第9話 同級生 長谷川真名花②
意を決して顔を上げた時。
目に映ったのは人の形をした、温かく柔らかな輝きでした。
一瞬「あれ?天使?私はもう死んだのかな?」と思いましたが、光が消えその姿を確認できたことで、私がまだ生きていることが判明しました。
天使の正体は、同学年の大鳳くんでした。
大鳳くんは特別目立つ存在ではないけれど、顔立ちがとある俳優に似ているからと、女子の中では評判です。それに同じ環境委員会で話したこともあり、性格を知ってからは何となく気になる存在でした。
大鳳くんの光が収まると、一瞬消えていたスペクターの気配がまた沸き始めました。
元木さんは大鳳くんの足にすがり付くと、涙と引っ掻き傷でグシャグシャになった顔で叫びました。
「助けて!はやくっ!」
「ん、大丈夫。スペクターなら何とかする」
「たすっ、た、助けてよ!たす、ああっ、助けて!」
「はいはい、大丈夫だいじょーぶ」
口から泡を吹き、物凄い形相で叫ぶ元木さんを宥め、大鳳くんは冷静にしがみつく手を剥がします。この状況でそこまで冷静でいられるのはなぜなのでしょうか。
しかし、状況を確認していた大鳳くんがこちらを振り返った瞬間「ぉわっ!」と声を上げ目を逸らしました。
そこで私はようやく、下半身が下着姿であることを思い出しました。
顔が熱くなり、今までとは意味の異なる汗が吹き出しました。こんなことになるなら、3枚千円のパンツじゃなくて、もう少しまともなのを履いてくればよかった。
「わり!見てなっ、いや見ちゃったけど!ガッツリとは見てないから!!」
「いえ!大丈夫、です!」
「ほんとゴメン!つーかなんでパンイチなの!?」
「これには色々事情が……!」
そこまで言った時、怪獣のような唸り声を上げて元木さんが立ち上がり、私にスマートフォンを投げつけました。額に命中したスマートフォンが、目の前に落ちました。拾ったその画面には、先ほど撮影された私の情けない姿が写っています。
「いっ、つ、いつまでおしゃべっり、してぇんの!そいつはいいから!わ、わたっ!しを、早く、助けろよぉ!」
「ぇ、元木?」
「そぉいつ、はなぁ!ノロまで!ウザい!まじめぶったビッチ、が、よぉ!だっから、ゎたしぃを、わ、わたし、を、おぉ!」
「おい、落ち着けって」
「そ、そ、そそいつ、ゎなあ!しってるか?おおとりぃ!そいつは、けると、ボールみたいに、すっ、ぅ、とんで!ワンワン、な、わ、なくぅ、んだよ!はははっ!わんわん!わんわんわぁはははは!」
血塗れの顔が私を嘲笑いました。
人間の顎はそこまで動くのかと驚くほど、ガクガクと顔面を崩して。そのあまりの醜態に大鳳くんはドン引きしてました。
少し考える様子を見せた後、大鳳くんは着ていたベストを脱いで私に差し出しました。
「とりあえずこれで何とか」
「あ、ありがとうございます」
受け取ったベストを着てみると、身長差のおかげでギリギリ丈の短いワンピースのようになりました。ほっと一息ついたところで、大鳳くんが真剣な表情で私に手を差し出します。
「スペクター、あと4体くらいはいるっぽい。まずはここから逃げようか。歩ける?」
「あ、はい……っ!」
その手につかまって立ち上がろうとしましたが、思ったより捻挫のダメージが大きくよろけてしまいました。それに気がついた大鳳くんはすぐにしゃがみ込むと、私に背中を向けました。
「怪我してるなら言ってよ。ほら」
私がオドオドしていると、大鳳くんは「はやく!またスペクター来ちゃう!」と急かしました。彼の主張ももっともだと思い、恥ずかく思いながらもその背中に身を預けました。
大鳳くんが小さく「わぁ」と言ったのが聞こえましたが、胸をくっつけないと姿勢が安定しないので、しっかり密着させてもらいました。
逃げる準備も整い、走り出そうとした大鳳くんの後ろから絶叫が響き渡りました。
「な、な、んで!おをとりぃ!先が、そいつっなん、だよぉ!」
「だってお前立てるじゃん!お前も早く逃げろよ!体育館に!」
軽く「じゃっ!」と声をかけ、大鳳くんは走り出しました。意味不明な叫び声は、すぐに遠くなりました。
*
「元木たち置いて行ったの、まずかったかな?」
「どうしてそう思うんですか?」
「いや、人間的に。でもまあ、中町と鳩場はともかく元木は動けたしな」
「そうですね」
大鳳くんが走る振動を感じながら、私は目を閉じていました。大鳳くん曰く「スペクターの存在を認識しないため」に、目を閉じ意識を別のものに向けるのが有効だそうです。なので私はおんぶされながら、目を閉じて大鳳くんと会話し続けていました。
