第52話 思わせぶりと勘違い

「香川!!」


嶺さんの検診を終えて靴を履き替えていた私に修斗君は声をかけてできた。


「どうしたの、加藤君?」

靴を履き終わり、顔を上げた私が修斗君の方を振り向く。すると修斗君が顔を逸らして、口籠っている。


「そういえば、肩は大丈夫?脱臼したって聞いたけど」

声を出せない修斗君に代わり、彼の肩を心配する。


「ん、ああ。大丈夫だよ」

顔を上げた修斗君が軽く肩を回し、回復をアピールする。


「嶺さんも言ってたけど、無茶はダメだよ〜。脱臼は繰り返すらしいから」


「ああ、ごめん」

嶺さんが言っていた事を私が注意すると、修斗君が肩を回す事をやめる。


「ん…もう帰れるの?」


「ああ、話があって待っていたんだ。一緒に帰れるか?」


「うん、帰ろっか」

私達は学校を出ると無言で家の方に向かっていく。

なぜ無言かというと、彼と会うのは終業式以来だ。


彼は夏休みの間サッカーの練習と、試合に明け暮れていて、会うことがなかったのだ。

彼にはサッカーの試合に来てほしいと言われていたのだが、彼からの連絡はなく、私もプールでの一件で全く連絡を取れずにいたのだ。


私達は帰宅道中にある、ねこを拾った公園に立ち寄る。ベンチに並んで座ると再び無言が訪れる。


「そういえばごめんね、加藤君。サッカーの試合に行けなくて……」

場の空気に耐えきれなくなった私が、修斗君に行けなかった事を謝る。


「ん、ああ。こっちもごめん。連絡できなくて」


「で、どうだったの?」

試合の結果を聞くと、彼は俯き声を上げられない。

その様子で大体予想はつく。


「……ダメだったんだね」

私が尋ねると、彼は静かに頷く。


「準決勝で負けた。試合中に腕の脱臼が原因で交代になって、そのまま負けた……」

修斗君は悔しそうに唇を噛む。


「そっか。勝負だから仕方がないよ……」


「仕方なくない!!負けたらそこで終わりなんだ。それなのに、怪我のせいで負けた。そんな自分の身体が嫌になる!!」

俯く彼の頭を私は軽く撫でると、彼はくやしそうに声を上げる。


「そうだね……」

彼の気持ちは痛いほど分かる。

私……いや、俺たちも中学サッカーをしていた時代はよく負けた。負け続けてきた。


だから二人で必死に練習を続けたし、よく話し合いと言う喧嘩もした。何度も、何度も負けて、怪我もし、それでも立ち上がった。


「高校でも頑張ればいいじゃない。前にも言ったけど、怪我をしたって、治ればまた続けられるじゃない」

私が声をかけると彼は顔を上げて私を見る。


明日があるからこそ続けられる。


中学生の私達には未来があったし、これからの修斗君にも未来がある。


私は怪我をして、サッカーを辞めた時点で、世界は色褪せた。そして、この身体になって自分自身を失った。


彼には私と同じ道は通って欲しくない。

そう願い、私は彼を励ました。


「ははっ、俺って情けないな……」

彼は顔を歪めながら、自嘲する。


「決勝でゴールを決める姿を見せようと思ってきたけど、結局は決勝にすら行けなかった。それどころか、香川に励まされてばっかりだ。かっこわるい」


「……」

今にも泣きそうな彼を見て私は何も言えなかった。


この頃の年代の男子が理想とするかっこいい自分と現実にある弱い自分のギャップに戸惑い苦悩する姿を見て、なんて言えばいいかわからなかった。


大人目線での叱咤でもなく、同年代の女の子としての激励でもない言葉なんて彼には必要ではない。


彼自身が見つけ出していくものだから……。


「ねぇ、加藤君……。明日の花火大会、一緒に行かない?」

私はふと、公園の前で見つけた掲示板を思い出す。そこには夏祭りの告知のポスターが貼ってあり、夏休み最終週に花火大会を行う旨が書いてあった。


今の修斗君にはきっと休息も必要だろうと思い、提案した。すると、彼は表情を一変させる。


「……花火大会?」

彼が戸惑うように、私に聞き返してくる。


