それは、彼だった。
もう一つの足音が、太めの男の後ろから聞こえてきたと思うと、長身の男も姿を見せた。彼女のことを不思議そうに見やる。
シルワも、視線を彼に向けてようやく思い出す。先ほどは気づかなかったが、一度図書館で見かけた気がする。だとするとまずいことになりそうだ。
「なあ、何で盗み聞きした?」
「し、してません。ただ、道を通ろうとしただけなのに、誤解された、から」
「ほほう、なかなかに勇気がある嬢ちゃんだ。否定するとは」
両側から、二人が責め立ててくる。
一方長身の男は、シルワのことを思い出そうとしているのか黙ったままだ。シルワには、思い出すなと念じ続けることしかできない。
「さっき、俺たちの噂に違うとか言っただろう?」
「そ、れは」
「そもそもどこの嬢ちゃんだ? そこらの子にしては小綺麗だな」
「そうか!」
ようやく思い出したのか、長身の男が声を上げた。
「君は、モルスのプロムスか」
「っ!」
荷物を落としそうになったが、どうにかこらえる。「モルスのプロムス」という言葉を聞いた途端、残りの二人は面白そうに口角をあげた。
「そういや確かに、モルスの従者は少女だって聞いたな。モルスは、こういう
「なんてことを……」
「言うのかって? まぁ怒るな」
太めの男がシルワの腕を掴もうとして、彼女はどうにかよけたものの、その不意をつくように赤ら顔の男が彼女の腕を取り、体ごと壁に押し付けてきた。荷物がポトリと地面に落ちる。
「あ、あの、ちょっとっ、やめてくださいっ!」
「おい。お前、何するつもりだ?」
長身の男がたしなめたが、赤ら顔の男は聞く気はないらしい。その手が、シルワの腕をさらに強く握りしめる。
「悪い子にはお仕置きしないとな……?」
至近距離で男からにらまれて、シルワは怖さのあまりに何も言えなくなった。
空いている右手で、法陣を描こうとしてやめる。彼女にはまだ使えない。諦めると目を閉じた。
「さて、どうしてやろうか?」
太めの男も笑いながらそう言った時、
「――では、止めてもらおうか」
静かな声が路地に響いた気がして、シルワはすばやく目を開けるとその方向に目をやった。
シルワの動きに引かれるように、三人の男も怪訝そうに同じ方向を見た。
途端、男たちに向けて唸るような強い風が吹きわたり、路地に落ちていたゴミが音を立てて転がった。そこにいる者の衣服と髪も激しく揺れる。
「ひいっ、な、なんだよ」
「まさか、お前も魔法が使えるのか?」
驚いた赤ら顔の男は、シルワから慌てて手を離した。
男たちはシルワと風が吹いてきた方向を交互に見ると、まず先に長身の男が走り始め、続いて二人の男も逃げ始めた。
シルワは状況が飲み込めず、小さくなっていく男たちの背を見送るしかなかった。足音をたてずに走れているのか、角を曲がると彼らの足音は聞こえなくなった。
もちろん、シルワにはまだ魔法が使えない。偶然吹いた風のようにも思える。
「行ったか」
後ろからした馴染みのある声に、シルワは反射的に振り返った。
「ミサギ様」
そこに立ってシルワと同じように、男たちの去った方向を見ているのはミササギだった。ここにいることが一瞬信じられなかったが、間違いない。
「思ったよりも、すぐに逃げたな」
珍しくはっきりと笑みを浮かべているミササギの目が合って、シルワは安心してしまったせいか地面にへたり込んでしまった。
どうやらあの風は、彼が起こしてくれたもののようだ。
「大丈夫か?」
彼女に近づくと、ミササギは視線を合わせるように姿勢を低くした。
「大丈夫です、すみません。ありがとうございます……でも」
シルワは、息を落ち着けると自力で立ちあがった。疑問を口にする。
「どうして、ここに?」
「そうだな……言っただろう? セラギに言われたことを考えなければならないと。自分の目で王都を見るのも大切だと思ったんだ。街を歩いていたら、君の声がしたから驚いたよ。来てみて正解だったようだな」
ミササギは考えるように、首をひねりながらそう答えた。
「すみません。あの人たちがミサギ様の噂をしていたものですから、ちょっと盗み聞きして、それがバレてこんなことに」
「そうか。それは悪いことをした」
「えっ?」
ミササギは姿勢をただすと、地面に落ちたままのシルワの荷物を見つめた。
「私のことで巻き込んだということになる。君は気にしなくていいんだ、私の問題だから」
「……」
「本気でそう思っている。悪かった」
シルワが自分をじっと見ていることに気づいて、ミササギはいぶかしげな表情を浮かべた。
「どうした?」
「いえ。ただ、なんだか、いつもよりお優しい気がして」
「そうかな、そうかもな」
ミササギは寂しそうにうなずいてから、シルワに穏やかに尋ねる。
「どうする、一人で王城に帰れるか?」
「どうしてですか?」
「私はあの者たちを追いたい。噂を聞かれたくらいでここまでしたんだ、何か手がかりが掴めるかもしれない。その意味では、君は私の助けになったのかもな」
ミササギは男たちの去った方向を見つめた。逃げたつもりかもしれないが、魂の感知である程度は追うことができる。
シルワはゆっくりと荷物を拾いあげると、
「大丈夫です、帰れます。十分に助けていただきましたから。早く追いかけないと、見失ってしまいます」
しっかりとした口調で、そう伝えた。
「わかった、気をつけてくれ。荷物を置いたら、自室に帰って構わない」
「はい、本当にありがとうございました。ミサギ様も気をつけてください」
ミササギに頭を下げると、大通りに向けて歩き出した。掴まれた腕はかすかに痛むが、赤くなっているだけで跡は残っていない。明日には治っているだろう。
シルワは途中まで歩き、それから「デア」という言葉を思い出して、思わず振り返ってミササギの方に顔を向けた。
「あれ?」
しかし、振り返った先に彼はもういなかった。足音がしなかったことを考えると、転移でもしたのだろうか。まるで、そこには最初から誰もいなかったかのようだった。
シルワは首をかしげてから再び、大通りに向けて歩き始めた。この調子だと王城に着く頃には、夕日は沈んでいるだろう。
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