いくら私が同年代に比べて小柄とは言え、人ひとりをおんぶして走りながら喋るのは相当大変だろうに。大鳳くんは少し息切れする程度で、それでも絶えず会話を続けてくれました。驚くほどにタフだなと思いました。
「ぶっちゃけさ」
「はい」
「もしかしてだけどさ」
「はい」
「長谷川って、いじめられてた?」
「はい」
あっさり返事した時、大鳳くんの背中が少しだけピクッと跳ねました。ほんの一瞬だけ間が空いて、すぐに大鳳くんは会話に戻ります。
「ごめん、今までまるで気がつかなかった」
「同じクラスならともかく、別クラスですし。仕方ないですよ」
「でもなんか、ごめん」
「謝らないでください。もし謝りたいのなら、今こうして私を助けてくれているので、これでチャラです」
慰めるつもりではなく、本音でそう思いました。あの状況で私を選んで助けてくれたことが私の救いになったのです。
「危うく死ぬところでしたので。助けに来てくれたとき一瞬、大鳳くん、天使に見えましたよ」
「いやいや、天使ってガラじゃねーし」
明るく笑うような口調の後に、大鳳くんは一転してモゴモゴとバツの悪そうな声で呟きました。
「仮に天使だったら、この後ぜったい神にボコられる」
「どうしてですか?」
「まぁ、アレよ。助ける人選んだし」
「選んだというと」
「……まず、中町と鳩場は結構末期というか。助かるかどうか微妙なラインだった」
「たぶん直視してますし、助かったところで……、でしょうね」
「で、そうなると元木か長谷川かだけど」
「私を選んでくれましたね」
「別に元木とも仲悪いわけじゃねーけどさ。あの状況で長谷川のことめっちゃディスってたし。もしかしてイジメじゃね?って思って」
「それで私を哀れんで?」
「いや、哀れむっていうか。その状況でどっちに生きて欲しいかって考えたら長谷川かなって」
はは、とあまり感情のない声で大鳳くんは笑いました。
「天使とかヒーローなら全員助けられるだろうけど。どっちでもねーし。俺ただの一般人だし」
「そう言えば、大鳳くんはユミットなんですか?」
状況に飲み込まれて忘れていましたが、大鳳くんが光ったりスペクターにやられたりしていない事は、かなりの衝撃的出来事です。ただこれまでの出来事から、大鳳くんがユミットであると考えるのは自然なことでしょう。
ユミットはスペクターに対抗できる力を持つ人たちのことです。仕組みはわかりませんが、スペクターの狂気に当てられず、そして倒す力を持っているそうです。世界でも百人程度しかいないと聞いた事はありますが、まさか同級生にいるとは思いませんでした。
しかし当の大鳳くんはというと、「う〜ん」と曖昧な声を出し静まり返ってしまいました。少しの間、上履きの擦れる音だけが耳に届いていました。
「んー、まあ、ユミットなんだろうね。たぶん」
ようやく話した言葉がそれで、私は思わず背中からズリ落ちそうになりました。
「たぶんって……」
「だってスペクターに遭遇したの初めてだし。光ったのも蹴散らしたのも初めてだし」
「初めてなら、よく対応できましたね」
「ね。でも何をすればいいのかはすぐ分かったんだ。不思議と」
遠くから、大勢のざわめく声が聞こえてきました。目を開けていいと言われて開けると、眩しい蛍光灯の光の後に体育館が見えてきました。
「もう大丈夫、かな」
私たちを見つけた先生が走り寄ってきて、大鳳くんの肩をがっしり掴みました。
「早く中へ!先生にクラスと名前を告げて学年ごとに集まるように!」
「先生、俺より長谷川をお願いします。足にケガしてます」
「よし、ここからは先生が運ぶから、こっちに掴まりなさい」
先生に差し出された背中に、私は浅く掴まりました。私が移動したのを確認すると、大鳳くんは踵を返して走り出しました。
「あっ!コラ待ちなさい!危険だから戻りなさい!」
「救助の人が来たら、東校舎2階の女子トイレ前に三人いますって伝えてください!俺は大丈夫なので、西校舎の1階行ってきます!」
「なっ、あっ、待ちなさい!君!あ……っ」
怪我人である私を抱えた先生はしばらくの間ウロウロしていましたが、やがて意を決したように体育館の中へと入りました。大鳳くんなら大丈夫だと先生に伝えようとしましたが、先生は私を保健の先生に預けるとすぐに外へ行ってしまいました。
せめて先生に怪我がないようにと願いながら、私は保健の先生から毛布を受け取ったのでした。
*
体育館の隅に作られた怪我人スペースでは、救急用のマットと運動用のマットが敷かれ、保健の先生と保健委員が忙しなく動き回っていました。
