半透明でネバネバした身の丈六メートル強のわたし

永久凍土

半透明でネバネバした身の丈六メートル強のわたし

 思い出したくないことをつい何度も思い返してしまう。

 普段はサバサバ系の強い女を演じていながら、全く切り替えが利かないのは悪い癖だ。


「何度目だ、わたし」


 こういう状況になっても思い出す。

 わたしは今、若者が賑わう週末の神戸を駆けている。

 何故こんなことになったのか、さっぱり分からない。

 いや、経緯は分かる。だが、何故わたしなのかが分からない。

 選りに選って誕生日、そして失恋の翌日。


 何故わたしは全裸なのか。

 そして何故わたしの身長は六メートルを超えているのか。


 話は昨日に戻る。





 尼崎の職場に近いフィットネスジムで知り合ったカレ、同じ関東出身だったから親しくなるのに時間は掛からなかった。付き合い始めたのはかれこれ半年ほど前である。

 その日はわたしの誕生日。お互いの仕事帰りに待ち合わせ、JRの新快速で移動して三ノ宮で買い物と食事。少し歩いて春日野道寄りの小洒落たシティホテルに入った。

 仕事が尼崎なら遊ぶのはどう考えても大阪キタかミナミである。前々からどうにもカレは大阪方面でのデートを避けていると訝しんでいたが、今度こそという想いが邪魔をしたのかもしれない。


 事が済み、わたしの後にカレがシャワーに入る。着替える前、まだバスタオル一枚のわたしは床に脱ぎ捨てられたままのカレのジャケットが気になった。

 先に拾って少しの間だけでもハンガーに掛けよう——— 殊勝にもそう思って手に取ると、カレの普段使いのスマホとは違う見慣れぬケータイが足元に転がる。

 直後、留守電が作動し、ディスプレイに表示されたのは「ちゃん」付けの女の名前である。

 わたしはケータイ片手にシャワーを出たカレに詰め寄ると、カレは直ぐに表情を強張らせ、小さな子どもが居る妻帯者だと告白した。


「お前も都合がいいオトコだと思っていたんじゃないのか」


 その言葉を聞いた瞬間、頭に血が昇ったわたしは左足を一歩前へ、つま先を僅かに外に向ける。

 右腕の肘を一旦背の後ろまで引き、ちょうど野球で言うサイドスローのように腕を伸ばす。そして肩から大きく円を描くように振り抜いた。

 更に腰の動きを加えた遠心力によって加速する拳。その人差し指と中指の付け根辺りがカレの左顎にヒットする直前、腕全体の筋肉を硬直させて威力の最大化を図る。


「ふんっ」


 まさか女にロシアンフックを見舞われるとは思いもよらなかっただろう。カレはいとも容易く脳震盪を起こし、大きな音を立てて床の上に突っ伏した。

 一瞬大振りのストレートに見える拳の軌道は格闘技経験者とて簡単に見切れるものではない。

 ふと左横を見ると壁には左右に大きな姿見が設置されていて、バスタオルが落ちて生まれたままのわたしが嘘偽りなく映り込んでいる。

 重心を乗せた左脚に一歩後ろに引いた右脚、胸の近くで小さく折り畳んだ左腕と前へ伸ばしきった状態で静止した右腕。

 ああ、ちょっと鍛え過ぎたかな。腹筋も割れてきたし、脹脛は子持ち柳葉魚のよう。

 まるで進撃の●人の女型のアレだ。


 って、わたしは一体なにをやっているのか。(現実逃避)





 わたしの名前は「諸星波矢多」。男の子だったら「波矢太」にしたかったらしい。

 父の特撮好きが高じて付けられたが、腕っ節が強いのはこの名前の所為だと思いたい。

 余談だが、妹の名は「ゆり子」。正気に戻るのが遅いぞ父上。


 淡いアッシュベージュのロングヘアは地味目のつもりだが、減り張りがある濃い顔に服の好みは肌見せコーデ。おまけにジム通いともなれば「肉食の女」と思われても仕方ないのだろうか。

