閑話 久宮 風の雪解けと再起

結局、私は羽佐間先生の「香川さんと仲良くなる」という提案を保留にしたまま日にちは過ぎていった。


その間、何度か彼女の姿を保健室の奥の部屋から見かけた。

もちろん私からこの部屋を出る事はないし、羽佐間先生も無理に引き合わせようとはしなかった。


だが、保健室で一人で昼食を摂る事は寂しかった。

お母さんの作ったお弁当を食べるが、味気ない。


「やっぱり、ひとりでのお弁当は味気ないですね」


羽佐間先生が戻ってきた時にぼそりと呟いたことが、私にとって人生の分岐点になった。


翌日、早々に香川さんを校内放送で呼び出したのだ。その放送を私はただなんの気なしに聞いていた。


先生は香川さんに用があるだけだと思っていた。


しばらくして保健室のドアが開く音と共に「失礼します」と言う声が聞こえてきた。

けど、初日に聞いた香川さんの声ではなく、声の主は親友だった奈緒ちゃんの声だった。


その声を聞いた瞬間、私の背筋に戦慄が走る。


……なぜ奈緒ちゃんが香川さんと一緒に?

別室から保健室の様子を窺い知る事は出来なかったが、彼女は始業式初日に香川さんと仲良くしていた事は見ている。だから今も香川さんと一緒に来ているはず……。


……私はこんなに苦しんでいるのに、どうして。


私から離れてしまった元親友を恨む訳ではなかったけど、すでに香川さんと友人関係になっている事に対して暗い感情を持つ。

そんな私の感情をよそに、羽佐間先生の慌てた声が聞こえてきた。その声に聞き耳を立てる。


どうやら、香川さんが目眩を起こしてしまいそれに奈緒ちゃんは付き添ってきたようだった。羽佐間先生は体調のことを注意されている香川さんを庇うように奈緒ちゃんが事の成り行きを説明している。


私を庇った事で香川さんは秋保さん達に目をつけられ、危害を加えられたようだった。その上、私のいじめについても何か話している。



私は香川さんに申し訳なさを感じる一方で、いじめに対しても何か手を打とうとしてくれていると知った。


すると、羽佐間先生が私を保健室へ来るように声をかけてきた。


その声に私は肩を震わせ、この部屋から出ることを躊躇ってしまう。

クラスメイトの前に出る事は怖い。

いつ彼女達に裏切られるのか……そういった恐怖心が前へ進むことを拒む。だけど……。


…… ねぇ、久宮さん。保健室はどこかな?


