第54話 甘さとわたがし
私達は花火大会に向かうため、地元駅から電車に乗っていた。
花火を見に行く乗客でごった返すの電車の中、私達は共に無言で立ったまま電車に揺られる。
一駅、また一駅と花火会場に近づくにつれ、乗客は増えていく。その事で、私達は奥へ、また奥へと追いやられて行く。
ついには乗車したドアが私の後ろにあった。だが、増える乗客に逃げ場を失った私はドアと人の間に挟まれる。
それでなくても生前の体に比べて小さく華奢な身体は人波の中で溺れてしまいそうになるのに、これ以上詰められると潰れてしまいそうだった。
そんな中、それを阻止してくれたのは修斗君だった。彼もまだ大きいというわけではないその身体で、私をつぶすまいと電車のドアに手をついて必死に自分の腕の中に空間を作る。
至って冷静を装いつつも腕に力を入れた彼は、私を見ると「大丈夫?」と小声で囁く。
その声を聞いた私は申し訳なさと、彼の優しさに戸惑い、「うん……」と言って俯く。
漫画の様な状態でありながらも気負う事なく、そして狙っている訳ではなさそうな彼の自然な行為に心が乱される。
俺が私になった訳じゃない。私が俺になってしまった訳でもない。俺は俺の考えがあるように、私は私の本能がある。
相反する思考と本能に翻弄されながらも、私は電車に揺られ、修斗君の浴衣の裾を自然と掴んでいた。
しばらくすると、電車は目的地に到着する。
やはり人混みでごった返す花火が行われる街中を、修斗君と私はゆっくりと歩く。だが、電車から掴んでいた彼の浴衣の裾を私は離すことをしなかった。
……いや、何故か出来なかった。
2人で屋台の立ち並ぶ夜の街を歩く。
フランクフルト、串焼き、綿菓子といった屋台を尻目に人混みを掻き分けていると、修斗君は「何か食べる?」と一言呟いた。
普段の彼なら話を途切れさせる事はあまりない。
サッカーの話、ねこの話、学校の話などたわいもない事でお互いに話し合っていた。
だけど、今日はそんな話ができないでいた。
学校といった今の私達の日常とかけ離れた現実に、彼の思考はきっとついてきていないのだろう。
私にしてもそうだった。
仮にデートだとしても、何を気負う事があるのか?
デートなら数多くこなして来たし、思考的年齢は20コも下の彼に気後する事などないはずだ。
……だが、私まで気後れている。
それが何故かわからないまま、ただ「うん」と答える。
人混みに流されたらいけないからと、彼は私を人の少ない場所で待たせて何かを買いに行った。
「……一緒に行けばいいのに」
取り残された私はポツリとこぼしながら、彼が戻ってくるのを待つ。
時折、道ゆく人が私の容姿を見ては「何あの子?綺麗!!」「何かの撮影かな?」と物珍しそうに見つめてくる。
その声を私は無視する様に、足に履いている下駄をぶらぶら宙で遊ばせる。
……正直、不安があるのだ。
もし修斗君が帰ってくるまでに誰かに付き纏われたりしたら多分この身体では勝てない。
そう思うと不安が募ってくる。
「早く……、戻ってこないかな?」
私が両手を後ろに組んだまま、夜の帳が訪れた空を見上げる。今のセリフはまるで初恋の相手を待つ乙女かのようだと、自嘲する。
「香川、お待たせ!!」
私の自嘲を打ち消すように修斗君の声が聞こえる。
その声に、夜空を見ていた私は声の方向に視線を移す。そこにはなぜか眩しそうな表情で私を見る彼がいた。
「……加藤君、どうしたの?」
彼の表情に疑問を抱いた私は首を傾げる。
「……いや、眩しくて」
彼は顔を背ける。
「街灯なんてあったかな?」
私が後ろを振り向くと、そこには街灯はない。