 浮気に二股、三股と順に経験済み。今度はあわやセフ……… 否、不倫である。これほどまでに泣けてくるレベルアップはない。

 オトコを見る目がない女、二十七歳になったばかりのわたし。

 決して慣れたかった訳ではないがそれでも慣れた。

 思いのほかカレに好意を持っていなかったと言ったら負け惜しみだろうか。

 いよいよアラサーという想いがわたしを薄く焦らせていたのかもしれない。

 だが、またしても誠意のないオトコを選んでしまった事実が、わたしの衣紋掛けのような肩に重くのし掛かっている。はい、少し自虐しました。


 最悪の誕生日。はあ。




・・・




 わたしはその後、一人でホテルを出てJR六甲道駅近くの自宅マンションまでタクシーで帰った。だが、結局朝まで一睡もできず、会社には体調不良と偽って丸一日の有給を頂く。


 気分が落ち込んだ時に必ず向かう場所がある。(主に失恋だが)


 六甲山——— 兵庫県南東部、神戸市の市街地の西から北にかけて位置する標高九百三十一・二五メートルの山塊である。東西方向に長い山並みは神戸から阪神間を跨いで大阪市内まで及ぶ。

 午後から市バスに乗って約十分、六甲ケーブル下駅から同ケーブルに乗って約一・七キロ、高低差四百九十三・三メートルを同じく約十分。六甲山上駅に隣接する六甲山天覧台TENRAN CAFE。

 神戸から大阪平野、和歌山までワイドな景色が一望で見渡せるシックで贅沢なカフェだ。

 夜にもなれば「日本新三大夜景都市」に選ばれた一千万ドルの夜景が拝めるが、傷心のわたしには流石に苦痛なので、そこでゆっくりと陽が暮れるまで過ごす。

 己れに起こった出来事と広大なスケールの景色を対比して自身を慰めるのである。


 人が造り上げたこの景色に比べたら、わたしの失恋など些細なことだ………


 平日の昼間だ。客は中年以上のご婦人達がちらほら見掛ける程度で若い人は店員ぐらい。秋もいよいよ本番で空気も肌寒い。閑散とした店内で独り鼻をすするわたし。くすん。

 陽が西に傾き、午後四時を過ぎた頃にうつらうつらと睡魔に襲われ始める。

 ここで眠ってしまうのは不味い。今日は肩が大きく開いたニットにスキニージーンズと軽装だから、帰り道で身体を冷やしてしまうかもしれない。

 わたしは手早く帰り仕度をして席を立つ。朦朧とし始めた意識を強引に奮い起こし、会計を済ませて店を出るとすぐ目の前には六甲山上駅だ。

 だが、左手の景色側から急速に接近する「なにか」に気が付いた。


 半透明で四方に丸いツノがある星型、下側にはリボン状の脚のようなものが生えている。

 そして……… うすらデカい。


 は? シルバーブルーメ?


 昭和の特撮、七番目の巨大ヒーロー番組に登場する円盤生物の名前である。

 なんでこんな単語がスッと出てくるのか……… と考えているうちに意識が途切れた。





 ぼんやりと意識が覚醒するわたし。

 今、わたしは朱が西に追いやられ、藍に染まりつつある秋の空を眺めている。


〈アー、アー、翻訳テスト翻訳テスト、オーケイ?〉


 頭の中に直接響くこの声は一体なんだ? ……… と考えて自身が置かれた状況を顧みる。

 どうやらわたしは樹々に囲まれた傾斜面に仰向けに寝ているようだ。

 まさか天覧台から落ちた? だが、それらしい痛みは身体から感じられない。


〈シーキューシーキュー、諸星波矢多サン、聞コエマスカ? ドゾー〉


 その声は少年とも少女ともつかないアニメ声でわたしの名前を口にした。

 驚いたわたしはその声に即座に応答する。


「わ、わたしの頭の中で話しかけるキミは、誰?」

〈アー、ヤット通ジマシタネ。地球人ノ言葉、ムズカシイネー〉


 えっ、もしかして、宇宙人? うそ、まじ? なんで巻き舌?


