受けしそうな少年ではあったが、そこには子供然とした気風がなく、何処か獰猛な気配を漂わせている点もあって、彼は空間的にも物理的にも、浮いていた。


「しゃあっ!今日から俺もエリートだ!」


「俺の将来は確約されたぜ!」



耳を打った二人組の男達の会話に、少年は嘲笑う様に溜息を零した。



「はぁ〜。……入学出来たから将来の確約とか、んなわけねぇだろ〜よ」


「あぁ〜全くだな。もし退学とかになったら、あいつら自殺するんじゃないか?」


独り言として吐き捨てた毒は、思わぬ形で拾われた。

背後から聞こえた声に振り返ると、そこにはまたしても二人組の男がいた。


「あっ、すまん。勝手に言葉拾って悪かった」


フランクに片手を上げて謝る、同年代にしては上背のある好青年。

瞬時に、その人柄を判断して、少年は言う。


「いや、謝る事はないさ。少なくとも、俺と同じ価値観のある奴がいたって事が知れて良かったよ」


「おう、俺も安心した!この学園って、良くも悪くも、世間から崇拝されてるし。学園に対してこんな態度とる奴が俺以外にもいたのは嬉しい誤算だったぞ。俺はロイだ」


「俺はカナタだ。まぁ、ここで出会ったのも何かの縁だ。よろしくな」


「おう」


そう言葉を交わして互いに握手を交わす。


カナタはロイの隣に立つ男に目を向けた。


「それで、お前は?」


「えっ?あっ、うん。僕はその……シリウスって言います。よろしく、カナタくん?」


ロイの隣に立つ、カナタより頭一つ分小さい背丈の少年シリウスを見て、カナタは絶句した。


(こいつ、男の癖に可愛い……だと!?)


小動物を思わせる柔和に綻ぶ表情、長い睫毛の下に大きくつぶらな瞳。

体格も男と言うよりかは女に近く、丸みを帯びている。

そしてそれらを引き立たせる……優れた容姿。


「ロイ……シリウスは男だよな、この顔で」


「そうだ。シリウスは男だ、この顔で」


「ちょっと二人とも酷くない!僕それ結構気にしてるんだけどっ!」


口を膨らませて唸るシリウス。

こいつは男にモテそうだなと思ったカナタである。


「よし、行くか」


「おう」


「ちょっと!二人とも待ってよ〜」


3人は雑談を交えながら歩みを進める。


「なぁ、カナタ」


「なんだロイ」


「俺は今、結構気になってる事があるんだけどさ、アレって。やっぱ学園の校舎だよな」


そう問いかけられて、カナタはロイの指差した方向へと目を向けた。

まるで天空に浮かぶ古城の様相を思わせる、壮大な城。


これこそが、これからルイス達が6年間を共にする学び舎である。


学園の卒業生は、皆打ち合わせしたかのようにこう言うらしい。



『学園に足を踏み入れるなら、常識は捨てろ』と。



何せ学園の学び舎は、今現在も生きる迷宮ラビリンスだ。

華美な外観に、まるで墓標のような偉容を漂わせる剣の如き塔。

部屋の数は未知数。

日に日にその数は変化を成し、今この数秒の間にも未発見の部屋が出現しているという事実は、新入生含めた全生徒の知るところである。


そして、万年、学園の生徒達の少なくない生徒が、唐突に姿を消す・・・・場所でもある。


勿論、俺達新入生はその事を承知の上でここに来ている。


「ああ、あれがラビリンス。学舎だ」


「すげえな、なんか胸躍るわ」


「お願いだから危険な事はしないでねロイ」


「おお、流石シリウス。ロイの事が愛おしすぎてご心配の様子だな」


「ちょっ!」


「なぁロイ。お前達ってそういう関係なのか?」


「流石に同性だからないな。……女だったら一考の余地アリだ」


「女でなくても余地なんて皆無だよっ!二人とも良い加減に揶揄うのは止めてよっ……!」


「「無理」」


「ああもうっ!」




「そこ、騒がしいわよ!静かにしなさいっ!」


よく透き通る声が響いたと思うと、前方を歩いていた新入生の集団が恭しく道の端へとより、真ん中をかき分けてて一人の少女が歩いてきた。


カナタでさえも、息を呑むほど美しい少女だった。

女にしては高い背丈、すらっと伸びた足はしなやかで、健康的なハリの良さが伝わる肉付き。きめ細やかに腰まで伸ばされた金髪、怜悧なエメラルドの双眸。制服を下から苦しそうに押し上げる双丘から伸びるくびれは引き締まっている。

