デア
「大丈夫でしょうか……?」
書斎で待機しながら、シルワはつぶやいた。彼女が書類を届けて戻ってからしばらくたつが、ミササギはまだ帰らない。
机の上の時計によれば、十の時まで後十五分。間に合わない可能性が高い。
シルワはソファに座りながら目を閉じた。自分の魂を感じる練習をすることにしたのだ。自分の中にあるはずのものを意識するが、やはり何も感じられない。
しばらく試みてから諦めると目を開けて、
「やぁ」
「わっ!」
いつのまにか入ってきていたラクスに挨拶をされた。ラクスは開けっ放しだった扉を閉めると、彼女に向けてウィンクをした。
「おはよう、シルワちゃん」
「すみません……。気づかなかったもので。失礼いたしました。おはようございます」
「いいよ、魔法の練習でもしていたんでしょ? 邪魔したら悪いと思ったから。でも、扉の開けっ放しは不用心かもね」
言いながらシルワの前に座る。
「で、ミササギはまだ戻っていないんだ」
「ご存知なんですか? 怪しい法陣が城の外で見つかったことを」
「それはもう、城の中が慌ただしくなっているからね。そろそろ戻ってくるかなと思って、タタウ殿がミサギに聞きたいことがあるらしいから来たんだけど。思ったより時間がかかっているね」
ラクスは、口元に手をやった。
「もしかしたら、ミサギは事態の収束だけではなくて、相手を捕まえることまで視野に入れているのかもしれないな」
「できるんでしょうか?」
「そこはあいつを信じるしかないな。魔法のことだから、あいつに任せるしかない」
シルワはそれを聞いて、確かにそうだと思った。まだ魔法を使うことができない彼女にとって、ミササギは本当にすごい人物であると感じられる。
「ということは間に合いそうにないですね」
「何に?」
「今日は、十の時にセラギ様がここに来ることになっているんです」
「セラギが? へぇ、王都に来ているとは知らなかった」
そこまで言うと、ラクスは時計を見て面白そうな笑みを浮かべた。
「そうだね、間に合わないね」
「え?」
シルワは改めて時計を見た。いつのまにか約束の時間の三分前になっている。
「私って……、そんなに魂を感じることに集中してたの?」
「そうだね、少なくとも十セン(十分)はしていたんじゃない?」
「ていうことは、ほとんど最初から私のことを見ておられたんですか! 声をかけて下されば」
シルワが思わず立ち上がって言った時、扉が優しくノックされた。「入りなよ」とラクスが声をかけると、セセラギが室内に入ってきた。
「これはラクス殿。お久しぶりですね」
ラクスの姿を認めると、セセラギは頭を下げた。
「久しぶりだね、セラギ。城の中に入るの、大変だったでしょ?」
「通常より警備が厳しくなっていましたが、僕は問題なく入れました。警備兵の中に知人がいたので。何が起こっているのかは聞いていますが、兄さんはまだ戻ってきていないようですね」
「はい、ここで待たれますか?」
シルワが言うと、セセラギは少し迷ってからうなずいた。彼女は先ほどまで座っていた場所を示すと、座るように促した。
「お茶でもお持ちしますね」
シルワは、お茶を階下に取りにいった。
お茶の準備をしている間に、彼女は、昨日男たちが言っていた「デア」という名を思い出した。後からミササギに聞こうと思っていたが、セセラギに聞いてみてもいいかもしれない。
お盆を持って書斎に帰ると、二人にお茶を出した。焼き菓子も横に並べる。二人が最初の一口を飲むまで待ってから、シルワは意を決するとセセラギに声をかけた。
「あの、セラギ様」
「なんだい?」
「その、聞いてもいいのか少し迷っているのですが、お聞きしたいことがあります」
「聞くだけ聞くよ」
セセラギに優しく言われて、シルワはまず昨日の夕方の出来事を簡単に話した。
「――それでその男の人たちが、ある方の名を言っていたので誰なのか気になったんです。セラギ様、『デア様』とは誰のことでしょうか?」
デアという名を聞いて、セセラギは顔を少し曇らせると手にしていたカップを置いた。ラクスも気遣うような視線を向ける。
シルワはその二人の反応を見て、答えてもらわなくてもいいと言おうとしたが、
「僕たちの母上だ」
