鈍色

三津凛

第1話

曇り空の下では、誰もが鈍色に染まる。

駅のホームで、電話をしている人がいる。宗教の勧誘だろうか、とても馴染みのない言葉ばかりが鼻先を流れていく。

彼は小汚く太っていた。よれたシャツは丈が足りず、薄い毛でまだらに覆われた下腹が出ていた。私はその横を通り過ぎる。

彼は相変わらず夢中で、なにかを話している。やっぱり宗教の勧誘なようだった。

ふうん、と私は思いながら電車を待つ。

神を信じたことはない。求めたことはない。それでも無意識になにか縋って見せるものが、形を変えた神であることを、私は認めざるを得ない。金か、物か、はたまた人生を生きることそのものか。

私たちの生活は、信仰に彩られているのにそのことは決して認めようとはしない。こうして、駅のホームで臆面もなく醜態を晒しながらも誰かを勧誘する人々の中にのみある幻想として、それを押し込めようとするのだ。

今この瞬間にも、人は死んでいく。

私は変わらず、自分だけは明日も生き続けるだろうと思っている。若いからか、体力があるからか、頑なに神を信じていないからか。

特別なものは自分には何もない、と思いながらも一方では思い上がっている。上を見るよりも、下を見ることに安堵を覚える。覚えることを分かっていて、繰り返しそれをする。半ば無意識に、癖として、習慣として……運命として。

私は神を信じたことはない。宗教というものを、ベタ硝子の中に閉じ込められた存在として私は見ようとするのだ。

地獄とは、本当は私の最中(さなか)にあるのだと気がついた時に電車が来た。

彼も立ち上がって、電話を切り上げた。最後の方は、なんだか全く別の話しになっていたように思う。それでも私はなんとなく、彼を見下したままだった。



次の駅で降りる時、扉の前に立つ人々は長袖だった。

私は取り残されて、半袖だった。軽い触覚が、そのまま私の存在の軽さだった。

そこで彼は降りなかった。私は降りた。

私は長袖を着た人々の間をすり抜けて、階段を降りる。その摩擦に、私は無性になにかを考えさせられたのだ。

人はこうして、必ず誰かとすれ違わなければならない。半ば無意識に、癖として、習慣として……運命として。

そのことに、無性になにかを考えさせられた。このすれ違いに啓示があるわけではない。大きな意味があるわけではない。そこに何かいたわけでもない。

ただのすれ違いがあっただけだ。宗教の勧誘をする電話。半袖の私。長袖でホームで待つ人々。一切とすれ違う。次第に遠去かる。

私は改札をくぐるまで、そのことを考えていた。

でもくぐった後には、また別のことを考え出したのだ。そこでもまた、色んな人とすれ違う。

空はまだ曇って、一様にみな鈍色のまま。

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鈍色 三津凛 @mitsurin12

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