〈ワタシハ遥カ遠イ銀河ノ彼方、M78星雲ノ方カラ来マシタ〉

「方からって「消防署の方から来ました」みたいだなあ」


 わたしの反応が鈍いのは、まだ意識が朦朧(寝ぼけて)としているからである。


〈ちょ、ねーちゃん、えらい人聞き悪いなぁ、ワイ詐欺ちゃうでホンマ〉

「なんで急に関西弁………」

〈あ、やっぱこういうのフインキ大事やろ思て。でも邪魔くさいから止めや〉


 えぇ………と、わたしは言葉を失うも、その声は意気揚々と言葉を続ける。


〈ワイ、大銀河文明連帯の犯罪捜査官やねん。遠路はるばるオリオン座のNGC 2068から態々地球くんだりまで、宇宙犯罪者ヴィムラーを追ってきたワケや〉


 は? なにを言っているんだこいつ……… え、いや待て、この展開は………


 この状況にピンと来たわたしはガバと跳ね起きた。周りを見回すと六甲山中の何処かであることには間違いない。次にわたしは自らの身体に視線を落とす。

 目の先に見えるわたしの両脚は仄かに白く発光する半透明のなにかに変貌していた。そしてそれは両の腕も胸もお腹も、見える部分の全てが同様の状態になっている。

 わたしはあまりの衝撃的事態に思わずその場で立ち上がった。すると周りの樹木が肩辺りまでしかない。六甲山に多いヤブツバキやウリカエデは高さが大体五〜六メートル程度である。


 要するに、わたしは半透明で身の丈が六メートル強の巨女になっていたのだ。

 しかも『全裸』で。


「はああああああああああああああああああああっっっっ!!!」


 これは一体どういうことだ。




・・・




〈なあ、ねーちゃんよぉ、あれは事故やねんて。すまんかったと思てるし、ええ加減ワイの話をちゃんと聞いてくれへんか? ええ歳した大人やろ〉


 わたしの頭の中でその声はしきりに弁明する。だが、当のわたしは今度はうつ伏せに寝っ転がって顔を伏せ、大いに不貞腐れていた。何気に一言多いし。

 その声が言うには、先のシルバーブルーメのような物体は地球の大気組成や電磁波・重力場などの環境に合わせて最適化された宇宙犯罪者専用の捕縛装置で、宇宙船とはちょっと違うらしい。

 その装置で宇宙犯罪者ヴィムラー(ゆるパク?)を追跡中、偶然そこに居合わせたわたしと衝突、原因不明の量子融合を起こして現在の状態に至ったとのこと。ほんとかよ。

 つまり六メートル強のわたしの身の丈は捕縛装置の質量そのものが反映された結果なのだ。

 半透明というかほぼ透明。ぼんやりと淡く発光するそれは良く言えば綺麗だが、僅かにネバネバする所為で土やら落ち葉やらが張り付いてちょっと気持ち悪い。

 おまけに全裸である。しかも昨日の今日でこの仕打ち。如何に二十七歳の大人の女と言えど、少しの間くらいみっともなく愚図りたくなる気持ちも理解して欲しい。


〈そやからな、捜査協力して欲しいねんって。捕縛装置さえちゃんと起動したらエラーが解消してねーちゃんとの融合も解けると思うし。それに、あいつ放置したら地球ヤバいで。なあ?〉


 いつまでも不貞腐れていてもしょうがない。

 わたしは前向きに事に構えるべく重い口を開いた。


「……… ったく、ほんとに元の姿に戻れるんでしょうね?」

〈ほんまほんま、って多分やけど。まあ任せとけ。ワイと契約して魔法巨女になってよ、てか?〉


 ああ、ムカつく。既に巨女だっつうの。空気読め、なんJ民。

 わたしは身体を起こしてゆっくりと再び立ち上がった。既に陽はとっぷりと暮れ、眼前には神戸市街の煌びやかな夜景が広がっている。風が少し出ているが、寒さは微塵も感じられない。

 鏡がないから想像だが、側から見ればもの●け姫のでいだらぼっちに見えるのではないだろうか。

 要するにこの身体はわたしの形をした捕縛装置であってわたしではない。だからと言って恥ずかしくない訳ではないが、腹を括って居直るしかない。ちょっぴり身体作っといて良かった、とは思ったが。


「で、どうすればいい?」

〈検索するさかいに、ちょっと待ってな〉


 すると、目の前の空間に球状のホログラムが現れ、中心に表示されたわたしらしきアイコンから前方右下辺りに赤く光る光点が点滅を始めた。


〈ははーん、あんにゃろ、こっちの様子伺いに来よったで、アホやな〉


 続けて別のホログラムが起動し、宇宙犯罪者ヴィムラーの姿が3Dで映し出される。なにに似ているかと言えば、蚊取り線香を入れる豚型の丸っこい陶器である。


〈ほなねーちゃん、あいつ追っかけて走るで〉

「えっ、空を飛ぶとか瞬間移動とかできないの?」

〈そんな便利なもんある訳ないやろ、捜査は脚でするもんや〉

「えぇ………」


 その言葉に唖然としていると、今度はわたしの周りにフラフープのような光輪が現れた。


「これなに?」

〈ああ、バリアーやバリアー。山ん中走り回るのに、木とか邪魔っけでしゃあないからな〉

「こんなものはあるのに?」


 わたしが嫌味を口にすると、その声は小さな子にたしなめるように答えた。


〈あんな、ねーちゃん。テクノロジーちゅうもんはな、そんなバランスよう進歩するもんちゃうで。地球人かて脳みそに電極刺して文字入力とかできるようなったけど、未だに車とか空飛んでへんやろ?〉


