崩壊の序章

第60話 喧嘩と最低

「おはよー、夏樹ちゃん!!」


「おはよう、風ちゃん!!」

翌週の月曜日の登校中、駅で風ちゃんを待っていると、私の姿を見つけた風ちゃんが私に飛びかかってくる。


目を輝かせて飛びついてきたその姿はまるで人懐っこい犬のようで、見えない尻尾を嬉しそうにぶんぶん振るう様子が目に見えて分かる。


それを私はさも愛おしいそうに受け止めると、まるでカップルのようにくっついて歩く。


あの日以来、私の心境にとある変化が現れたのだ。


暴漢に襲われそうになった日、風ちゃんが私を助けてくれた。その事は私の中で彼女は安心をもたらす存在となった。


そう、この身体は脆く弱いのだ。


その事は私が大人だったという事実と女子中学生でしかない現実を如実に表してしまっている。


いくら俺が男だったとうそぶいたところで今の私は男の力には敵わない……それを痛いほど思い知った。


だから1番の味方であろう風ちゃんに安心を求めたとしても仕方のない事だろう。


だが、そんな私の様子を見て顔を顰める人物がいた。


秋保美月だ。


彼女には私に依存してしまっている風ちゃんのもう1人の親友になって欲しかった。


いじめた側といじめられた側の関係だということは承知で……だ。


2人の距離感はやはりどこか離れている。

風ちゃんの側にトラウマがあるのか、美月の側に遠慮があるのか、それとも双方ともなのかは私にはわからない。


分かるとすれば2人とも私を好いてくれている事は分かっている。ならば風ちゃんの私に対する気持ちを美月にも分けて欲しかった。


私の利己だと言うことも分かってはいたし、美月に風ちゃんと仲良くなってほしいと打ち明けた時の困惑した顔は今でも覚えている。


だけど、私はただの女子中学生ではない。

なんらかの奇跡によって生かされているにすぎない存在だから、いつ何時何があるかわからない。


もしかしたら明日死ぬかもしれないのだ。


そんな時のために、風ちゃんには私に対する依存にも似た好意を他の人に広げてして欲しかった。


だから、土曜日の風ちゃんとのお出かけの時に私は風ちゃんの事を少し突き放そうとした。

そうする事で、彼女が私と言う存在以外にも手を差し伸べてくれる事を知って欲しかった。


だが結論からいうと、私自身が風ちゃんに助けられた事によって芽生えた気持ちがそれを妨げた。


あの日からの男に対しての恐怖と女の子同士という安心感、風ちゃんという私に対しての好意の塊の様な存在が、美月に言った事とは逆に私が依存的な態度をとらせている。


美月からしてみれば、先日の話と私の行動が伴っていない様に映ったのだろう苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。


私と風ちゃんがいつも、どんな時でもくっついて歩く様になって1週間が経ったある日。


「ちょっと……」

保健室から出てきた私を美月が鋭い目つきで睨みつけてきていた。


「あ、美月じゃん。どしたの?」


「話があるんだけど、来てくれない」


「え、何?風ちゃんが待ってるから急いでるんだけど……」

美月が暗いトーンで投げかける言葉に私は少し戸惑いながら言うと、美月はますます目を釣り上げて「いいから来て!!」と言って私の手を掴む。


突然の出来事に驚いた私は美月に手を引かれるまま、美月の後をついていく。


すると、美月は屋上へと続く階段をずかずか上がって行き、屋上への扉の前で立ち止まる。


何故外に出ないかと言うと、厳密には出られないのだ。風ちゃんのいじめの件以降、生徒が出入りできない様に常に施錠される様になったからだ。


屋上の入り口前で立ち止まったままこちらを振り向かない美月を他所に、私は彼女が握って離さなかった手を振り解く。


「いたた。美月、なんなのよー。あんなに強く握る事ないじゃん。それに、風ちゃんが待ってるて言ってるじゃん」


私は美月に力強く握られて赤くなった手首をこれ見よがしに摩りながら美月に尋ねる。

すると私の言葉にカチンと来たのか、美月は真っ赤な顔をしてこちらを振り向く。


「……あんたこそ一体なんなのよ!!最近いつも風ちゃん、風ちゃんって。」


「なっ……」

涙目になりながら強い口調で私を責める美月に、私は言葉を詰まらせる。


……何を言ってるんだ?こいつ。

怒る理由がいまいちピンと来ていない私は急に怒鳴られたことに対する怒りが込み上げてくる。


「美月こそ何よ!!急に怒鳴ったりして!!」


「わからないの?わからないの!?それならあんた、おめでたい頭してるんじゃない?」


「おめでたい頭をしてんのは美月の方じゃん!!訳わかんない!!」


売り言葉に買い言葉で訳の分からない喧嘩をふっかけられた。まさかの女子中学生との口喧嘩をするなんて36年生きて、誰が想像しただろうか?


「美月に何が分かるのよ!!人の気持ちも知らないくせに!!」


「分かる訳ないじゃない!!あんた、あれから何も話してくれないじゃない!!久宮さんばっかりに引っ付いて!!」


「なんで風ちゃんと一緒にいちゃいけないの?」


「あんた、この前私に言ったよね?久宮さんもあんたばっかりにくっついてたらいけないって!!それなのに、今はあんたが風ちゃん、風ちゃんってくっついちゃって!!見てて気持ち悪い!!」


「うっ……」

美月が発したその一言が私に刺さる。

もちろん発案したのは私だし、反故にしようとしているのも私だ。


だが、火がついた喧嘩はそうそう止められない。

美月から放たれた文句に私も負けじと応戦する。


「な、何?私が相手しないからって妬いてるの?だからって風ちゃんにまた当たらないでよ?そんな事したら、次はないんだから!!」


苦し紛れに放った一言が美月の顔を歪ませる。

それは彼女が犯してしまった罪。彼女が触れられたくない過去。


それを私達は赦し受け入れたはずなのに、その事を喧嘩でのマウントを取るために使う。


手を振り上げそうになりながらも必死に唇を噛む美月の顔を見て、私はハッと我に帰る。


そう、彼女の目には大粒の涙が溜まっていたのだ。

それを見て、私は心の底から冷や汗が出る。


たかが子供の喧嘩に私は……大人だった俺はムキになり、彼女を傷つけたのだ。


「あ……、あの、その……」

私は自分の発した言葉の残酷さを感じ、慌てて取り繕う言葉を探した。だが出たのは言葉にならない言葉だけだった。


すると、美月は大粒の涙を溜めた目でキッと私を睨む。その瞳に私は圧され、言葉を失う。


「ええ、あんたに言われなくても分かってるわよ!!あんたみたいな偽善者にこれ以上とやかく言われたくないわ!!最低……」

と言って美月は私の横を通り過ぎ、屋上につながる階段を駆け降りて行った。


それを私は顔すら動かす事もできずに、ただ彼女が走り去る音だけ聞いているだけだった。


『最低……』

男が女性に言われて最も傷つくであろう言葉のひとつを、女の子になった今でも傷つくと言う事を私は……初めて知った2回目の中学3年生、9月半ばだった。



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