第53話 浴衣と思惑
翌日の夕方、私はお母さんに浴衣の着付けをしてもらっていた。
計らずとも自然と私の口から発せられた修斗君と花火大会に行く為だ。
側からみればデートのように見えるが、私にはそのようなつもりは無い。
だけど、お母さんから見ればれっきとした娘の初デートなのだ。
お母さんの性格上、張り切るに決まっている。
げっそりとした気分の中、私は浴衣の着方のレクチャーを受けていると、玄関のチャイムが家中に鳴り響く。
休みで家にいたお父さんがインターホン越しに修斗くんと会話をしている声が聞こえる。
「夏樹ちゃん、しっかりね!!」
その声を聞いたお母さんが私の背後から両肩を掴み、耳打ちする。
……なにを頑張ることやら。
呆れながらも鏡の前で自分の浴衣姿を確認する。
そこにはすでに見慣れたはずの夏樹の顔が写っている。
しかし、その白い髪は髪飾りで纏められ、身に纏っているものも普段は着る事のない、紺色の布地に紫とピンクに飾られた浴衣姿だった。
その姿を見た私は鏡を食い入るように見つめる。
普段の幼い容姿からは想像できないくらいに今の自分は神秘的で、美しく、可愛かったのだ。
「可愛い……」
自分の浴衣姿に心を奪われた私は小さく呟く。
元々他者だった私が、今の自分を見るだけで見惚れてしまうのだ。
他者から見ればおそらく注目の的になるに違い無い。
そう考えると、この姿が自分だと感じる事が急に恥ずかしくなってきた。
「さっすがは私の娘!!可愛いし、綺麗だし、美しい!!これなら加藤くんもイチコロね!!」
親バカ全開で私の容姿をべた褒めするお母さんを尻目に、私は戸惑う。
鏡の前には
その事で夏樹という存在を客観的に見るようになってしまった。
だから、目立つこの容姿で外を出歩く事を極力避けたいと思う自分と、心が弾んで今にでも他の誰かに見せて、褒めて貰いたいという二つの気持ちが生じたのだ。
だが、前者はお母さんに拒否される。
だからこそ、尚更恥ずかしさが増してくる。
「はい、加藤くんが待っているわよ。早く行った行った」
「ちょ、ちょっと!!」
お母さんが私の背中をぐっと押し、私は慌てて足を踏ん張る。
だが、大人の力にはどうにも勝てない私はなされるがまま、玄関の方へと押されていく。
玄関では、ねこを抱いたお父さんと浴衣姿の加藤くんがにこやかな表情で談笑をしている。
本当にこの夫婦は加藤くんのことが好きなようで、親としては変わっている思う。いや、他人である私を心から受け入れてくれている時点で相当な変わり者なんだろう。
それに私を巡って喧嘩をされるのもめんどくさいので、文句はないけど。
「加藤くん、お待たせ〜」
私の背後からお母さんが楽しそうに修斗くんに声をかける。
その声に気がついた加藤くんとお父さんの視線がこちらを捉えると、その場にしばらく沈黙が走る。
「どう、加藤くん?夏樹ちゃん、可愛いでしょ?」
無言に支配された空気を切り裂くようにお母さんが加藤くんに尋ねる。
「おお、まるで天使のように可愛いよ!!」
両手を広げたお父さんが、わざとらしい位に私を褒める。
その様子を見たお母さんはお父さんのそばに行くと、鳩尾に肘打ちをかます。
急に攻撃を受けたお父さんは膝から崩れ落ち、のたうち回る。
その姿を見て見ぬ振りをするお母さんは、加藤くんの方を向くと「どうかな?」と、和かな表情で言う。
その様子に加藤くんはたじろぎながらも、再び私を見ると
「……綺麗だ」と一言だけ呟く。
「えー、それだけ?」
お母さんは不満そうに声を上げるが、私はその一言で顔が真っ赤になる。
いや、嬉しいわけではない。男に綺麗だって言われても嬉しくないはずなのに、嬉し恥ずかしい思いが込み上げてくる。
「……ありがと」
私も一言だけ、お礼を言うとお母さんは満足そうにため息をつく。
「はい、あなたたち。気をつけて行ってきなさい。まだ中学生なんだから終わったら早く帰ってきなさいよ〜」
お母さんが私の手を引っ張り、下駄を履かせると私たちを追い出すように外へと追いやった。
家から出された私たちはただただ無言で玄関の前に立っていた。
夕日も徐々に落ちてきており、「いこっか?」と私は修斗くんに声をかけて二人で駅の方へと歩き出す。
「……行ったか?」
「ええ」
玄関の向こう側ではのたうち回っていたお父さんが立ち上がり、お母さんに尋ねる。
「加藤くんはやっぱり夏樹のことが好きなのね」
「ああ。腹立たしくはあるが、いい事だ」
「夏樹も心の奥では満更でもなさそうに見えたわ」
「そうだな……」
その言葉を聞いたお父さんは苦虫を噛んだように顔をしかめる。
「これでよかったのかしら……彼にとって」
お母さんは私達の去った玄関を見つめながら、お父さんに疑問を投げかける。
その問いにお父さんはただ一言、「分からん……」と呟く。
「今の夏樹にとって、女の子として過ごす事はできるようになっているとは思う。だが、彼の存在が夏樹の未来を左右する事は間違いない。なら、彼が受け入れることができそうな加藤くんに夏樹の未来を開いて貰うのもいいと思う……」
「加藤くんには辛い役割を敷いてしまっているような気がするわ」
「そうだな。私達の犯した業を年端もいかない彼に背負わせるのは酷なのかもしれない」
お父さんは俯くお母さんの頰に手を置くと、優しく撫でる。その手をお母さんは優しく包み込む。
「だが、彼の記憶がある以上は夏樹は前へは踏み出せない。なら、彼に賭けてみよう」
「夏樹、加藤くん……」
私たちが出かけて行った自宅で両親がなにを考えていたのか、当の本人達は知らないまま、駅で電車を待っていた。
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