惜しみなくM
野森ちえこ
笑顔が見たいから
「Mちゃん、ありがとー! たすかった!」
「どういたしまして! またいつでも呼んでくださいね!」
笑顔で手を振った彼女がつぎに向かったのはバスケ部。風邪でお休みのマネージャーに代わってドリンクを用意して。そのつぎに向かうのは演劇部。今度の舞台でつかう小道具づくりのお手伝いだ。
右に左に。スタスタと廊下を行く彼女の名前は
***
ある日。
「なんでMちゃんは、そこまで人のために働けるんだ?」
二年生の先輩男子がたずねると、Mちゃんは一瞬きょとんとなって、それからニコっと笑った。
「人のためじゃありません。自分のためです」
先輩男子は意味がわからない。だって誰がどう見たってMちゃんは人のために働いている。いつも誰かを手伝い、誰かをたすけ、誰かのために走りまわっている。自分の時間なんてあるのだろうか。ちゃんと休んでいるのだろうか――と、つい心配になるくらいに。
「ありがとうっていってもらえると、うれしいじゃないですか」
「まぁ、そうだな」
「私がしたことで喜んでもらえたらうれしいし、それで『ありがとう』なんていってもらえたら、もう最高です!」
「そ、そうか」
今どきこんな子がいるのかと、今どきの高校生たる先輩男子は思う。眩しい。直視できないくらいに。先輩男子の目にはMちゃんがとても眩しく映った。
「はい。できましたよ」
「え、もう?」
「はい」
差し出されたブレザーを見れば、とれかかっていたボタンはふたつともきれいに付け直されていた。
「おお、すげーな。プロみたいだ。サンキュー、たすかったよ」
Mちゃんの顔が内側から輝きだす。ぱああぁぁああ……と、効果音が聞こえてきそうだ。
花が咲くような――というのは、こういう笑顔をいうのかもしれない。と、先輩男子は思う。それも一輪二輪じゃない。そしてバラとかヒマワリとか、そういう派手な花でもない。
Mちゃんの笑顔を見て、先輩男子の頭の中でいっせいに花ひらいたのは、ピンクとか黄色とか紫とか、名前もよくわからないような、ちいさくてかわいい花たちだった。
Mちゃんは学校一の有名人だから、もちろん先輩男子も知っていたのだが。ちゃんと話したのはこれがはじめてだった。ほんとうは今日だって、ボタンがとれそうなくらいでわざわざ呼ぶつもりなんてなかったのだけど。気をきかせたクラスメイトが勝手に呼んでしまったのである。今は呼んでくれてありがとうといいたい。
「またなにかあったら遠慮なく呼んでくださいね!」
やばい。眩しい。この笑顔。ひとりじめしたい。なんてうっかり思ってしまった先輩男子。心臓が全力疾走をはじめる。
「あ、あ、あのさ」
「はい」
「……い、いや、あ、あの、えっと……ま、また、なにかあったら、よろしく……!」
「はい、もちろん!」
顔ぜんぶで笑って教室を出ていったMちゃんを見送って、先輩男子はヘナヘナと机に突っ伏した。ダメだ。あんなけがれのない笑顔を見てしまったら。なんか、もう、なにもいえなくなってしまう。
そんな先輩男子の肩をポンと叩くクラスメイト男子が一人二人、三人四人五人六人……
「「「抜け駆け禁止な」」」
同情と共感と牽制がこめられたいくつもの目に囲まれて。先輩男子は、おそらく学校中の男子が同士であると知った。
***
「Mちゃん、ありがとー! たすかった!」
「どういたしまして! またいつでも呼んでくださいね!」
右に左に。今日もスタスタと廊下を行く彼女の名前は真中皆実。人に尽くすことを生きがいとする彼女を、まわりのみんなは親しみをこめてこう呼ぶ。
Mちゃん――と。
(おしまい)
惜しみなくM 野森ちえこ @nono_chie
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