『英雄』の真実

 次の朝、トントンと誰かが階段を上ってくる音を聞いて、ミササギは浅い眠りから覚めた。応接用のソファに座った姿勢のまま、体を軽く捻る。

 昨夜は、夕食と入浴を済ませてから調べものをして考えをめぐらしていたために、十分に睡眠がとれていない。

 朝食後、仮眠を取ろうと思ったのだが、そうさせてくれない人物がいるらしい。ミササギは淡く笑った。

 長い髪を手で整えてから立ち上がると、ソファの背に掛けていたコートを手にとった。それとほぼ同時に、書斎の扉がノックされる。


「ミサギ様、おはようございます」

「入れ」


 着終わってからミササギは答えると、仕事机の前に立った。机の上に置いた書類を眺める。


「失礼します」


 入ってくるなり、シルワは近づいてきた。


「先ほど、セラギ様からの伝言が届きました。十の時にはここを訪れたい、とのことです」

「そうか」

「それと、あの、昨日は本当にありがとうございました」


 お礼を言われて、ミササギは彼女に顔を向けた。笑顔のシルワに対して、彼は固い表情のままだ。困ったように、ほんの少し眉を寄せる。


「そう言われてもな」

「はい?」

「いや、何でもない」


 再び書類を見始めた彼を、シルワは不思議そうに見ながらも問いを投げかける。


「それで、あの後どうなったのでしょうか?」

「情報はそれなりに得られた。これで少しは、調査も進むかもしれない。後はセラギの情報次第だな」


 ミササギは椅子を引くと座った。セセラギが来るまでは何も話す気がなかった。

 シルワもそれを感じ取ったのか、そのまま階下に戻ろうとしたが動きが止まる。どうやら、机の書類の束を見ているようだ。


「最近、本当にお忙しいですね」

「色々と面倒なことが起こっているからな。仕事がたまる一方だ」

「でもきっと、それくらいにモルスがこの国にとって大切な役割だということですよね」


 シルワはそこまで言うと、何か疑問に思ったのか目を細めた。


「オルド=モルスがこの国を救ったから、モルスは今のような役割になったんですよね。今思ったんですけど、どうしてオルドさんは、腐敗していた政治を倒すなんてことをしたんでしょう」


 書類を整理しようとしていた、ミササギの手が止まる。


「魔法使いに魔法が使えない人が従うしかなかったのが、旧王国時代なんだから、魔法使いには何の危険もなかったんですよね。それなのに、どうしてオルドさんは、あえて危険を冒してまで国を救おうとしたんでしょう?」

「……、それは私に聞いているのか?」

「あ、別にそういうわけでは。ただ、少し疑問に思っただけです。伝記には、理由が書いてなかった気がして」

「そうだったか」

「読んでないのですか?」


 驚いて、シルワは聞き返した。この国の人なら、あの伝記を全員読んでいるものだからだ。それほどに、建国史はこの国において大切なものとされている。


「いや、だいぶ前に目を通したからな。忘れてしまっていることもある」


 ミササギは答えると、一枚の書類を手に取って目を通し始めた。彼も、どうやら理由を知らないらしい。

 それならば、仕事の妨げになる前にシルワは退出しようとしたが、


「きっと。彼は、そんな大それたことをするつもりはなかったのだろう」


 ぽつりと、ミササギの口から声が漏れた。シルワは慌てて、背を向けようとしていた動きを止めた。


「えっ?」

「英雄。オルドはそう語られる。しかし、後世の人々はその『英雄』を、伝承を通してでしか知らない。そこには誤解もある」


 ラクスも似たようなことを言っていたと、シルワは思い出す。二百年前のことだ。伝えているうちに、変わってしまうことがあっても不思議ではない。


「こんな話を聞いたことがある。ただ単に、オルドは大切な誰かを助けようとしたのだと」

「大切な、誰か」

「その人物が苦しめられているのを見かねて、彼女を助けるために、国に対して反抗することを決めたのだと」

「優しい人だったんですね」


 そこまで聞いてシルワは、顔をほころばせた。


「そして、それに成功したってことですね。すごいですよ」

「いや」


 ミササギは、否定の言葉を強めに口にした。否定の言葉に身を固めてしまったシルワに、視線だけを向ける。その目は、ほんの少し陰っているように見える。


「確かに国は救えた。腐敗した政治を終わらせることはできた。だがな、間に合わなかった。大切な人を、彼女の命を救うことはできなかった」

「そんな……」

「英雄と呼ばれる一方で、どんなに辛い心境だったのか。後世の人々にはわかるはずもないが、だからこそ彼はモルスとして魔法を管理しようとした、のかもな」


 ミササギは、手に持っていた書類をゆっくりと所定の位置に置いた。ぱさりと小さな音がたつ。


「償いとして、彼女のような人を生まないために。もしかすると、国のためにというよりも、そちらの方が理由としては強かったのかもしれない。今となっては……よくわからないが」

「どうして、そんな大切なことが伝記に載っていない……いえ」


 シルワはゆっくりと首を横に振ると、寂しそうな表情を浮かべた。


「大切な人が亡くなったなんて、例え記録の上だけだとしても見たくないですよね。一番知るべきであろう、後世のモルスに伝わっているならそれでいいのかもしれません」

「どう、だろうな」


 ミササギは机に視線を落とすと、それだけ言った。話はここまでということだろう。


「貴重なお話、ありがとうございました。失礼しますね」


 シルワは、頭を下げるとそのまま退出していった。パタンと扉が閉まる。

 ミササギはしばらく腕を動かさないまま、じっとしていたが、誰かが建物の中に入ってきたのを感じて顔を上げた。セセラギでないのは間違いない。


「あ、あの! ちょっとっ」

「すみません、緊急なんです」


 階段の方から会話が聞こえた。どこかで聞いた覚えのある女性の声だ。

 ミササギは複数の足音を聞きながら、ため息をついた。嫌な予感がする。


「すみません、モルス殿。失礼します」


 トントンという音とともに、これまた聞き覚えのある男の声がする。ミササギは頬杖をつくと「入れ」と声をかけた。

 扉を開けて入ってきたのは、見覚えのある男女――森の調査で同行したアクイラとロサという名の調査官たちだった。

 二人は入ってくると、そろってミササギに礼をした。その後ろからシルワが顔を出す。

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