第三章 兄と弟 Strangers

魔法の勉強と、突然の訪問者

「うーん」


 シルワは紙をにらみつけていた。紙の上には、羽ペンで描いた法陣がある。

 魔法を教えてくれとミササギに頼んでから、早くも七日たつ。シルワはこうして仕事の合間に魔法の勉強をしていた。

 彼女は椅子にもたれかかると、天井を見上げた。今いるのは図書館ではなく、モルスの住居の一階、プロムスの控えの間だ。木製の机と書類の他にはほとんど何もない。

 ここで、書類の受け取りや面会の取次ぎといった業務を行う。

 今は彼女以外誰もいない。だからこそ、勉強しているのだが、仕事の合間にしているからなかなか進まない。


「ミサギ様って、天才ですかね」


 天井を見つめながら、ため息混じりにつぶやく。この声が、二階で仕事しているミササギに届くわけもない。

 きちんと覚えられたこともある。示言しげんは、魔法を発動するための基本的な指令の言葉。令言れいげんは発動の引き金となる最終指令。法陣は魂力を実体化させるもの。

 例えば、守りの魔法の示言は、第一音の「ガイ」が「防御的指令」第二音の「ガイカ」が「壁をつくれ」の意味を持つ。

 令言の「守りよ」で魔法が引き起こされ、全て合わせると「ガイ・ガイカ、守りよ」となる。


「ここまでは完璧なのに」


 シルワを悩ませる最後の壁があった。法陣だ。

 法陣には、基法陣きほうじんという基本となる法陣があり、ほとんどの魔法は基法陣が同じで、そこに魔法ごとに異なる印を書き加えることで法陣が完成する。

 よって、基法陣を覚えることは重要であるのだが、この基法陣が難敵だった。


「これは何の形なんだろう……?」


 基法陣は円の中に、円を四等分するように縦と横の線と、小さな丸が書かれている。さらに円の中には模様があって、この模様を覚えるのに苦労していた。

 二つの大きい模様は縦の線を挟んで向かい合っており、その上には小さな模様もある。

 手本を見ずに基法陣を描く。少しずつ上手くなってきた気もしているが、どうなのだろうか。

 シルワにとって、まだまだわからないことだらけだ。

 何せ、三原則があるといっても、ミササギが魔法を使用している場面を思い返すと、示言を省略していることがあるのに気づいた。そこにもまた規則があるのだろう。

 シルワは目を閉じて、頭の中で何度も基法陣を描いてみた。そこに守りの魔法の印を重ねてみる。

 あと少しで覚えられそう、と彼女が思った時、トントンと控えめにドアをノックする音が響いた。シルワは勉強道具を素早く片付けると、扉を開けにいった。

 こうしていつも勉強は中断される。最近、ミササギの仕事も多くなっているからなおさらだ。

 扉を開けると、一人の青年が入ってきた。

 シルワが見たことのない人物だったが、彼を見た途端、彼女は驚きで動きを止めた。


「君が、プロムスなのかな?」


 彼は、優しげな眼差しをシルワに向けた。柔らかな雰囲気を持った青年で、薄茶色の髪がその印象を強くしており、帯剣をしているのが不釣り合いに見えるほどだ。

 服装からして、地位のある身分であることがわかる。ただ、何よりも、


「は、はい。何のご用でしょうか?」


 シルワは、青年の目から視線を外すことができなかった。

 彼の目は夕日のようなオレンジ色。ミササギとまったく同じ光を宿している。もしかして、と思う。


「名乗り遅れて申し訳ない。僕は、セセラギ=カミ=ミーレス・クラーウィス。兄に、ミササギ=モルスに会うことはできるかな?」


 柔らかく笑いながら、セセラギはそう名乗った。


「兄って。つまり、あなたは」


 あまりの驚きで、シルワはそうしか言えなかった。


「そう、僕は彼の弟ということだね。はじめまして、君の名前は?」

「すみません、私の方こそ失礼を。シルワ=プロムスと申します。それで、クラーウィス様」

「名前で、セラギで構わないよ。兄さんも君にはそう言っているはずだ。固くなる必要はないよ」


 にこやかにそう言われて、彼女は思わずうなずいてしまった。


「ではセラギ様。ミサギ様は仕事中ですけれど、面会の予定は他にないので問題ないと思います。というより、ご兄弟なら会われると思いますが」

「と、思うんだけどね」


 セセラギは少し表情を曇らせた。シルワがどうしたのか聞く前に、何でもないように笑みを浮かべて取次ぎを頼んだ。


「こちらへ」


 セセラギを二階に案内しながら、考える。ミササギに弟がいるとは、シルワは少しも聞いたことがない。聞いたことがあってもおかしくはないのだが。

 シルワは書斎まで来るとノックをした。扉越しに声をかける。


「ミサギ様、失礼します。弟のセラギ様がいらっしゃっています。お会いになりたいと」


 いつもならすぐに来る返事に、間が空いたように、彼女には感じられた。


「……通せ」


 シルワは返事をすると扉を開け、セセラギを書斎に通した。

 ミササギは珍しく立った状態で、セセラギを出迎えた。二人が向かいあう。こうして見ると、ミササギとセセラギは目の色もそうだが、顔立ちも似ているように見える。


「お茶をお持ちしますね」

「ああ、いいよ。そんなに長居するつもりはないから」


 セセラギはシルワを止めると、ミササギに向けて口を開いた。その後ろで、シルワは邪魔にならないように出口の横に立つ。


「久しぶりですね、兄さん。モルスになられた時に会ったのが最後でしたから、二か月ぶりになりますか?」

「ああ、元気にしていたか?」

「はい、僕も父上も変わりはありません。兄さんも元気そうで安心しました」


 セセラギは嬉しそうに答えた。ミササギの表情にも、柔らかさが含まれているように見える。

 ミササギはセセラギに、応接用のテーブルに座るように促した。ソファに剣を立て掛けてから彼が座ると、ミササギも対面のソファに座った。

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