第36話 生理と整理
「…えっ?」
私はその言葉を聞いて言葉を失う。
ヒト…いや、女性としては何のことはない現象だが、かつては男だった私としては衝撃的な言葉だ。
なんと言っても子供を産めるのだ。
その事は男女で大きく意味が異なり、その小さな体で新たな命を宿すことのできる身体。それが女性なのだ。
同じ人科の生物としてもはや違う生き物かと勘違いしてしまうほど、いや…大袈裟に言うと女神と野獣くらいの違いがある。
かくいう俺も出産に立ち会った時は痛みに耐える四季の姿に何もできないながらに力と生き甲斐と守るものを得たと感じ、死ぬまで生きてきた。
それを今の私も幼いながらもできる身体になってしまったと言う事だ。
最初から女の子だったら戸惑いながらも時間をかけて受け入れて行くのだろう。
だけど、私は…?
「つき…夏樹ちゃん!!」
ボー然とする私の肩を嶺さんは揺らす。
焦点のあった私に嶺さんは安堵し、話を続ける。
「夏樹ちゃん、大丈夫?まだその身体を自分として受け入れ切れていないとは思うけど…」
「…はい。何度も受け入れる覚悟は決めてきたとは思っていたんですけど、実際に来ると現実を突きつけられます…」
私は俯きながら、言葉を連ねる。
そして、心で一言呟いてしまった。
「よりによって昨日の今日で…どうして…」
その声を聞き逃さなかった嶺さんは私の手を掴む。
「何があったの?」
その言葉に私は機能の顛末を告げる。
すると、嶺さんは頭を抱える。
「あなたは…焦り過ぎよ。仮にもあなた達は夫婦だったんだから、そう結論を急かなくても…」
「急いている訳じゃない…。ただ、あの二人にとっては私は目の上のたんこぶ。私があの時に死んでいれば…」
「彼女達は幸せになれたの?あなたを亡くした世界で彼女達は苦しまなかったの!?それは違う、あなたが生きているからあの人達はこうやってあなたと一緒に…悩む事ができるの!!あなたにそばにいて欲しいと言われたら彼女達はあなたを最優先にするに決まってる!!」
「それが…嫌なんだ!!あの2人の足を引っ張って生きたくない!!秋は…昔から四季を愛していたのを知っているから…」
「…あなたの事も…ね」
「えっ?」
「ごめん、あの2人からも…いろいろ聞いたから」
そうもうしわけなさそうに語る嶺さんの言葉に私はそう驚かなかった。
主治医の娘として、いや…実質主治医である彼女が2人の声を聞いていてもおかしくはない。
そして、彼女の言葉で私は忘れていた事があった。
秋は四季を愛していると共に…俺のことも家族だと言っていた。あいつ幼い頃からの絆がある。
だからオフの時は俺たち家族と共に過ごすし、四季への想いすら心の底で昇華していた。
だから、俺が死んだからと言ってすぐに行動に表す人間ではないことを俺自身が一番知っているはずだった。
それなのに、私は彼女達から春樹と言う存在を奪おうとしている…いや、私が自分で春樹を殺しているのではないか?そして、その現状を彼女達は責めているのではないか?
その為の時間、その為の彼らからの猶予をあたえられているのではないか?
そう思うと夏樹としてではなく、春樹としてあの2人の門出を祝うべきだと私は考える。
今日を境にきちんと心に整理をつけてあの2人を送り出し、春樹という存在がない世界で私は心の底から女の子として生きて行く方が、私にとっても彼らにとってもいいように思う。
「彼女達は私にとって家族だと今でも思っています。この絆は多分夏樹になっても一生変わりません。なら、私は春樹としてきちんと彼女達を送り出してあげたい。それは…春樹自身が決めた事ですから」
「そう…」
「だから、私は笑顔で彼女達を送り出します。その後は…かなり泣くかもしれません。その時は…」
私はそう言うと、涙を零す。
何回も、何度も悩み流してばかりの涙にそろそろ嫌気が差すが、これは自分が夏樹になる為の通過儀礼だ。それが終われば…夏樹としてだけの生活が待っている。
身体以外は家族ではない両親と共に、何もない平凡な毎日を過ごして行く。春樹という地続きな記憶それが、夏樹にとって当たり前になるまでは…。
「その時は…また、相談に乗って下さいね…」
私は涙を片手で拭い、嶺さんに微笑む。
その様子を見た嶺さんは悶絶をし始める。
「くーっ、その笑顔、ずるいわぁ…。あなた、今の自分がどんなのか、わかってる?」
「さぁ?」
悶絶する嶺さんを見て私は小首を傾げる。
「はぁ、はぁ。キュン死するとこだった。あなた、やっぱり天使だわ。危うく新たな扉を開くところだった!!」
再度悶絶し始める嶺さんに苦笑いをしつつ、私は急に尿意と違和感を感じて、トイレへと向かう。
その際、嶺さんに「気をしっかりね!!」と言われたが、何を今更と一瞥して嶺さんが買ってきた人生初の生理用品(説明済み)を持ち、トイレへと向かう。
そして、いざトイレへ入ると…排泄後に広がる血の池地獄に私は目眩がした。もちろん、献血や出産の立ち会いで知識としてのイメージはできていたはずなのだが、実際は鼻につく臭いとこれが今の自分から出てきているのかと思うとで気分が悪くなったのだ。
改めて女性はすごいと、女の子一年生の元男は感じるのだった…。(後日、自宅で盛大にお赤飯が炊かれたのはいうまでもない…)
人生初の生理…初潮と悪戦苦闘した私は嶺さんと共にクラスメイトの元へと戻る。
私のクラスは資料館を見終えたばかりで中には白い顔をした連中もいた。そして、原爆ドームの前で、語り部による当時の惨劇を聞く。
だが、その語り部はやけに若いようにも思う。
…20代?30代?
話を聞くと彼女は被爆3世という事で過去の惨劇の当事者ではない。だが、祖母に起こった不幸を後世に伝えないとという使命感で語り部の活動をしているそうだ。
事実、当時の惨劇を知る者も少なくなり、話せる人に限ればそれ以上に少ないという。
だからこそ、彼女のような語り部の後継者が必要だと彼女は語る。
「私のなかに不安がないわけではありません」
すでに3世になった世代が語る被曝の恐怖と心の中に眠る想い。
その中で、私が印象に残った言葉がある。
「現実に起きた事に絶望をする事は誰にでもあります。ですが生き残った者…いえ、生きている者がそれを憎み、葛藤し生きていく事を否定してしまっては、過去は過去のままになってしまいます。被曝の恐怖を後世に伝え、未来に繋げる事が私達今を生きる者の役目だと思います…」
その言葉で締められた彼女の言葉にクラスメイト達は静かに拍手を送る。
私はその言葉に自分を重ねる。
目を覚ますと夏樹という女の子になっていた。
その事に絶望し、死を望んだ事もあった。
だが、私は夏樹として生きている。
それは夏姫の身体があったからこそ、未来を生きていく事ができるのだ。
それは私の二つの家族が絶望の中、繋いだ未来だ。
ならば私が生きている間は、その未来を繋げていかないといけない。
今の世の中、娯楽に溢れた世代にとっては楽しくない話かも知れない。だけど、私達はこの平凡で平和な世の中を生きて行く。
それは私達が、作り上げていかないといけないと…自分に重ね合わせるように、私は聞いていた。
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