 無駄に説得力があるのが悔しい。


〈そや、自己紹介まだやったなぁ。ワイはベータや。よろしくな、波、矢、多、ちゃんっ〉


 波矢多ちゃん、て、なにこのセクハラ臭………




・・・




 宇宙犯罪者ヴィムラーはユーモラスな外観の割に動きが速い。その短い四つ脚を亜光速で動かし、なんらかのテクノロジーによって浮遊力を得ているようだ。

 かれこれ三十分も六甲山中を駆け回っているだろうか。走るわたしの身体に当たるはずの六甲山の樹々は、バリアーに触れると何事も無かったかのように背後へとすり抜ける。


〈環境に配慮したバリアーやで。凄いやろぉ、頭金無しの十回払いや〉


 なにが十回払いなのか分からないが、わたしはベータを無視して目の前の獲物に集中する。

 自慢ではないがわたしの脚の長さは身長の五十二パーセントを占める。三メートルに迫る歩幅を駆使して駆ければ時速六十キロ近く、六メートル強の巨体を跳躍させると二十メートルを軽々と超える。

 ブラ無しで全速力で走るのは小学生低学年以来だろうか。胸が上下左右に激しく踊るのは煩わしいが、今はそれほど気にならない。この身体にクーパー靭帯はないので損傷する心配はない。

 そして驚くべきことに、呼吸はしているのに一向に息が乱れる様子がない。


 これは、凄い。


 猛烈な速度で動く四つ脚で右へ左へと逃げるヴィムラーを夢中で追い掛けているわたしは、いつしか六甲山を下って神戸市街に極端に近づいていることに気がついた。

 そう思ったのも束の間、ヴィムラーは直ぐ側に迫った大きな駅を飛び越した。山陽新幹線が停まる新神戸駅である。そのまま駅前のロータリーを越え、原田線から続く府道30号線へと逃げ込んだ。

 このまま南下すれば神戸を代表する繁華街、三ノ宮。昨日カレと遊んだお馴染みの場所だ。


〈あっちゃー、しもたっ、人里入ってしもたがなっ〉

 

 だが、わたしはこの時、半透明の身体の強靭な運動能力に酔っていた。つまり後先の事を考えず、わたしも神戸市街に突入したのである。

 大きく跳躍し、宙に舞う身の丈六メートル強の女。

 同じく新神戸駅を走り高跳びの要領で飛び上がり、空中で錐揉み一回転して駅舎の上に着地。続けて二度目の大跳躍。

 ロータリーを徐行する自動車達がパニックを起こし、背後でクラクションと車が衝突する音が聞こえる。


 あっ、と我に返るわたし。次に着地してから振り返る。


〈もうしゃーない、後でなんとか処理したるから、今は目の前のヤツに集中っ!〉


 今はベータの言葉を信じるしかない。わたしは再び全速力で駆け出した。

 走行中の車を避けながら走っていると、三ノ宮駅に近付くにつれ人通りが増え、何事かとスマホを向ける若者達が見える。ふと横に視線を向けると、終業したビルの窓ガラスが目に入った。

 夜だから鮮明とは言えないが、それでも六メートル強の全裸の女が映し出されている。その造形は半透明で淡く発光している以外はほぼわたしだ。


「ええーっ、やっぱり、恥ずかしいよこれ……」

〈地球人はなんでも写真撮ったり撮られたりすんのが好きちゃうの? ワイ知ってるで。食べ物を粗末にすんのは感心せんけどな〉


 なんでそんな時事ネタに詳しいんだ? と思いつつも、呑気に受け答えするベータに文句を言う。


「もおっ、どうにかならないの? M●Bみたいに記憶を消すとか」

〈ん? できるで。記憶に残らんかったらええんやろ、意識ステルス機能ぉっ!」

「できるんだったら最初からやれっ!」


 ああもう、キレていいよね?


