第22話 体育と保健

私は体育の授業はNGだった。

なぜなら、脳の移植手術後の経過でいつ重篤な状態になってしまうか分からないから1年経つまでは様子を見ることになっている。


だから体育の授業の間は基本的に見学だが、もともと体育会系の私にとっては体育の授業を見ているとうずうずするからという事で保健室で勉強をしている。


「はぁ、体育か…。身体を動かしたい…」

私が仕事をしている嶺さんに向かって愚痴る。

その声に嶺さんは仕事の手を止めて私の方を向く。


「ダメよ。先日の事、忘れたの?」


一度秋保さんに足をかけられた時に身体が思うように動かなくなってしまった。嶺さんはその事を引き合いに出して私を止める。


「だって…、せっかく怪我のない身体になったのに運動もできないなんて生殺しにも程が…」


「身体自体が怪我より大変なのにそれ言う?」

嶺さんは私の言葉を聞いて苦笑を浮かべる。

それを言われるとぐうの音も出ない。


「はぁ、人生ってうまくいかない…」


「そんなものでしょ?」


「うん、35年生きていて知ってるつもりだった。けどそれ以上に生きるのって辛い…」


「深いわねぇ〜、人が味わう事ができない人生を送る人の言葉って」

嶺さんは茶化すように言う。

私の悩みも愚痴もこの人が冗談のように笑い飛ばしてくれているからまだ気が楽になる。おそらく、この人がいなければとっくに頭がショートしていただろう。


「そういえば、梶山さんが心配してたよ?夏樹ちゃんの様子が少し変わったって」


「…変わってないですよ。奈緒ちゃんの思い過ごしじゃない?」

私は誤魔化す。

四季や冬樹との別れ、そして田島 春樹としての死を受け入れる事を決めたことはまだ話していない。

話したところでどうしようもないことだ。


「…そう?ならいいけど。些細な事でも教えてよ?情報共有は必要だからね」


「分かった」

と言って私は嶺さんが出してくれたお茶を啜る。


「…そういえば、夏樹ちゃん。生理は来た?」

嶺さんの発言に私はお茶を吹き出す。


「その様子だと、まだみたいね…」

私は口をティッシュで拭く。

そうなんです、まだなんですよ!!

この身体は15年生きてきていたらしいのに、生理の「せ」の字も出てこない。だから私も女の子という実感が見た目以外には意識がなかった。


「まぁ、大人だったから分かるとは思うけど、女の子は大変だからね?」


「身をもって、重々承知しています…」

私は苦笑いをする。

四季の生理の重い時は理不尽な事でよく怒られていたし、ひどい時には物が飛んできた。


「本当に〜?表面上だけ分かっていてもダメなのよ?将来は赤ちゃんも産めるんだから」


…赤ちゃんも産める?

男の時には考えもつかなかった言葉に私の思考は停止する。


「ないない。ある訳がないじゃないですか」

私は苦笑いを浮かべる。

すると、嶺さんは真剣な表情でこちらを見る。


「いつ何が起きるかわからないわよ?あなたが望んでいなくても…ってこともあるんだからね!!自分の身は自分で守らないと!!」


「…はい、肝に銘じます」


「男はいつでも狼なのよ…」


「そんな事は…ないと思いますけど…」

ドヤ顔で元男の私に語る嶺さんに、私は苦笑する。


「甘い!!そんな甘い考えで何人の女の子が泣いたことか!!特に夏樹ちゃんは可愛いから注意してね」


キンコーンカンコーン


「あっ、授業終わりだ…、じゃあ戻りますね」


「はいはーい。また明日ね、夏樹ちゃん」

嶺さんは手を振りながらにこやかな笑みで嶺さんは私を見送る。


保健室のドアを閉めて私は教室に戻る。

その道中、今まで実感してこなかった女性について考える。


…この身体で子供を産めるのか。想像出来ないな。


15年間、最初から女の子だった訳じゃない。

男として子を成し、外から女性を見てきた分、去年の今頃では考えられなかった事が現実にあった。


目線を足元に移す。胸の辺りはまだ育ち盛りだからか平原が広がっていたが、柔らかな丸みを帯びた四肢がそこにはあった。


自分が男に抱かれる姿を想像してしまう。

気持ちが悪い。「ないない…」と独り言のように呟いて私は教室に戻っていった。


教室では着替えて戻ってきた生徒が教室の前に集まっていた。


…なんで入らないんだろう。

私は人垣をかき分けて教室の中の様子を見る。

すると、奈緒ちゃんと秋保さんが言い合いをしている。


私は慌てて教室に入ると奈緒ちゃんを止めに入る。


「奈緒ちゃん、どうしたの!?」


「離して!!こいつが、こいつが!!」


私は何のことかわからないまま、自分よりも大きい奈緒ちゃんの身体を抑える。

必死で抑えながらも、目に入ったものがあった。

それはゴミが撒き散らされた風ちゃんの机の上だった。そして風ちゃんはそこには居なかった。


「私達が何をしたっていうの?あなたも見てたでしょ?私達があなた達と授業を受けていたのを」

と言って奈緒ちゃんを挑発する。


「…うっ。でも、あんた以外に誰がやるっていうの?」


「…そうねぇ、体育の授業をさぼっていた誰かさんしかいないわよねぇ、白雪姫さん?」

どす黒い笑みが私の身体に突き刺さる。

状況から言えばそうだ。

私以外、全員体育の授業を受けていた。

私以外に…。

教室がざわめき出す。


「なっちゃんがそんな事をする訳ないじゃない!!あんた以外にこんな事をする人はいないよ!!」


「だったら私がやったって言う証拠はあるのかしら?」


「それは…」

論破され押し黙る奈緒ちゃんを見てクラス中で「白雪姫がやったんだ」「最低」など、私を非難する声が出てくる。どうやら旗色が悪い。


「待って奈緒ちゃん。風ちゃんは?」

息を荒くする奈緒ちゃんに問いかける。


「この机を見て何処かに出て行った」


「…奈緒ちゃんは風ちゃんを探して。私もすぐ追うから…」


「…分かった」

と言って奈緒ちゃんは教室から出て行く。

それを見た私は教室の後ろから空になったゴミ箱を

持ち上げて風ちゃんの席のゴミを入れて行く。


「自分でやったくせに自分の罪滅ぼしをするなんておかしな人」

それを見た秋保さんは鼻で笑う。


「何とでも言えばいいわ。私は保健室にいたんだから」


「…」

秋保さんは苦々しい顔をしているが、そんな事は構わず私はゴミを集めると、教室を出て行く。


次の授業の先生が私と入れ違うがそんな事は構わず私は教室を後にする。


まずは保健室に行くが、嶺さんは風ちゃんが来ていないと言うので保健室を後にする。嶺さんはも探してくれるようだ。


私は人の少ない箇所を重点的に探し回る。

見当たらない。

最後に屋上への階段を駆け上がる。


普段なら屋上のドアは開いていない筈だ。

嫌な予感を覚えながらも私は最後の階段を駆け上がる。すると階段の先には開かれたドアが目に入る。


切れる息を必死で堪えながら屋上へ出ると風ちゃんフェンスの前で立ち尽くしていた。

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