約束と、再会と

「大丈夫。彼は、約束を守るもの」


 鋭い風に切り刻まれる直前の声は、風の音に掻き消された。

 ヨルベはそのまま風に刻まれ、血を散らしながら水の中に落ちるはずだった。だが、


「何っ!」


 フルメンの部下の魔法は、突如別方向から放たれた氷の魔法によって相殺され、消え失せた。

 もちろん魔法を封じられているヨルベには使えない。彼女は、ゆっくりと目を開けた。彼女の背後の水面が、一斉に凍り始め『すすぎの宮』に冷気が漂いはじめる。

 同時に部下たちとヨルベは、その凍り付いた水面の上にを見た。


「何故だ?」


 ゆらりと立ち上がったは口元を抑え、息を整えるように何度か苦しげに咳をしている。

 身にまとっているコートと長い髪はずぶ濡れで全身から水が滴り落ち、氷の上に落ちていく。それはまさしく、彼が先ほどまで水の中にいたことを示している。


「ミサギ……」


 ヨルベは彼を見てつぶやいた。間違いなく、それは沈んでいたはずのミササギだった。


「どういうことだ、お前は死んだのでは? あの方が仕留め損なうなどありえん!」

「――そう、だな、後少しで死ぬところ……コホッ、だった」


 息を大きく吸って落ち着けると、顔にかかっている髪をかき上げた。それから、ヨルベと部下にオレンジ色の目を向ける。


「後は頼んだ、か。最期に重いものを残して逝かれたな」

「オルドめ。まだ死んでおらぬのなら、我らの手でどうにかして」


 そう言って法陣を描き始めた部下を、彼は静かに見つめた。


「勘違いしているようだから言っておくが、私はミササギ=モルス・クラーウィスだ」

「はっ? 何を馬鹿な」


 思わず手を止めた部下たちに向かって、ミササギは素早く法陣を描いた。


「眠りよ」


 ミササギの手元で展開された法陣が、部下の足元にも現れたかと思うと、彼らは眠るように床に崩れ落ちた。それはあまりに一瞬のことで、ヨルベは思わず目を瞬いた。

 それから彼女はかがむと、彼らがしっかりと眠っていることを確認した。立ち上がると、凍った水面の上にいるミササギを顔を向ける。

 ミササギは彼女を見据えると氷の上を歩き、床にたどり着いた。魔法を解除して、凍っていた水面を元に戻す。チャプンッと音が立つ。

 ヨルベは目の前にいる彼を上から下まで眺めた後、何かを思い出すように遠い目をした。


「前にも、こんなことあったわよね」

「何が?」

「私が落とした腕輪を拾おうとして、川に飛び込んだこと覚えてる? あの時もずぶ濡れだった」


 それを聞いて、ミササギは小さく声を上げる。


「ああ、何の話かと思ったら。魔法を修め始めた頃だから十年も前だ。魔法を使うという考えが抜けていたんだよ、子供だったからな。君に怒られたのを覚えている。拾ってあげたのに、貴族がやることじゃないとか何とか言われて」

「ふ……ふっ」


 昔話を聞いてヨルベは声をあげて笑った。そして泣きそうな顔になると、


「本当にあなたなのね。ミササギ」


 嬉しそうに言った。昔話が通じるということ、何よりも気配を感じられない魂。本当にミササギで間違いない。


「約束は守ると言っただろう? 三ヶ月も経ってしまったが」


 自分の体を眺めると、ミササギは法陣を描き魔法を唱えた。彼の周りに法陣が展開され、それが消える頃には、ミササギの全身は濡れていなかったように完全に乾いた。


「濡れていなくても人の体というのは重いんだな、立っているだけでも辛い」

「なら魂だけに戻ったら」

「冗談はやめてくれ」


 本気で言い返してくるミササギの様子に笑ってから、ヨルベは表情を引き締める。


「ずっと見てたの?」

「見ていたとも。出来る限り体のそばにいたからな」

「どうするの?」

「フルメン卿を止める、後を頼まれたからには」


 ミササギは手袋をとると、コートのポケットに入れた。確かめるように、何度か手を開いたり閉じたりする。

 もう一度、水のたまっている場所に体を向けると目を閉じて深く礼をした。それが、今のミササギにできるオルドへの弔いだった。

 ヨルベはその様子を黙って見ていたが、やがて耐えきれなくなったのか、彼に一歩迫った。


「体を奪った人の頼みを聞くの? しかも、あの人は人殺しなのよ?」

「それで行かずに、セラギを死なせるつもりか? 父上にも母上にも顔向けできない」


 体勢を元に戻したミササギに、真剣な目で問い返されてヨルベは口を閉じる。


「それに、こうなったのはオルド殿ではない。元はと言えば私のせいだ」


 ミササギは『すすぎの宮』から庭園を見渡した。この辺りに強い魂の気配は感じない。フルメンの部下が、近くに残っている可能性はなさそうだ。


「先ほどのオルド殿の話を覚えているか。私は……母上の仇として、本当にあの人を殺そうとした。人を殺すために新たな魔法まで作り出したんだ」

「でも、あなたは途中で詠唱をやめたんでしょう?」

「人を殺そうとした時点で、十分に罪だと言える。だからあの雷雨の日。あの人は私を止めるために、魂喰たまはみの魔法を使ったんだ」


 ミササギは、脳裏に雨と雷の音が響いた気がした。全てのはじまりは、あの瞬間と言えるだろう。


「ずっと聞きたかったんだけれど、オルドが魂喰を使ったのなら、どうしてあなたの魂は無事でいられたの?」


 ミササギは庭園から目を離すと、話すために彼女に体を向けた。ようやく話すべき時が来たとでも言うように。

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