〈あ、そうそう。制限時間は三分やから〉


 こ、ここでその設定か………





 JR三ノ宮駅と阪急神戸三宮を跨ぐ線路の高架を潜り抜けてフラワーロードに出る。そのまま進めば国道2号線、そしてメリケン波止場だが、ヴィムラーはロード右側の三宮センター街に飛び込んだ。

 三ノ宮随一の巨大アーケード街だが、人の群れを蹴飛ばさずに急ぐのは骨が折れる。

 ヴィムラーに戸惑う様子が見えないのは奴も意識ステルスを使用しているからだ。但しわたし達より大容量。(ベータのは安物らしい)

 ヴィムラーはセンター街を抜けると左折し、ブランド店が立ち並ぶメリケンロードを駆け抜ける。

 見れば昨日カレと買い物した店が見える。わたしは余計なことを思い出し始めた。


 確かにカレはわたしに対して不誠実だったが、全てにおいて悪いオトコだった訳ではない。

 高学歴故にやや傲慢な素ぶりを見せることもあったが、清潔感があって人当たりも良く、会社からの信頼も厚い。なにより話上手でわたしを退屈させることもなく、ベッドの上でも極めて紳士だった。

 久しぶりに関西弁以外の言葉を聞いて最初に声を掛けたのも、及び腰だったカレにムキになって飲みに誘ったのもわたしだ。イイオトコが偶々気が緩んで火遊びに手を出しただけなのかもしれない。

 ジムで初めて会った時、カレはグローブをしていたから指輪を確認できなかった。その後も見た覚えがないから、やはりカレは最初からそのつもりだったのかもしれないが………

 さらに思い起こすと、今まで付き合ったオトコは全てわたしからのアクションだった気がする。

 自分で言うのもなんだが、わたしはモテない女ではない。その自覚からか、わたしは一度欲しいと思うとなんでも手に入れないと気が済まない厄介な女でもあるのだ。


「何度目だ、わたし」


 わたしは今、若者が賑わう週末の神戸を駆けている。

 選りに選って誕生日、そして失恋の翌日。


 半透明でネバネバした身の丈六メートル強のわたし。




・・・




 メリケンロードを抜けると神戸を東西に横断する主要道路、国道2号線にぶち当たる。ヴィムラーは交差点「メリケン波止場前」を通り抜け、メリケンパークへと入って行った。

 そこは神戸港事業の一つとして一九八七年に、かつてのメリケン波止場と中突堤の間を埋め立てて造成された、いわゆる神戸の景観を代表する公園の一つである。

 そしてわたしはメリケンパーク最南端の角へとヴィムラーを追い詰めた。柵を越えれば夜の海である。ベータが言うには奴は海水が苦手らしい。


 わたしの背後にはホテルオークラ、ライトアップされた舟型の鉄骨が美しい神戸海洋博物館、そして赤い鼓を縦に引き伸ばしたような神戸ポートタワーが聳えている。

 神戸ポートタワーは昭和の特撮、二番目の巨大ヒーローが宇宙人の合体ロボと戦った舞台としても有名である。こういう薀蓄が直ぐ思い浮かぶのも父の所為だ。娘をなんだと思っているのか。

