自己責任と決めつけるのは思考停止である

ドルファイ76

第1話 あなたの選択が全ての責任とは思わない

「自己責任だ!!!」

良く聞くワードである。

TV等のメディアで度々登場する。


あたかも個人の選択によって、結果が決まった様に聞こえてくる。


本当にそうなのだろうか?


そもそも自己で責任をとれる人間が、そんなに多く存在しているとは思えない。


なぜなら人間は、他者との関係性で生きている社会的な生物であるからだ。


その生物を指して、個人の選択によって

決定原因の全てと断定するのは思考停止と言えないだろうか?


それでも「自己責任だ!」と言うのであれば、私は尋ねたい。


では、その問題の中にあった選択肢は一体どの程度公平性が担保されており、


恐らく関係者は誰も答えられないし、そこまで関心もないだろう。


それが問題なのである。


つまり、個人の選択であったとしても、

前提を遡れば、そこに行き着くまでの多くのプロセスがある。

それを遮って、自らの責任として全てを背負う必要などないのである。


もう一度言おう。



その時の外部環境・自分の気持ち・利害関係等

多くの変数によって、結果として現れてくる。


原因は一つではないのである。


それゆえに安易に全て自己責任と断定してしまうのは、

思考停止と言えるのではないだろうか。


――


もし、あなたが大きな問題で困っているなら提案したい。


一度大きく息を吸い込み呼吸を整えてみよう。


そして今に至る前提を見つめてみる。


意味などなくても構わない。

もう一度じっくり現象を見つめてみよう。


気晴らしに誰かに相談するのも良いだろう。

その事が、あなたにとって有益となる。


あえてゆっくりと選択するのも効果的になるだろう。


緩やかに問題を捉える事で、自分の視点を変えてみよう。

第三者から・地球から・宇宙から・或いは二百年後の世界から

もう一度見つめ直してみる。


少しでも気持ちが軽くなったのであれば幸いである。


如何だろうか。

少なくとも私は、相手に対して自己責任と安易に押し付ける様な

存在にはなりたくないと思う。


そのために思考を続けていこうと思う。

それが人間らしくあるための条件の一つであると私は思う。

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