シルワの決意
ミササギは水の流れが止むのを待ってから目を閉じると、右手を前に差し出した。息を吸う。
彼の右手が静かに動き始め、何かの印を描いていく。
「レニカ・シスナ、汝らを送る清き風を送り、レニカ・バニカ、汝らを見届ける清き火を捧げよう」
声に呼応するように、白い法陣が彼の足元に展開し、周囲で風が吹き始めた。
さらにランタンの火が強くなりはじめ、その火は赤から青に、そして緑色にへと段々と変化していく。
ミササギのランタンだけでなく、全てのランタンの炎の色が変わりはじめ、墓所が淡い緑色の光で満たされていく。
「レニカ・ソロライカ・フルール、汝らに思いをはせ、汝らの魂が
シルワは甘く気分が和らぐような香りを、風がかすかにはらんでいることに気づいた。
法陣の光が強くなるのに呼応するように、炎もそれぞれのランタンから飛び出さんばかりに勢いを増している。
しかし、緑色の炎に熱はないようでランタンが燃えることはなく、辺りはひんやりとしたままだ。
人々は、ミササギを中心として行われる光景に見入っていた。今や、墓所の中は白と緑色の光で満たされ、心地よい風が人々を取り囲んでいる。暖かな午睡を見ているかのような光景だ。
その風は、王家の墓所の外に出ても勢いを変えず、白と緑色の光をまとったまま、森を駆け抜け、クラースの森を淡い光と香りで満たしていく。まるで、森全体が蛍のように淡く光っているかのようだった。
森全体に吹く風に乗るように、多くの白い光の塊がどこからか現れ、風はそれを掬い上げると、森の上空をめざして吹き上がりはじめた。
王家の墓所の上空で風は巻き上がり、光の塊を天に向かって上げていく。
王を含めた人々はそれを見ると、祈りを捧げるために手を組み、目を閉じた。本当は、シルワもそれに習わなければならない。だが、
「この世を去りし御魂よ、どうか我らのことを天の彼方より見守り下され。我らも汝らのことを、この魂の内に抱いていよう」
白い法陣の光と緑色の火の中、風に吹かれているミササギの姿から目を離すことができなかった。
ミササギはそこまで言うと、目を開けた。上空の風に視線を向ける。月明かりを受けて、浮かび上がった風はあまりにも美しく、それでいて胸に沈み込むような寂しさを伴っている。
「汝らの魂が安からんことを、我が魂より伏して願う。レニカ・ソローレ、レニカ・ソローレ」
ミササギは、その風に向かってゆっくりと一礼した。
その瞬間、巻き上がっていた風は天に向かってはじけるように飛んだ。
甘い香りがむせかえるほど強くなり、法陣の白い光が墓所全体に一瞬で広がり、シルワの目からは何も見えなくなる。彼女は思わず目を閉じた。
しかし光はすぐに止み、香りも風もそれに合わせるように段々と消えていった。
シルワが恐る恐る目を開けると、ランタンの火は元の赤い色に戻っており、儀式が始まる前の静寂が戻ってきていた。
ミササギの方に目を向けると、ランタンを持って屋根の前まで降りてきたところだった。屋根をくぐってから、台に向けて一礼する。
先ほどの輝いていた光景などなかったかのように全てが元に戻っていて、シルワはさっき見たことは夢ではないかと思った。他の人々もどこかぼんやりした様子でいる。
「ミササギよ」
王が、下りてきたミササギに声をかけた。
「此度の儀式、見事であった」
「身に余るお言葉、感謝いたします。王の名があってこその『御魂送りの儀』。あなた様の栄光があってこその成功だと存じます。あなた様のお力添えにも、感謝の意を述べさせて下さい」
「そうかしこまるな。誠に此度の儀式の成功には、我も感謝しているのだ」
深く頭を下げたミササギにそう言うと、儀式に参加していた者たちに向けて儀式の終わりと成功に関して言葉を述べ、今一度御魂に祈りを捧げるように告げた。
シルワはそれに習い、今度こそ全員と黙祷をささげた。黙祷が終わると、門が再び開けられ、シルワを含む中にいた人々は外に出た。
外にいた人々が祈りを捧げてから、入れ替わるように墓所に入り、ランタンの火を消し始め、捧げものを一部だけ残して再び箱に収め始めた。
御魂に捧げたものを口にすることで、その御魂がいるあの世に将来行くことができると言われているためだ。
シルワがその様子をぼんやりと見ていると、ミササギが近づいてきた。手の中のランタンはすでに消されている。
この時になって、シルワは濡れていたミササギの服が乾いていることに気づいた。風のせいなのか、そういう魔法を使ったのかはわからない。
「お疲れ様です」
「そうだな、少し疲れた」
ミササギの声は、ほんの少しかすれている。あれだけの現象を起こしたのだから、消費する
「私の役目はこれで終わりだ。片付けが終わったら帰れるさ」
言いながら、ミササギは近くにいた使用人にランタンを渡した。
周囲の人々には、祈りを捧げている者もいるが、かすかに言葉を交わしている者もいる。
遠くにいるクストスも、ラクスと小声で話しているようだ。もう少し会話を続けても問題なさそうだった。
「魂から素晴らしい儀式だと思いました。はじまりの魔法は、あんなにも綺麗で優しいものなんだと。それで、思ったんです。この数日間、私は色んな魔法を色んな場面で見てきました。魔法には恐ろしさも感じます」
シルワは魔物を一撃で倒した電撃を思い返した。同時に、魔物の攻撃を防ぐ透明な壁を。
「でも、魔法は人を助けられるものでもあると思います。時に魂を癒せるほどに。私には、何の能力もありません。読み書きができますけど、後は何も。けれど。けれど、そんな私にも魔法が使えるというのなら」
「なら、どうする」
ミササギは冷静に問いかけた。シルワはこぶしを握り締めると、せいいっぱいに彼を見上げ、オレンジ色の瞳を直視した。
「使えるというのなら、知るべきだと思うんです。せめて身を守ることができる
「……」
「ミササギ=モルス・クラーウィス様」
シルワは、ミササギに深く頭を下げた。
「私に、せめて自分の身を守れるだけの、魔法を教えていただけませんか?」
「……私は、もし、とかいう仮定の話は好きではないが」
ミササギの声に、彼女はゆっくりと顔を上げた。彼は穏やかな表情を浮かべているように見える。
「悔いることは、悪いことではないと思う」
「では?」
「魔法は、基本として
念を押すように言葉を告げる。
「できるか?」
「やります」
シルワが食い気味に答えると、ミササギは淡く微笑んで「そうか」とだけ口にした。
ちょうど片付けが終わったところで、それに気づくと彼は来た時と同じように、列の前へと戻りはじめた。
列が動き始めた後も、シルワはミササギの背を森から出るまでじっと見つめていた。
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