私の前にもすでに先客がいて、救急用マットの上には青い顔をした先生や生徒が寝ていました。魘されたり、泣いていたり、恐怖で顔がクシャクシャになっていたり。危うく自分もこうなるところだったのかと思うと、震えが止まりません。
私が体育館に避難してから五分後くらいでしょうか。灰色の作業着のようなものを着た人たちによって、元木さんたちが運び込まれてきました。私を含めて意識のはっきりしている何人かが救急用マットから下され、運動用マットに寝かされました。
元木さんたちの姿はひどいものでした。三人とも白目を向いて痙攣し、意味のない言葉を喋っています。服は汚れ、脱かけており、肌はひっかき傷まみれです。救急用マットに寝かされた三人は灰色の人から注射を打たれ、AEDのような機械のを取り付けられました。
灰色の人は保健の先生と軽く話すと、すぐにまた外へ出て行きました。
立て続けに何人かが怪我人スペースに運び込まれ、軽症の人は私と同じ運動用マットに寝かされました。
どれくらいの時間が経過したのかはわかりません。ただ、とても長く感じました。
突然校内放送で、先ほどの灰色の人と思しき声が「全てのスペクターは駆除されました」と告げました。同時に救急車のサイレンが鳴り響き、重症の人から順番に病院へ連れて行かれました。
病院では脳のスキャンや血液検査などを受け、事情聴取のようなものをされ、ついでに捻挫の治療もしてもらいました。また、スカートを履いていない事情を話したところ、病院着を着て帰ってもいいことになりました。検査結果は時間が経たないとわからないけど、今意識がはっきりしているなら大丈夫という事でした。
お医者さん曰く、実は最近スペクターの被害者が増えてきて、重症者のためにも簡単に入院させるわけにはいかないそうなのです。そこまで深刻な状況になっているとはまるで知りませんでした。
ようやく検査も終わった頃、一緒のタイミングで病院から出てきた男の子が、お母さんらしき人に抱きつかれて泣かれていました。
夕日に照らされたその姿をボーッと眺めていたら、迎えにきたお父さんが、あっちのお母さんに負けないくらい泣きながら抱きついてきました。普段はあまり喋らないお父さんのその行動に、驚いたと同時に、すごく安心しました。
私、あの時死ななくてよかった、と。
そして私は決意しました。全てお父さんに話すことを。元木さんたちがどうしようもなくなった今こそが、チャンスだと。これまでのいじめの全てを話して、目覚めた時には犯罪者のレッテルが剥がれないようしっかり貼り付けてしまおうと。
幸い、いじめの証拠となるものは私の手の中にあります。
画面のひび割れたスマホを握りしめ、私は改めて大鳳くん、いや、天使に感謝の気持ちを捧げました。あの時、元木さんたちを見捨ててくれてありがとう、と。
「あのね、お父さん……」
◆
「その後、中町さんと鳩場さんは寝たきりですけど、元木さんはそれなりに回復して、今はリハビリ中なんです。もちろん、だれもお見舞いになんて来ませんけど」
明るい表情をただ張り付けたかのように、マナカは硬く笑った。
しかし、彼女は冷めてしまったコーヒーを飲み干すと、一転。今度は恋する乙女の微笑みで、モジモジしながら語った。
「そんなことより、大鳳くんともっとお話ししておけばよかったです。もっともっと、仲良くなりたかったなぁ。委員会だけじゃなくて、学校祭とか、修学旅行とか、一緒に行きたかったなぁ」
「君は、ユミトに恋していたのかい?」
「え?いや、恋とかじゃないですよぉ。確かに格好良かったし、ちょっとだけ意識してたところもありますけども」
その後見せたマナカの表情を見て、私は先程の感想を訂正した。
あれは恋する乙女の微笑みなんかではなかったのだ。あれは世界を旅する中で何度か見かけた、あの表情だ。
「だって、大鳳くんは私の守護天使なんですよ?」
私は決して信仰や崇拝といった感情を否定するつもりはない。それらは心の安寧に必要なものなのだから。
実際、ユミトはマナカの心を救ったのだから、守護天使としていてもおかしくはない。上機嫌で帰る彼女の心は、ユミトとベストに守られているのだろう。
しかし、彼女のあの感じは、どこかで見覚えがあるような気がする。
何かが頭の片隅に引っ掛かった私は、ホテルに戻ったら資料を見直してみようと決意し、席から立ち上がった。
君はユミト・オートリを知っているか? 加賀七太郎 @n4_seven
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。君はユミト・オートリを知っているか?の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます