女の子の青春?
第51話 夢と亡霊
約一年ぶりに実家での母との再会を果たした私が自宅に戻ってから数日経った。
もうすぐ夏休みも終わり、2学期が始まってしまうのだが、私はまだ始まっていない中学校に私は向かっていた。
嶺さんの定期診断を受けるためだった。
夏休みの間、プールや旅行、父の葬儀など肉体的にも精神的にも、今の私には疲れを生じさせる事がたくさん起こってきた。
だけどそんな中でも私に自己批判を繰り返したり、気を失う事がなかった。この体に慣れたと言えば簡単なのだが、人が簡単に他人になれるわけじゃない筈だ。
だが、私は夏樹になった。いや、夏樹になれてしまった。
両親や実の母の私への扱いについては異常なほど慣れ過ぎだとは思ったが、いずれ私も自分が夏樹だということに違和感がなくなってくるのではないかとも思う。
そして、春樹であった事が自体が不思議なことのように思えてくる。
そんな中、私はある夢に悩まされていた。
その夢は炎の中で私を抱き寄せる男の夢だった。
その顔を見上げると、顔は自分で見たことのない春樹の顔なのだ。
必死の形相を浮かべる春樹の顔を見て私は安心して眠る。
そして、目が覚める。暖かく、優しい熱量が私の体に残っていて、その熱量を放つ存在がないことに気がつくと、私は寒気を感じて泣いてしまうのだ。
行く日も行く日も、同じ夢を見ては小さく体を丸める。
そんな日が続くと、なんだか怖くなってきたのだ。
その相談を兼ねて、私は保健室へと向かっているのだ。
「失礼します」
私は保健室に到着すると、ドアを開け、嶺さんの姿を探す。
だが、そこには嶺さんの姿はない。
目の前に見えるのは体調不良の生徒が横になるベッドを隠すように視界を遮るカーテンだった。そこに人の気配を感じる。
すると「いーい?大丈夫、力を抜いて……」といういかにも嶺さんの声が聞こえる。
……何してるんだか。
私は、その声を聞いてため息をつきながら、ゆっくりとカーテンを開ける。
そこには上半身裸の男子生徒が横になり、嶺さんが横から右手を握っているという光景が広がっていた。
カーテンを開いた私の存在に気がついた2人と目が合う。
「先生、なにやっているんですか?」
「へっ?あ、夏樹ちゃん!!違うの、なにもしてないって!!」
私は呆れながら嶺さんに言うと、嶺さんは慌てる。その声に驚いた男子生徒も「えっ?香川!?」と、私の顔を確かめるように慌てて起き上がる。
修斗くんだった。
彼は嶺さんに右手を持たれた状態で急に起き上がったからか、腕を抑えて悶絶しだす。
「ああっ、ダメよ。急に動いちゃ!!まだ治っていないんだから」
と言って、嶺さんは一瞬力を入れたかと思うと修斗くんの腕を押し込む。
その瞬間、彼は「いっ!!?」と言う声を上げるが、すぐに表情を変えて、「治った!!」と声を上げ、肩を回す。
「ちょ、ちょっと!!加藤君、さっきまで脱臼してたんだから無茶はダメよ!!処置はしたけど、痛みが続くようなら、きちんと病院で診てもらいなさいね!!」
嶺さんは肩を回す修斗君の肩を持つと、患部を固定していく。
「わかりました!!ありがとうございます!!」
処置が終わるとサッカーの練習着を着た修斗君は脱兎の如く保健室から飛び出して行く。
その後ろ姿を私と嶺さんはぽかんと見ている。
「なにしてたんですか?」
私は冷めた目線で嶺さんを見る。
あんなシュチュエーションを見せられると、何事もなくてもドン引きだ。
「いや、加藤君が脱臼したって言うから…ね」
「いや、それは分かりますけど……」
嶺さんの普段のポンコツぶりを見ていると、呆れて何も言えなくなった。
「……若いっていいわね」
「嶺さんも十分若いでしょ?25歳なんてこれからじゃないですか」
