第63話 事実と真実

「春樹、春樹……」


木漏れ日の中、誰かが眠っていた俺の頬を突きながら微笑む。元妻であった四季の仕業だ。


そしてその後ろから幼い頃の冬樹が「パパー」と言いながら駆け寄ってくる。


遠い昔の記憶が脳裏を過ぎる。


あ、これは夢だ……とすぐに分かる。

ただ夢のはずなのに、どこか妙にリアルで私は冬樹に手を伸ばす。


だが、その手は冬樹に触れる事はなく私をすり抜けていく。そして私はすり抜けた冬樹の方に視線を向ける。そこにははキャッキャとはしゃぎながら誰かに抱きつく冬樹の姿があった。


冬樹が抱きついた人は愛おしそうな表情で冬樹を抱きしめる。そして彼は私の存在に気がついたのか、私を見つめ、私に手を伸ばす。


「春樹さん……」

手を差し出された私は彼の名を呼び、彼の方に歩を進める。だが、春樹から離れた冬樹が私の歩を鈍らせる。


冬樹は私に気づかないまま、私の横を通り過ぎ、四季のいる方へと向かう。その姿を横目で追いながら、再び彼の方を向く。


すると彼は文字通り煙に巻かれていた。

あの日の記憶だ……。


「春樹さん、逃げて!!」

結末はわかっているのに、私は大声を上げる。

だが、彼は表情を変えることなく私に笑いかける。


「早く逃げて!!四季、春樹さんを助けて!!」

煙の勢いは強くなり、彼の姿はますます見えなくなっていく。私は必死で叫びながら、後ろを振り返り四季を呼ぶ。


だが、四季は私の声に気づく事はなく冬樹を抱き上げると、後ろを振り返る。

そして私達がいる方とは反対の方に向かって歩いていく。


「四季、待って!!春樹さんを……助けて!!」

必死に叫んでみても、四季は気づかない。

そして、歩みを進める四季の向こうには秋樹が立っている事に気づく。


再び後ろを振り返り彼を見ると、いまにも消え《ルビを入力…》そうな彼がそれでもまだ笑顔で立っている。


「四季、秋!!待って、待ってよ!!春樹さんを……私を助けてよ!!」


だが、やはり声は届かない。そして秋は二人を迎えると、振り返り私達から離れていく。


「待って、待ってよ!!」

三人から一度目を離し、彼を見るとその姿は完璧に煙に包まれた。そして、一瞬風が吹いたかと思うと、煙はその風に吹かれて消える。


そこにはさっきまで居た彼の姿はない。

そして、再び四季達が居た方に顔を向けると、すでにその姿はない。


……暗転。

私だけが取り残された世界で、私は一人叫び続ける。


「四季、秋、冬樹!!置いてかないで!!」

だが、その声は誰にも届かない。


誰もいなくなった世界にただ一人、叫び疲れた私は力なく座り込む。その座り方すらも正座やあぐらではない事にふと気付く。


女の子座りだ。


かつての俺では考えもつかないほど白く細く柔らかい足が目につく。その足が俺の家族達と同じ道を歩けていない。


私の意思で、私の希望で同じ道を歩む事を拒んだはずなのに、今更……。


だが、胸の内に湧き出した感情はますます膨らんでくる。そして一言、本音が飛び出した。


「……一人にしないで」

自分の深層から飛び出した言葉が涙となって溢れてくる。


「私を一人にしないでよ!!」

声を張り上げて言うが、誰も何も答えない。


「一人にしないで……」

そう言って、目を覚ます。

目に写ったものは今では見慣れてしまった香川家の天井だった。


息荒くベッドから飛び起きた私は目に溜まっていた涙を拭う。


取り繕っていたとしても、この夢が自分の本心であり、本当に俺が求めていたものだと言う事に気づく。


「最近……弱くなってるな」

一人愚痴りながら膝を抱えて静かに流しきれない涙を流す。


ここまでしないと今の自分を家族たにんに晒せない。

時間は明朝6時……、幸い今日は休日で時間だけはあった。


落ち着きを取り戻し、涙を流し切った私はいつものルーティンである朝食を作るために自室をでる。


階段を降りるとお母さんがすでに台所に立っていた。だけど、どこかぼーっとしている。


「お母さん、おはよう」