 ぽつぽつと街灯に照らされた夜の公園は三ノ宮の繁華街ほど明るくはなく、人の姿と言えばカップルがあちらこちらに見受けられる程度、平日だから数も疎らである。

 意識ステルスのおかげでわたしと奴の存在を気付かれることはないが、昨日までのわたしはカップル側の人間だったと考えると妙に切ない。


〈よっしゃチェックメイトやで、ヴィムラー。観念せえや〉


 わたしは燥ぐベータに軽くうんざりしながら、じわりじわりと距離を詰める。

 と、ここで意識ステルス機能の解除を知らせるタイマーが点滅を始める。残すところあと三十秒。なにこの申し合わせたかのような演出。

 今更だが、近くで見るヴィムラーは意外と小さい。巨女のわたしを基準にして大きめのボストンバッグぐらい、全長にして二メートル半。同じく半透明だ。

 しきりに己れの身体をぐるぐると回転させ、海とわたしを見比べて逡巡するヴィムラー。

 そして意を決したのか、わたしに向かって突進を開始した。


 ヴィムラーは初めて明確な敵意を見せる。だが、わたしにアイスラッガーはない。


 しかし。


 わたしは静かに左半身をヴィムラーに向け、左手は中段前方、右手は顎近く。

 左脚に重心を移して軸脚に、右つま先で地を蹴って腿と脹脛を張り付けるように小さく折り畳む。同時に左軸脚の踵を内側から前方に振り向けるイメージで腰の回転を加速する。


「ひゅっ」


 鋭い呼気と共に折り畳んだ膝を解放、鞭のように右脚をしならせる。外側から回すように軌道を大きくとり、腰の高さから一気に右脚の脛をヴィムラーの脳天に打ち下ろした。


 ぶぎゅうっ………


 インパクトの瞬間、ヴィムラーは奇天烈な声を上げて地面に叩きつけられる。そしてバウンド。そのまま大きく放物線を描いて遠くの海に転落した。

 下段廻し蹴りは小学生の頃によくやったバット折り以来だ。因みに、わたしの子どもの頃の夢は「ゼットンを倒す」こと。


 だが、ベータは酷く狼狽した声を上げる。


〈あっ、あっ、ね、ねーちゃんアカンがなっ、こらアカンてっ!〉

「えっ、なにがダメなの?」

〈あいつ塩分で溶けよるねんって。死んでしもたらねーちゃん元に戻れへんでっ!〉

「えええっ! それはアッカーンッ!」


 驚いたわたしは、走って夜の海に六メートル強の巨体を飛び込ませた。

 海面から顔を上げると、白い煙を上げてブクブクと泡立っているヴィムラーが見える。わたしは必死にクロールで泳ぎ、ヴィムラーの側に辿り付いた。


〈よっしゃあっ、そのままヴィムラーにしがみ付けっ!〉


 ちょっと気持ち悪いなあと思うものの、背に腹は代えられない。立ち泳ぎをしながらヴィムラーを抱え込むとカチリとどこかで小さな音が鳴った。意識ステルスのタイムアップだ。

 すると、わたしはヴィムラー諸共大閃光に包まれた。


〈ようやったで、ねーちゃん。捕縛成功や。あっりがっとさんっ〉


 それがベータの最後の言葉だったように思う。


 えっ、それだけ?





 気がつくとわたしは元の姿に戻って夜の海に浮かんでいた。

 身体を弄ると昼に出掛けた格好のままで全裸ではなかった。安堵も束の間、このまま冷たい海水に浸かり過ぎるのは不味いと元来たメリケンパークへと急いで引き返す。

 ようやくパークの岸に辿りつくものの、今度は衣類が海水を吸って重い。必死の思いで這い上がり、「BE KOBE」のモニュメントの縁に腰を掛ける。


 着ていたニットはでろんでろんに伸びていて、ポケットのスマホは何処かに失くしてしまった。濡れそぼった髪はお世辞にも綺麗とは言えない海水を吸って異臭がする。そして酷く寒い。

 己れの身に降りかかった出来事を振り返ると、なんとも言えない情けない気持ちになる。

 とうとうわたしは声を上げて泣いてしまった。

 近くに居たカップルがひそひそと小声で話しながら離れていく。

 痛い人だと思われていると思うと、更に惨めになった。

 そして、泣くより寒さに耐えられなくなってきた頃、背後から声を掛けられた。


「あ……… ええっと、大丈夫? ですか」


 振り返ると、サラリーマン風の男がジャケットを脱いで、わたしに差し出していた。

 眼鏡と無精髭、目元に隈。酷く疲れた感じがする。歳がはっきり分からないが若いのは間違いない。

 今のわたしに遠慮をする余裕はない。恐る恐るジャケットに受け取り、震える声で返事をする。


「あ、あの、その、ありが……… とう」


 続けて彼が取り出したのは、アイロン掛けされていないくしゃくしゃのハンカチだ。


「それから、これ。良かったら」


 わたしの顔もさぞかしぐしゃぐしゃだっただろう。




・・・




 後日、彼にクリーニング済みのジャケットを返すついでにお礼を兼ねてお茶に誘った。

 わたしの事情は出鱈目過ぎて全部は話せない。酔った勢いで飛び込んだと言えば察してくれた。

 そういう彼こそ、何故に夜のメリケンパークに独りで居たのか。


 気分が落ち込んだ時に必ず向かう場所。

 どこかで聞いたような話だが、それが彼の場合、夜の海なんだそうだ。


 今日の彼は幾分目の下の隈はマシになり、無精髭は綺麗に剃られていた。

 聞けばわたしより三つ歳下。

 よくよく見れば割とイケメン、と言えなくもない。




〈ま、人の出会いは一期一会って言うしなぁ〉


 お、お前っ、なんでまだ居るんだっ!




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