「そりゃそうだけど、なんか青春って感じでいいわね」
ため息まじりに嶺さんが年寄り臭く呟く。
私も彼の後ろ姿を追う様に保健室の入り口を目で追いながらうなづく。
「そうですね。なんか羨ましいですね。加藤君も風ちゃん達もみんな楽しそうと言うか、未来があって羨ましい」
「あら、あなたも一緒じゃない?輝かしい未来があるのは……」
嶺さんは私の顔をまじまじと見ている。
その視線に耐えかねた私は彼女の視線を避ける様に顔を逸らす。
確かに、夏樹としての未来はきっとある。
だが、既に36年と言う歳月を送ってきた思考に輝かしい未来があるとは思えない。
「輝かしいかどうかは分かりませんよ。私は夏姫ちゃんに贖罪の念を抱きながら生きなきゃいけないですから……。それに……」
「それに?」
私の半端な言葉に彼女は首を傾げる。
「私は春樹という亡霊を背負って生きていかないといけないんです」
「元のあなたの亡霊?」
彼女が疑問を私に投げかけると、私はうなづく。
「プールの時に春樹と言う男に助けられた光景を見た話はしましたよね?」
私が話し出すと嶺さんはペンを取り出してカルテを記載し始める。
夢で見る様になってしまった自分ではない、他者としての田島 春樹を私は亡霊と名付けて嶺さんに説明した。
「実家にいる私の本当の父……春樹の親父の葬儀がこの間、あったんです。その後、実家に行く事があったんですけど、その時に昔の自分の写真を見たんです。そしたら、彼が夢に見る様になったんです。ほぼ毎日……」
「元の自分の夢を毎日……」
暗い口調で話す私の言葉を飲み込む様に、嶺さんは繰り返し、私は繰り返された言葉にうなづく。
「私は元の自分に戻りたいと願っているのかな?って最初は思っていたんです。戻れないから願望が夢に出てるって。だけど、違う自分がいるんです」
「違う自分?」
「はい、違う自分です。その夢を見た後は何故か穏やかな気持ちっているんです。だけど、目が覚めるとその存在はいない。それなのに暖かさだけが身体に残っていて胸は高鳴るんです。その後はこの世に既にいない事を思い出すと泣いてしまう……。自分が春樹なのか、夏樹なのか分からなくなってしまうんです……」
私の言葉を聞いた嶺さんはう〜んと少し考えて私を見る。
「それはきっと夏姫ちゃんの記憶ね。あなたじゃない方の……」
「私じゃない方の夏姫ちゃん?」
私は嶺さんの言葉に首を傾げる。
「そう、彼女が最後に見た記憶ね。ほら、プールの時にも言ったでしょ?」
「あれは冗談だと思っていましたよ。あの一瞬で夏姫ちゃんを恋に落とすなんてないですよ。それに、記憶は私のものなんですし……」
「そうとは言い切れないんじゃない?春樹さんの記憶の上ではなくても、夏姫ちゃんの身体……心に残った記憶がプールの時に蘇って、実家で自分の写真を見た事でその記憶や姿が鮮明になった。現状、そうなったとしても不思議じゃないわ。ただ……」
嶺さんは俯きながら、話をやめる。
私はその言葉の続きを黙って待つ。
「あなたの頭と心の食い違いが現れてしまうと、ちょっと心配かも知れないわ」
「食い違うも何も、私は春樹であって、夏姫ちゃんじゃない。それに春樹という人はもうこの世にはいないんですよ?」
歯切れの悪そうな嶺さんに私が噛みつく。
死人に口無しとは言え、死んでしまった春樹に、生きていない夏姫が恋をするなんてあり得ない。
だが、私が2人のことを否定した瞬間、私の胸は締め付けられた。過呼吸の様に、呼吸が荒くなり、そして涙が流れた。
「…….それが夏姫ちゃんの心だとしたら、あなたはどうする?」
泣きはじめた私の様子を見た嶺さんは呟く。
私は頭で理解できないまま流れ出す涙を手で拭う。
だが、止めどなく溢れてくる涙はまるでこの世に存在していない2人を否定するなと言わんがばかりに止まらない。
「おそらく夏姫ちゃんは死ぬ直前にあなたの中に温もりを見つけたのよ。親から受ける期待でもなく、重責でもないただ無償の優しさを、彼女はあなたに感じた。だから彼女は今もあなたの温もりを感じているの」
「……俺は、そんな優しい人間じゃない」
「いいえ、彼女はあなたの優しさを感じたからあなたを生かしてくれているんだと思うわ」
「生かしてくれている……?」
嶺さんの言葉の意味が、私には理解できなかった。
「そう。あなたはこの手術の奇跡を分かっていないわ。ただ血液型が同じだからって、他人の身体に他者の脳が馴染むと思う?」
彼女は真剣な眼差しで私を見つめながらいい、私は首を横に振る。
「医学に携わる者としてはこの言葉は使いたくはないんだけど、医学的に脳の移植はできると言われているわ。ただ、成功例は皆無。今のあなたが生きているのはいわば奇跡なの……」
「奇跡……ですか?」
「そう、奇跡よ。移植手術は重要な臓器であればあるほど拒否反応が現れる。脳なんて最たるものよ?だけど、あなたは生きているの。まるで夏姫ちゃんがあなたを守ってくれてる様に……ね」
その言葉を聞いた私は再び涙が溢れ出す。
それは夏姫にとって叶うことのない、一瞬の恋心だったのかも知れない。だが、その一瞬のおかげで、私は今もこうして生き続ける事ができているのだ。
私はありがとうと呟きながら、泣き続けた。夏姫ちゃんの心と、あの日夏姫を助けた春樹の決断を否定することは止めようと、決意した。
「ただ、ひとつ……自分を認められない事があります」
少し落ち着いた私が嶺さんに決意と、自分の嫌な所を口にする。
「私は2人の女の子に命を救われました。この身体をくれた夏姫ちゃん。妹です」
「へぇ〜、夏樹ちゃんって妹さんがいたんだ」
「はい。春樹が今の私と同じ歳の時に、俺を助けて交通事故に巻き込まれて亡くなっちゃいました」
「そうだったんだ……」
私の言葉に嶺さんは肩を落とす。
「その時に妹を看取ってくれたのが羽佐間先生という方で、落ち込んだ私を慰めてくれました……」
嶺さんは私の言葉を聞くと、「えっ?」と声に出して少し考える。そして何かを思い出した様に話し出す。
「多分それはパパね……」
「やっぱり?」
彼女の父が妹を看取ってくれた人だったことはなんとなく想像ができていた。
「パパはあの日のことが忘れられないらしくて、よく自戒の様に私に話してくれる。不幸に巻き込まれた未来のある若者を死なせない様に必死に考えてたわ。あなたの時も……ね」
「そうだったんですか……」
「だから、夏姫ちゃんのご両親に助けてほしいと言われた時にずいぶん悩んだみたいだけど……。そっか、あなたの妹さんだったんだ」
嶺さんは何か納得した様にうなづく。
その意図は私には分からなかった。
「今度また、羽佐間先生に会いたいです。会ってお礼を言いたいです」
私は退院してから羽佐間先生に会っていない。
基本的に退院後の主治医は嶺さんなのだ。
「……うん、分かったわ。パパに伝えておくわ。あなたの周りはどこか不思議な縁で繋がっているのかしらね?」
嶺さんは苦笑いをしながら、「はい、今日は終わり」と、検診を切り上げる。
私もその言葉を受けて、早々にお礼を言って保健室を後にする。
私が靴箱でローファーに履き替えていると、「香川」と、校舎の出入口から声が聞こえてきた。
私が顔を上げると、そこには制服に着替えた修斗君が立っていた。
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