私から少し離れたところにぼんやりと灯りが浮かぶくらいの明るさだ。
「……いや、香川が綺麗すぎて眩しかったんだ」
赤い顔をした彼が少し照れながら言う。
その言葉に私まで恥ずかしくなり、顔が赤くなるのが分かった。だが、彼の照れ具合を見ると、私まで照れる事はなく、むしろ微笑ましく感じた。
……そんな事を簡単に言っちゃって。
歯の浮くような台詞を吐くわりには経験のなさからか初心な様子を見せる修斗君を見て、どこか可愛らしく思えてしまう。
「ヘぇ〜、そんなに綺麗だったんだ」
「……」
恥ずかしがる彼を揶揄うように言うと、彼は何も言わずに立ち尽くす。
「どこが綺麗だったのかな?」
調子に乗った私が追い討ちをかけるように聞く。
「……浴衣も、髪型も、表情も……どれをとっても綺麗すぎた。この世界で一番綺麗なものだと」
彼から発せられる褒め言葉の一つ一つに、私は衝撃を受ける。
人間そんな事を簡単に相手に言えるほど単純には出来ていない。
誰しも本音で人を褒めることはできない。
揶揄いや照れ隠しと言った建前なしに言えるほど人は強くない。
ましてや彼の年ともなれば尚更だろう。
恥ずかしさを隠さずに言えるほど心は狡猾にできていないはずだ。
だが、彼はそれを言い切った。
いや……この年だからこそ、率直に言えたのかもしれない。
「〜〜」
そう思うと、私はますます恥ずかしくなって来た。
地団駄を踏むのをどうにか堪えながら、次の言葉を考える。
「……で、そんな綺麗な私を置いて、君は何を買って来たのかな?」
どうにか冷静を取り繕った私は彼に戦利品を問う。
「待たせるのが嫌だったから、手っ取り早いものにしたよ」
と言って、両手に持った献上品を私に見せる。
「……お茶と……わたがしって」
彼の手にある袋に目をやると、そこには2本のお茶と、一袋の綿菓子があった。
それを見て私はため息をつく。
「加藤君……これって……」
「夏祭りと言ったらわたがしだろ!?」
「もしかして……あの曲?」
私はとある歌手の一曲を思い浮かべる。
夏祭りを歌った歌の題名だ。若い子に人気があるらしく、私も美月に教えてもらい聞いたことがあった。
「わ、悪かったな!!それしか思いつかなかったんだ!!」
呆れた表情の私に、修斗君はムキになる。
その表情に私は笑いがこみ上げてくるのを必死に堪える。
彼が先ほどまで見せていた大人びた姿とまだ中学生であると言うギャップを見た気がした。
それと同時に、心から緊張が解ける。
私は微笑ましい彼が買って来たお茶と綿菓子を受け取ると綿菓子の袋を開けて一口頬張る。
口中に甘さが広がる。
だが、さほど甘いとは思わない。
今の状況が甘すぎるのか、それとももっと甘さを求めているのかはわからない。
だが、この口に広がる甘さを私は不快とは思わなかった。
「……ねぇ、加藤君?」
「ん?」
まだ恥ずかしさを隠せない彼に私は問いを投げかける。
「その曲、好きなの?」
「ああ、好きかな?」
「そっか……」
私は中学生の修斗君のこと以外は知らない。
好きなもの、嫌いなもの、彼と言うものを表面しか知らないのだ。
ただ、今日彼が見せた姿は彼の内面を少しは見せてくれたのかもしれない。
そして、その目線の先が何を見ているのかも気になり、知りたいと思った。
ドキドキと脈打つ胸の鼓動に再び私達の口数が少なくなる。
「行こっか……。花火、もうすぐ始まるよ」
私達は花火が見やすいところに向かって再び歩き出す。
歩く道中、私は自然に歌を口遊んでいた。
わたがしのように甘い、甘い歌を……。
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