「うん。多分加藤君は今までサッカーのことばっかり考えてたから悩むんだよ。なら、ちょっとくらい休んでもいいんじゃない?」

私がそう言うと、彼は顔を真っ赤にする。


その顔を見た私は「どうしたの?」と首を傾げる。

伸びた白い髪が目の前でちらちらと遊ぶ。


「……もしかして、2人で?」

以前、顔を赤くした彼が恐る恐る尋ねてくる。


「まだ誰にも声はかけてないけど。どして?」


「それって……デートだよね?」

彼がそう言ってくると、私はハッとした。


修斗君にどこか昔の俺や秋の姿を重ねてしまい、男友達……いや、同志のように思っていた。だが、彼にとっては私は女の子。そして、片思いの相手なのだ。


「やった!!行くよ!!」

修斗君は嬉しそうに強くガッツポーズをする。


「えっ、あ……、その……」

彼が喜ぶ姿を見て、私は断る事が出来なくなる。

それどころか私がいい出した事を反故に出来ない。


「やった!!明日の夕方に家まで迎えに行くから、またラインする!!じゃあ!!」

彼は嬉しそうに言って、私を置いて早々と家へと戻っていく。


公園に残された私は彼の後ろ姿を目で追い、ボー然とする。そして、我に帰ると……


「やっちゃったぁぁぁぁぁ!!」

頭を抱えて後悔した。


厳密に言うと、何度も彼の告白を振ってきた私からデートに誘うという、彼にとって脈有り的な行動をとってしまった。


「どうしよう、どうしよう、どうしよう……」

私は自分の愚かさを嘆きながら、家路につく。


……付き合う気もないのに、加藤君に色目を使って。

脳内にある言葉が蘇る。

加藤君が好きな女の子が私に言った言葉だ。


彼に対する好意と、付き合うことのできない自分、その上で彼を惑わせる行動をとってしまう自分に嫌気がさす。


いっそのこと付き合ってやれればとも思うが、その気にはならないのだから尚更達が悪い。

その気もないのに付き合って、傷つけて、そして傷ついた過去があるから繰り返したくないのだ。


優柔不断……。これは春樹であった頃からの自分の嫌な部分だった。


そんな過去を思い返しながら歩いていると自宅へと着く。


「ただいま〜」


暗い声で家の玄関を開けると、ねこを抱えたお母さんが私を待っていたかのように立っていた。


……この人はねこか!!

もはや驚きはしなかったが、玄関で立っているお母さんに心の中でツッコミを入れる。


「おかえり、夏樹ちゃん。どうしたの?暗い声をして」

お母さんが私にねこを差し出してきたので、私はねこを受け取ると頬ずりしながらリビングに歩いていく。


そしてねこを抱えたまま、ソファーに座り今日あった事の顛末をお母さんに話す。


「明日、加藤君を花火大会に誘っちゃって……」

すると、お母さんは「まぁ!!」と、目を輝かせて嬉しそうに話を聞いている。


「けど、よく考えたら行けないなって思って……。だから断ろうかな」


「どうして?せっかくのデートなのに……」


「付き合う気もないのにデートに行くって、彼に勘違いさせたままでいるのは申し訳なくて……」


「えー、付き合う気ないの〜?彼はしっかりしてるし、いい子だからお母さんはいいと思うなぁ〜」

お母さんは茶化す様に彼を推す。


「確かに彼はいい子ですよ。私も嫌いじゃないですけど、彼と付き合うなんてできるわけないですよ」

私の言葉を聞いたお母さんが表情を曇らせる。


「彼は普通の女の子と付き合うべきなんです。私みたいに曰くつきの子と付き合うなんてあり得ない。

私もさすがに男の子と付き合えないですよ」


「……そうね。あなたには辛いかもしれないわね。

ようやく女の子になれたあなたには」

私の言葉の意味を理解し、お母さんは声のトーンを落とす。その姿を見て私も胸が痛くなる。


「けど、これだけは忘れないで。今のあなたは普通の女の子よ?いくら過去があっても、心のままに動いていい時もあると思うわ。今の彼にあなたの言葉が必要だと思うのなら、あなたも心のままに動いてもいいと思うの」


