秋樹の追想 帰還と別れ
飛行機の窓からの景色を佐山秋樹は眺めていた。これから日本に戻り、日本代表の合宿に参加をするのだ。
36歳……引退の2文字が脳裏に過ぎる年齢になってもまだ、代表に呼ばれる事はサッカーをする人間にとってはこの上なく光栄だった。
だが、本来なら代表に参加をするつもりはなかった。
最後の挑戦と息巻いて、イングランドのチームに移籍した彼だったが、やはり36という年齢と低身長と言う弱点を抱え、レギュラーポジション獲得まではいかなかったのだ。
そんな自分が代表のユニフォームに袖を通す訳にはいかない……。海外に出たからと言って代表に参加できるなら誰もが海外に出ていくだろう。
そうなると自分を育ててくれた日本のリーグの魅力低下につながりかねない。その思いがあり、最初は躊躇していた彼だったが、とある事がきっかけでその合宿に参加することに決めた。
「あいつ……、元気にしてっかな?」
窓の外を眺めながら、彼は一人の女の子を脳裏に思い浮かべていた。
これから、俺は彼女に会いに行く。
会って謝らなければならなかった……。
※
脳裏に浮かんだ女の子……それは彼女でもなければ愛人でもない、ましてや自分の娘と言われても不思議ではないほど歳の離れた女の子だったが、もちろん娘ではない。
親友……。
15歳になったばかりの女の子が親友なんてあり得ないとは思うが、彼にとって生涯を通しての親友なのだ。
なぜならその子の中に亡くなった親友の意識があるからだ。
普通の人ならなんて荒唐無稽な話をしているんだと笑うだろう。彼自身も最初は信じる事が出来なかったのだ。
だか実際に会い、話をして改めて彼女に彼の記憶がある事を知り、最初は驚いた……と同時に親友が生きている事を喜んだ。
それと同時に、親友が親友でなくなってしまった事に戸惑ってしまった。
そりゃそうだ……、親友が目覚めた時、あいつは14歳の女の子になってしまったのだ。
親子ほど年齢も違えば性別も違う……。戸惑わない方がどうかしているのだ。
だが、その事に一番悩んでいたのは親友の方だった。
女の子になった事に悩み、女の子を助けられなかった事に泣き、そして自分が生きている事に苦しんでいる姿を見て、俺も胸を痛めた。
しかし俺まで落ち込んでる訳にはいかない。
これまでのように軽口を叩きながら、こいつのそばにいてやればいい……、そう思っていた。
だが、そんな時に限ってかつてからの夢であった海外リーグへの移籍が打診される。
この歳で海外リーグ挑戦なんてあり得ない。しかも、イングランドという、欧州でも屈指のリーグからのオファーに最初は悩んだ。
愛すべき地元チームや、大黒柱を半ば失い小さな希望に全てを託した親友一家を置いて一人海外に行く事が出来なかったのだ。
だがそんな時に、当の親友から思っても見なかった提案を投げかけられる。
『四季を……イングランドに連れて行ってくれ』
親友の……鬼気迫る言葉に、俺は驚愕する。
四季というのは親友の嫁であり、俺の中学からの同級生である。彼女は俺たちの中ではアイドル的な存在で、若い頃は俺も彼女の優しさに救われた。
彼らが結婚してからは、彼女とも性の壁を乗り越えて親友になった。だからと言って、形は違えどまだ生きている親友の嫁を連れて海外に行けるはずはない。
それに彼らには冬樹と言う小学生の息子もいた。俺にとっても甥っ子同然の存在だ。
彼が俺を認めてくれるなら義理の父にでも何にでもなってやる……そう言う思いはある。
だが、彼はそれを望まなかった。
いや、望めるはずがなかった。
親友が違った形で生きている事を知らない彼が、父が死んでまだ一年も経っていないのに、他の男に母を取られるなんて認められるはずがない。
いかに幼い頃から懐いている俺でも……だ。
だがもう一つ、彼にはどこか違うものを見ていたような気がするのだ。
それは言わずと知れた親友……女の子になった父の事なのは明白だった。
彼女は可愛かった。そこに焦点を当てるだけならここまで彼も拘らなかっただろう。だがそれ以上にどこか彼の中に彼女を心配していると言う事が言葉の端々に漏れていた。
線が細く、精神的に今にも壊れそうな……亡き父が命を賭して守った少女を守りたい。そんな思いが彼の後ろ髪を引いている事は間違いなかった。
だが先程も言ったように、彼は彼女が実の父だと言う事を知らない、知らされていないのだ。
だからこそ親友は俺に嫁と息子を託したのだ。
その意図が分かったからこそ、俺は彼女達に責められようが、罵られようが汚れ役を買って出た。
だが本当に心配なのはそれを提案してきた当の本人だと言う事も分かっていたから、彼……いや、彼女に考える時間を与えた。
最初は強がる彼女だったが、自分の考えと思いと身体が別である事に気がつくと徐々に憔悴してくる。
だが、親友は決断した。
彼女が修学旅行から帰った日に冬樹が彼女の家に飛び込んだのだ。
彼女の話では最初はイングランドに行く事を嫌がっていたらしいが、どんな魔法を使ったのか親友が話をすると冬樹は諦めたらしく素直に従った。
……いや、魔法ではないな。
彼女は実の父なのだ。冬樹の性格を知っていて当然なのだ。
それに……冬樹にとっても彼女は特別な存在なんだろう。だからこそ、俺たちが何度話をしても首を縦に振らなかったはずの彼の意思を変えたのだ。
それから……俺たちはイングランドへ旅立った。
旅立ちの日、新しく家族になった俺たちは彼女やその両親との別れを共に惜しんだ。
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