私は再び取り繕った笑顔でぼーっとしているお母さんに声をかける。


「えっ、あ。おはよう、夏樹……」

私が降りてきていた事に気づいていなかったのか、歯切れの悪い様子でお母さんは挨拶を返す。


その様子に疑問を感じた私は「どうしたの?お母さん」と尋ねるが、「何でもない……」と返すだけだった。


「……?あぁ、そう」

私はお母さんの様子に首を傾げながらもいつも通りに冷蔵庫に吊り下がる自分のエプロンを取る。


「……夏樹」


「何?」

お母さんに名前を呼ばれ、私はエプロンを取る手を止め、振り返る。


だが、すぐには答えが返ってくる事はなくお母さんは心配そうな表情で私を見ていた。


「どうしたの?」


「えっ、あ、ううん。何でもない」

意味深なお母さんの態度にたまらず声をかけると、お母さんは慌てて首を振るので、「変なお母さん……」と言って再び私はエプロンに手をかける。


すると、再び「……夏樹」と言う声が聞こえてくる。


「もー、何?また呼んだだけだったら私でも怒るよ?」

おちゃらけながらも、要領を得ないお母さんの言葉が癪に触る。


「……なんか最近疲れてない?」

お母さんの言葉に私はドキッとする。


お母さんの目に今の私はそう見えるのだろうか?なんか最近色々とあり過ぎて疲れているかどうかはわからない。


「ううん、大丈夫だよ」


「そう……」

私が笑顔でそう答えるからなのか、お母さんはそれ以上は何も聞かない。


「だったらいいけど、無理したらダメよ?」


「はぁい」

お母さんはそう言うと、私が持っていたエプロンを取り上げる。


「今日の朝ごはんは私が作るからいいわ」


「えっ?でも……」


「……いいの。今日はゆっくりしなさい。風ちゃんが来るんでしょ?」


「あ、そうだった!!」

修斗くんに酷い事を言い、風ちゃんにひとしきり泣きついた後、休日に二人で遊ぶ約束をしていたのだ。


だけど、風ちゃんが来るにはまだ時間がある。


「おしゃれをするのも大事なことよ」


「でも……」

おしゃれに気を使うことも大事なことなのは分かる。中身はどうとはいえ、一応年頃の女の子なのだからお母さんの言う事はごもっともだ。


だが、まだ納得をしていない表情を見透かされたのか、ねこが足元に来たからなのかは分からないがお母さんは猫を抱き上げると、私に手渡してくる。


「どうしてもって言うんなら、ねこちゃんにごはんをあげてちょうだい」


「にゃあ〜」

喉を鳴らし、私に擦り寄ってくるねこを受け取る。きっと疲れた顔をしている私に気遣っての好意なのだろう。


言葉の端々にもその一端が見え隠れする。


『普通の身体ではないんだから無理はしない』や、『女の子なんだからおしゃれをしないと』などと言った言葉をオブラートに包んでいるに違いなく、私が傷つかないように意図的に避けてくれているのだ。


「わかった……。じゃあ、ねこちゃ、ご飯にしようか?」


「にゃあーーん」


「お利口〜!!よくお返事できまちたね〜」

ねこに頬擦りしながら、赤ちゃん言葉で話す私をみてお母さんはクスッと笑う。


それを聞いた私は急に恥ずかしくなる。

ぱっと見は天使と子猫……なのだが、いかんせん中身はおっさんなのだ。


「はい、準備の邪魔だからあっち行った、行った〜!!」

恥ずかしさで顔を真っ赤にする私の背中を押してキッチンから追い出すと、お母さんは朝食の支度を始める。


私はねこにご飯をあげたり、リビングにうつ伏せになりながらねこじゃらしでねこと遊ぶ。


そんなどこにでもある日常がこれからも続く。

そう思っていた。だが、この後に知らされる事が私達の関係を揺るがす事件になる。


事実は……真実より残酷だと言う事を今の私はまだ知る由もなかった。


あとがき

第62話の最後を加筆しました。

5月15日以前に読まれた方は前回をご確認頂けるとありがたいです。





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