女性としての、まさしく理想の体型。


美しい。それも尋常ではない程に。


女性男性問わず、この場の全ての視線を総舐めする彼女は、臆しもせずに告げた。


「あなた達、入学初日とはいえ浮かれ過ぎよ!私達はもう既に、由緒正しきオリュンポス学園の生徒!今のうちから、歴史ある学園の生徒である自覚を持ちなさい!」


その声に好感はない。

彼女の冷たい目は、ただただ俺達を射抜いている。


「おい、あれ。首席のリアナ・システルティアじゃないか?」


「あぁ、あの噂の?」


「試験トップのやつだろ?」


「現段階で、同世代トップクラスってことか」


入試トップということで、名前負けして尻込む者、品定めする様に観察する者。そもそも、興味のない者。


入学初日で既に名の知られた女生徒が喚いたところで、雑踏は止まらず流れ続ける。


それでも、僅かなりとも周囲はざわついた。


「おい、リアナなんとかって、誰だ?」


「知らないのかカナタ?」


「僕達の世代。つまり今回の入学試験で歴代でもトップクラスの成績を叩き出した人!首席だよ!入学パンフレットにも名前や顔写真が載ってたはず。見てないの?」


「生憎パンフレットなるものは道中遭遇したヤギに喰わせた」


「……今度お前の事について詳しく聞かせろ」


首席に睨まれたことに、手を戦慄かせて狼狽するシリウス。


ロイは、対応に困ったように頭を掻く。


カナタに関しては、『こいつは初日から何優等生ぶっているのか』


『たかだか学園が、このくらいはできてほしいと示した最低基準の実力測定でトップを取っただけで何をとち狂ったのか?』と内心彼女を容赦なく値踏みしていた。



カナタは、物事の物差しが一般と相当異なる。


モラルを守るときも有れば、守らないときもある。


女の顔に躊躇なく拳を振るう時もあれば、丁重に扱うときもある。


相当、気分次第の性格である。


本人自身も、ほとんど判断を感覚で行っているため、一貫性に欠けるときもある。


しかし、今回の彼女に対する自分の評価は、相当自分の性格が反映されたなと自覚した。




じゃあ、やってもいいかな?




「はぁ〜。全く。こんな人達が同年代だなんて、嘆かわ」

「おい」


呆れた様子で言うリアナの言葉を塞いだ声の主。

カナタが前に出た。


「あんたが、入試首席の、同年代最強の奴か?」


「えっ?……あぁ、確かに。……そんな風に言われてはいるみたいね」




「へっ……、そうかよ……」


思い出す。


おっさん・・・・はいつも笑ってた。

どれだけの真剣勝負の最中でも、カジノでギャンブルの最中でも。……国から追われても。とても強くて、俺の憧れであったおっさんに、少しでも近づきたくて、あっさんの一挙手一投足の徹頭徹尾を真似た。


カナタの表情が一変、不適に歪む。

カナタは笑っている。


「俺と決闘しようぜ?」


「……どう言う事?」


カナタは体勢を前屈みに倒して、続ける。

それは、カナタが体得する数有る技能の中の一つである、戦闘態勢だ。


「何、そのまんまさ。決闘をしないかと言った。まぁ、別に強制って訳でもない。あんたがこの決闘を受ける義理はない訳だしな。怖いからというのも仕方ない。だしな」


その時。

一瞬だが、リアナが眉を釣り上げた気がした。


「あなた、馬鹿にしているの?」


「そう思うのはお前次第だ」


強くカナタを睥睨するリアナ。

それを真っ向から受けて尚、謝らないカナタ。


華やかに始まるはずの初日は、肌をつん裂く様な空気になる。




『影姿』




先に仕掛けたのはカナタだった。



足元が暗く染まったと思う程の残像。ルイスは影の如く刹那に駆け出した。

苛烈な修練の末に鍛え上げられた歩法が、その影と形容するに相応しい残像を作り出す程の速度を可能にしたのだ。



突然の強襲に、寸秒驚愕を露わにするリアナであったが、直ぐに構えを整えて向かい打った。


ガキンッ!


