第64話 自室とリビング


「こんにちはー♪」


「あら、久宮さん。いらっしゃい」

玄関でお母さんと来たばかりの風ちゃんが話している。


その声を聞いた私は階段を駆け降りていく。そして、風ちゃんの姿を見ると嬉しくなり、嬉々とした声を上げる。


「いらっしゃい、風ちゃん!!」


「夏樹ちゃん!!来たよー♪♪」

嬉しそうな私に呼応するかのように、風ちゃんもお母さんの後ろからひょっこりと顔を出し手を振る。


その姿を見て、私は風ちゃんに駆け寄ると手を広げてハグをする。それに合わせて風ちゃんも私を抱きしめる。


柔らかい感触が顔を覆うが、今の私に下心もなければ罪悪感もない。あるのはただ純粋に風ちゃんが来てくれた事に対する喜びと安心感だけだった。


「いつも夏樹と仲良くしてくれてありがとう」


「いえいえ、私こそ夏樹ちゃんが仲良くしてくれるから嬉しいです!!」


「ほんと?それは良かったわ。少し変わった子だけど仲良くしてあげてね」


「はい!!」

お母さんは私の様子を見ると、まるで普通の母親が我が子に言うようなセリフを口にする。


もちろん、自分が変わっている事に違いはない。むしろ、その言葉が正しいのだ。だが、大好きな親友の前でそれをいうか?と恥ずかしくなる。


「ちょっと、お母さん!!余計なこと言わないでよ!!行こ、風ちゃん!!」


「あらあら、ごめんなさい。久宮さん、ゆっくりしていってね」

余計な事を口にするお母さんに少し腹を立てた私は風ちゃんから離れてお母さんに苦言を呈すると、そのまま風ちゃんの手を取る。


私に手を取られた風ちゃんは慌てて靴を脱ぐと「お邪魔します」と、お母さんに頭を下げてて私に手を引かれるまま、階段を上がっていく。


お母さんはその様子をどこか複雑そうな表情で見ているのに、私は気が付かなかった。


「さぁ、風ちゃん!!入って入ってー♪」

私は風ちゃんを部屋へと招き入れる。


女の子らしくなった部屋に女の子が2人……。


緊張感もなく、下心もない穏やかな空間でただお菓子とクッションを片手に最近のテレビの話やファッションの話をただ駄弁るだけ。


男だった頃はあんなに遠かった女性との距離感が今ではこんなに近い事が、既に自然なことのように思う。


「あっ、そういえば……」


しばらく話をしていた私たちだったが、風ちゃんが何かを思い出したようなので、私は「どしたの?」と、尋ねる。


「最近、秋保さんと話してないみたいだけど、なんかあったの?」


「…………」

風ちゃんが口にしたのは美月とのことだった。


それを聞いた私はクッションを抱き締めたまま、体育座りのように身を縮める。


分かってはいるのだ。自分が正しくない事は。

理論立てて考えれば彼女に謝らなければいけないのは私だ。だがそれを感情の渦が邪魔をしている。


風ちゃんを理由に始まったこの話を風ちゃんに知られたくないから今は風ちゃんにも話したくない。


「美月との事は今話にしたくない……」


「……そっか」

ただそれだけ言うと、何があったか察してか知らずか、これ以上は何も言わず、風ちゃんは軽く伸びをする。


「あっ、そういえば!!」


「えっ、何何?」

伸びをし終えた風ちゃんは、何がに気がついたように、スマホを取り出すと何かを調べ始めた。


その行動を私の興味は移り変わり、風ちゃんのスマホを覗き込む。そこには『ダゾーン』と書かれた文字が映し出されていた。


「今日、サッカーの試合あったの忘れてた!!」


「そうだった!!」

今日は地元サッカークラブの試合日だと言う事を私は忘れていた。


最近では色々ありすぎた事で地元サッカークラブの試合を試合見てはいなかった。ただ、やはり癖で結果だけは追うようにしていた。


だから今日も風ちゃんが切り出すまでは試合日だと事を思い出せなかった。


ただ、この部屋にはテレビがない。

お母さんが置かせてくれなかったのだ。


おそらくは私が籠ってしまう事を恐れての事だ。


「下に見に行こう!!」


「うん!!」

私は風ちゃんを誘って部屋を出る。


既に試合は始まっているから早足で階段を下っていく。


階段を降り、リビングに入るとお母さんは私たちに提供してくれたクッキーの余りを頬張りながら、昼ドラを興味深そうに見ていた。


「お母さん!!テレビ貸して!!」


「えっ、えっ?どうしたの、急に!!」

主婦が好きそうなどろどろとしたシーンが映し出されたところだったので少し気まずそうな雰囲気を見せるお母さん。


……そんなシーン、見たところで何も思いませんよ〜。


伊達に36年は生きちゃいない。

浮気話の一つや二つ……って、俺はやってない!!俺は決してやってないからね!!

などと、自分では思うものの、お母さんから見ればまだ子供。


親がそんなシーンを興味深く見ていたとは思われたくないのだろう。だから私はあえて、甘えた声を出す。 


「サッカーが見たいの!!お願〜い!!」


……どやぁ!!どこをどう見ても自然な親子の会話!!中学生が板についてる!!

などと思うと少し悲しくなってくる。が、使えるものは親でも使えと言うのだ!!悪いことではないだろう。


苦笑を浮かべる私を尻目に、お母さんが少し驚いたような表情で黙って私を見ていることに気づく。


「どうしたの、お母さん?」


「えっ、あぁ。ごめんなさい。なんでもないの。見ていいわよ……」

不自然な作り笑いを浮かべるお母さんに首を捻る。


「変なお母さん……。まぁ、いっか。風ちゃん!!見よ見よ!!」


「うん!!」

私たちはお母さんの後ろにある広いソファーにそれぞれ陣取る。そのソファーは人が3人座ってもなお広く、春樹の買った家のリビングの端から端までありそうソファーだった。


……格差社会反対。

などと今の自分の状況を棚に上げて、壁にかかったこれまた大きなテレビのチャンネルを変える。


試合はすでに始まっており、0対0。


その様子を見たお母さんが深いため息をつく。


「じゃあ、私は夕飯の準備でもしようかしら。久宮さん、夕飯食べて行ったら?」


「えっ、いいんですか!?」


「ちゃんと、親御さんには連絡しといてね!!」


「「やったー!!」」

お母さんの言葉に私たちはチームに点が入ったわけでもないのに喜びのハイタッチをする。その姿をお母さんは安堵した表情で見ると、キッチンへと向かっていく。


私たちはが広い画面に白熱した試合映し出され、私たちは声をあげて見入る。応援しているチームが点を決めそうになるシーンがあると、2人声をそろえて悔しがる。


「秋がいれば〜」


「ねー!!」


秋と言う言葉にお母さんは何故か反応し、不安げな表情のままこちらを見ていた。


……秋、元気にしてるかな?

そんなお母さんの様子は梅雨知らず、サッカーを見ながら不意に頭に幼馴染と元家族を思い出す。


彼の情報を私は仕入れていなかった。

秋が日本代表だったと言う事もあり、たまにその活躍を窺い知れるが、里心がついてしまいそうになるからなるべく見ないようにしていた。

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