二の足を踏んでいた私の脳裏に突然、香川さんの声が響く。私をいじめていた子たちから私の手を引いて連れ出してくれた時の声だった。


私は脳内の声に反応するように手を伸ばした。

だけどその手は空を切り、前のめりになる

そして足が一歩前へと進んだ瞬間、私は誰かに前に進むきっかけを作って欲しかったんだと、気がついた。気づいてしまった。


そう思うと、自分の身体は自然と足を保健室へと進ませた。

保健室から出て香川さんが横になっているベッドの方にきた私を奈緒ちゃんは驚いた顔でこちらを見る。そして、羽佐間先生と香川さんは話の続きをしている。


「私がその話を聞いたあと、彼女に保健室で勉強するようにしてもらっているの。不登校になるのはもったいないでしょ?」

羽佐間先生は私の後ろに来ると、ゆっくりと肩を持って微笑む。


「ごめんなさい、久宮さん、梶山さん。もしかしたらいらないお世話だったかもしれない。けど、あの様子は見て見ぬふりをできなかったの…。だから…」


香川さんも私の知らないところでいじめのことを羽佐間先生に相談してくれていたようで、私を気遣う様子を見せながらも余計なことをしたと謝っているのだ。


その言葉に私は久しぶりに人の暖かさを覚えた。

中学生になって2年間クラスで孤立し、体に突き刺さるような冷たい態度しか受けなかった私に救いの手を伸ばし、そして気遣ってくれる彼女たちを信じようと思えた。


「いえ、ありがとうございます。香川さん。私も…もう逃げたくなかったから…先生が連絡をくれた時は嬉しかったです」


……逃げたくない、それは本心だ。

いじめに負けたくないし、弱い自分に負けたくはない。


だけど、足を踏み出す勇気がなかった。言い返す勇気もなかった私に差し伸べられた手を、今掴まなければ二度と立ち上がれなくなる。


心に何か熱いものが注がれたれたような、今までに感じたことのない感覚が湧き起こり、私は手を握りしめる。


「風ちゃん……」

私の様子を見て、奈緒ちゃんは何かを言いたげに私の名前を呼ぶ。

その答えは分かっていた。


彼女も私を無視し、陰口を叩いて、いじめに”加担”した側なのだ。

だけど、彼女が一方的に悪いわけじゃない。


親友だった私がいじめのターゲットになってしまい、もしかしたら彼女も孤立する可能性があった。そのことは奈緒ちゃんにとって辛い事実だったはずだ。


そして、彼女は私から離れたのだ。

そのことを私は責めるつもりはない。

私自身が反対の立場でも、おそらく同じことをしていた。


そのことは奈緒ちゃんにとって暗い影を落とす出来事だったのかもしれない。

私を裏切ったという影……。


「奈緒ちゃん、ごめんね……。」


「風ちゃん…のバカ、なんで謝るの!?」

私が謝ると、奈緒ちゃんは瞳に涙を浮かべて怒った。

その様子をなにも言わずに私は見守る。


私にとっても、奈緒ちゃんにとってもこの一年は傷なのだ。

埋めようのない深い傷……。


だからと言って、私はなおちゃんを責めようとは思わない。

もう一度前のように仲良くして欲しい。けど……。


「私と仲良くしてたせいでいじめられなかった?それが心配で…」


「…いじめられてはないよ。だけど、風ちゃんを裏切った。謝るのは私の方だよ…」


「わかってる。奈緒ちゃんは悪くないよ…私が逃げちゃったから…」

私の言葉に奈緒ちゃんは耐えきれず抱きついてきて、「ごめん、ごめんね…風ちゃん」と繰り返しながら大泣きをし、私はそれを受け止める。


私は奈緒ちゃんの言葉を聞いてようやく心に募ってきた蟠りがほぐれた。


私たちが落ち着く頃には、昼休憩終わりのチャイムがなった。


「休憩終わりだ…。奈緒ちゃん、授業に戻らないと…」

私は惜しむ気持ちを押し殺して抱きついている奈緒ちゃんと離れる。


「…うん。ごめんね、風ちゃん。なっちゃん。ありがとう。私は教室に…」


「戻らなくていいわよ?」


奈緒ちゃんが教室へ戻ろうと立ちあがっていると、席を外していた羽佐間先生がが戻ってきた。


「…嶺さん、どう言うこと?」

ベッドに寝ていた香川さんが羽佐間先生に尋ねた。

私も奈緒ちゃんと顔を見合わせる。


「とりあえず、梶山さんは夏樹ちゃんを連れてきてくれたし、言わないといけない事もあるからね」

と言うと、奈緒ちゃんはビクッと肩を揺らした。

羽佐間先生に叱られると思ったんだろう。


「あぁ、梶山さん、怖がらなくていいよ?何も怒るわけじゃないから。ただ…、夏樹ちゃんと一緒に久宮さんをクラスに戻れるように協力して欲しいの」


羽佐間先生は、奈緒ちゃんにウィンクをしている。

奈緒ちゃんはそれを聞いて嬉しそうに「はい!!」と答えた。


先生は私のクラスへ戻る作戦を奈緒ちゃんや香川さんを巻き込んで考えてくれているの。


「久宮さんは当分はここで勉強してもらうけど、昼休憩はここで一緒に食べてあげて」


羽佐間先生は奈緒ちゃんの返事を聞くと話を続ける。私はそれを聞いて嬉しくなる。

少なくとも、この2人が一緒にいてくれれば学校に行く価値を勉強以外に見出せる。  


「あなたは久宮さんと仲よさそうだし……。夏樹ちゃんだけの予定だったけど、この子1人じゃ間が持たないだろうし…」


私はニヤつきながら香川さんを見る羽佐間先生の言葉の意味がわからなかった。


最初は転校生だからなのかとも思ったけど、香川さんの複雑そうな表情を見る限りそうではないように見える。


「わかりました」

奈緒ちゃんは疑問を持った私と対照的に嬉しそうに返事をする。その言葉に満足そうな先生は話を続ける。


「あと、梶山さんにはもう一つお願いがあるの…。

香川さんの体調なんだけどとても特殊なの。だから、近くで見て、体調が悪そうならここに連れてきてほしいの」


「……体調って、記憶喪失の事?」

火事の影響で記憶喪失になったと転校早々に香川さんが言っていた事を私は思い出す。


記憶喪失になるほどの事が彼女の体にはあるのだろう。そんな状況でも私を助けてくれようとしてくれる香川さんの優しさに感謝する。


だからこそ、私も香川さん達ともっと一緒にいたいと思うようになる。この事が、私の価値観を大きく変える事になるのだけど……。


「そうね……。この子の体調はいつ何があるかわからないの。今日みたいに……。」


「嶺さん、大丈夫だって!!自分の身体のことは自分が…」


「わかるの?貴方が、貴女の身体のことを…」


「貴女の身体は何が起こるかわからないの。わたしや貴女のご両親や家族以外に頼る人なんていないでしょ?なら、学校でも友達は作っておくべきよ。だから、梶山さん、久宮さん。香川さんの事を任せてもいい?」

私の思いをよそに香川さんと羽佐間先生のやりとりは続く。


そこには彼女達の計算もあるのだろう……だけど、私はこの人達に自分の再起をかけてみたいと思う。


「「わかりました!!」」

私と顔を見合わせた奈緒ちゃんが声を合わせて答える。やはり奈緒ちゃんは離れていても一番仲のいい親友だった。


「なっちゃん、よろしくね」


「香川さん、ありがとう。貴女のおかげで、前に出るきっかけができました。だから、友達になってください」

人懐っこい話し方で香川さんと接する奈緒ちゃんに続くように私も彼女に自分の思いをぶつける。


すると香川さんはベッドから私を見上げる。


「…じゃあ、今度から久宮さんの事は風ちゃんって呼ぶね。こんな私だけど、よろしくね」

その言葉に私は嬉しくなる。


再び親友と仲直りができ、その上新しい友達ができた。久しぶりの高揚感にわたしの顔に満面の笑みがこぼれる。


奈緒ちゃんはそれを聞いて「私も奈緒って呼んでほしい!!」と焦りながら声を上げるけど、香川さんは「よろしくね、梶山さん」と言う。

奈緒ちゃんはその返事に「なっちゃん〜」と、落胆するので私と香川さんは笑った。


「あはは。ごめんね、奈緒ちゃん。風ちゃんも、なっちゃんって呼んでいいからね!!」


「うん、わかった。なっちゃん!!」

久しぶりに友達と笑い合う事ができる喜びがわたしを包む。ここ1年間欠けていた感情が溢れ出すと共に。この時間がずっと続けばいいと……この時の私は願った。







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