「……心のまま?」

私はお母さんの言葉に一つの疑問が生じる。


心とは一体なんなのだろう。

私の頭は行くべきではないと思っている。


それは彼の為なのだと。

だけど、心では今の彼の落ち込みや喜ぶ姿を見て、行かないわけにもいかないとも思う。


男女の好き嫌いを除いても……だ。


ならは、この感覚はなんだろう……。

心がもし胸にあるのなら、この胸は夏姫のものだ。

食い違う、2つの思いに戸惑いが生じる。


「頭ではなく、体が勝手に動く時ってあるじゃない?そんな時は心に従ってみても、誰もあなたを責めたりなんてしないわ。間違った事じゃなければ」

お母さんは私の手を取り、目を見て、はっきりと話す。その目に私は釘付けになり動けなくなる。


すると突然、私のスマホに着信を知らせる音が鳴る。その音にびっくりした私は、スマホを取り出して、着信の相手をみる。


「……風ちゃんだ」

私は相手を確認すると、膝で寝ているねこを降ろしてソファーから立ち上がる。そして、自室に戻る為鞄を持つとリビングを出る。


「夏樹ちゃん。あなたはあなたの思う様に生きていいんだからね……」

お母さんが私が出る前に、一言そう告げる。


私はその言葉に返事をする事なく、二階の階段へと向かう。


……私の思う様に。

私の心に、お母さんの言った言葉だけが残った。


自室に戻った私は、風ちゃんに折り返しの連絡を入れる。


『もしも〜し。夏樹ちゃん?」

3コールもしないうちに風ちゃんが応答する。

風ちゃんの明るい声が、受話器を通じ私の耳に届く。


「もし?風ちゃん、どうしたの?」


『あのね、明日なんだけど……、花火大会に行かない?』

明日の花火大会のお誘いだった。

ダブルブッキング。今し方まで悩んでいた案件が、また一つ増えた。


「……ごめん!!明日は用事があるの!!だから無理なの!!」


『え〜、そうなの?ちぇっ!!』

私の断りに風ちゃんは残念がる。


「ごめん、この埋め合わせは違う日にするから……」

私はなぜかわからないが、風ちゃんに謝っていた。


『仕方ないなぁ〜。じゃあ、奈緒ちゃんたちを誘ってみるから、来れる様なら連絡してね』

風ちゃんは残念そうだが、極めて明るく振る舞っていた。


だが、私はある一言を聞いて、少しホッとした。

彼女の口から『奈緒ちゃん達を誘う』という言葉が聞けた事だった。


以前の彼女ならきっと自ら誰かを誘って行こうと言う事はなかっただろう。だけど、その言葉を彼女から出た事を嬉しく思えた。


だからこそ、私は「ごめんね……」と謝って通話を終えた。


誰に対しても思わせぶりや勘違いをさせる自分のズルさを知りながら、それでも生き続ける自分に憤りを覚えた。


その瞬間、私の脳裏にお母さんの言葉が蘇る。


……あなたは、あなたの思う様に生きていいんだからね……


私はスマホを学習机に置いて再び、リビングへと向かう。階段を降りて、リビングのドアを開けるとお母さんは夕飯の支度をしていた。


「お母さん。やっぱり、私は明日行ってみるよ」

私が告げると、お母さんは「そう……」と呟いて、コンロの火を止めて、キッチンを後にする。


しばらくして戻ってきたお母さんはあるものを手にしていた。


「お母さん、これは?」

私が尋ねると、お母さんは手に持っていたものを広げる。


それは紺地に紫とピンクの朝顔がいくも描かれた浴衣だった。


「この前、お父さんと買い物に行った時に偶然見つけたの。花火大会があるのは知ってたし、あなたももしかしたら行くかなって思って、ついつい買っちゃった……」

そう言うと、お母さんは私に浴衣を羽織らせる。


「ピンクの朝顔は夏姫が好きだったの。そこにあなたの好きな紫色を加えたこの浴衣があなたには似合うと思ってとけど、思った通り、白い髪がよく映えて綺麗ね」

お母さんは私の浴衣姿を見てしみじみと言う。


「……お母さん、ありがとう」

感慨深いお母さんにお礼を言うと、お母さんの顔が突然にやける。


「でも、夏樹ちゃんもやるわねぇ〜。初めてのデートがまさか浴衣デートなんて、隅におけないわぁ」

その言葉を聞いた私は顔を真っ赤にする。


「デートじゃないですって!!約束したから加藤君に申し訳ないなって思って……」


「あらら〜、照れちゃって。さすが私の娘!!」

お母さんが嬉しそうに再び茶化しはじめる。


その言葉を聞いた私はふて腐れて、「行くの……、止めよかな……」と口にすると、お母さんは慌てて取り繕う。


結局は行くことにしたのだが、私達が親娘揃って戯れていると、玄関のドアが開く音が聞こえる。


お父さんが帰ってきたのだ。


「ただいま〜、にゃんちゃん」

と言う声とともに、お父さんがねこを抱いてリビングへと入ってくる。


そして私の浴衣姿を見て感動していた。そして、デートに行くとお母さんが告げると、その表情は一変する。


「私の可愛い娘とデートなんて、百年早い!!どこのどいつだ、連れてこい!!」

と、父のテンプレの様なセリフを吐く。


そして、お母さんが修斗君と一緒に行くと言うと、「彼なら行ってきなさい!!」と、掌を返す。


……この2人はどれだけ修斗君が好きやねん!!

私以上に彼の事を気に入っている両親に少しドン引きしつつ、私達は親娘水入らずの時間を過ごした。

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