第10話 真実と愛

 一番奥の席でコーヒーを啜りながら、カエデさんは暗い表情で座っていた。俺と目を合わせると、暫くの沈黙の後、気まずそうな表情で口を開いた。

「来ちゃったんだ……。いや、きっと私が、会いに来て欲しいって思っちゃったんだね」

「カエデさん……! 何なんだよあのメッセージは!」

「まあ、一種の決意表明、みたいな……。いや、違うね。きっと気付いて欲しかったんだ……。柊くんからのメッセージなんて無視してフェードアウトしちゃえば良かったのに、私にはそれが出来なかったんだよ……」

 あはは、と彼女は力無く笑う。

「……。何で、俺たちと離れる必要があるんだ? カエデさん、君は一体何者なんだ?」

 沈黙が流れる。カエデさんは俯いてしまって、一向に口を開こうとしない。

 彼女が一体何者なのか、その予想は大方ついている。いつまでも彼女が口を開かないなら、こちらから攻めるしかない。

「カエデさん。いや、『楓』って呼んだ方が良いかな?」

「……! そっか。そうだよね。もう分かっちゃってて、ここに来たんだもんね……。全部、話すよ」

 彼女は、覚悟を決めるように大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと口を開いた。

「私は、二人の娘だよ」

「……」

 ここまでは予想通りとは言え、精神的に来るものがある。

「……教えてくれないか? 何で、ここに来たのかを」

「そうだね。まず、どこから話そうかな……。昔さ、柊くんが風夏ちゃんに告白する直前に話した話あったでしょ?」

「ああ、俺が不正解したアレか」

 あの話は鮮明に覚えている。付き合わないまま長年を過ごした男女が、ちゃんと付き合った途端に死別する話。これを聞いていなければ、きっと俺は風夏さんに告白する覚悟を、あのタイミングで決めることは出来なかっただろう。

「あれってさ、小説の話じゃなくて、お父さんとお母さんの話なんだよ。現実世界での二人の話。お父さんは私が生まれる直前に脳卒中で倒れて、今もずっと植物状態のままなんだ」

「俺が……、植物状態……」

「そして、お母さんも今は植物状態なんだ。交通事故で」

「……そうか」

 そうか、としか言えない。カエデさんが自分たちの子供だと言うことまでは予想していたが、ここまで来ると予想していたことの範囲外だ。頭が混乱する。

「そして、ここはお父さんとお母さん、私の三人の脳をリンクさせた世界だよ。二人に足りない記憶は私の記憶で補完されているの。高校の頃とかスマホなのにメール使ってたり、あと、ニュースの内容に違和感あったりしたでしょ?」

 確かに違和感を覚えた事はあった。一番印象深いのは、臓器移植法が間髪入れずに二回改正されたことか。

「……なるほど。それで、楓の目的は?」

「二人を早く付き合わせて、早く結婚させて、早く出産を経験させること。そして、お父さんに、赤ちゃんの方の私を見せること、かな」

 だから、あの時、俺と風夏さんを早く付き合わせようと画策して、その後も、同じ大学に行けだとか、早く結婚しろだとか、ずっと言っていたのか

「でも、そんな焦る必要はあるのか? ここって仮想空間みたいなものだろ?」

「お父さんが倒れた日がタイムリミットなんだよ。それ以降の日まで行くと、きっと三人の脳のリンクが保てなくなる。そして、もうすぐ現実世界で二人とも死んじゃうんだ」

「……」

 楓は一息ついて、コーヒーを飲み干す。コーヒー豆の好みが一緒なのも、風夏さんの影響だった訳だ。

「あーあ。全部言っちゃった。まあでも楽しかったよ。若かりし頃のお父さんとお母さんと過ごせて。じゃあ、これでサヨナラだね……。バイバイ」

 楓は目に涙を溜めて、席を立とうとする。

「待ってくれ! 何で、何で俺たちと離れなきゃいけないんだ」

 そうだ、今までの話の中で、俺たちと離れなきゃいけない理由なんてどこにも無かった。タイムリミットまで、ずっと一緒にいれば良いじゃないか。何で、彼女は距離を置きたがるんだ?

「そんなの……。そんなの、分かってよ。私が娘だって気が付くならさ、私の気持ちも察してよ……」

 彼女は、悲しみとやり場の無い怒りの混ざったような表情で、まくし立てるようして言った。

「辛いんだよ! 私とお父さんとお母さんが三人で過ごせた未来を目の前で見せられるのが辛いんだよ! 苦しいんだよ……」

「……」

 静寂を貫くように、彼女の号哭だけが響く。俺は、彼女に何を伝えてあげれば良いのだろう。


 暫くして、落ち着きを取り戻した彼女は、再び口を開いた。

「子供が出来たって連絡を受けた時にね、思い出しちゃったんだよ……。二人にとっての子供は私じゃないんだって。二人の愛を受けるのは、私であって私じゃないって」

「だから、会ってくれなくなったのか……」

 自分の鈍さに嫌気が差す。俺は、彼女の言葉にならない気持ちを、何一つ理解していなかったんだ。

「苦しくなっちゃうことはずっと前から分かってたのにね、二人から離れられなかったんだよ……。大学だって一緒のところに行くべきじゃ無かったし、結婚式だって行くべきじゃ無かったんだ。全部、私の自業自得だよ」

「そんなこと……」

「だから、私、もう二人には会いたくない……。サヨナラ」

 そう言い残して、彼女はカフェから出ていってしまった。これで、これで良いのか? 本当に、これで良いのか……?

 いや、そんな訳が無い。今ここで、俺には、彼女に何か伝えるべきことがあるはずだ!


 彼女を追いかけてカフェから飛び出す。彼女はまだ近くにいた。

「待ってくれ! 楓!」

「……」

 彼女は無言のまま足を止める。彼女は、俺に気付いて欲しかったって言ったんだ。何を伝えるべきか、この世界の俺の言葉じゃない、父親としての俺の言葉を、彼女に伝えなきゃいけない。父親として注げなかった愛情を、今ここで言葉に込めなきゃいけない。

「楓、現実の俺の代わりに伝えるよ。俺はお前をずっと愛している。現実世界では直接伝えられないし、現実の俺はもうすぐ死ぬかもしれないけど、いつまでも、お前を愛している!」

「……お父さん」

「だから、俺たちと、最後まで一緒にいてくれ!」


 彼女は振り返って、俺の元へと駆け寄ってくる。

 俺と彼女は泣いた。長い間、人目も憚らず、抱き合って泣いていた。

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