金属と金属による衝突音が、その衝撃波と共に周囲を掻っ攫う。


「チッ!」


「……ッ!」


カナタは舌打ちをし、リアナはまたしても驚愕を露わにした。


甲高く響き渡る金属音。

大気を揺らす程の衝撃。

明滅する火花。


苛烈な剣戟が繰り広げられる。


「……ふぅん」


「リアナ・システルティアと互角に渡り合ってるぞ」


「二人共、かなり戦い慣れてるみたいだな」


「剣先が見えねぇー。すごいなぁ〜」


周囲の者達も思い思いに観戦し野次を飛ばす。


苛烈さを増していく攻撃。

剣を打ち下ろすリアナに対し、カナタはとち狂った表情とは裏腹に、冷静に防ぎ対処する。


リアナは顔を苦渋に染めた。


攻撃を仕掛けようとすれば一歩後退され、最小限の動きでいなされカウンターを放たれる。かと言って防戦に回っていては、彼の剣戟の餌食になる。

しかも油断すれば肉弾戦まで入れてくる。

間合いの絶妙なとり方。

視線のやり方。

足捌き。


よく追求された戦闘スタイルは、カナタの獰猛な表情とはにても似つかない程丁寧で緻密だった。



そもそも、未知の相手に対して後手に回った時点で、取れる行動は制限される。主導権を取り返すまで、一方的な掛け合いが続くだけ。



では、どう主導権を奪うのか。



そして、それをさせないのがカナタである。



つまり、現状が続けば埒があかないのは自明。


リアナは後退を強いられる。


仕切り直しだ。


「ありゃ?もう退くのか?」


「……あなた、一体何者よ。私の剣速についてくるだけでなく反撃もしてくる。

そして、あなたはまだ本気じゃない」


リアナは剣を正眼に構え直してそう言う。


カナタは答えない。


カナタとしては、もう速く勝負の続きをしかった。



最初の『影姿』で決定打に繋げる想定をしていた。相当数の技能ある猛者に対して、初撃は高確率で躱される為、カナタの『影姿』も防がれるのが前提にあった。


2撃目を確実に決めるための初撃であるため、それでもある程度の有利を獲得する必要があった。


強襲したのも、敵の動揺を僅かでも誘い初撃を完璧に決めるためだったのだ。しかし、自信のある初撃を防がれカウンターされた。


確かに強い。


まぁ当たり前だけど、こいつ息切れしてねぇんだよなぁ〜。


実際はこれの十数倍はあるだろうな〜。



知りたい。



入試トップの実力を……。



「もう一度聞くわ。あなた、一体何者?」


リアナは真っ直ぐこちらを見て再度問う。

早く戦う為には、どうやら答えなければならないらしい。


カナタは半ば投げやりに右手をひらひらとやりながら、面倒臭そうに言った。


「はぁ、分かったよ言うよ。言えばいいんだろ?」


瞬間、脳裏によぎる、言葉・・の記憶。


『勝利を目指すなら、全ての頂点に立てッ!即ち最強!全ての強さを極限に身につけたものの称号だぁ!俺は諦めねぇ!世間が馬鹿にしようが嘲笑おうが、俺は必ずなる!ダーハッハッハッハぁ!』


おっさんはいつも笑ってた。

楽しそうに、己が夢を語るあの人に、いつか近づけるように……。


カナタはその整った容姿を不適混じりに歪めて言った。


笑いは、俺が初めて真似たおっさんの仕草だ。


「俺の名はカナタ。俺は、最強を探求する為に学園にやってきた、怖〜い狼さんだよ」


カナタの宣言に、リアナは微かに瞠目した。


「カナタ……最強を求めて学園に、ね。覚えたわ」


「そうか、そいつは光栄だ」


カナタは今度は柔和に笑う。

その笑顔を見たリアナは、ふと悔しげに顔を歪めた。


「あなた、さっきの侮蔑はわざとね?」


「当然。一定数の技能を身につけた者なら、立ち居振る舞いで相手の実力くらいは分かるだろ?」


カナタは先程、リアナを「女だしな」と明らかな差別用語を口にした。

だがそれは侮蔑ではなく、単にリアナを決闘に引き摺り込む為のもの。

カナタは、滅多に人の名誉を損害する言葉はしない。

カナタには確かな道徳観念の理解がある。

ただ、己の信条を最優先した今回の場合は、致し方なかった。それだけだった。


「えぇ、確かにそうね。ごめんなさい。少し誤解してたわ」


「いや、此方こそあの言い方は配慮に欠けてた。すまない」


リアナはカナタに対する評価を改め直した。


周囲の雑踏は、勝負が終わったと思ったのか、「なんだ終わりかよ」と呟いて動き始めていた。


「なんか、決闘の空気が壊れたな」


「えぇ。でも、私としては不本意な決闘ではあったわ」


「何を言うか。お前後半は少し笑ってたと思うぞ」


「目の錯覚じゃないかしら」


「まっ、そういう事にしとく」


「是非お願いするわ。それより、あなたの最初の……『影姿』?って呟いてた歩法。詳しく教えてくれないかしら?」


「いいぞ。この場でするのもなんだし、歩きながらするか」


「えぇ、お願いするわ」


リアナの強さに対する真摯な姿勢に、カナタは内心で感心した。


そして……。


「リアナが俺の歩法の伝授を乞うという事は、負けを認めたって事で決闘は俺の勝ちだな?」


「なんでそうなるのよ!」


「あと、今回のは歯切れ悪かったから、改めて再戦の日時を」


「まだ決闘する気!なんでそこまで勝敗にこだわるの?」


何故……か。


過去、俺はおっさんに何度も挑み続け、勝てた事がない。

その上おっさんの素行は極めて不純だった為、見知らぬチンピラや衛兵に追いかけ回される事は数知れず。

無論その都度ぶちのめしたが、彼等は技能を体得していないただの人間。

勝ちとは言えない。


カナタにとっての勝ちとは、自身の成長にとって必要不可欠なものであり、と同時に、由緒正しきもの。


つまりカナタは、真の勝ちを経験した事がない。負けるのが嫌いという訳ではないが、負けたまま終わらせる事を極度に嫌う。

生来の負けず嫌いなのだ。


「俺、勝利大好き」

「……ああ、成る程ね。つまり変態ね」

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