セセラギがそう答える方が早かった。
「セラギ様とミサギ様の御母上、ですか?」
「デア・クラーウィス様。とても美しく素晴らしい人格を持たれた方だった、と聞いている。魔法が使えることを抜いても、優秀な技をもつ法医師助手であられた。今だって、なお、その魔法の技でミサギたちのことを守っている」
ラクスはささやくような声で言った。
「一度お目にかかりたかった」
先ほどからの過去形で終わる言葉を聞いて、シルワは思い出した。男たちの会話で、デアが亡くなったと言われていたことを。
「すみません。お辛いことを聞いてしまいました」
「いや、君は何も悪くない。気にしないで」
そう言うと、セセラギは足の上で両手を組んだ。
「あの日、王都に用事があって、母上は馬車で屋敷に帰るところだった。道の途中に崖に面しているところがあるんだけど、そこからの落石が馬車に当たってね。前日雨が降っていたわけでもなかったけれど、予期しないことは本当に突然起こるものだ」
「…………」
「母上の顔は綺麗なままだった。それだけは救いだったと思う。父上はとても厳格な方だけど、誰よりも母さんを愛していた。僕も兄さんも辛かったけれど、きっと誰よりも悲しんだのは父上だろう」
セセラギは大きく息を吐くと、カップを取ってお茶を飲んだ。
「でも、そうだね……。兄さんも母さんが亡くなってから、気を紛らわすためなのか、禁書庫に籠って魔法の勉強ばかりするようになったと聞いている。レイリ様が気にしておられたのを覚えている」
「それは、俺も覚えがあるな」
「久しぶりに兄さんに会って、なんだか前と変わったような気がしたけど、兄さんも兄さんで思うことがあるんだろう」
セセラギの半ば独り言のような声に、ラクスは何かを考えるように目を細めた。
シルワはというと、昨日助けてくれた時、ミササギは優しかったものの、今日はいつもと変わらない冷静な態度であったことを思い出していた。昨日のあれは、風の吹き回しか何かだったのだろうか。
「元々、冷静な方ではないのですか?」
「そうだね、確かに落ち着いた人だけど、もう少し本音を表に出してくれる人だったよ。そうだな、今の兄さんは、なんだかレイリ様に態度が似てきた気がする。前は覚えていた昔話も、忘れてしまっているようだしね」
「それは俺も思ってたけど。ま、レイリ様の下で魔法を学んでいたから、そうなるのも必然なのかもな」
ラクスが、明るい声で口をはさんだ。
「いや、でも待て。そしたら俺もタタウ殿に似てくるのか。それは困るなー」
その言葉に二人は思わず笑った。どう考えてもそれはない。
笑った後、セセラギはお茶を飲み干すと立ち上がった。そばに立て掛けていた剣を手にし、腰に差す。
「セラギ様?」
「やっぱり少し気になる。外を見てくるよ。ラクス殿、失礼します」
セセラギは、シルワが何か言う前に書斎から出ていった。ラクスはわかっていたかのように、笑顔でそれを見送った。
「あ、いいんでしょうか?」
「ま、兄弟のことは気になるもんだろ。どうせ、事件が解決するまでミサギは帰ってこないしさ。ただ待つよりマシだ」
ラクスは、焼き菓子に手を伸ばした。
「それにしても、弟までもが変わったと感じるということはやはり何かあるな」
「……?」
「喪の期間が終わって王都に帰ってきた時から、あいつ禁書庫に籠っていたのか。何のために。もしかしたら、事故について何か気づいたことでも……」
そのまま焼き菓子を口にすると、シルワに顔を向けてきた。いつものような爽やかな笑みを浮かべている。
「ね、焼き菓子食べちゃいなよ。おいしいし、もったいないしさ」
「え。でも」
「いいよいいよ、女の子は好きでしょ? 甘いもの。何なら俺が食べたことにしてあげるよ?」
ラクスが誘うように言うと、シルワは動きを止めた。ラクスとお菓子を交互に見る。何度も。
「どうぞ」
そそのかされるままに、シルワは菓子を手に取ると口にした。
「美味しい」
「あ、食べたっ。悪い子だねー」
「えっ、いえ、ラクス様が」
残されたシルワは、しばらくの間ラクスに翻弄されることになった。
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